ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

数値データを鵜呑みにしないで!

データというものは、一般的傾向を知るのに、客観的で有益なものだと思われているようです。もちろん、データの取り方にもよりますし、その解釈は人によります。私自身は、数字に弱いせいもありますが、あまり数値データを信頼していません。なぜなら、必ずと言ってよいほど、数値データには例外の見落としがあり、鵜呑みにするには、データの対象者に対して、あまりにも失礼な解釈があるからです。

卑近な事例を挙げましょう。私が好んで住む地域は、いわゆる都市部ではなく、その近郊です。自然が多く、静かに落ち着いて暮らせるからです。また、自分と異なった暮らしぶりの人々に触れる機会も多く、精神的バランスがとれるように思うからです。ところが、数値データを鵜呑みにするタイプの研究者や税務署のお役人の中には、主人や私の背景を知ってびっくりする人がいるのです。「え!あそこは、平均所得がこれぐらいで、このような学歴の人が多いと聞いているんですが。土地価格も○○程度ですよね?」「大阪にも、グンなんてつくところがあるんですか?」「すごく辺鄙なところって感じがするんですけど...」

もちろん、主人も私も、別段、たいしたことのない背景で、なんら自慢に値しない経歴の持ち主です。ですが、私達は、平均所得や平均学歴に合わせて住む場所を決めたのではありません。あくまで、好みの問題なのです。結局のところ、水が良質だから、緑がたくさんあるから、観光地ずれしていない歴史的な場所が多いから、こういうところで暮らしたい、という価値観は、いわゆるデータ信奉者からは抜け落ちてしまうのです。

ということを、この土地に暮らし始めてから10年間、ことあるごとに、主人に訴えてきました。すると、主人いわく、「そういう研究者って本当に優れているのかどうか、よく見極めないといけないよ。ただ、博士号を持っているとか、大学に所属しているからといって、そういう人の方が正しいとは限らないでしょう?だって、おかしいじゃないか、その人の言っていること。僕の方が、毎日出勤して、世の中の動向に触れているんだよ。アメリカ東部に留学して、仕事もやってきたんだよ。ここにも、もっといろんな人が住んでいるはずだ。そういう一面的な見方は、研究者らしくないな。そう言っている人はもちろん、ユーリ自身もだ」。

確かに、ここ数日、近くのゴミ収集所に行くたびに、きちんとした老舗の古本屋さんにでも並べられているような、難しそうな硬派の本が、丁寧に縛って出してあります。本と見ればたいてい背表紙を覗き込むのが子ども時代からの習慣なので、ゴミ出しを観察すると、専門職の人々も住んでいるということがわかります。いや実際に、主人の同期で、「芦屋のおぼっちゃん」というニックネームで呼ばれていた方も、ご家族で同じ敷地に住んでいます。他にも、昼間バスに乗ると、「うちは実家が芦屋で...」としゃべっていたおばさん達がいました。

最近、子ども達に「読書ノート」なるものを配布し、優秀な成績をおさめた小学校名が、地域別に新聞に掲載されるようになりました。我が町には、全部で四つの小学校があるのですが、実は一校しか掲載されなかったのです。優秀と認定されたその学校は、田畑の中にどんと建っていて、そこに通う子ども達の多くは、一軒家か低層マンション住まいです。おそらくは、兼業農家かサラリーマン家庭なのでしょう。かくいう私の住む場所も、その学区に所属しています。

地域によっては、ほとんどの小学校が優秀校として掲載されている場合があります。例えば、大阪のT地区やK地区。ここは、府立高校も格別に優秀で、全国に名前が轟いていますから、これだけを見れば、確かに「地域格差」があるように思われます。ただし、我が町に限れば、高層マンションや人の多く集まる、賑やかな街らしい場所よりも、静かな田園地帯の方が、小学校の成績は優秀なのです。これは、何を意味するのでしょうか。

校長をしていた主人の母方の祖父が、「都会の子よりも田舎の子の方が伸びる。休む時はしっかり休むし、人間関係も自然に学んでいるし、よく歩くから体も鍛えられるし、遊ぶ場所が限られているから、その分勉強できる」と、小さかった頃の主人に、しばしば言い聞かせていたそうです。主人の場合は、予期せぬ健康問題で、これは挫折したかのように見えますが、それでも根本精神には、そのような自信や基本的な構えが今でも貫かれているのがわかります。

そうはいっても、上記の分析記述にも、恐らくは間違いや例外が含まれているのだろうと思います。どうぞ、その点はご容赦ください。不可知論というのではありませんが、「これこそ確実」と性急に思い込まないこと、これが肝心なのでしょうね。

PS:今日の郵便物は、珍しくすべて私向けでした。『ヘラルド』『みるとす』『アマタック』(後藤文雄神父様のカンボジア教育支援ニュースレター)“International Bulletin of Missionary Research”の各最新号、そして、Mark Beaumont "Christology in Dialogue with Muslims: A Critical Analysis of Christian Presentation of Christ for Muslims from the Ninth and Twentieth Centuries" Regnum, 2005 です。
ヘラルド』のトップページには、マレーシアのイスラーム主義政党(PAS)の国会議員 YB Khalid Abdul Samad氏が、マレーシア史上初、シャー・アラムにあるカトリック教会訪問を果たした記事が大きく出ています。(別ソースの同ニュースは、"Lily's Room"(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2)の2008年4月6日・4月7日付に掲載済みです。)この件の判断はまだ留保付きですが、一つの前進とは言えるかもしれません。『みるとす』には、拙稿をまた掲載していただきました。池田裕先生が、3月中旬の聖書翻訳ワークショップについても書かれています(参考:2008年2月13日・3月14日・3月18日付「ユーリの部屋」)。IBMRは神学的に保守的といえども、今号には、韓国や中国や東南アジアの神学的傾向に関する論文が掲載されているので、参考になります。AMATAKについては、ご興味があれば、2007年11月5日・12月11日付「ユーリの部屋」をどうぞご覧ください。