ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

留学についての私見

昨日は、マレーシアの政府派遣留学制度の問題点について、私的な経験を述べました。
実は、今回の滞在でも、この件が、自然と話題に上ったのです。換言すれば、それだけ、非マレー人にとっては気になる問題だということの証左です。
もちろん、自力あるいは他の奨学金制度を利用して、海外に勉強に出て行く非マレー人は、いつの時代でも存在します。私にとっては、いったいどうやって、お金のやり繰りをしているのかが気になるところですが、まあ、何か方法があるのでしょう。
セレンバンにあるマレーシア神学院で、事務局長のような仕事をしている福州人のYさんは、三人の子どものうち、長女がマラヤ大学言語学部に入学後、スペイン語を専攻し、今は半年の予定でメキシコに交換留学していると言っていました。ちょうど私も、第三外国語がスペイン語(ちなみに、第四外国語は韓国・朝鮮語、第五外国語はマレー語)であるために、思いがけず、別の共通項が見つかって、話題が広がりました。こういう時、(マレーシアの勉強だけに専念していなくてよかったなあ)と素直に思いますねぇ。向こうの人にとっても、(何でマレーシアのこういうことばかり、長年調べているんだろう?)と不思議でしょうから。
本当はスペインに留学したかったそうですが、ルートがなかったためにメキシコにしたとのこと。この辺りの融通性は、恐らく学問的側面とは別なのであって(だって、メキシコとスペインとでは、文法も語彙も違います)、一族の写真を見せてくれた時の説明によれば、親戚(Yさんの兄弟姉妹の婚姻関係)が英国、米国、オーストラリアなどに散らばって住んでいるそうですから、憶測に過ぎませんが、結局のところ、「どこでもいい」というのが、案外、本音だったのかもしれません。
このように、華人であっても、大学経由で海外研修ないしは留学ができるケースもあります。「華人は、マレー人のように政府に頼らなくても、何でも自分達でやれる」と、マラッカで運転手兼ガイドを務めてくれた華人のおじさんが自慢げに言っていましたが、確かに、そのようなバイタリティの差から生み出される不公平感の是正のために、マレー人優遇政策が施行された経緯は、理解できなくもありません。私の知り合い達も、「貧しいマレー人を本当に助けるためなら、あの政策があってもいい」と、1990年代前半に言っていました。
問題はしかし、政策の成果が社会に反映されているかどうか、なのです。今回、話題になったのは、「いや、あれは効果がなかった」という結論でした。
「日本の大学に4年か5年も勉強しに行っても、日本人の勤労倫理を学んでいない」という手厳しい批判もありました。「東京に住んでいた親戚から聞いたのだけれど、日本人は、大卒であっても、入社当初は、下っ端の仕事を丹念に務めることから始めるんでしょう?そうやって、いろいろな立場を身をもって経験しながら、力があれば上に少しずつ上がっていく仕組みでしょう?それをマレー人留学生が吸収して帰って来るなら、マレーシア社会も、もう少し変わるかなあ、と思っていたのだけれど、だめだね、見ていると。マレー人は、若くても最初から、それ相応の地位を求めてくる。なんら変化がない」。
ここで話は少し変わりますが、そもそも私がマレーシアへ派遣されるきっかけとなったのは、国際交流基金(Japan Foundation)によってでした。この基金は、日本語を教え広める事業のみならず、研究者交流や留学コースなども開設していますが、元は外務省関連の組織でした。宮様が名誉職に就かれていたかと記憶しています。ところが、今回知ったのは、日本財団も、マレーシアの若者に学位を授与するための留学コースを用意していたというのです。
「あなたは、一体どちらと関係していたのですか。一つは普通の団体で、もう一つはギャンブルか何かで獲得したお金を資金にしている団体だと聞きましたが」と伍錦栄博士から尋ねられ、びっくりしました。確かに、英訳すると紛らわしいのですが、基金の方は公式ホームページもあることだし、わかる人にはわかるものと思い込んでいました。口頭で説明しようとすると、伍博士に、「ちょっと、紙に書いてください」と言われ、それぞれ、ローマ字表記と漢字表記と英訳をつけて、差し出す羽目になってしまいました。あらら....。いったい、マレーシアでのリサーチには、何が飛び出してくる事やらわかりません。
伍博士が友人から聞いたとおっしゃったには、「その黒いカネを使っている日本財団とやらは、マレーシア人学生の成績があまりにも悪いので、博士課程に進むための奨学金を打ち切ったそうだ」とのこと。「本当か?」と聞かれ、「いえ、その方面については、詳しくありませんので知りません」と私。
「ただ、私の関与していた留学プログラムの方では、日本の大学の日本人教授が非常に困っていて、問題点を列挙した報告書を文部省宛に提出されたのを読んだことがあります。マレー人学生が、基本的な数学の概念も理解できていないとか、これでは卒業資格を与えられない、一体、マレーシアは何をやっているのか、ということで。私も一度、理系の国立大学の教官に呼び出されたことがあります。どういうわけで、この政府派遣留学生はこんな風なのか説明しろ、というのです。その結果、『日本語の教員はよろしい』と言われて帰ってきましたが」。
「実は、大学卒業の水準に達していないので、学位ではなく、終了資格証書(ユーリ注:「修了」ではない)を出しているだけだとも聞きました。でも、マレーシアに帰って来たら、そんなことはどうでもよくて、なぜか日本人学生と同等の学力を備えて帰国した扱いになっています」。
伍博士は「まあ、あれは政府間協定のプログラムだからねぇ」と一言。しかし私達の関心事は、果たしてそのままでよいのか、ということでした。
この度の滞在中、私は、上記のYさんや伍博士に、はっきりと申し伝えました。「あの日本留学コース、マレー人やサバ・サラワク州の学生達だけでなく、人口比に応じて、きちんとした華語教育を受けた華人学生と、ヒンドゥ教徒のよいインド系学生も混ぜてほしいんです。漢字文化を共有する華人学生なら、日本語や日本文化のエッセンスを比較しながら学べるので、日本理解も進むでしょう。また、インド系学生がサンスクリットの神髄を身につけていれば、日本文化史の深い基底部分で、共有項を見い出すのが早いでしょう。せっかくマレーシアには、このような側面があるのに、活かさないのはもったいないです。それに、マレー人学生がどこまで日本文化の理解を深めているのか、私にはわかりません」。
反応は「君、そうかね!」でしたが、残念ながら、政府関係者に提案しているのではないので、話止まりで終わってしまうでしょう。
一方、マレー人学生達の間では恐らく、日本の大学のさまざまな不備や教員のやる気のなさなどが話題に上っているだろうことは、容易に想像がつきます。かつて、マレー語で書かれた月刊誌上で、客員研究者として日本に滞在したことのあるマレー人の大学教授が、日本の大学生や大学のだらしなさを批判しているのを読んだことがあります。また、日本の場合、いったんゼミなどで関わりができると、教員と学生の人間関係が固定化されてしまい、学生にとって自由な動きがとれなくなることが、マレー人学生の間で問題視されて報告書に上がったとも聞きました。
だからこそ、この政策は、双方が対面して、率直なところを話し合わなければ、解決しないと思うのです。当時二十代半ばだった私には、これは到底こなせない仕事だと観念して、今の道に変更したというのが実情です。