ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

人生に対する覚悟を決める

昨日の話の続きになります。
主人は義母の介護手続きのため、朝から出かけて行きました。私は留守番です。
これから、時間が経つにつれて、こういう切羽詰まった事態、自分だけが努力してもどうにもならない状況が迫ってくるのだなあ、としみじみ覚悟を決めているところです。そして、無理解で辛辣な一部の近親者や一部の周囲の「暴言」にも対処しなければならないでしょう。あくまで「一部」ですが。幸いにも。例えば...
「あんた、精神状態がおかしいんじゃない?頭が疲れているんじゃない?話が全然通じていません」(←同じ言葉をお返ししたいと思います)
「とても研究者とは思えません。相手になりません」(←私は公的に認定された進行性難病患者を抱えている主婦です。もう9年以上になります。さまざまな制度のおかげで、ありがたく生活させてもらっています。その主婦が合い間に勉強を続けていて、何がいけないんでしょうか。発表しなくちゃいけない、と言われたから発表させてもらっているだけです。落とすなら、どうぞ落としてください。受け入れておいて、後でそんなことを言うのは、ルール違反です。もちろん、全額、自腹切ってやっています。誰にも借金はありません。いつでも出て行く用意はできています。人生には、もっと楽しいことがいっぱいありますから)
「大学内の職位職階が変わったことも知らないなんて」(←新聞紙上で知っています。でも、私とは直接の関係がないんです。顧客に向かって、「俺は社長なんだぞ、知らないのか」と威張っているようなものです)
「家族に病人がいるからって甘えるなよ。世の中、厳しいんだ」(←私が無理に無理を重ねて夭折するのを早く見たいんですか?)
「今は自分から売り込みをかけていく時代なのに、この人、何やっているのぉ?バッカじゃない?」(←黙って家にいても、ご理解くださり、支援してくださる方々は大勢いらっしゃいます。別に孤立しているわけじゃありません)
嘘か大袈裟な、と思われるかもしれませんが、これは事実です。放っておくと、いい気になって何を言い出すやらわかりません(←は、私の独り言)。
人生に対する覚悟。これをますます固めなければ...。
まだ二十代、三十代の人達には、もしかしたらわからない気持ちかもしれない。想像もしたくない状況かもしれない。あるいは、自分だけは大丈夫、と(愚かにも)思っているとか...。
もちろん、私自身、今の暮らしがいつまでも続くとは最初から思っていませんでした。三十代には本当に真っ暗な気持ちで日々を過ごしていたので、実際のところ、この先はある程度わかっています。今更、これ以上の生活を見込めるはずがない。そもそも、望んでもいない。これも私の人生。私が人生に求めていたものは、それではない。そして、別のところで、欲しかったものが充分満たされている。物理的には、条件的には、ある面、仕方のない環境。このように捨て身になれば、怖いものもなくなります。別に、反社会的なことをしているわけではないですから、とやかく言われる筋合いはないはずです。
多くの専門家に相談を重ねました。結論は、「あなたは充分がんばっている。何も悪くはない。おかしくもない。そんなことを言う人は放っておきなさい。自分だけはそういう目に遭わないとでも思っているの、その人...?どういう思慮の浅い人なの?」
そうです。「世間」に従ったら、本当に人生、共倒れになってしまう。そして、それも自己責任とされる。そういう最悪の状況を常に予想して、この十年、生きてきたつもりです。
最初から備えをしておく。これは、コヘレトの知恵。
ところでガザ問題、難航していますけれども、こうなるだろうと最初から予測できていたこと。ただ、一番心配なのは、ムスリム諸国の状況です。おとといも、マレーシアのルーテル派牧師からメールがきて、署名活動を紹介してくれました。即時停戦と平和運動を連帯感を持ってやっていこう、と。私はすぐに返事を送りました。「もちろん、それに反対はしていない。でも、マレーシアのようなムスリム諸国は、イスラエルとそもそも国交がない。ないから、イスラエル内部で日常的に何が起こっているか、わかっていない人も多いのではないか。私は、いかなる形の暴力にも反対だ。また、ブッシュ政権にも反対している。さらに、福音派的なシオニストでもない。そこのところは、誤解しないでほしいんだけれども」。反応は素早く、「そう、そこなんだ。署名活動以上の複雑な状況だということは、よくわかっている。だから、ムスリムの友人達と協力していきたいんだ」と。

こういう時だからこそと思い、昨日は、ホルクハイマー・アドルノ(著)徳永恂(訳)『啓蒙の弁証法―哲学的断想岩波文庫2007年)から、「反ユダヤ主義の諸要素―啓蒙の限界」(第5章)を、返却前に複写しました。そして、DVDの『映像の世紀』シリーズから、「ヒトラーの野望」「世界は地獄を見た」を借りました。以前、テレビで見たものの復習になりますが、これも私なりの自衛策です。
その他に、ミルトス出版の本など4冊も予約を入れました。
ミリアム・レヴィユダヤ式家庭教育』(上)(下)(1990年
牛山剛ユダヤ人音楽家―その受難と栄光』(1991年
エラン・カッツユダヤ人が教える正しい頭脳の鍛え方角川書店2005年
最後のものは、半分ブラックユーモアのようですが、本というのは、読んでみなければわかりません。ともかく、常にあらゆる方面から人生の予測を怠りなく、たくましく生き抜く知恵(ホクマー)にかけては、民族挙げての命掛け年季入りですから、この人々を無視することは、人類資産にとって、最大の失策だろうという現実的な観点もあります。同時に、現在、このような発言を公にすることの「危険性」についても、盲目ではないつもりです。