浪江町の皆様へ・・・


浪江町の皆さんが避難されている二本松市訪問の様子です。


日本フィルのメンバーは4月6日、福島県浪江町の町民の方々約1,500人が避難されている福島県二本松市東和地区を訪問しました。


訪問のきっかけとなったのは、香港から支援物資としてお預かりした乾電池です。日本フィルが香港公演を行ったご縁で、香港のピアソン社様から日本法人(ピアソン桐原書店様)を通じ、乾電池の寄託がありました。日本フィルは受け入れ先を探しておりましたが、音楽議員連盟事務局長・簗瀬進様(元・日本フィルハーモニー協会合唱団メンバー)のご尽力で、浪江町でご活用いただけることとなり、乾電池とともに楽器を持った楽員が、日帰りの強行軍でお届けしたのです。


福島県浪江町は、福島第1原発のある双葉町のとなり、太平洋に接する町です。町の人口はおよそ20,000人、うち17,500人は福島第1原発から半径10キロ圏内に住んでいらっしゃいました。


町の中心地で役場にも近い請戸地区周辺では、現在でも約200人の安否が確認されていません。臨時町長室の壁に貼られた緑の地域(写真)は、地震翌日の1号機水素爆発で放射能汚染のため立ち入り禁止区域に指定され、誰も入れず、あの日以来「野ざらし」のままとのこと。とてもこの世のこととは思えない馬場有町長のお話しは、私たちの胸に実感を持って強く響きました。

町民の方々は原発20キロ圏外にある支所にいったん避難され、15日にはさらに二本松市へ再移動することとなったこと。移動のバスの手配もままならい中、慌ただしく町を離れ、立ち入ることもできない故郷。現在東和地区の14の施設に避難されている約1,500名の方が、いつまで続くかわからない避難生活を余儀なくされています。


もし演奏させていただけるなら日本フィルは音楽をお贈りしたい、との希望をお受けいただき、臨時役場の脇にある避難所のひとつ「東和文化センター」玄関の前で、急遽30分ほど演奏させていただきました。ヴァイオリンの松本克己、ヴィオラの後藤悠仁トロンボーン伊波睦の3名が、「タイスの瞑想曲」「すべての山に登れ(サウンド・オブ・ミュージックより)」「赤いサラファン」など10曲を演奏。避難所にいらっしゃった方が、ウォーミングアップの音を聞いてお集まりいただき、およそ50名の皆さんが、しばし音楽を聴いてくださいました。


東和地区は山に囲まれた窪地です。山々が天然の反響版となり、静かな地区全体にまるでホールのように楽器の音が静かに響きました。

日本フィルは1995年に発生した阪神大震災のときも、多くの市民のみなさまのご支援をいただいて阪神地区に居住する音楽家とともに「現地に行って、音楽で励ます」支援活動を行ってきました。私たち日本フィルは再び、被災地で、途方にくれながらも懸命に立ち上がろうとしている人々と、それを支える多くの人々とともに、音楽活動を開始しようと思います。人が人を思うこと、そのお互いが引き合う力に、私たちも含めて多くの人々が生きる希望を見出すことができるのではないかと考えたからです。