ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

一つの前進?

パンとぶどう酒に関する議論は、日本の事情をハント先生にお伝えして、一応の理解を求めました(参照:2011年6月5日・6月12日付「ユーリの部屋」)。さすがは気の良い方だけあって、それはそれとして、すぐに納得してくださり、「わかった。では、こちらの同僚達とまた議論する機会があり、新たな展開があれば、また知らせる」とのお返事。実は、アメリカでも、日本の事例と並行するような状況があっての議論だとの由。現代とは、そのような時代なのですね。
今、考えてみると、もし、どちらかの流れに長年、身を置いていたならば、自然と納得がいき、流れの相互が対立していたとしても、仲間が周囲にいるので落ち着けたのでしょう。でも、私のように、成り行き上、地理的にはB側の流れで育ち、それが当たり前だと思っていたものの、人生の中途で地理的にA側に移動したことで、新たな潮流を知ることになり、かえって混乱と不安に陥ってしまった場合、果たして、どちらに、あるいは、どこに立ち位置を見出せばよいのか、迷うことになります。
それにしても、素人ながら、精神的には大変に疲れる議論。わからないままだと不安なので、結局はあれこれ中途半端に調べてしまったのですが、今では、双方の言い分が、知識、人的つながり、社会状況などから、それぞれの立場において理解できるようになってきたかと思います。しかし、これほどエネルギーと時間がかかるとは....。今年の5月半ばから1ヶ月ほど、感情面では、ほぼこれに費やしたのかもしれません。

昨日の午後は、大学図書館へ。しばらく気になっていた分野に関する何冊かの英語文献から、必要箇所を2000円分以上、複写していました。このような作業が、最も楽しく、幸せな一時。そして、体力的には疲れましたが、やっとのことで、一つの流れの通時的背景がつかめかけたように思います。どういう文献を見て、どのような思想的背景に沿えば、ある傾向を持つ論文が書かれるのか、この把握ができないうちは、なかなか落ち着きませんでしたから。
それら文献の中には、確かに、イスラーム圏に関するページ数が、一つの項目を立てて議論されていたにもかかわらず、日本国内の話では、ごそっと抜けていることも、改めて確認。
つまり、自分の身の置き所がないことが長年苦痛でもあったのですが、結局のところ、私自身にしかわからない部分というものがあり、それは誰かにすがって同調や理解を求めようとするのではなく、経験上、自分が「発見」したこととして、もっと自信を持ってもいいのではないか、と。そのように言ってくださる方も、実はあったのに、どうしても聞き入れ、納得することができませんでした。今回、文献で確認できた以上は、一つ前進、かな?