ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

おひとりさまの老後の実態は?

もうすぐ学会発表なのですが、夫の異常勤務の名残で(参照:2010年2月22日・2月26日付「ユーリの部屋」)、しばらく準備や日課の勉強からは離れ、片付けものをしたり、のんびり他の本を読んだりして気分転換を図っています。
昨晩は、これまで集めてきたマレーシアのキリスト教に関する膨大な資料を、箱に詰め直して、少しはすっきりしてきました。もうすぐ、マレーシアのサクティさんからも、一度は送ってくれたのに途中で紛失してしまった、昨年10月に頼んだ複写資料が届く予定なので、楽しみにしています。
やっぱり、当たり前にちゃんと帰って来て、「こも料理」と名付けている、私がつくった野菜たっぷりのご飯を食べ、きちんと薬を飲み、お風呂にも入って、着替えて布団に入って眠る、という以前のペースが戻ると、本人も「頭がはっきりしてきた」「家に帰るとほっとする」「その方が、アイデアがわくよね」などと、当たり前のことを言うようになります。
それを聞いて、こちらも少し安心して、落ち着くのです。
一時は、待ち時間を学会発表の準備に当てることで、少しは新鮮な気分にもなっていたのですが、それも二日程度。だんだん、家で昼寝もできるはずの私が、イライラしてきたのです。どうして、待っているだけで、こんなに疲れるのか?
おととい、家計簿の記録を見たら、実は10日間の短期ではなく、冬休み明けぐらいから、夜の11時半頃が毎晩の帰宅時間だった、という恐ろしい結果でした。一緒に暮らしていると、こちらもつい、どこか慣れてしまうのと、待ち時間を「有効に」使って気を紛らせようとするので、感覚が甘くなってしまうのですね。
もちろん、今回のことについては、保健所にも通報しておきました。保健師さんが「きゃぁ!それは、すごく危ないですね」とおっしゃり、早速、相談できそうな法的機関も調べて教えてくださいました。早め早めに公的な第三者に連絡をつけて、少なくとも客観的な記録として残しておいていただくというのも、私のやり方です。そうでもしないと、夫のいとこのように、経過報告もなしに突然「明後日はお葬式です」なんて、結果だけ連絡がきても、もう遅いし、第一、困るじゃないですか(参照:2007年8月12日・8月16日・8月17日付「ユーリの部屋」)。
病気のためにステップダウンして、若い人達と一緒になって仕事をすると、どうしても体力的にも精神的にも負荷がかかります。若くて健康な人なら徹夜しても大丈夫、であっても(←本当はそうではないです。過労死は、誰にでも起こり得ることであり、20代の過労死は、時々報道されています)、ただでさえ体が動きにくくなっている人が、健康だった頃の二倍ぐらい働くことが、いかに危険なことか。
夫の兄にも、身内ということで連絡すると、さすがに弟のことだけあってか、話の途中で怒っているのがよくわかりました。「うん、確かに小さい時から、その分野のことが好きだった」「でも、そこまでして身を献げる必要はない。場合によっては、会社をやめてもいい。命が一番大事でしょう?それは上司の責任だ。勤務態勢の指導を外部から入れないといけない」と、そこはそれ、私達の原則が同じところにあるので、妙に話が通じやすかったです。もちろん、兄からもしっかりと説得を入れてもらいました。
本人は、周囲がもっとやっているという環境にあり、毎日緊張しているのと、私に心配をかけたくないばかりに、我慢して平然とした表情で帰って来るので、かえって、こちらの不安が高まっていたのです。

私の仕事は、何よりも、家を清潔に整え、何が起こっても臨機応変に対処できるような状況を作っておくこと、日々の暮らしを大切に、食事や睡眠や記録付けをしっかりやること、そして、私自身が安定して穏やかに暮らすよう努めること、です。「家が一番いいな。家に帰るとほっとする。こも料理が一番おいしいよ。体調もよくなるし」と言ってもらえるのが、最もうれしいことです。そういった基本中の基本ができて初めて、学会発表だとか研究会出席が成り立つのだ、と考えています。
「それはプライベートなこと。ところで、ご所属はどちらですか」と言う人もいましたが、よく観察してみると、そういうタイプは、いくら一時的には有名な教授であっても、割と早くに亡くなっていますね、50代前後あるいは60歳前ぐらいに。亡くなると、途端に著作が読まれなくなるというのも、特徴の一つでした。

