仙花紙のヤミ商売で大儲けした山家亨

 『佐々木健児』(昭和57年4月、非売品、佐々木健追想録刊行会)をぱらぱらめくってゐたら、山家亨少尉が出てきた。佐野氏が参考文献で挙げるだけに、里見甫以外にいろんな人が出てくる。里見は集合写真で見ると普通のをぢいさんにしか見えない。
 前半は佐々木の口述筆記。山家は川島芳子との仲が噂になるほどだったが、上司に反対されてゐた。結局結婚したのは、邦字新聞、北京新聞の野田営業部長の娘。色黒なので黒姑娘(ヘイクーニャン)と呼ばれた。
 山家は「眉目秀麗で丸顔のかわいい青年将校」だが、実は北京軍報道付で対敵謀略宣伝を担当してゐた。佐々木は山家から、もう川島芳子とは関係ないと証言してくれと頼まれたりしてゐる。
 中国語がうまかった。阿片に親しんだ。佐々木は、喘息を抑へるために始めたのではないかと推測するが、立派なモルヒネ中毒だった。

 戦後、静岡で製紙会社をやってゐる親類から仙花紙(本文では仙貨紙)を融通してもらひ、紙不足の折柄大変儲けた。ところが次第に駄目になった。
 著者が見たのは、山梨の炭焼き小屋の白骨が、山家夫妻のものだとわかったといふ新聞記事だった。夫人は黒姑娘とは別人で、ヤミ時代に再婚。心中だったといふ。

 この発行元の刊行会、実際は新聞ダイジェストの社内に設けられた。同社は佐々木肝煎りの切り抜き雑誌の会社。湯島にあった朝日紙業の2階を10万円で借りた。一回経営が危なくなったけれども、佐々木の斡旋で他会社の名義を引き受けて続刊できた。それで新聞切り抜き会社が佐々木の伝記を刊行したといふ次第。