愛の続き (新潮文庫)(イアン・マキューアン)★★★★★

愛の続き (新潮文庫)

愛の続き (新潮文庫)

こないだ読んだ『アムステルダム』がすごく良かったので、早速他の作品にも手を伸ばしてみました。いやーこの作家は素晴らしいね。これから未読本を読むのが楽しみ!
それにしてもこの文庫版のカバー写真、最高だなぁ。真っ青な空に浮かぶ真っ赤な気球……からぶら下がる一人の男。一見底抜けに明るいこの写真が、実は物堅いの冒頭で細微にわたり語られる、悪夢のスタート地点であるのだ。読み終えてこの写真を改めて見ると、ぞくりとしてしまう。
科学ジャーナリストであるジョーは恋人との久々のデートを兼ねたピクニックで、気球の事故に遭遇する。パニックに陥った少年一人を乗せた気球が飛び立とうとしていたのだ。ジョーはじめまわりにいた男たちは必死で気球を止めようとするが上手く行かず、一人また一人と気球から手を離し、最後までロープにしがみついた男とともに気球は上昇した。そしてしばらくして男は落下し、死亡する。
その事件のショックから抜けきれない夜、ジョーは奇妙な電話を受ける。それは同じく現場で気球を止めようとした男・パリーからのもので、「あなたはぼくを愛してる」と。その日以降、ジョーはパリーからの執拗な待ち伏せや手紙攻撃に悩まされるが、恋人であるクラリッサも警察もジョーの正気を疑い……。
この物語全体に行き渡る緊張感、たまりません! この語り部は、信頼出来るのか信頼出来ないのか? 読みながらそこが時折ぐらつくが、9割くらいはこの語り部を信じて読めるのだ。でももしかしたら……という不安も拭えない。物語自体のスリリングさもたまらないのに、読んでるこちらの足場もがけっぷち。面白くないわけがございません。
さらに、それぞれの視点におけるリアリティーも相当なもの。科学が基本にあるジョーと、神を否定する科学を憎むパリー、科学を十分に理解しながらも<愛>を解明するのは無理だと主張するクラリッサ。この物語は単純に見れば異常なストーカーの起こした犯罪だが、物語をさらにややこしく、さらに悲劇的にしてしまったのは、この考え方の違いにそれぞれが固執していたからに他ならない。
この人の作品は本当に読みやすいので、読んでる時はぐいぐい読めるのだが、読み終えてまたこの物語について考えたりぱらぱら読み返したりすると、この物語の奥深さ、繊細さに驚かされる。出会えて良かったと思える作家です。今年も新潮社から新刊が出るようなので、それまでにせめて『贖罪』は読んでおきたい。

夜をゆく飛行機(角田光代)★★★★★

夜をゆく飛行機

夜をゆく飛行機

長編は……え?もしかして『対岸の彼女』以来ですか? 一応アマゾンとブログをじっくり検討したうえ、そうかも知れないと確信し始めたところ、ちゃんとこの本の帯に書いてありましたよ「直木賞受賞後初の長編」と!! 「対岸の彼女」が発売されたのが2004年の11月だから、長編は1年半ぶりというわけですね。短編集やらアンソロジーやらエッセイがぼんぼん出るんであまり意識しなかったのだけど、けっこう久しぶりな長編なのであります。
で、これは声を大にして言いたい。買いです。
主人公は酒屋の四女で高校生の里々子。長女はすでに結婚して家を出た有子、次女は引きこもりがちな寿子、三女は物干し台をルーフバルコニーと呼び読者モデルに憧れる素子、そして学歴にコンプレックスを抱く父親と母親。変わることのないと思われた家族の変容がじっくりと描かれる。
ここで描かれるのは、<家族>の変化である。時を経るにつれ<家族>が変化していくことを、わかっていても認めたくない、心の中にある<家族>のままであってほしいと、実は誰もが思っていると思う。成長した子供である自分自身が壊していることを認識しながら、<家族>の変化をすでに知っている親よりもずっと、変化してほしくないと願う、その丁寧に描かれた気持が切ない。
長編としては前作の『対岸の彼女』とは比べ物にならないくらい、上手い。家族を赤裸々に描くことによって小説家としてデビューした寿子、その作品によって揺れる家族、そして不変と信じていた家族の変化を、多感な末娘の視点で描く。『対岸の彼女』以降の短編集も冴え渡っていたが、長編で読めばその成長ぶりがどれだけのものか、読んだ人にはわかってもらえると思う。

 そうしてそのとき、私の目の前で、スクリーンに映し出されたみたいに鮮やかな光景がくるくるとまわりだした。にぎやかな朝の洗面所、有子の駆け落ちとその後の静けさ、テレビの音とおかずの並んだ食卓、埃をかぶった日本酒と母と客が笑う声。そうか、と私はひそかに納得した。そうか寿子は、小説家になりたかったんじゃなくて谷島家の時間を止めてみたかったんだ。だれも年齢を重ねていかないアニメ番組だ。チャンネルを会わせればいつでもそこで滑稽な事件が起こり、時間内にそれは解決し、来週もまたおんなじことが起きる。そこではだれも出ていかずだれもいなくならない。私も恋を知らず、素子は長いあいだかけて素顔メイクをし、有子は白いウェディングドレスでほほえむ。私たちのすることは全部、はじめたときから終わっている。有子はそう言ったけれど、その反対のことをこそ寿子はやりたかったのだ。はじまりもない終りもない永遠の繰り返し。

これは、現時点で角田光代の最高傑作と言いたいです。というか、今の文学界で、これほど脂ののった作家はいないと思う。もうホントに、この作品に関しては「読んでほしい!」というしかないです。損はさせません。とにかく、角田光代好きな人も好きじゃない人にも読んでほしい作品。小説のレベルとしては、確実に今年の国内小説ベスト10に入る出来ですから! 保証します。