猫を償うに猫をもってせよ

2017-03-31 新刊です このエントリーを含むブックマーク

芥川賞の偏差値

芥川賞の偏差値

訂正:52、53p「ゴーゴリ」→「ゴーリキー」

77p 「モデルはなく」→「モデルは小谷正一で」

100p「かがみがはら」→「かかみがはら」

156p「選評に文句を言った」→「選評で」

2017-02-22 大草原の小さな家 このエントリーを含むブックマーク

 昔観て気になっていた「大草原の小さな家」の後期エピソードを観た。第8シーズンの「愛の花束」(Wiser Heart)で、日本では1981年11月2日放送だから、私が予備校に通っていた浪人時代である。なおその日の夜は、千住真理子主演の「星の牧場」全編が放送されていて、千住真理子がすごくかわいかった。

 さて「愛の花束」では、ローラはアルマンゾ・ワイルダーと結婚していて、町の先生をしている。夏休みになり、アルマンゾの姉で独身のイライザ・ジェーンから、アリゾナの大学で夏季セミナーがあり、ラルフ・ワルドー・エマソン(1803-82)も来るというので来ないかと誘われ、喜んで汽車に乗る。

 しかし、ローラ・インガルス・ワイルダーは1867年生まれなので、エマソンが死んだ時にはまだ15歳、結婚したのは1885年なので、これはありえないのだ。

 さて汽車の中でローラは、少しはげた小太りの男モーティマー(パトリック・コリンズ)と隣り合わせになる。モートは教師をしていたが、言いたいことを言う性格のためクビになり、大学の夏季セミナーに出て教授に推薦状を書いてもらって次の仕事を探そうとしている。見た目はさえないが知的な男だ。

 出迎えたイライザ・ジェーンはいかにもなハイミスで眼鏡をかけている。さて教授(ジョー・ランビー、Joe Lambie)はイケメンで、イライザは一目で恋に落ち、ローラに頼んで食事に誘ってもらう。食事にはモートも加わるgが、モートはどういうわけかイライザが気に入ったようだ。ところがイライザは教授に熱をあげ、しかし教授はローラが気に入って、授業のあとでローラを残して誘惑するが、実は妻帯者。手を握られたローラははねつけて、イライザに、あれは悪い男だと伝えようとするのだが、イライザは話を全部聞かずに怒ってしまう。このあたりの脚本のご都合主義が、「後記大草原」である。

 ローラはカネがないので皿洗いの仕事をして、そこでも苦労するが、教授はローラに冷たい。教授は、エマソンは友人だと言っていたが、三週目に入って現れたエマソン(ジョージ・O・ペトリhttps://en.wikipedia.org/wiki/George_O._Petrie)は教授に「君の名前は何だっけ」と言って顔をつぶす。

 さて最終試験でローラは落とされ、立ち上がってローラが抗議し、モートも立って、いま読んだけれどこれは立派な答案だと言う。そこで教授が「私はエール大学で学んだ」と言うとモートは「ああ、それじゃ。僕はハーヴァードだ」と言い、教授が「私はオックスフォードでも学んだ」と言うとモートは「僕はケンブリッジだ」と言う。教授が「討論部のキャプテンを二年務めた」と言うとモートは「文藝誌の編集長を三年」と言って、「どうもこっちの方が分がいいみたいだ」と言う。

 当時私は、アメリカ人もエールだハーヴァードだと言うのか、と驚いたものだが、まあそれくらいのことはあろう。で教授は、外へ出て男同士の決着をつけようと言い、学生たちが喜んで外へ出るが、モートはボクシングもやっていたらしく、一発で教授をのしてしまう。まあちょっとした「水戸黄門」である。

 だが、これで推薦状が貰えなくなったモートに、誤解を解き教授の正体を知ったイライザが、ミネアポリスの私が働いている学校へ来ないかと言い、モートは喜んで行くことにする。

 ところがその後、イライザとモートはローラを残して汽車に乗り込み、ローラは別の汽車でウォールナットグローブへ帰る。なんでアリゾナからミネアポリスとウォールナットグローブ(ミネソタ)へ帰るのに別の汽車に乗るのだ。このへんがもうめちゃくちゃなのである。

2017-02-21 凍雲篩雪 このエントリーを含むブックマーク

「学問」と「思想」

          

