ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

もう一言添えて...

年末ですので、もう一言。
もちろん、思想、信条、信教の選択は個々人の自由です。それこそJ.S.ミルの言うように、「他人の幸福を奪い取ろうとせず、また幸福を得ようとする他人の努力を阻害しようとしないかぎり、われわれは自分自身の幸福を自分自身の方法において追求する自由」が「自由の名に値する唯一の自由」とされるならば、「人類は、自分にとって幸福に思われるような生活をたがいに許す方が、他の人々が幸福と感ずるような生活を各人に強いるときよりも、得るところが一層多いのである」(J.S.ミル(著)塩尻公明・木村健康(訳)『自由論』岩波文庫(1971年/2007年第53刷)p.30)ため、先生がどのような政治的思想信条を持たれようとも、私にとっては口を挟む権利や資格は、何もありません。また、それを否定しているわけでもありません。

ただ、なぜ、初めて出会ってから27年もたった今も、ご著書が送られてきたことをきっかけに、このようにこだわるのかと言えば、私自身があの学生時代に、どこかこれまでの自分の考えを改めなければならないような気分になっていたからでもあります。例えば、先生の書かれた文章にも出てくる「解放」という用語については、新鮮な響きがすると同時に、一体何からの「解放」なのか、何の為に誰が「解放」されなければならないのか、それはなぜなのか、その行き着く先はどこなのか等の背景が全くわかりませんでした。学ぶことで、自分を改革しなければならないのか、などと悶々としてもいました。

大学では、自分なりに熱心に勉強すればするほど、疑問を解いたり助言を求めたりするために、先生に近づくことになります。もちろん、専攻分野なら問題はなく、クラスメートと相談もできますが、それ以外の「一般教養の第二外国語」としてなら、選択の余地がほとんどありません。当時、紀要論文を読んでは、私にとっては、好きとはいえ、何のためのドイツ語学習なのかが、だんだんわからなくなってくるような気もしました。もっとも、問題集を解いたり、テレビやラジオのドイツ語講座、ドイツのペンフレンドとの文通など、他の勉強法を同時に続けてはいて、自発的なものなので、それなりに楽しかったです。でも、習っていたピアノの楽譜の解説がドイツ語で書かれていたり、その頃から時々読んでいたプロテスタント神学の翻訳書には、ドイツ語語彙が括弧付きで頻出するので、もっと意味を理解できるようになりたい、そして、ドイツ語訳聖書を読みこなせるようになりたい...これらの私の願いは、上級になればなるほど、どこか否定されているかのように感じられて、質問を抑制していました。
あの頃は、今のようにインターネットで検索が瞬時に可能な時代ではなかった上、価値観の多様性の幅が今よりは狭かったと思います。また、「保守的な」名古屋地方ということもあって、「就職の面接や結婚などに差し障りがあるから」という理由で、いわゆる左派系統の本さえ、読まない方が良いとも周囲で言われていました。そこが判断に迷う理由でもありました。

誤解のないよう申し添えれば、私の目に映った先生のお人柄は、本当にあったかくて親身な方で、試験は厳しかったけれども、少しユーモラスな面もお持ちで、私自身、「あなたは頑張り屋さんだから」などと言われ、多くの場合、精神的に励まされ、支えられていたと思います。大学院進学の際には、「ぼくが推薦状を書いてあげてもいいよ」とまでおっしゃってくださいました。そして、雄大な自然や美しい花々などの愛好家で、山登りがお好きでした。
そういうヒューマンな面と、研究上の方法論や思想の面、私にとってのこの拮抗が、今にして振り返れば、ちょっと難しかったです。だって、せっかく大学に入って勉強好きなら、専攻分野以外にも、「私の先生」を見つけたいじゃないですか。

最近、閉塞化した風潮からか、ニーチェが再び読まれるようになったそうです。革命詩人としてのハイネにも、そのような期待が寄せられるのでしょうか。私自身は、ニーチェはちょっと遠慮させていただきます。そして、ハイネについても、他の観点からの研究や論考があるならば、読んでみたいとは思います。