ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

フェイスブックのお友達

マレーシアの首都圏で起こったデモについて、映像を少し見ていると、私が22年前から、昼間に一人で歩いていた場所が次から次へと映るので、何とも複雑な気分になります。
普段なら、あれほど多くの人々が道を占拠することはありません。
それに、日本では、外貨を落として欲しいからなのでしょうが、一定の条件付きで「第二の故郷マレーシア」のようなロング・ステイの大きな広告まで新聞に出ているため、こういう「思いがけない状況」が突然のように発生するなんて、と驚く方がいるかもしれません。
しかし、マレーシア史を少しでもまじめに勉強したことのある方ならば、歴史の流れの一環として、このような事態が、起こり得べくして起こったことが理解できるのではないでしょうか。

話は変わりますが、依頼されてからしばらく時間を置き、気分が乗ったところで、数時間かけて、一気にA45ページ分、メール・インタビューの回答を英語で書き上げました(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120422)。その後、数日おいてから見直しをして、自分で英文校正をして、昨晩、送りました。5月末がペーパー提出締め切りだというので、こちらも慌ててはいましたが、自分のテーマと直結することもあって、結構、力を入れて書き、どっと疲れが出ました。
すると、多分、添付の5ページを読んでからなのでしょうが、「数百万回の感謝をもって」という礼状が届きました。楽しい子ですね。マラヤ大学法学部3年生の華人女子学生で、クリスチャンなのですが、リサーチ・プロジェクトの課題として、クリスチャンの弁護士1名とムスリム専門家1名に加え、なんと光栄なことに、英語版ブログを見たからといって、私にメール・インタビューの依頼がきたのでした(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120412)。しかも、どこでどう聞いたものやら、「ミセス・ユーリは、マラヤ大学で講師をされていますよね?」と。だからこそ、どこにいても、公明正大な態度を一貫して取り続けなければならないと思うのです。
今では、彼女の方から「フェイスブック友達になりましょう」と通知が来たので、早速、私もお仲間に。へぇ、便利な道具ですねって、改めて思いました(フェイスブックについては、(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20101221)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20101223)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110105)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110120)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120419)を参照のこと。)それはいいのですが、ツィッターの更新のみならず、関係者のニュース・コレクションなどを読んでいると、それだけで時間が経ってしまうことが多いのです。そのため、フェイスブックで、せっかく(お友達登録してもらえた!)と喜んでいても、私が更新しないばかりに、いつの間にか消えてしまった「お友達」が少なくありません。しかたないな、と思いますが、残念でもあります。
実は最近、フェイスブックの「お友達」が急に増えたのです。とはいえ、その5人の「お友達」は、相互に上司と部下、ないしは、研究員同士という同僚の関係で、それもこれも、一つのシンクタンクでつながっているからなのです。それぞれのフェイスブックをのぞいてみると、どうやら日本人女性は私一人のみ。大変に光栄です!
それで思ったのですが、そのシンクタンクを立ち上げた方は、これまでにも大変な苦労をされていて、自分の考えるところについて、何かを発言したり書いたりする度ごとに、すぐにあれこれと中傷合戦が始まるのです。弁が立つというのか、筆が達者なので、次々と原稿を書かれますが、それがために、余計に「いじめられて」しまうのです。日本でも、一部の人々から、悪口や非難を書かれています。
(どうしてなのだろう?)と不思議に思い、いろいろと考えてはいるのですが、確かに、ちょっと極端な表現が見え隠れしていたり、誤解を招くようなことを筆が滑って書いてしまったりするところはありますが、一方で、熱烈なファンがいることもまた事実で、なかなか難しいところです。
年間予算は日本円にして約1億。先程、主人とそのことについて話していたら、米国滞在経験者のためか、「それは少ないね」と。スタッフだって、兼業していなければ、事務職などは、ほとんど平均収入に満たないのではないかと思われます。
テレビ出演なども、ただひたすら、自分の考えを広く人々に伝えたい一心で、時には報酬なしで、こなしていたこともしばしばあったそうです。それなのに、放送方針と違うからと、出演を断られてしまったり、悪く言われたりして、何だか気の毒でなりません。
