ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

まず相手をよく知って

昨日のブログは(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150521)、予想以上に力が入ってしまったが、それも読者に電子文字を通して通じるようで、案外に反応が上々だった。もちろん、反応を意識して人気取りのようなことはするつもりがないので、(今わからなくても、いつかはきっと)という、気楽な気分でいる。
本日の朝刊で、「邦人殺害テロ事件対応検証委員会」の21日公表の報告書が報じられていた(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150313)。結論としては、「誤りがあったとは言えない」「注目を集める対外的発信には十分な注意が必要」とのこと。「善悪白黒の二元論ではなく、よりしたたかな発言を追求する必要がある」「アラビア語や中東情勢に精通した専門家育成など必要な体制の構築を検討する」との有識者からの提言も、非常に納得がいった。
私の今回の中東の旅記録も、どなたかの参考にでもなるならば幸いである。
さて、申し訳ないが、今日もちょっとお休みをいただき、以下に移民反対グループの見解をウェブから部分引用させていただいた。実は、私はこのグループに参加はしていないものの、考え方に共鳴している。

http://www.sakuranokai.org/article/407873534.html


・一時的な滞在で日本で生活するのなら、郷に入っては郷に従え的に生活できても、まず、日本語という言葉の壁に彼等はぶち当たる訳です。それから、日本の歴史文化にもとずく礼儀作法、生活様式や生活する上で必要な日本の法律、慣習をも理解しなくてはなりません。当然のことながら、これから日本でずっと住むことになるわけですから、これらを遵守しなければならないわけです。ハッキリ言えば、これらをクリアできる海外の人達は、ごく僅かです。


多文化共生を推進したフランスやドイツ、カナダなどの例をみても明らかです。私の意見は、多文化共生は日本の治安が、今の数十倍悪化すると思います。彼等の人口も結婚、家族の呼び寄せから日本に大量移民という形で増え続け、政治的にも数の上で強くなっていきます。日本の子供達の将来を考えるなら、多文化共生や移民は、絶対に阻止しなければならないと思います。


人間の精神の安定というか、人間らしい精神や感覚を涵養するには両親や周囲から受ける祖国の文化の中で育ち、その国の人間であるというアイデンティティーを確立することがまず第一歩であり、それができて初めて、他人や他国の人やそれらの人々がまとっている他の文化と上手につきあうことができるのです。


・無国籍では人間の精神は安定できないし、祖国を喪失した人間の精神性というものは、とことん貧相になるのだということを、私は職場や生活の中で実感しています。


・祖国、そして民族文化というものの中で育まれるはずの道徳や人間性といった精神の豊かな土壌をもたない人間の拠り所とは何か?、それは「金と力による支配」と「快/不快に単純化された動物的価値観」です。社会をそのような荒廃に導かないための有形無形の教育力を民族や国民国家というものは長い歴史の中で備えているものであり、特に我々日本人がご先祖様から受け継いでいるそのような教育力は、独特ではありますが、世界に誇ることのできる豊かで良質なものであります。


・人間、他人から「かわいそう」と思われるくらい悲惨なことはありません。移民政策は悲惨でかわいそうな子供をつくる政策だと思いますし、そのような子供たちが日本で成長したとき、社会に何をもたらすか?といえば、残念ながら犯罪増加に代表される治安や風紀の悪化要因、社会にとってリスクやコストを高める要因でしか無いのです。


・欧州や、あるいは昔からの移民国家の事例を見ても、移民や難民、外国人労働者がやってきて犯罪が増えたという事例はいくらでもありますが、逆に移民や外国人労働者が多くなればなるほど犯罪が減ったという事例は聞いたことがないのではないでしょうか?


