優先順位

GripBlog報道メディア設立企画書について思うこと(7)----泉さんの回答に関して: BigBang

Pliggであることは承知していたが、それを私の口からは誘導できない。
(これはXOOPSであったとしても同じこと)オウムへの印象操作とは
全く関係がない。純粋にビジネス機密上の配慮の問題である。

 BigBang氏の現状最新のエントリではこのような言い分が記されてはいる。だが
これは何を言っているのだろうか。内容は、このエントリで記された「カルマ」
と呼ばれる評価基準だけを明かし、当の基準を基本的に採用しているソフトには
触れなかった事への弁明である。だが、これは到底まともには受け入れられない。

「ユーザーカルマ」という言葉についてですが、これは最後の
企画書で利用することを書いた『Pligg』というフリーソフト
使用されている言葉をそのまま使っています。『Pligg』は、
Digg』を真似て作られたGPLライセンスフリーソフトで、
その中で元々ユーザーの評価をする単位に「カルマ」という
言葉が使われていて、それをそのまま使いました。
報道機関設立企画について: Grip Blog <Archives>

 これを読む限り、そもそもこれはソフトに由来するものであって、それだけの
はずである。しかし、BigBang氏は何かに「悩んだ」そうだ。何にかは依然不明だ。


 しかし


 BigBang氏はここで悩んでなければならない事についてどうやら悩まなかったと
見える。というのも氏には「通常は論外」である事を「あえてする」十分な動機
があったはずだからである。それが何であるかは自明だ。松永氏への疑惑である。
従って、そもそも始めから「ビジネス機密上の配慮の問題」はクリアされている
はずではないのだろうか。ここで半端にそれを蒸し返す積極的な理由は何なのか。
その点について氏が悩んだのでなければ、ああした書き方にはなりえないはずだ。
勿論何かの恣意があれば話は別だが、どちらにしろ何も情報は与えられていない。


 さらに


 問題はまだある。氏は「ユーザーカルマ」という用語に触れてもソフトの名に
触れなければ「ビジネス機密上の配慮」をした事になると発言している。しかし
そうすると「ユーザーカルマ」なる用語の由来を、つまり「pligg」というソフト
については「ほとんどの人は解らない」という想定をしていた事になってしまう。
さもなくばソフト名を明かしている事と大差がないからだ。そしてそうであれば
つまるところ「カルマの由来についてほとんどの人が知らないと解っていながら」
あえてそんなところを発表しようと決めたという事になる。勿論ここで考えなし
であるとは到底考えられない。ソフト名については出すか出さないのかを考えて
いるのである。そこまで考えて「肝心の部分」を考えないとは到底考えられない。


 さて。


 印象操作であるのかどうかについて、特にここで書こうとはしない。必要ない
からである。重要な事は、BigBang氏が「ユーザーカルマ」という用語を出す事を
「問題だと考えなかった」という事である。風評への意識がその程度だという事
である。松永氏や泉氏についての意識である。そしてとりわけ、また、オウムの
問題に関する発言をそれほどの問題意識もなしにしたという事実が問題であろう。


 勿論


 実際は単に知らなかったのかもしれないが、書かれていないので当然無視する。

印象操作について

 まず、一般的に言えば印象操作は非難の対象になって然るべきものである。
それは印象操作が何をするのかと言う事を考えてみるだけで十分理解出来る。
それは「十分な説明をせず」相手に所期の印象を植え付けるという事であり、
ひいてはそこから他人の行動を操作しようとする事である。それが操作だと
いうのは、説明による「納得」を経て相手に「動いて貰う」のではないから
である。従ってそこには「話せば解る」という発想はなく、相手の理解力を
軽く見ているとされても仕方がないのである。舐められたものだという事だ。
勿論現実的には単に気がつかずにそうしてしまったという場合もありうるが、
それにしたところで釈明が必要なのは当然であり、やはり非難の対象である。

 
 ただし

 
 非難されて然るべき状況が「一般的な」場合だというところに注意が要る。
つまり、逆に言えば私的な状況であるとか、私的なアプローチの方法を使う
という場合であれば別に構わないと言う事である。勿論この場合であろうと
「馴れ馴れしい」というところでの非難はありうるが、それはまた別の話だ。


 そして


重要な事は、この公私の弁別である。これから次のエントリなどで触れる
ブログの問題でいえば、それが果たして公共的な場であるとみなされるべき
なのかどうかというところは問題にされて然るべきではある。しかしそれは
個別の問題に付随するものであり、問題に公共性があるかどうかに依存する。
従って、単に場所が私的であるかどうかというところは、問題にはならない。

仁義?

