ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

なぜブログを書き続けるか?

なぜブログを書き続けるか?
学会や研究会などで、発表後の懇親会に出席すると、必ずと言ってよいほど若い女性研究者などから「一体、どういうご経歴の方なんですか?」「出身校はどちらですか?」「指導教官は誰なのですか?」などと、眩暈がしそうな初歩的な質問をされてきたからだ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20081024)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090413)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091218)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130311)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130402)。
例えば、私の父の世代だと、高校で第二外国語を履修するのは当然だった。ちょうど父の時代には、独語先習から英語先習に切り替わった年だったそうで、第一外国語のドイツ語を第二外国語の英語と交換した。母親はフランス語も履修していたので、ドイツ語、フランス語の辞書ぐらいは英英大辞典と共に書棚に並んでいた(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131126)。それを眺めて、ため息をつきながら過ごしたのが私の小学生時代。ところが、十数年前もの話だが、多言語社会にまつわる研究会の懇親会か何かでちらっと喋ったところ、途端に「グローカル」を唱道していた女性研究者から「失礼ですが、お父さんは何時代のお生まれなのですか?」と尋ねられた。
いい加減にして欲しい!昭和の話なのだ。平成の今、昭和生まれの私の感覚ならば、せいぜい祖父母から子どもの頃に聞いた明治時代の学校教育の話という程度である。
自分達がいかに「お寒い教養」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131121)かつ「著しく狭く浅い視野」しかないか、ということに全く気づかず、威信だけは昔を借用しているという逆行状態が起きている。
私など、本当に地方の平均的な市民でしかない。何も名を残すことなどなく、そのまま消えていくだけの存在に過ぎない。もっともっと勉強しなければならないと、己の無知の自覚が原動力となって必死な毎日というだけなのだ。
大学生の頃、教授の論文や先輩の研究発表に触れながら、(学籍のある間に、どこまで近づけるだろうか)と懸命な思いだった。当然、卒業したら、今度は後輩達の目も見張るような若々しくも先進的な研究を知って、身が縮むほど刺激されるのだろうと予想していた。つまり、私の感覚では、自分をはさんで上の世代も下の世代も、我が師を仰ぎ見る存在だと思っていたのだった。ところが実際はどうか?母校の会報を読むと、まるで中学か高校レベルだ。理系はともかくとして、文系は一体全体、何をやっているのだろうか?
本当に恥ずかしいと思いませんか?ちょっと人の知らない(と思われる)狭い分野を人より少し知っているというだけで「勝ち組」気取りでいるなんて....。自分の発言と行為そのものが、自国のレベル低下に著しく貢献しているという自覚を持ってください!
読んでくださる方がどのような層なのかは不明だが、少なくとも毎日、数百名のアクセスがあることは記録済みなので、特に若い方や責任ある地位や影響力のある人々の目に留まり、少しでもこんな思いをしている者がいるとでも片隅に留めていただければ幸いだと考えている。