幼少期から最近までのお写真も、25枚ぐらいフェイスブックに載っていたので見てみましたが、ほぼ想像を裏切らないものばかりで、おかしいやら安心するやら...。つまり、時代の子であり、性格的にまっすぐな方で、正直に生きてこられたことの証左でもあります。
お父様の自叙伝がイェール大学出版から出ているので、今、注文中です。その中に、ご自身のことが書かれてあるそうです。メールでそのことを伝えたところ、「光栄です。うれしく思います」と、大変に腰の低い方なのです。そして、「日本の読者が特に興味を持っているトピックがあれば、教えてください」とあったので、早速、昨晩は遅くまで一生懸命に長いお手紙メールを書きました。
「先生が以前、私に書いてくださったような、近代化受容の問題に関して、日本とご専門の地域を比較するというテーマは、日本人のある人々には、新奇過ぎて受け入れ難いかもしれません。一般的に言うならば、あの地域に関する日本の見方は、経済活動(石油と建設)、ある種の人道援助、医療あるいは教育プログラムのための場であり、明らかに外交戦略の一つでもあります。従って、私が先生に書いていただきたいと望むのは、他地域との比較ではなく、日本のみについてなのです。なぜ突然、あの時期(1980年代半ば)に、日本を選んで三ヶ月を過ごされたのか、どうして日本を世界で最も興味深い国だと言われるのか、どういう意味で、そのように考えられるのか、短いエッセイで構わないので、いつか読んでみたいです」。
私は、先生が、見かけ上の知名度や、文章上の言葉と内容の激しさとは裏腹に、これまでの人生途上で、かなりつらい思いや不愉快な経験をたくさんされてきたのではないか、と思っています。それに、背が高い(194センチぐらい?)なのに、案外に「気が小さいんじゃないか?」というのは、うちの主人の言。
新聞雑誌のインタビューで実際に会った人々は、あまりにも声が小さいのにびっくりして、クレーンのように首を傾けなければ聞き取れなかったとか、何度も聞き返さなければ言葉が聞こえなかったとか、録音テープにやっと声が入ったぐらいの話し方だったとか、あちらこちらで書かれているのですが、私も、時々、映像でそのように感じることがあります。抑揚が大き過ぎて、きちんと聞き取れないのです。
また、真剣に話していると、どうも怖い表情になるので、「先生、ちょこっと笑うと、もっと魅力的でチャーミングに見えますよ」と、余計なメールまで書いたことがあります。そうすると、「そうなんだよね、カメラの前では笑った方がいいとはわかっているんだけど、話題に集中すると、忘れちゃうんだ」と返事が来ました。その直後は、私の確認した限りでは、一生懸命に微笑んで話されていたのですが、またすぐに、元に戻って....。
最近では、ちょっとお疲れなのか、いろいろな予測(エジプトの大統領選候補、米国の共和党大統領候補、トルコの知り合いの逮捕、イスラエルの動向など)で、支持していた方が主流から外れることが多く、ここしばらくはお休みのようです。それもまた、よきことかな....。
基本的に私は、こんなに率直で真っ直ぐな先生なのだから、絶対に裏切りたくなくて、これまでにも、いいことも悪いことも含めて、かなりストレートにメッセージを送っています。驚くべきことに、たまたまなのかもしれませんが、私の言ったことは、それなりに真剣に受け留めてくださっているようで、その通り実行されるのです。実にまじめな方です。こういうタイプは、ゆめ、暴言などで茶化したりして、傷つけてはならないと思います。
依頼された仕事については、本当は、量産のように、形の上だけでも数をこなしてほしかったようですが、こうやって余計なことを間接的に書いているのも、日本の読者層に向けて、少しでも広く、先生のあるがままを知っていただけたならば、と願っているからです。
ただ、私自身、感じていることがあります。それは、先生の文筆活動に私が惹かれた理由は、やはり、冒頭に書いたような、マレーシア経験があってのことだ、と。それなしには、私だって、なかなか理解できなかっただろうと思うのです。つまり、日本国内の一部の批判者についても、私のような経験は、誰もが簡単にできるわけではないが故に、それぞれの立場からの意見としては、仕方が無いのかな、と。でも、だからこそ、私が自主的な広報係として、先生のことをもっとよりよく、お伝えしたいな、と。
なかなか思うに任せない複雑な社会、確かに深刻な問題があるのに、当局の非論理的な理由付けで、一方的に抑圧されてしまう共同体の存在、それにも関わらず、日本で理解されがたかった私の研究発表テーマ、そして、なかなか指導教官が見つからなかったこと、などなど。これらの長期に及ぶフラストレーションに対して、面識がないのにもかかわらず、まっすぐに私を信じてくださり、深いところで理解してくださったこと、3ヶ月でこんなに毎日のようにメールのやり取りをするような関係になるなんて、これまでの人生で初めてなんです。それも、何かと有名なので、私みたいな地味な一介の日本人に対して、そんなにお時間を割いてくださるとは、今でも恐縮でなりませんが、一方で、本当に大切にしたい間柄だとも思っています。
だから、先生に書きました。「先生、どうぞ身の安全とご健康に留意され、できるだけ長く、充分にお仕事が続けられますように」と。