ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

読書の冬

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原節子 あるがままに生きて』(朝日文庫) 貴田 庄 ( http://www.amazon.co.jp/dp/4022616563/ref=cm_sw_r_tw_dp_n83Awb10S4BR1 …)を久しぶりに図書館から借りた。時代を感じさせる内容。すぐに読めてしまう。アマゾンの書評は厳しく、参考になる。


西田幾多郎随筆集』(岩波文庫) 西田 幾多郎 ( http://www.amazon.co.jp/dp/4003312473/ref=cm_sw_r_tw_dp_ud4Awb1JHD1KB …)も図書館から借りた。学生時代には難しそうに見えた本も、さすがにこの歳になると、いい加減、読めるようになる。

(転載終)

年の暮れも近づいてきたので、そろそろ今年の総括を...。
根が鈍感なので、遅ればせながらやっと、という感じなのだが、表面はともかくとして、何だかいつも心がささくれ立った状態で生きてきたのは、恐らく長幼の序が成り立っていない環境で育ったからだろうと思う。
どれほどボンクラだとしても、先に生まれた者は、それなりに息を吸っているので、経験値というものがある。それを、後から生まれてきた者が、何でも形式的平等が善とばかりに、低い価値や非常識を主張してはばからないから、おかしなことになってしまうのだと思う。
例えば、何も相談もなしに、勝手に何事も決まってしまう。結婚相手の紹介もなく、いつどこで結婚したかの知らせもなく、いつの間にか子どもの写真だけが突きつけられてくる(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150409)。それで兄弟と言えるのか?父の樹木葬にしろ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151110)、納骨式に呼ばれなかったことにせよ、遺産の分け前が一銭もないどころか(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151113)、二十代の頃の預貯金もいつの間にか通帳が盗まれてゼロ円になっていたことなどにしろ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151106)、多様性の社会なのだから、私が黙って理解しなさい、と言う方がどうかしていると思う。
主人も私も、国民の義務を全うし、将来の備えも考えて、無理せず真面目にコツコツと地味に生きているので、黙っていると本当に周囲は馬鹿にしたままなのだ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140403)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151107)。殊更に、これをやった、あれをやった、大変だった、苦労したと、はしたなく騒がないので(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151111)、気がつかない人は気づかないままなのだ。
最近では、何でも「弁護士さんに相談して裁判を」というが、裁判をして解決する問題ではない。お金の問題ではなく、人間性の問題だからだ。公然と非難されて、罰を受けて欲しいのだ。
昔の五人組みたいに、連帯責任を負わせる仕組みはないものだろうか。
これで半世紀を生きてきたから、相当に溜まっていることだろう。それが判明したのも、今年になって、いろいろと親戚と喋ったからだ。それまでは、押さえつけられて役割や立場だけで振る舞ってきたので、(どうして私だけ誰の結婚式にも呼ばれないんだろうか)などと疑問に思っても、(自分が至らないせいだ、他の人達は皆立派にやっているのだ)とずっと思い込み、受け入れられる人間にならんとして、ますます真面目に励んできた。
しかし、こちらの努力は所詮、徒労でもあった。なぜならば、相手の本性を知らないままできたからだ。
親戚の戸籍改竄など(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141224)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141227)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151106)、主人も「そんな恐ろしいことを、誰が入れ知恵したんだろう」と開口一番、言った。私だって、自分の身が汚れたように感じて、非常に不愉快なのだ。しかし、それをした方が威張っている。そのおかしさに触れた途端、小学校低学年だった頃、直感的に抱いた心の底の古い感情が刺激された。
私の場合、物心ついた頃から、音楽や本を読むことが好きで、一人時間の没頭にエネルギーを投入していたので、生身の周囲の人間に触れて世の中を学ぶ経験に、時差が出てしまうのだと、今更のように気づく。
