ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

女性の意識向上

11月13日の午前中には、隣の市の市民交流センターへ行き、家事家計講習会(計1時間半)に参加しました。私にとってこれが初めてではありませんが、久しぶりと言えば久しぶりです。先週、同じ区域に住む奥さんから電話があり、「お客さんが少ないから行ってみて」と誘われたのですが、実際には会場はいっぱいでした。
これは、羽仁もと子氏が発案した『婦人之友』の読者である友の会が主催している集まりです。極めて堅実で実際的で、年齢に関わりなく誰にでも応用可能な、計画的家政の方法と工夫を教え、励まし合い、定期的に公表するものです。だいたい私が普段実行しているものが紹介されているため、いつも積極的に参加しているわけではありませんが、とかく孤立しがちな家事に、適度に刺激と見直しの機会が与えられるので、感謝しています。
学校の勉強と違って、自宅に帰ればすぐに実践できるのみならず、日々の経験に照らし合わせて聞くため、能動的に参加できます。また、具体的で客観的な事実そのものをデータとして使っているので、透明感と公正感があります。
この会に参加している方達は、仕事を持っている女性、持っていない女性、ひとり暮らし、夫婦二人暮らし、子育て真最中と、さまざまな暮らし方をしているのですが、平均すれば、子どもが2,3人いる夫婦の家族がモデルになっているように思われます。また、さまざまな問題を抱えているとしても、割合に‘健全な’家庭が基準になっているようです。参加することで問題解決への糸口が見つかる場合もありますし、奥さんが子育てや家事をこんなに一生懸命まじめにやっていれば、ご主人だって感化されて変わってくるからでしょう。
我が家の場合、二人とも経済感覚がよく似ているので、家計は主人も非常に協力的で、お金のことで言い争ったことがありません。お酒はほんの少しだけで、煙草も車も携帯電話も一切不要ですし、給料も使ったお金も全額申請してくれます。というわけで、夫婦関係の基礎バロメーターは、まずOKでしょうね。これほど楽で幸せな話はないと思っています。ありがたいことです。
子ども服を手作りという話もありました。小学生頃から私も、将来に備えて、刺繍や編み物や手作りのポシェットなどいろいろと作っていましたが、大人になってみると、肝心の子どもがいない!その代わりに、ぬいぐるみの服に刺繍したり、マフラーを編んでやったりしています。老後になったら、小物を作ってどこかに送るということも考えていますが、今のところはまだ勉強、勉強!
食事に関しては、いろいろ本を読んで研究したので、まず大丈夫、かな?ただし、この講習会に出ると、どうやら私は1.5倍ぐらい食べ過ぎのようなのです。「肉より魚を、野菜は一日350グラム、海草類も摂取のこと」などはほとんど守っていますが、サンプルを見ると「え、そんなに少なくていいの?」という量なのです。それにしては、ふくよかな体型のおばさま方もいらっしゃるような…。
しかし、この会に参加する度にいつも思うのは、皆さん、本当にまじめでしっかり家庭経営をされているんだなぁ、ということです。人前での話し方も、多少幅がありますが、よく準備されています。時間も定刻きっちりに始まり、予定通りにちゃんと終わります。また、ネチネチ、ダラダラしたところがなく、さっぱりした方が多いように見受けられます。
20代から90代までの会員が活動されているとパンフレットに書いてありました。生き方は人それぞれ自由とはいうものの、やはり大半の人は結婚していくわけです。そういう意味で、社会の基礎は家庭にあり、その舵取りは女性が鍵となります。会合に出ると、こういう女性達なら安心して何事も任せられそう、という印象があります。子ども達の育て方も、経験知でいろいろと話し合い、助け合い、社会動向にも敏感で、さっと反応していらっしゃるようです。
家事を効率よく進めるキャッチフレーズがあるようで、例えば「先手仕事」「合間仕事」という言葉をこの日も聞きました。まぁ、私も毎日そんな感じかもしれません。例えば、この「ユーリの部屋」も、思いついたら即座に、しかも合間をぬってワードに入力していき、日付が変わったら、または朝ひと片づけしたら、すぐアップするようにしていますから…。