一、私の実家は埼玉県越谷市にあって、七歳の時から住んでいた。今は両親とも死んで空き家だが、私の本などが多量に置いてあるから処分できずにいる。越谷図書館は私が越してきた頃にはなかったが、大学二年生になった時に完成し、以後はよく利用した。その二階に「野口冨士男文庫」が設けられている。野口は戦時中越谷に疎開し、戦後も二年ほど住んでいたからである。埼玉県には、土地が誇る文豪がいない。実家からその図書館へ行き、時には二階で調べものもしたが、当時は野口冨士男に特に興味はなかった。私が野口に関心を持ったのは、『徳田秋聲伝』を読んでからである。

 その野口の息子である平井一麥の『六十一歳の大学生、父野口冨士男の遺した一万枚の日記に挑む』(文春新書、二〇〇八)を読んだら、野口冨士男伝にもなっていて面白かった。だが、平井はこの一万枚という日記をワープロに打ち込んだというが、現在はその一部『越ケ谷日記』が、越谷図書館から刊行されているだけである。

 そこで言及されていた、一九七九年の野口の小説「散るを別れと」を読んでみた。これは同題の短編集(河出書房新社、一九八〇)に入っていて、これは伝記小説を三篇入れたもので、ほかは荷風関連で井上唖々、また小泉節子を扱ったものに対し、表題作は斎藤緑雨を扱っている。ここでは野口自身と思しい人物が、白山の緑雨の墓へ行くところから始まるのだが、はじめは生沼という男と一緒だったのが、原稿を依頼してきた文藝誌の編集者から、大学の同期で、卒論に緑雨を書いたという本間頼子という二十九歳くらいであろう女性を紹介される。主人公はその女性に、河盛好蔵の『回想の本棚』(一九七六)を示して、そこに「緑雨のアフォリズム」という文章がある、と言う。そのあと、本間頼子は、松本清張に「正太夫の舌」という緑雨を扱った伝記短編があるということを野口に教え、野口はそれを知らなかったので慌てるが、ここで普通なら野口自身が、その短編の入った『文豪』(一九七五)を自ら手に入れるところだが、なぜか頼子が、その本を貸すというので、野口がはっとする。そして野口と頼子は二度ほど二人で会って、その本の受け渡しをし、最後は二人で、緑雨の郷里である伊勢の神戸へ旅立つことになるのだが、「彼女と自分とのあいだにはほぼ四十歳という年齢差があることは、私にとって一種の救いであると同時に、冷え冷えとした感触をともなう深い悲しみであった」と終わっている。

 野口は私小説作家だから、これも事実そのものかと思ったが、どうもこの本間頼子が浮いている。これはこしらえものではないかと思い、徳田秋聲研究家の亀井麻美さんに訊いてみたら、ここで最初に出てくる河盛の『回想の本棚』に、清張の「正太夫の舌」は冒頭から紹介されている、それを本間頼子に最初に話しているのに、野口が「正太夫の舌」を知らないというのはおかしいので、これは本間頼子は作りものだろう、という鮮やかな解明をしてくれた。そうなると、野口の小説作りが失敗していることになる。

 だが、作りごとだとしても、九段下にある歴史書を出す出版社の編集者で美人だというこの女性にはモデルがあるのではないか、そう思ったのだが、平井氏によると、架空の人物だという。

二、先ごろ、高齢運転者が起こした事故で若い女性が命を失い、友人らが高齢運転者の免許更新についての制度改革を訴える署名を募っていたので、私も署名した。

 私も十月に、高齢自転車と事故を起こしている。図書館へ行く途中、前を走っている自転車を追い抜こうとして、左側から当たられて、当人が転倒して額をハンドルにぶつけて血を流していたから、救急車を呼んだら警察も来て、事情聴取を受け、書類送検されたらしい。聞いたら相手は九十歳で、右折しようとしていたというが、私はチリチリとベルを鳴らしていたのに全然聴こえなかったようである。ところが警察では、あちらが怪我したからか、私にも落ち度があるという方向へ持って行きたいらしく、「まあ左側通行を守っていなかったわけで」と言うから、「それはおじいさんが真ん中走っていたからですよ。左から追い抜けってんですか」「いや」「追いぬいちゃいけないんですか」「いや」。というわけで、四つ角だったから私が前方不注意だということで調書をとられたが、夕方で暗くなってくるし、私も早く帰りたかったからこれで認めたが、こうやって冤罪は作られるのだなと思ったことであった。しかし、九十歳で耳も聴こえないのに自転車を運転しないでほしい。

