中国大学日本語教師研修


日本語国際センターY.Yです。今回は、「中国大学日本語教師研修」をご紹介したいと思います。


中国各地の大学で日本語を教えている先生たちが、毎年9月中旬から11月上旬の51日間にわたり、日本語国際センターで研修を受けています。今回も広い中国の全国各地から、北は黒龍江省に始まり、南は広東省を超えさらに海南島まで、大学で日本語を教えている40名の先生が参加しました。


中国は、日本語学習者数が約68万人と、堂々の世界第2位!*1


そんなすぐお隣の国・中国からどんな先生が参加しているのか、さっそくインタビューしてみましょう。



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李晨先生(山東省・魯東大学)


忙しい研修の間にインタビューを受けていただき、ありがとうございます。それではまず、李先生が日本語を勉強し始めたきっかけについて教えてください。

私は中国の東北部・吉林省長春出身です。たまたま隣の家に、吉林省農業研究所の通訳の方が住んでいました。戦前の日本に留学したこともある方で、お宅に遊びに行った時、日本の絵本がありました。そこで初めて日本語の文字を見て、「中国の他にも漢字を使っている国があるのか」と驚きを感じたのがきっかけです。

それでは、日本語の先生になったきっかけは?

師範大学でしたので、自然に日本語教師の道を目指すようになりました。大学卒業以来、修士号取得や日本留学をはさみながら、長年ずっと日本語を教えて来て現在に至ります。


今回の研修に参加した感想はいかがですか?

そうですね、「第二言語習得」について、理論から実践まで系統的に学ぶことができたのが一番の収穫です。これまでに部分的に触れたことはあっても、体系的に学んだのは初めてでしたから。また、久しぶりに学生の立場に戻ることができたのも貴重な経験でした。

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于鵬先生(天津市・天津師範大学)       


于先生と日本語の出会いについて教えてください。

私が小学校に上がった頃、中国は文化大革命の真っ只中でした。学校教育も麻痺状態で、授業もあまり満足に受けられない状況だったのです。

1972年に日中国交正常化が実現し、それをきっかけに、家の近所にあった大学で日本語講座が開催されることになりました。当時13歳か14歳だった私は、母についてその講座に通うようになりました。

その後、大学でも日本語を専攻なさったのですか?

はい。そして大学卒業後は、市役所で外国との貿易・経済方面の仕事を担当するようになりました。

大学卒業後、すぐに日本語教育の道に進んだのではなかったのですね。

出張で日本へ来る機会もありました。そして、日本へ留学中のクラスメートに再会し、話を聞くうちに、「自分も日本へ留学したい」と思うようになったのです。その夢が叶い、1992年から3年間、福岡に留学し、教育学の修士号を取得しました。

日本留学の後は、すぐ中国へ帰国なさったのですか?

いいえ、そのまま日本に残りました。中国との貿易を行っている日本の会社に就職し、6年間働きました。

中国にはいつ戻られたのですか?

2001年です。「日本語と経済・貿易の両分野をカバーする講義をしてほしい」と大学にいた知り合いから依頼を受け、中国への帰国を決め、大学で教鞭を執るようになったのです。

中国の官公庁と日本の会社での実務経験、さらに日本の大学院留学の経験。中国でも最近は、単に語学ができるだけではなく、「語学」+「専門分野」と2つの強みを持つ「複合型人材」の育成が強化されていますが、于先生はまさにうってつけの人材だったわけですね。

いえいえ、そんな(笑)。

・・・そういうわけで私は、教師経験はまだあまり長くないのです。
そのため、今回の研修では、多くの収穫がありました。とりわけ、自分の教授実践を振り返り、授業の改善をはかるための「授業研究」は、大変役に立ちました。
 
日本と中国の文化には、多くの共通点がありますが、違いもまた数多くあります。自分は留学で3年・仕事で6年と、9年間の日本滞在経験がありますが、それでもまだまだ学ぶことがたくさんあります。これからも今回の研修で学んだことを生かしていきたいです。

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この「中国大学日本語教師研修」に参加した40名の皆さんは、もともと高い日本語レベルを持っている上、非常に勉強熱心な方々でした。


授業や研究課題に全力で取り組んでいたのはもちろんのこと、歌舞伎鑑賞に行けば、上演中はずっと舞台を食い入るように見つめ、幕間の休憩時間になっても席を立たず、寸暇を惜しんで筋書きを読み込む姿が続出。


外へ出かけるときはカメラを手に、お店の看板や注意書き等、教材に利用できそうな物を見つけたら即撮影。

駅で電車を待つわずかの時間も、
「あそこにある広告のキャッチフレーズを中国語に翻訳するとしたら?」
「こんな訳し方はどう?」


日本滞在経験のあるベテランの先生も、今回が初来日だった若手の先生も、51日間の研修期間を目いっぱい活用し、吸収できるものは何でも全て学び取っていこうとする意欲の高さが印象的でした。


広い中国のあちこちの大学に帰って行った後も、今回の研修で得た収穫を生かしながら、熱心に日本語学習中の大学生の指導にあたって下さることでしょう。