ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

新渡戸シンポの感想 その3

ところで、今年4月からアメリカのイリノイ大学で在外研究している弟ですが、最近メールで聞いてみたところ、英語には本当に苦労しているらしいです。

27歳で京都大学から博士号を授与され、英語論文も何本かある弟は、理系コースとして、今のところは何とか順調な方だろうと思います。子どもの頃、妹や弟は、年下にもかかわらず私と対等の口をきく環境でしたので、比較的、口達者な方だろうとも思います。家族の中で、最もよい環境で教育が受けられたはずです。ところが、どういうわけかアメリカにいて英語で困っているというのです。7月中旬に届いたメールに「英語は全然上達しません。生きていくだけなら問題ないけど、研究のディスカッションや社交の場での会話にはとても苦労しています。脳は老化しているし、家に帰ると日本語を使うから、ダメですな」と書いてありました。(ちなみに、弟は私より10歳年下です。早くも脳が老化しているなんて、先が思いやられる…)

一方、病気のためにすっかり人生が後退してしまった主人(私より5歳年上)ですが、弟とまるで対照的なのです。普段は口が重く愛想もよいとはいえず、病気のせいでますます発声が不自由になっていますが、1990年代のアメリカ留学と赴任中の計4年間、英語で何やら堂々と渡り合っていたらしいのです。東海岸の某研究所で、名前を聞けば誰でも「あぁ、あそこね」という所のようですが(しかし私は婚約するまで知らなかった)、交際中も毎月のように出張したりして、アメリカ人その他と議論や交渉をねばり強く繰り返していた模様です。披露宴の時、職場の研究所長のスピーチで初めて知り、そんな人だったとは知らなかった(!)私の方が、びっくりしました。

確かに、1999年8月に二人でスペインとドイツに旅行した時にも、いつの間にか電話をかけてあれこれ尋ねたり、ベルリンの壁に触った途端に知恵熱(?)が出てしまった私のために、店に飛び込んで必要なものを買ってきたりしたのは、そもそもスペイン語ができず、ドイツ語もとうに忘れた主人の方だったのです。これは一体どういうことなのでしょう?

「ごちそうさまでした」と、ここで終わらないでください。近親者の方が語りやすいから、登場させているだけなので…。

私の見るところ、二人の差異は、次のような点から生じていると思われます。

1.学校の成績だけで英語力を判定することの限界
2.普段の読書量と思考力
3.ハングリー精神と目標設定

弟と主人とでは15年の開きがあるため、学校教育や入試方法とレベルが、格段に違うことも考慮しなければなりません。はっきり言ってしまうと、弟の頃は、私の時代よりも簡単になっていました。ですから、大学名だけで実力を判断することは不可能です。

主人に言わせると「なまじ学校がよかったから、自分で努力するという動機に欠けていたんじゃないか」ということのようです。さもありなん。それと、読書習慣について言えば、弟は昔から、ほとんど本を読むということがありませんでした。妹や私の読んだ自宅にある本は「女の子っぽくて嫌だ」とのことで、小さい頃は、飛行機や動物の本を買ってもらっていましたが、青年期に文学書を読みふけるなどという姿は、一度たりとも想像もできませんでした。

主人は読書好きというほどではないものの、気がつくと、アマゾンで英語の本を見つけては、いつの間にか購入しています。私とはジャンルが違うので、めったに共有することはありませんが、電車の中でも暇さえあれば読んでいます。小さな積み重ねですが、こういうことは、長い人生の間に相違を生み出すだろうと思います。ちなみに、職場で主人は「英語係」を時々頼まれるそうで、上司や同僚の書いた英文を添削することまでしているそうです。

私も、英語表現や文法について、今でも‘本場’で鍛えた主人によく質問しています。それほど好きではないけれど、中学1年から学び続けてきた英語を今さら敵に回しても、もったいないだけですから…。

国際的な政治経済の力学上、たまたま今は英語が席巻している状況ですが、結局のところ、人間的な総合力が、語学力に反映するのかもしれません。しかし、そのこととポリグロットとは、また別次元だろうとも思います。

ところで、今日の朝日新聞朝刊(大阪本社版)の「私の視点」には、大阪外国語大学教授の津田守という先生が、「法廷通訳のあり方再考を」という投書を寄せられていました。法廷通訳人は、名簿に約4000人が登載されていて、津田先生は20年ほど前からフィリピン語と英語の通訳と翻訳をされてきたそうです。法定内でのやり取りを通訳するのみならず、冒頭陳述要旨や弁論要旨などの文書を事前準備として翻訳されているとのことです。これが大変な重労働で、一時間足らずの公判のため、A4で10枚の論告要旨を7時間もかけて事前に翻訳したり、一人で約8時間通訳した時には、夕方席を立つエネルギーもなかったそうです。

確かに…。昨日、新渡戸シンポに関して、「ボランティアの通訳ではなく、謝金をしっかり払う方式の方がいい」と提案したのには、そういう意味もあります。津田先生の事例でいくと、フィリピンの法律から社会事情までの広範な知識と、日本国内の法律・刑事問題に精通することが必須で、これは語学以上に、並大抵の能力ではできないことだろうと思われます。表に見えない働きに対する謝礼は、当然、支払われなければならないと思うのです。

一方で、主人が「英語係」に駆り出されるのも、まんざら経費節減のためではなさそうです。いくらことばができたとしても、理系の専門分野(一応は先端研究)の理解がなければ、通訳も翻訳もできないわけですから。やはり、内容が伴っていてこその英語力ですよね。そういえば、今思い出したのですが、婚約中に主人が「うちの会社で、以前、外部から通訳を雇ったことがあったけど、僕が聞いていても、もうどうしようもなく使いものにならない人で、これなら自前でやった方がよほどいい、という結論になった。ことばだけできても、ダメだね」と言っていました。

マレーシアの場合、なぜマレー語ではなく英語で憲法や法律が立案されたのかといえば、マレー語でシャリーア法以外の‘近代法’の概念そのものが存在しなかったためだと言われています。(注:ここでは、何をもって「近代」と称するのか、シャリーア法は本当に現代に適応できないのかという議論を別とします。)従って、マレー人の知識人ですら、英語でまず法概念を考えてから、マレー語を創出しつつ、何とか二重言語で法廷でのやり取りをしていたようです。ただ、マレーシアで弁護士や法律専門家になるような人々は、文系で最高の成績を修める優秀な知識階層で、トップクラスはイギリスの大学に留学して学位と資格をとります。そして、このような人々は、マレー語がわかっても普段は使うことがない、という状況も知っておく必要があります。これは1980年代に、マレーシアの社会言語学分野で頻繁に議論された問題ですが、その頃の日本では、マレーシアの言語事情について、いったいどの程度把握していたのでしょうか…?

新渡戸シンポからやや逸れてしまいましたが、どこか通じる要素を含むものではないかと思っています。申し訳ありませんが、今日は、他にもすることがあるので、これにて終了!
続きはまた今後に...