結婚は本人同士のものだから、自分達が結婚したい日に入籍し、人の都合も聞かずに勝手に挙式をし、子どもが生まれたら写真だけ送りつけて、挨拶もない。過去十八年の間に、会ったのは葬儀と法事の時ぐらいで、子どもは睨み付けてキックしてくる(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150114)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150409)。祖父の葬儀に普段着で来る(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150114)。配偶者は挨拶もしないで、途中で帰って行く。あるいは、父の葬儀に堂々と欠席をする。皆が初めて集まった祖母の法事には、堂々と旅行に行ってしまう(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140128)。
おかしくないか?
「一番うるさい」私が気に入らないからと言って、親戚の集まりでも「嫌だったら付き合わなくてもいいよ」というのが、現代風の「優しさ」であり、個人の重視だと勘違いしていないか?それは非常識の最たるものだ。
私だって、日常の行動の逐一をブログに公表しているのではない。主人側の親戚付き合いは、私もずっとやってきた。当たり前だからだ。なぜ、年下がそれをさぼって平然としているのだろうか。
私がどうしようもない出身階層だったならば、百歩譲って、それもこれも仕方が無いとしよう。しかし、日本社会全体から見て、平均よりはかなり恵まれた環境だったのだ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151010)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151106)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151110)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151111)。激動の昭和と言われた時代の方が、平成の今よりも、遙かに社会が落ち着いて活気もあり、きちんとしていたと思う。ここ二十年ほどの日本の崩れ方は、特にひどい。
この頃、主人の家から古い荷物が少しずつ届いているが、義父の亡くなった時の葬儀記録などは、田舎の伯父さんが几帳面に万年筆の手書きで、立派なノートブックに丁寧に細かく書き残しており、感謝以外の何物でもない。今見ても、本当に大勢の方々が、お忙しい中、弔問や弔電をくださったのだ。それを受け継いでいくべきなのに、「今はそういう時代ではない」と、年下の経験もない者が勝手に決めて簡素化してしまうから、おかしなことになるのだ。連絡は、メール一本のみ。馬鹿にするにも程がある。
「そんな文句を言うなら、あんたが最初から全部やってよ」と言う者もいるのだが、私は私の婚家で務めを果たしているのだ。どうして自分の役割や義務を勝手に放棄して、人に依存するのか?
自分側の親戚についても、悪く言うべきではないのが筋だが、やはり言わなければ分からない人もいるので、書いておこう。父がいた頃は防波堤のようになっていたこともあって、自分ではかなり違和感があっても成長の糧の刺激として受け止めていた私だった。「うちはぁ〜、うちはぁ〜」と自慢げに葉書や年賀状に書いてきたり、「うちの子の方がしっかりしている」と、わざわざ小声で私に耳打ちしてくる不届きな者もいる。大変に申し訳ないのだが、どのように返答したらいいのか、私には全くわからないのだ。
「うちの子の学校は立派なお嬢さん学校だ」と自慢げに振る舞うのだが、ごめんなさい、私もその学校を受験して合格しましたが、サラリーマン家庭で下に兄弟が二人もいたので、経済的な公立学校に行きました。
「タイスの瞑想曲を知っていて、感心しました」と手紙に書いてあったのだが、ごめんなさい、その曲は人口三万人程度の田舎の我が町立図書館でも、閉館間際にいつも流れてくるので、誰でも知っています。
「高校時代には朝シャンをしていたから、あの子達は美人のお嫁さんになれるけど」と昔、目の前で言われて、むさ苦しい女子高生だった私は肩身の狭い卑下した気分になっていたが、ごめんなさい、朝シャンは髪が傷むし、そんな暇があったら一つでも多く英単語を覚え、本を読み、将来に備えていたんです。
本当に、外側から押しつけられた劣等感ほど、質の悪いものはない。それで人生行路を歪めてしまうからだ。真に受けて大損をした。
今年の目標として、達成できなかった項目(例えば、ボストン訪問(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150103))もあったが、気分的にはもっとスッキリとしてきた。来年は、奇怪な人々には、遠慮会釈なしに堂々と筋を通して物の言える自分でありたいし、言われないような生き方をしていきたい。