Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

創作者余剰

 「小説家になろう(http://syosetu.com/)」という投稿サイトがかなり前より注目されている。というのも、これまでの小説家デビューや漫画家のデビューは出版社への持ち込みよりも、大部分が何らかの賞を勝ち取るところからスタートしてきた。ところが、このサイトで人気になった作品が出版化やアニメ化されるようなケースが増えていると言うことがある。
 作品発表の多様化が進んでいるというのは、既存の流通システムが変化していく過程を見ているようで興味深く、ネットの活用という意味でも面白い。ただ、それでも最終的に小説作品をネット上で直接収入に結びつける仕組みはまだ出来ておらず、出版という既存の流れに乗せるための品評会の場所となっているというのが現実である。
 なぜ、ネットでの発表が増えているのだろうかという点に関しては、これまでの出版社の常識では適さないと考えられていた小説が、ネットという媒体により受け入れられる素地を作り上げられてきたと言うことがあるだろう。特に、いきなりの単行本では設定が難しくついていけないような内容も、ネットでの発信を経てからであれば十分受け入れられるという面が判ったことが大きいのだと思う。

 同じような状況は漫画においても発生しており、いくつかのウエブ作品が単行本として出版社より発刊されるケースも増えてきている。例えば、「ワンパンマン(http://galaxyheavyblow.web.fc2.com/)」という漫画もネットで細々と書かれていたものが人気を呼び、単行本化されている(連載・単行本化に際して別の漫画家の手に依っている)。
 漫画の世界も持ちこみから発信へのシフトチェンジが進みつつあるのであろう。どちらにしてもネット上のプラットフォームが整備されたからこそであるのは間違いないが、デビューを夢見ている者たちからすれば険しかった道が多少なりとも軽減されたように見える。

 確かに入り口部分のみを見れば、間違いなく出版にこぎつけることは容易になったと言えるであろう。電子書籍がますます普及してくれば、コストを掛けずとも出版が可能になるため敷居はますます下がってくると考えられる。
 しかし、こうした創作者になぜ人がなりたがるかということはなかなか難しい。有名になれば一攫千金というのはアメリカンドリームのように非常にわかりやすい構図であるが、世の中そんなに甘くはない。筍のように出版され続けるライトノベルの印税はと言えば、これが非常に少ないものであることは既に多くの人が知っているであろう。
 印税に関して言えば、概ね8〜12%程度になっているとされる。新人の時には低く著名になれば高くなるとされるが、これは出版リスクを考えた場合には当然である。一定の売り上げが予想できる人の方が報酬は高くなるのは当り前であろう。
 小説や漫画の中身で判断したいところではあるが、売り上げが必ず内容と一致しないのが世の常である。一定のレベルまでは相関関係があるだろうが、ベストセラーとなるような小説が常に良い小説や漫画とは限らない。その上で、出版社はできる限り一攫千金であるベストセラー(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%82%B9%E3%83%88%E3%82%BB%E3%83%A9%E3%83%BC%E6%9C%AC%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7)を狙おうとする。もちろん作者も心の中ではそれを望むものが大部分であろう(http://n-knuckles.com/serialization/kusaka/news001084.html)。

 先ほどの印税の話であるが、現在発刊されている多くの小説は発行部数が5000部〜10000部程度とされる。人気を得たものは10万部を超える売り上げに至るものもあるが、それはごく一部といるだろう。1万部がコンスタントに売れるのであれば連載を継続できると考えて良い。新書版なら1冊あたり1500〜2000円であろうが、文庫版であれば500〜800円程度が一般的として、文庫版を5000部売った場合の印税はと言えば800円/冊と仮定して、
  800円×5000冊×0.1(印税率)=40万円
にしかならない。仮に1万冊の売り上げとなっても80万円である。逆に言えばヒット作として10万部売り上げれば800万円であり、大ヒット作として100万部売れれば8000万円となる。100万部というのは日本人の100人に一人が買っている計算となるのでとんでもない売上であることは言うまでもない(http://www7.atwiki.jp/2ch_ranobe/pages/65.html)。

 さて、1冊あたり1万部の売り上げを誇っても80万円にしかならないとすれば、それなりの生活(例えば年収600万円)を維持しようとすれば同様の売り上げの本を年間7〜8冊出版しなければならない。シリーズ物が増える理由は一つ当たった作品の余禄を最大限に吸い尽くす方法であるが、その典型が現在行われているメディアミックス(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9)戦略と言えるだろう。
 多筆な人であれば月に1冊という発行を続けられる人もいるが、ギャグ漫画家が苦しむようにどんどんと新しいアイデアを湧きあがらせられるのは容易なことではない。3か月に1冊を書きあがれられば標準よりはかなり良いペースではないかと私は思う。すなわち、1万冊をコンスタントに売り上げたとしても年間4冊であれば300万円程度の収入しかないことになる(文庫での発行のケース)。これでは、とても家族を養うことなどできやしない。多くの人は昼間別の仕事をしながら小説を書いているという形を取らざるを得ない。
 そして、売り上げは作品の質により決まるわけだから売れなくなれば即出版されなくなる。要するに、職業としては大変なギャンブルであるということだ。どんな職業であっても花形スターと下働きはいるものではあるが、苦労しても高い収入が得られるとは限らないというかむしろ高い収入を得られる方が稀である。

 でも、小説や漫画にチャレンジしようという多くの人たちはそのことを知った上で挑戦する。それは何故なのだろうかと考えた時、行き着くのは自分らしさを・自分の価値を発揮できる可能性があるからではないかと考えた。何を甘っちょろい若者の戯言のようなことを言っているかと訝しむかもしれないが、私としては至極真面目にそう考える。
 現代社会で人の居場所がコンピューターや機械に取って代わられつつあることについては何度か書いてきた。産業革命以降、技術の進歩はジャンルの拡大をもって人の働く場所を広げてきたから、多くの人は糧を得るための場所を確保することができた。
 しかし、現在更なる進歩はこうした場所からも人を追い出しつつある。残されたのは、創作というオアシスである。既に音楽のジャンルではAIが新たな強を作り上げ始めているらしいが、少なくとも小説や漫画の世界ではその波は訪れていない。

 もちろん、教師や裁判官などまだまだ機械やコンピュータに取って代わられないであろう分野もあるかもしれないが、私たちは働く場所を失いつつあるのは間違いない。グローバル化と併せて単純労働の単価は紆余曲折を経ながらも下がっていくのは多くの人が予想しているであろう。
 だから、小説や漫画に限らずあらゆる芸術やデザインのジャンルで、創作者足らんと考える人は今後も増え続けるのではないかと私は思う。これは儲かるか儲からないかの話ではなく、自分の愛でんでぃてぃを守る行為ではないかと思うのだ。無論、生きていくためには兼業という形を取るであろうが、創作者の余剰は今後も広がっていくであろう。