ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

到達点はどこに?

昨日書いた件、自分にとっては、ひとまず一件落着。もし時間に余裕があるようなら、ドイツ語を母語とする方達にでも、歴史的および共時的な背景事情などを踏まえて、もっと正確なところを教えていただきたいところです。結局のところ、現代の世界各地では、さまざまなやり方や考え方が混在しているという状況を、どのようにとらえていくか、が問題。
しかし、海外がそうだからといって、自分達もというのも、どこか短絡的な感が否めず....。どのような立場の人達がそのように主張し、実践しているのか、また、その理由は何か、が判然としないままに、「かくあるべし」と、結論が先に来ているような議論の仕方になっているからです。
専門外の立場から見て、本件に関して不満というのか物足りなく感じるのは、各見解はそれぞれに出ているものの、充分な専門的資料の裏付けや数値上の客観的なデータがなかなか出てこないこと。その筋の権威がごく僅かで限られているため、どこまで説や論を信用していいいのかがわかりにくいこと。それゆえ、いずれにしても分派を作ってしまい、大切な事項でありながらも、長く不毛な議論に終始しているような気がすること。この三つです。
繰り返しになりますが、そもそも、なぜ、何を求めての動きなのかがよくわからないので、不安になります。辿り着こうとする到達点は、どこにあるのか。
もう一点。立場や考え方の相違は、いずれにせよ、最後まで残るものだと思うので、それはそれとしてそのままにする、ということではいけないのでしょうか。どちらの立場であれ、最終的に一つの方向へまとめようとすると、全体主義的になって恐ろしい。一時的には同調者を増やしたとしても、何らかの形で、不自然で合わないものは淘汰されていくだろうと思います。
それから、翻訳ミスや誤釈があったとして、指摘を受けて先方が正しいとするなら、即刻、改めるべきではないか、と。そうでなければ、ミスがミスを招き、混乱が増殖しかねません。今回、最も恐ろしいと感じたのは、その点です。