JIMA-DON

ニシジマオさん(自称日曜音楽家)の日常と散文駄文

10/12(水)ラウンジサウンズに出ます

カミさんが亡くなって二日後くらいだと思う、早速ボギー君が「ラウンジサウンズ出て!」ってオファー投げてきた。10/12(水)のラウンジサウンズに出ます。

10/12(水)「ラウンジサウンズ」
会場)VooDooLounge
時間 open 19:00 start 19:30
料金 1500円+1drink order
出演)火の馬/宇宙サービス/薄力小麦子/橙苺/ほか

でもって、実際今の自分の心境はというと全然悲しみから立ち直っていない。家事一つやってもカミさんを思い出すし、仏事をこなすたびに悲しみが先に立つ。でも、ライブをやっておかないと落ち着かないような気は、する。
最近作った新曲群はカミさんの最末期の闘病のときの心境や風景を歌詞に込めた歌ばかり。それでも希望を持ちたいと思って作った曲ばかりだ。まあもちろん恒例のごとくブッ●オフは燃やすとして、まあ、悲壮感なく楽しくやろう。

そう、ラウンジサウンズといえばこないだの土曜日におこなわれた「ヨコチンロックカーニバル」のVooDooLoungeの平日ブッキングである。次の日法要だというのに金曜日には準備が滞りなく進んで、観にいけた。
で、客として同窓生のナベキヨ君が来てくれていた。ついに、青雲人脈とヨコチン界隈がつながった奇跡の日。ふたりで青雲時代の話をした。今になって思うと凄い話だが当時青雲中学の寮はものすごい体罰が横行していて、彼はその寮監にボディスラムをかけられ耳から血を流して保健室送りにさせられていた。
今思うとその人は20代後半くらいの傍若無人な寮監だったのだが、ほかの寮監が「どこそこの学校に就職が決まった」「この学校の正職員になれた」と報告して辞めていく中彼だけが特に何も言わず去って行った記憶がある。44になった大人の俺たちふたりで、不器用そうだったあの人の行く末はどうなったのか案じてしまった。
チンロックではたくさんの人からカミさんのお悔み、おごってもらった酒、そして素敵なライブを見ることができた。さて、あのVooDooLoungeのメインステージで俺もやることになってしまっている。何しろもう、会場のトイレの告知文に
「悲しみの果てから帰ってきた」
と書かれてしまっているので帰らないとしゃーない。帰って来たとこ観に来てね。

カミさんの覚悟

 自分にとって、何をやっても許してくれる人だった。そして逆もまた然り。今思うときっとそういう関係だったのだ。

 おめおめと自分だけが生き残って、2週間目が経とうとしている。最初のうちは自暴自棄な食事を摂ったりでたらめに過ごしたが、じきに落ち着いてきた。今日は普通にご飯を炊いた。
 お寺やセラピストに相談に行き、いろんな話をする。今考えるとカミさんの人生は壮絶に愉快であったことが判明する。思い出せば彼女との出会いは23年前なんだけど、いっぱい恥ずかしい過去を思い出してしまった。自分は大学生で向こうは女子高生だったのだが、講義ががら空きな暇な大学生の身分。なんで向こうの帰りがけを狙ってバス停で待ち伏せたことがままあった。セーラー服のカミさんと筥崎宮をデートした思い出。

 そっから先である。ふたりともに社会に出たばっかりで壮絶にすっころんだ。カミさんは確か職場のいじめか何かにあっていたし、自分も今でこそ理由はわかってきたが自己啓発を受けたのがきっかけで激しい躁と欝を繰り返し、メンタルを一気にやられてすぐさま退社の目に。
 ふたりともども不器用だった。両方とも引きこもっていた時期が多くあった。世間を知らず、不器用に転げまわりながら自分は職を転々としたが、何故かカミさんはずっと自分についてきた。
 ある会社のパートを首になって途方にくれて、カミさんに別れ話をしたことを覚えている。その場所は大宰府政庁跡だったのだけど、結局
 「私、バカだから。一生ついていこうと思う」
 って。本当に死ぬまでそのまま付き合った彼女。結婚前後は本当に実に楽しかった。生活は苦しくても本当に。がん闘病中にチョコレートも作った。http://jimadonko.blog.jp/このブログは、宝物だと思う。彼女の生の文章も読めるし。

 先月中盤。想定していた最悪の状況になってしまったとき。
 5年8ヶ月前の逆戻りで腹水と胸水がたまってしまった。本当にカミさんは苦しそうだ。
 しかし体の衰弱度合いがひどく、うかつに動かすこともできない。

 自分はこの状況を見て何を思えばいいのだろう。どんなに励ましの言葉をかけても「怖い」という感情が出る。素直に俺は怖いといい、「ふたりであの世でやることが出来たな、この状況を作ったやつ、このシナリオを書いたやつをとっちめてやるんだ」とつぶやいた。
 「昨日は怖くって怖くって、発狂しそうで眠れなかった」
 と泣きながら話すカミさんに向かってそう言うのがやっと。腹をさすってあげた。
 そのとき
 「最初に入院した時だってがんばったやろ?」
 と気休めのように発した言葉に返ってきたのは
 「あのときの私は、バカだったから…」

 うそつき。最期までついていったから、バカのまんまじゃないか。今になってそう思う。おれがあの世で出逢うときに小突いてやろうと思う。そして許してあげよう。そのついたうそを。