・しかし移民反対の保守派としての意見を言わせてもらえば、私たちが「外国人犯罪が増えている」というのは、正確に言えば「外国に出自を持つ人間の犯罪が増えている(日本国籍取得者含む)」なのです。日本国籍取得者の犯罪は相当多いと思います。


・専門用語で保守派の庶民を騙そうとするのは、左翼リベラルのよく使う手です。


日本の伝統社会は、犯罪抑止装置でもあったわけですね。犯罪者が増えれば増えるほど、人権派はその「看板」を守りつつ、大威張りで国庫から生活費をくすねられる。


・ある国民を形成するものは、文化的なものと、歩んできた歴史だと思うのです。いわば、日本国民を形成するものは、日本が歩んできた歴史であり、それは日本人だけのものであり、別の歴史を歩んできた外国人にとっての歴史にはなりえないのです。


「国民」とは歴史と文化を基盤とした社会集団である以上、「文化的、歴史的背景の異なる社会集団は、同じ国民にはなれない」という平凡な答えに辿り着いてしまうのですよね。外国人を国内に入れ、日本の歴史や文化を覚えさせても所詮、それらはその外国人のものになりえない以上、外国人は日本国籍を取得できても、日本国民になることはできません


・差別ではなく、現実です。必然的に移民は、社会集団から疎外されることになるのです。


・本国ではまともな職にも女性にも相手にされなかったクズみたいなのが、日本では英語ができるだけで食っていけるし、女は何人でも思いのままだと豪語しているのですよ。これ、日本人として男性だけでなく、女性でも腹立ちませんか? これはやはり一つは政治話にいきますが、もうそろそろ英会話学校だの英語教育だの、ありがたがるのやめましょうよ、ということですね。

(部分引用終)

まぁ、普通に満足して生きている日本人ならば、上記の考え方が妥当だろうと思われる。問題は、大学(文系)の方が変に片寄っているということで、その弊害は、私が8年ほどこのブログで書き綴ってきたことからも、片鱗がうかがえるというものではないだろうか。
イスラエルの話も、その力に満ちた前進と活力および内面に秘めた葛藤と脆さは、私にとって思考を促される刺激があって好きなのだが、一方で、どこか客観的に心理的距離を置いて観察している自分もいて、それは要するに、私が本流の日本人だということの証左だと思われる。
ご先祖様を大切にしなければ、とうるさかった祖母の言葉が、特に身に沁みて思われる。子孫に美田を残さず、というが、子孫に負の遺産を残してもいけないのだ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150511)。とすれば、自分の言動一つが、代々、周囲への影響にもつながるわけで、その責任と重さを考えると、身の引き締まる厳粛な思いがする。
旅の記録は、しばらくお待ちください。

https://twitter.com/ituna4011

Lily2 @ituna4011

『日本人を狂わせた洗脳工作 いまなお続く占領軍の心理作戦』(自由社ブックレット) 関野通夫(http://www.amazon.co.jp/dp/491523780X/ref=cm_sw_r_tw_dp_a6Txvb14KB037 …)が届いた。ケント・ギルバート氏の文章で紹介されていたため入手。

(転載終)
この種の本を見ると思い出すのが、ハートフォード神学校(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%A5%CF%A1%BC%A5%C8%A5%D5%A5%A9%A1%BC%A5%C9%BF%C0%B3%D8%B9%BB&of=50)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%A5%CF%A1%BC%A5%C8%A5%D5%A5%A9%A1%BC%A5%C9%BF%C0%B3%D8%B9%BB)で収集した戦時中のシェラベア(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%A5%B7%A5%A7%A5%E9%A5%D9%A5%A2)関連資料(アメリカ戦時局との文通)と、パイプス先生のウェブサイトにリンクされていた‘War Department U.S. 1946’という81ページにも及ぶ対日作戦資料およびルーズベルト政権の開戦宣言文書(Transcript of Joint Address to Congress Leading to a Declaration of War Against Japan(1941))である。
(ユーリ後注:この日米間の歴史認識の齟齬を巡るパイプス先生と私の間の小さな諍い、そして、私自身の立場と見解は、過去ブログ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140616)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140911)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141118)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150210)を。)

国防総省(陸軍)勤務のシリンスキー氏(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150513)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150515)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150516)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150521)と平気で会話ができたのも、外国の旅という非日常の場であったことが大きいが、従来から、私自身が上記の資料の他、戦時中の大量の宣教師資料に目を通していたからでもある。孫子の兵法ではないが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130605)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130608)、やはり相手を知っておくことが重要なのである。