ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

ここでひと息(2)

昨晩、帰宅すると、思いがけず主人が、洗濯をして干したものまで(一部ほんわりと)たたみ、ご飯の用意をして待っていました。
普段はだいたい穏やかな日々なのですが、毎度のことながら、私が出かけて行って発表する直前というのは、睡眠時間が不足していることもあり、ちょっとしたことで口喧嘩になりがちなので(今回も主人に「どうしてそんな程度のことで、そこまで言い返してくるんだ!」と言われ、最後に「もう、だまっとる」と一言)、申し訳ないなあと、内心思っていました。
結局のところ、本当に楽しくて充実していれば、事前事後の気持ちにもっと余裕ができるのだろうとは思うのですが、必ずといっていいほど、話のまったく通じていない(実は向こうもそう思っているらしい)「非常識な」(←全体のために、はっきり言わせてもらいます)人がまとわりついてくるので、準備しながらも過去を思い出して、ついイライラしてしまうのです。だから、自分には本当に合っていないと思うのですが、ここまできたからには、仕方がないとあきらめながら、とにかく責任だけは果たそうと、無理矢理、気力を振り絞っての作業となります。
ところが、帰ってみたら、「うん、別にいいよ、いつものことだしさ。わかってるんだ、だいたいの雰囲気」と、好物を用意して待っていてくれたのです。「ミッフィーも録画してあるよ」。こういう受け皿があるのとないのとでは、全然違います、ね。
本当に、ミッフィーでも見ていないと、やっていられませんよ。ニヤニヤ笑っていた先生もいらっしゃいましたが。オバサンは、だから怖い、と思われていたりして...。ふうっ。
とはいっても、大阪市立大学は、都市研究に重点的に取り組まれてきただけあって、久しぶりに大学らしい、納得のいくレクチャーを受けることができ、幸いでした。やはり、大学たるもの、それぞれの特徴を活かした人材とテーマで勝負する方がいいと思いました。
実は、関西に引っ越してきてしばらくは、地名の読み方に戸惑い、新聞記事の取り扱いにもびっくりしたので、早速、ノートを作って勉強を始めました。その頃、「そんなことやっていないで、早く論文書いたらぁ?」とせかされてもいたのですが、今ではよかったと思っています。こういう作業をしておくと、なぜか、シンガポールやクアラルンプールの変遷や成り立ちの背景などにも、多少は役立つ面があることがわかってきたからです。短期直線型よりは、回り道をしながらでも着実にマイペースで進めていくやり方の方が、私には合っているようです。
そういえば、大阪市立大学には、婚約期間中に一度、今はやめてしまった別の学会に(オーディエンスとして)参加するため、来たことがあったのでした。あれから12年以上たち、大学への道も、場所はわかっていたものの、(本当に私、あの時この路線で来たんだったっけ?)とぼんやり感じました。主人の方がよく覚えていて、「うん、あの時、大阪市内で学会だと聞いたから、じゃあ一緒にご飯でも食べようってことで、キャンパスで待ち合わせをしたんだよ」と。
そうでした、そうでした。確か、あの辺りで座って、英単語帳を広げて覚えながら、私を待っていてくれたのでした。
「結婚したら、もう勉強なんてできないんだぞ!」と何度も脅してきた大学院の教官の言葉を真に受けていた私としては、学会会場まで来て、食事の約束を待っている男の人なんて、ハネムーンが終わったら、さっさと豹変するのではないか、と密かに身構えていました。
初めて会った時、名古屋での夕食後、「これからもご連絡させていただいてもいいですか」と、背筋を伸ばして丁寧に尋ねてくれたのに、私ときたら、「あのう、その前に、条件があるんです。実は私、先程も言いましたように、マレーシアに関する勉強が終わっていないので、結婚してからも続けてもよいかどうか、それをお聞きしたいんですが」と恐る恐る(内心は半ば自虐的に)言ってみました。すると、驚いたように、それまで真面目一筋の表情をしていた彼の顔が、急にうれしそうになって、「実は僕、むしろ女性はそうであってほしいと思っていたんです。僕も勉強が好きだから、そういうことをわかってくれる人の方がいいんです。僕だって、好きでアメリカまで勉強に行ったんだから、女性が結婚したからといって、それを妨げる筋合いはない。マレーシアなんて、近いから、一ヶ月でも半年でも行ってきたらいい」と、勢いづいて言い出しました。私の方も慎重になって、「だけど、結婚前なんて、男の人は何でも言いますよねぇ。目的のためには手段を選ばないって」と畳みかけると、「いや、本当に僕、その方がいいんです」。「じゃ、何か裏でもあるんじゃないですか?」「え?どうしてそうとるかなあ。全然、信用されていないんだなぁ」。
この会話は、私の方がよく覚えていて、主人の方は忘れていました。ただ、うちの父に結婚前提の交際を許可してもらうために名古屋駅まで来た時、彼は本当に大まじめに言ったのです。「僕、勉強する女性が好きなんです」。家に帰ると、父がぼそりと言いました。「まじめそうな男だなあ。年いっているだけあって(注:私より5歳上)、落ち着いてるなあ。まあまあの人じゃないか。ま、自分がよければ、それでいいよ」。弟も、別の日に会った時、言いました。「まじめな人だねぇ」。血のつながった男の4つの目で見ても、そういう風らしいです。それでも私は、最初の頃、ずっと身構えていました。
さて、その結果はいかに?今までのところ、その言葉に裏切りはありませんでした。職業柄、文系とは違って(!)、一つ一つを丁寧に根気よく積み重ねる作業が肝心であり、嘘ごまかしやはったりがきかないこともあって、その点では本当にありがたく、助かります。同僚の方達も、男性が圧倒的に多い職場であるためか、奥さん思いで家族を大事にする人が多いような印象を受けます。社員の言動一つ、仕事への取り組み方一つで、営業にも直接間接に響いてくる業種ですから、皆、その点では安心できます。
ということは、何を意味するのでしょうか。「結婚したら勉強できない」環境を作っているのは、現実の反映ではなく、実は、そういう発言をしている側にあるのではないか、と。
でも、子どもがいたらもちろん、なりふり構わずそちらに専念していて、口うるさい世話焼きになっていることと思います。と言っていたら、「う〜ん、それはどうかな。多分、子どもがいても、本を読んでいるタイプだと思うよ」と主人。
どうでしょうかねぇ。あまり頭でっかちのお母さんって、よくありませんよね。「いや、いいんだよ。そのままで。充分、抜けているから、さぁ」。