Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

左翼体制の終焉

 ここ最近の毎日新聞のヒステリックなまでの政策運営に対する難癖は、朝日新聞さえを置いてけぼりにするほど偏っている。あるいは一部の識者が、政権の右傾化を危惧するコメントを発するが、多くの日本国民はそれは右傾化ではなく中道化だと無意識のうちに看過している。
 これまでは、日本経済がアジアにおいて唯一のパワーを誇っていたために、リベラル(と言うよりは左翼的)な言論が社会において力を持つことができたのだが、日本がアジアで埋没を始めると共に保守的な(一部においては愛国的な)言論が広がり始めた。

 こうした状況が生じるのは、別に政府が強権的であるからでも一部の右翼的な政治家の活動が実を結んだからでもない。国民のマジョリティがその必要性を感じとったからである。もちろん、一部の跳ね返りの行動は目に余るし、あるいはタカ派政治家の言動は仮に正しくとも主張するだけでは何かを変える推進力になるとは限らない。
 それでも、かつては考えられなかったほどにマスコミの間においても保守的な言論が力を持ち始めているのは、それが必要だと国民が感じているからに他ならない。これまでは必要性が高くなかったが、今は必要だと感じとっているのである。
 こうしたものは、唯一普遍的なものなど有りはしない。世界の状況や社会の状況に応じて常に変わり続けるものである。別に専制君主制を褒め称えるつもりはないが、それが必要な時期というものもないわけではない。これもそれを積極的に肯定するつもりはないのだが、現状において中国という巨大な国家をまとめ上げるためには、中国の社会主義的な強権体制はベストではないかも知れないが、ベターな選択であると考えることもできる。ただし、あくまで巨大な中国を維持するという命題の下での話である。

 さて、現状ここにきて円安が進行したことを受けて、韓国や中国はかなりヒステリックに日本の為替政策を責めようとしているが、世界全体で言えばドイツが一部言及したものの大きな障害とはみなされていない。それは、過去の円ドル為替レートを見れば現状ですらまだ円高と言っても良い水準にいるのだから、露骨な為替介入を個なわない範囲においてはごく普通のことである。
 このように、いつの水準を基準として考えるかにより為替の高低も、そして政治スタンスの左右も変動する。現状が右傾化というのは相対的には事実かも知れないが、絶対的にはそんなことはない。日本が右翼国家であれば、中国や韓国は極右国家と評して差し支えないであろう。

 それでも、韓国や中国が日本をそう呼称するのは納得できないものの、国家同士のさや当てとしては想定内の出来事でもある。問題は、日本国のことである。要するにこれまでは、ある種リベラル天国であった社会がそうではなくなりつつある。この大きな胎動に今更ながら慌てふためき、現状維持を図ろうと必死になっているのが、これまでの社会をリードしてきた識者やマスコミなのだと思う。
 その姿や行動は、人間としては非常にわかりやすい。自分が普遍的な価値だと考えてこれまで主張してきた観念が、環境の変化により大きく変わってしまおうとしているのである。その変化に上手く乗りたくとも、今更主張を変えればこれまで自分が築き上げた立場を大きく毀損することとなる。それを一から作り直す勇気を持たない人は、当然ながら現状を必死に守ろうとすることになる。ややこしいのは、変節漢は容易に立場を変えられるが、真面目な人ほどそれを変えることが難しい。

 こうした真面目なリベラルの苦悩があったとしても、おそらく社会の大きな意識は状況の変化に対応して今後も変わっていくであろう。それは当人達がどれだけ意識しているかはわからないが、これまでの社会体制が左翼的な人たちに最も居心地が良かった状況から、思想的に居心地の悪い状況に変わっていく過程を体験しているのだと思う。
 私は、リベラルが優れているとか保守が優れているとかいうことには興味はそれほど無い。ただ、日本という国家がこれからの時代を生き抜いていくために、どちらのシステムを採用した方が有利なのかを考えていきたいと思っている。少なくとも、リベラル思想の退潮傾向は今後もしばらく続くであろう。それは、社会が必要としているからこそ生じている結果でもある。