 それにしても、自転車で右側を走ってくる(つまり左側を走っている私とそのままだと衝突する)人の多いのには参る。女が多いが、男でもいる。私は、視力の矯正が効かず、運転免許を失効したが、前は持っていたから、自転車でも、曲がる時、また進路を変える時は、体をぐるりとひねるほどにして前後を確認するが、そんな自転車乗りはめったにいない。歩行者でも、歩きスマホなどは論外ながら、普通に歩いていても、周囲に対する注意がむやみと足りない。もう自転車は免許制にして、都市部では歩き方についても講習を設けるべきではないかとすら思う。

三、大学院の後輩だった松居竜五の博士論文『南方熊楠 複眼の学問構想』(慶應義塾大学出版会)が送られてきた。松居の最初の本は修士論文をもとにした『南方熊楠 一切智の夢』(朝日選書)で、これで小泉八雲賞奨励賞をとったから、当時は嫉妬したものだ。当人はこれから二冊書いて三部作にすると言っていたが、文献整理や英文論文の翻訳などで、二十六年かけて二冊目を出したことになる。

 私は民俗学には冷淡なのだが、それは民俗学が民俗学者学になっているからだ、と言っている。さて当該書の最初のほうを読んでいくと、「熊楠の学問」「熊楠の思想」という語が出てくるが、いったいこの「思想」と「学問」はどういう関係にあるのか。「思想」という語はやや日本独特のものである。ニーチェは文献学者だったが、それを捨てて「思想」家になり、マルクスは剰余価値論などで従来の経済学を批判する「学問」をし、さらに社会主義革命という「思想」を抱いた、というのは分かる。だが時おりこういう「学問」が「思想」だという表現に出くわすが、学問というのは誰にとっても客観的な事実を示すものであって「思想」ではない。『ソシュールの思想』(丸山圭三郎)などの本があるが、ソシュールは言語学者であって思想家ではないか、ないしはその「学問」とされるものが学問ではないかのどちらかである。

 そういう「学問」のとらえ方が「西洋近代」であって、それを超えるものが熊楠の「思想」だと言うかもしれない。だがそういう「思想」は、「近代の超克」や西田幾多郎以来、単なる狂信的政治思想ややオカルトに至ってきたというのが明らかになったのがこの半世紀ではなかったかと思う。

 

2017-02-18 引用は正確に このエントリーを含むブックマーク

http://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/862392/blogkey/1647105/

 なんか微妙に私が書いたのと違っている。ですます体で書くのは特殊な場合だけで・・・。

2017-02-15 かぐや姫の物語 このエントリーを含むブックマーク

小和田雅子の物語(『ユリイカ』2013年12月)

                         小谷野敦

 私は今年五月に『高畑勲の世界』という薄い本を青土社から刊行したけれども、これは、高畑に関する本が日本には一冊もないので、捨石になるつもりで書いたものである。だからこれを見て、こんなものなら自分のほうがいいものが書けると言って誰かが書いてくれたら嬉しいのである。

 その中に、ポール・グリモーの『やぶにらみの暴君』に触れたところがある。『やぶにらみの暴君』は、フランスのアニメ作家グリモーが、友人のジャック・プレヴェールとともにシナリオを書いて作ったもので、学生時代の高畑を感動させたものだ。だが、グリモーが三年近く時間をかけたために、製作会社のジュモーは業を煮やし、それまで完成した部分だけで編集して上映してしまった。グリモーとプレヴェールはクレジットを拒否し、十数年かけて裁判を行って著作権を取り戻すのみか、世界中で『やぶにらみの暴君』のフィルムを回収して回り、一九七九年に『王と鳥』の題で再上映した。だが、『王と鳥』を観た高畑は失望し、だがグリモーの思想を探り『王と鳥』を救い出すために、日本では既にビデオが出ていたが劇場上映し、『漫画映画(アニメーション)の志‐『やぶにらみの暴君』と『王と鳥』』(岩波書店、二〇〇七)を刊行している。

 『やぶにらみの暴君』のオリジナル版は、もう観られない、とされていたし、私もそう思っていたのだが、『高畑勲の世界』を出したあとで、それがユーチューブに上がっていることを知り、驚いて、テレビでは『王と鳥』を流し、パソコンでユーチューブを流しながら比較した。吹き替えは違い、音楽も違う。ラストが大きく違ってはいるが、実際にはほぼ同じものだった。とすると、二十数年の時をへて、アニメーションの技術が発達する中で、高畑はやはり過去に観た作品を過剰に美化していたのだと考えるほかはない。

