ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

怒りを努力へと転換

また確定申告の時期が巡ってきました。昨夜、電卓をたたきながら書類を作成。最初は2日がかりだったものの、11年目ともなれば、2時間ぐらいあるとほぼ完成します。
それにしても、本当に高い税金を払わされているんだなあと、腹立たしくなってきます。公共のために、広く均等に、不公平なく、必要なことに税金が使われているならば、文句は言いません。でも、進行性難病患者を抱え、人生に大幅な制約がかかって、ふうふう言いながら、来年はないかもしれない、と思いつつ生きている我が家にとって、なんでここまで高額税金を払わされているのかと思うと、悔しくてなりません。もっとも、健康制度面での恩恵を受けていることは事実ですが。国立や公立の図書館や大学図書館もフルに使わせていただいているし...。
私が怒っている理由は、目の前で「科研費をとったから論文にハクがついた」「競争的研究資金を獲得して、本学はこのプロジェクトに取り組んでいます」と何度か勝ち誇ったように言われたからです。まるで、強制労働をさせられているのに、搾取者から威張り散らされているような感じでした。いい加減にしろ!と言いたい。人のお金をぶんだくってやった研究が、どうしてその程度なんですか?自腹切ってやれ!ただ酒は飲むな、と昔から言うじゃないですか...。自分でお金を払ってこそ、何事も身につくというものです。
理系分野が、何億かの高価な機械を購入して共同研究をしなければやっていけないことぐらいは、院生時代から承知済み。私の言っているのは、文系です。「それぐらい、2,3日で一人で読め!」と言いたくなるような基本文献を、わざわざ読書会のようにしてチンタラチンタラ一章ずつ読んでいる人々が、頂点に立ったような顔をして我々の税金でぬくぬく勉強している、と思うと、煮え立つような怒りがこみ上げてきます。新聞を読んでいれば自然にわかるぐらいの内容を、あえて講演会とやらで偉そうに聞かされることへの不満です。
確かに、世の中には運不運というものがあり、それは否定できません。また、できるだけ要領よく、有利になるような選択をすることも、生き伸びる知恵でしょう。私の言っているのは、そういう陳腐なレベルではありません。どうしようもない境遇に陥った人々を踏み倒しておいて、なぜ目の前で「私は勝ち組」とほざけるのか、その神経が癪に障るわけです。まあ、それも長続きしないでしょうから、諦観することにいたしましょう。
怒りをバネに、毎日がんばる。とにかく、努力、努力。世界水準で物事を考える。
今月のイベントとしては、関西セミナーハウス主催の「京のキリシタン史跡巡り 伏見編」(2月21日)と日文研での伝統文化プロジェクト公演会「能楽囃子と西洋管弦楽」(2月25日)があります。そして、締め切りの原稿や自分の原稿の英訳の仕事も。怒っている暇はありません。そして、常により高い境地を目指すこと。貧しくとも、心は錦、の精神でいたいですね。