CMS Guides and Tips: Wordpress, Blogger, Wix, and More!
Blogs | ZDNet

 ソフト名さえ解ればこの程度はすぐに探し出せて、確定的にもなる。
そして、自分の発言の不適切さを引き金として他人にこんなコメント
が付けられている「結果」について、BigBang氏はどう考えているのか。

しかしユーザー特性を計測する単位が「カルマ」って(笑
松永ももうちょっと社会常識を知ってから書けばいいのに。


 また、直前のコメントも読まない勘違い発言だがこういうものもある。

Bigganさんが知りたいのは”カルマ”の出典元などではなくて
”カルマ”という極めて仏教色の強い単語を、ジャーナリズム
サイトの一指標として導入しようとした人物の意図でしょうに。
(ハンドルネームと「出典元」という重ね言葉も原文そのまま)

 勿論「ソフトそのまま」と泉氏が書いている事を読み落としている
だけのコメントではあるが、システムを知っていれば当然解消しうる
「誤解」ではないのだろうか。そしてそれをすべきなのは誰だろうか。
この点に関しては泉氏が明かそうとしなかった事は特に関係しない事
である。公表しようとしたのはBigBang氏だからであり、その公表に
泉氏は関与しておらず、ここでの問題は公表の仕方にしかないからだ。

とめるつもり/やめるつもり

 そして - 売文日誌

 さしあたり一日待ってみたが特に追加も弁解も見えないので、その
まま批判に移行する事にする。先日引用した極東ブログのエントリは
全くの印象操作であって、問題の大きさから考えて到底許容出来ない。

ちょっと物騒な発言だが、ジャーナリスト、プロの水準
というのは法を破ってもいいと考えている。それだけの
痛みを当然覚悟するだけの仕事だと考えている。

 問題なのはこの部分である。これは明らかに放言の域であり、問題
だといわなければならないものである。これは例外を振り回している。
「一般的には禁止されている事でも例外的には許容される場合がある」
という話はいくつかある。例えば正当防衛であり、あるいは尊厳死だ。
どちらもある種の暴力が免罪される条件を指示する事で成り立つ考え
である。その条件こそがそれらの肝要な点である。例で考えてみよう。

老人は殺してもよい

 こんなものは当然暴言である。一般的にいって老人を殺していいと
言ってしまっている事になるからである。だが条件次第では話は別だ。

回復の見込みがなく、生存の苦痛も極めて大きく、そして
当人の自発的な合意があった場合には尊厳死は許容される

 これならば相応には説得力があるとみなされる。勿論尊厳死の是非
についてやその条件について議論はある。この条件も便宜的ではある。
しかし、その事もすでに「条件」が重要であると示唆する事実である。
重要なのはそのような「例外」があるかどうかではなく、それを具体
的に記述する事である。その内実を解き明かす事であり、説明である。
つまり、この文脈に即して言えば、ジャーナリストが法を犯していい
「条件」である。それがなければ理屈の上では何も言えていないのに、
そのような「印象」だけを与える事になってしまう。その結果が問題
である。それが公共性を十分備えた問題の俎上で使われていいものか。
よもやジャーナリストであるかどうかが条件であるという訳でもない
だろうに。ましてやジャーナリズムの野放図を許容する訳もないはず。
そしてその発言が与えた印象について氏はどう思っているのだろうか。


 そして


 この発言が松永氏界隈とは関係ないと判断しうる予防線は全くなく、
しかし「オウム」「ブロガーの影響」「ジャーナリズム」という示唆
だけはある。これを読んでそう判断しない方が難しい。そう判断する
向きが出る事は当然配慮すべき事柄に含まれるだろう。確定的でない
という事と「推測もされない」という事とは別の事であり、印象操作
はその推測を意図するのであるから、確定的な書き方がされていない
という事は非難を停止させる条件にはならない。勿論印象操作が不正
ではない場合は別だが、ネットで印象操作を不正だとは考えない人は
見た事がない。逆なら山ほどある。つまり、これは非難されるべきだ。
肩を持つ事にしたのならケツまで持つ事にすべきではないのだろうか。


 やんわりとめる気配も示した相手はやめるつもりもないようだけど。