言えなかった真実「宮平証言」座間味島

 宮平秀幸氏は座間味島の集団自決時の生き残りでしたが、その時の証言することを避けていました。その理由は集団自決は軍命令ということで座間味村は援護法の適用を受けて国から累計で億単位にもなる年金・給与金を受け取っていたからです。しかし、県民大会と地元メディアの狂乱ぶりを見て偽の歴史が代々伝えられることに危機感をもち証言を決意します。しかし、「証言する」と呼びかけても地元の新聞社やテレビ局は「無視」しました。公明党本部に電話しても反応がありませんでした。そんなとき教育学者の藤岡信勝氏と出会い証言を始めます。

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宮平秀幸陳述書より

 主に発言していたのは、助役の宮里盛秀でした。盛秀は「もう、明日はいよいよアメリカ軍が上陸すると思いますので、私達住民はこのまま生き残ってしまうと鬼畜米英に獣のように扱われて、女も男も殺される。同じ死ぬぐらいなら、日本軍の手によって死んだほうがいい。それで忠魂碑の前に村の年寄りと子供を集めてありますから、自決するための爆弾をください。」
 すると梅澤隊長は、「何を言うか!軍も明日敵がやってくるのに、補給も無く非常に困っている。戦うための武器弾薬も乏しいのに、民間人に武器弾薬を渡すのはもってのほかだ。あなた方を自決させるような弾薬などない。帰って、集まっている民間人を解放させろ」

(中略)

「俺の言うことが聞けないのか!よく聞けよ。われわれは国土を守り、国民の生命財産を守るための軍隊であって、住民を自決させるためにここに来たのではない。あなた方に頼まれても自決させるような命令は持っていない。あなた方は、畏れおおくも天皇陛下赤子である。何で命を粗末にするのか。」
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 「大江裁判」ではこの証言は却下されましたが、私はこの証言は真実だと思っています。当時の軍部の方針は軍属以外の住民は避難方針であり、米軍は住民に対して無茶なことはしないだろうという認識でした。住民にとっては内地の戦闘は初でどうすべきか全くわからない状況でした。マスコミや県議会は米軍の恐怖を語り、抗戦を支持しました。その中での軍人と住民の関係、住民同志の関係としては自然だと思えるからです。「たかじん」の番組で田母神氏が宮平証言について述べると「裁判で却下されたのだからそれを出してはダメなんです」と必死で発言すらさせないようにする人がいたのが目に焼きついています。




参考サイト:http://www.jiyuu-shikan.org/rekishi152.html
参考文献:「沖縄戦集団自決の謎と真相」
     『宮平秀幸証言の画期的意義』藤岡信勝


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