私にとっては、現代社会で「学者」と名乗る以上、80代までは毎年出し物があるぐらいの勉強を続けているようなタイプが規範です。受けている教育と訓練に雲泥の差がありますが、現に、私の学部時代の指導教授がそういう方ですから、決して大ボラを吹いているつもりはありません。目標は常に高く理想を目指して、です。

ところで、主人の病気の診断が下りた頃、周囲に言われたことばはよく覚えています。「だからぁ、ご主人に経済的に依存していないでぇ、早く資格取って働いとけばよかったのに。まずは、非常勤でも何でもいいから、早く探したらぁ?え!ネットでも就職活動してないのぉ?もう、どうしようもない人だねぇ」。「あなたが離婚もせず、ご主人と一緒に暮らしているのも、結局は自分に経済力がないからでしょう?だから言ったのに。早く何でもいいから論文書いたらって。ばっかじゃない?」
そう言った人の一人は今でもシングルですが、男の人をあたかもご飯の種運搬人としか思っていないような口ぶりでした。一生懸命想像してみるに、その頃よく報道されていたリストラを想起して、うちの主人も早かれ遅かれリストラされて、即刻、路頭に迷い、貧困家庭に転落する、だから早く手を打っとかないといけなかったのに、何してるの!と言わんばかりの....。(実は、あれから十年以上経っていますが、まだ一応は、現状維持です。)
もう一つは、「だからぁ、あなたが働いて、介護の人を雇えばいいんじゃないの」という‘助言’もありました。何だか妙な気がしたので、それもよく覚えています。
あ、もっとすごいことも言われていました。科研費をどうして申請しないのか、と高みから見下ろすように言った人に、後で私が尋ね返すと、「あ、それはぁ、ユーリさんのご主人が病気でぇ、お金に困っていると聞いたからぁ、研究するのに、科研費取ればって...」。その人、生活保護科研費と取り間違えていませんか?それって、犯罪行為ですよ、もし世間に知れたら。それに、どうしてそこまで、事実に反して、人をみすぼらしい扱いにしたがるのか?
ですが、そう言う人達こそが根本的に間違っているんだと、今では断言できます。だから、その中から、いくら「誰かいい人いたら、紹介してぇ」と頼まれても(!)、応じられなかったのです。そんな、自分に都合のいいシナリオばかり空想して、相手を探そうとするなんて、誰が、そんな非現実的思考の人を結婚相手に紹介しようとするもんですか。
自分がその立場になってみたら、すぐわかること。私が風邪を引いたりすると、主人はすぐに食べ物を買って、早めに帰って来てくれます。でも、「風邪引いた。ご飯作れない」と連絡した時、夫が「わかった。もう今晩は帰らないからな。自分でよそで食べて泊まってくる。こっちの人生はこっちのものだからな」などと言っているような人だったら、直ちに関係崩壊ですよ。結婚の誓いで、「病めるときも健やかなるときも」と宣言するのは、必ずしもキリスト教だけではないのです。神道式でもほぼ同じでした。なんで、健康で順調な時だけ相手と一緒にいようとして、うまくいかなくなったら、自分だけ仕事を始めて「私の人生よ」と豪語できるのか?
でも、以上に書いたことの多くは、30代前半の、まだ余裕のある時のことでした。だから、そのようにバシバシ言われると、あれこれ迷いもしました。
結果的には、よかったと思います。「私はぁ、エリート校を出ていてぇ、学歴も高くてぇ、社会的地位もあるしぃ、経済力だってあるからぁ」と自負しているような女性達が、ものすごく手前勝手な人生観を持っているか、身にしみてよくわかったからです。(中にはキリスト教関係者も含まれています、念のため。)
「おひとりさまの老後」とはよくいったもので、多分、あと二、三十年もしたら、顔の表情や生き方の上で、もっとはっきりと社会は二分化されるのではないだろうかと思います。