ところで、同じく女性の会合に関して、1998年頃、大阪の某公立センターで20代から50代ぐらいの人の中から選抜されて集まる無料講座を数回受けたことがあります。関西に来たばかりで、いろいろな人達と知り合いたかったからです。毎週頑張って出かけて行きましたが、残念ながら、図書館で本を借りる便宜の他は、あまり私と合いませんでした。講師には大学教員も何人かいましたが、結構な出版社から難しそうな翻訳や本を出していても、服装が今ひとつ珍妙だったり、何というのか、ちょっとついていけない感じがしました。
「三歳児神話」の否定や、自立するために女性も男性と同等に外で仕事をしよう、他人の思惑を気にしないで生きよう、子どものことは子どもに任せよう、夫にも自分で家の中のことをしてもらおう、あなたはあなたで自分の人生を生きましょう、という呼びかけや、ドメスティックバイオレンスの話など、(なんか今ひとつなあ)というところでした。確かに、考え方としては個性的で話を聞く分にはおもしろいですし、そのような考えに共鳴する女性達もいるのは知っていますけれども、必ずしも誰にでも通用する考えでないところが難です。深刻な問題を抱えて苦しんでいる女性達へのエールという意味で始まったのかもしれませんが、「解放」を求めて逆の方向へ進んでいるだけで、本質的根本的な解決になっていないところが賛成できないのです。

例えば、その連続講座の中で、依存症や暴力夫を持つ女性に対してまず一時避難のシェルターを紹介して休ませた後、「離婚するかどうかはあなたが決めること」と促し、「自立するためにあなたも働きましょう」という定石のようなパターンがありました。とりあえずは、そのように人生を継続していくしか方法がないといえばそうなのですが、当事者にとっては、大きなキズを抱え込んだままの前進、じゃありませんか?
「自分で判断して決めなさい」という助言は、いかにも自主性を育てるリベラルな方法のように聞えますが、故前田護郎先生によれば、それこそ無責任なのだそうです。「先生に聞かないで、自分で判断しなさい」と子どもに‘自立’を促すのは間違っていて、例えば、空模様を見上げて、「こういう時には傘を用意すること」ときちんと教えるべきだと書かれていました。場合によっては、山の変わりやすい天候を知らずに、子ども達が雨に降られて危険なことになるかもしれないから、とのことです。教えるべきことは、確実に受け継がれなければならないとのお考えでした。
ですから、同様に、女性相談で、「あなたの人生だから、あなたが決めること」と助言するのは、いかにももっともらしく聞えますが、それでは回答になっていないこともあると言えます。特例というのならわかりますが、人生にも基本路線というものがあるはずです。現実に沿って考えられる選択肢を挙げ、それぞれのプラス面とマイナス面を一緒に考えて、リスクも合わせて決断を進めていくというやり方ではなさそうでした。「個性」とか「わたしらしく」などと、勝手気ままを振り回すと、若い一時期はそれでいいかもしれませんけれども、中年になってもそれを続けていたら、本当に取り返しのつかないことになってしまいます。
その点で、冒頭の家事家計講習会は、あまり頻繁には参加できませんが、私にとっての自己確認の安定剤でもあります。いつでも誰にでもどこでも実践可能な工夫と知恵を伝え、分かち合っていくこと、こうすれば、全体としての社会改革や女性の向上が望めるようになるだろうと私は思います。

(追伸)思い出しましたが、大阪府立のそのセンターでの講座で、一人の女性講師が、羽仁もと子氏の集まりについて「保守的な良妻賢母型女性」と皮肉っぽく分析していました。羽仁もと子氏に関する批判は、私も本で読み、知っています。中にはもっともな批判もあると思います。ただし、分析は結構ですが、当時40代のその女性講師のような生き方(フランス留学、大学就職、翻訳本の出版、シングル女性、男性とは気楽にパートナーとして都合の良いときにつきあう、結婚したとしても、もちろん別姓を通す)が、誰にでもできるわけではないことをお忘れのようです。「私はこうして人生成功しました。私らしく生き生き人生、あなたもいかが」という思惑が見え見えで、だから私はついていけなかったのです。そういう生き方に反対だというのではありません。できる方やしたい方は、どうぞ。でも、それは万人向けのメッセージではないということも、一般人の前でお話になる時にはどうぞお忘れなく、と申し上げたいと思います。人間、いつまでも好きなように一人で生きていけるわけじゃないのですから。第一、そのセンター設立も講師の謝礼も、皆、私達一般人の税金から出ているのですよ。