 『高畑勲の世界』は、取材していないとかいろいろ批判にさらされたが、高畑からは、忙しいというので取材を断られている。それは『かぐや姫の物語』のためだったかもしれないが、あとで聞くと、やはりアポイントをとるのは難しい人のようだ。もっとも私は、取材をして特に新しいことが聞き出せるとは考えていなかった。高畑ほどの人になると、初対面の人に話す程度のことは、既にどこかで言っているに決まっているからだ。

 それにしても、『高畑勲の世界』が不評だったのは、高畑に対して厳しかったせいも当然あるだろう。結局私が名作として認めたのは『赤毛のアン』までで、あとの映画には高い評価を与えられなかったし、紫綬褒章を受章したことも批判しているし、九条護憲派であることも批判した。なお『週刊読書人』に切通理作の書評が出たのが、唯一の長い書評だったが、切通は、『おもひでぽろぽろ』で、最後に現れる子供たちを、私が農村の子供たちと誤認したのを批判している。それは私の誤認なのだが、紫綬褒章受章を批判したのを「思想統制につながる」などとしたのは噴飯ものである。私は小林よしのりの支援ライターである切通に、私の『天皇制批判の常識』(洋泉社、新書y)を読んでくれるよう前から言っていたので、この機会に促したら、『おもひでぽろぽろ』の間違いを口実に、小谷野敦の著作はもう読まないと、卑怯な宣言をされてしまった。場所がネット上なので「ネトウヨ」が切通を支持して騒いだりするため、それ以上の追及は阿呆らしいのでやめておいた。

 宮崎駿の『風立ちぬ』が話題になった夏が過ぎて、秋を通り越したような台風の日々のあと、秋らしい日が続いて、私は『かぐや姫の物語』の試写を観に行ったが、心は重かった。ネット上には、既に観た人の「素晴らしい」などという声も上がっていたが、ステマだらけのご時世に、信じられるわけがない。しかも、喫煙環境がかなり悪化している日比谷近辺は、最近行っていないせいもあり、場所が分からず少し遅れてしまった。

 物語の基本的な筋は、原作通りである。予告編で見せた、現代の女の子がブラインドから外を覗くようなシーンも、意図的なミスリーディングだったようだ。かぐや姫を育てるおじいさんとおばあさんは、『まんが日本昔ばなし』風。時代設定は平安時代前期のはずだが、畳はこれでいいのか。捨丸という少年が現れる。これが原作にはないキャラクターだ。だが、物語はまだ常道を行っている。竹の中から金が出てきて、天から着物が降ってきて、おじいさんは「たけのこ」と呼ばれているかぐや姫を、都へ連れて行き、寝殿造の広大な屋敷に住まわせ、相模という宮廷女房を家庭教師にする。この相模は、ロッテンマイヤーさんのようで、そのままハイジになっていきそうだ。一方、かぐや姫につけられた侍女の少女は、ヒラメちゃんだ。この子がコメディリリーフになっている。

 かぐや姫が、眉を抜きおはぐろをつけるのを嫌がり、相模の言うことを聞かないのも、常道である。名づけをする斎部の秋田も、名前は原作通りだが、顔の描き方が独特で、針すなおの似顔絵のようだ。あとで出てくる貴公子や老貴族にも、その風情がある。

 名づけの祝いの宴で、一室に閉じ込められたかぐや姫は、酔った貴族たちが、竹取の翁、すなわちさぬきのみやつこに、姫を見せろと迫り、悪口を言う。聞いた姫はかっとなり、突如走り出す。これがあの場面である。十二単を脱ぎ捨てて京の街を抜け、川べりを走り、もといた山へ行くが、もう村人たちはいない。姫は炭焼きの老人に会うが、この老人もまたリアリズムの顔をしている。だが、ふと気づくと、かぐや姫は元の部屋にいる。

 引き続き、求婚者たちがやってくる。始めは下層の貴族たちだったが、閣議に向かう貴人たちに、斎部の秋田が、大変な美しさだと話したために、五人が争って駆けつける。そしてかぐや姫から、難題を突き付けられるのだが、原作では、かぐや姫自身が、各々に五つの入手困難なものを申し付けるが、アニメでは五人がそれぞれ、かぐや姫をそれらのものに喩え、かぐや姫が、そう言うなら持ってきてくれと言う。

 この後、五人の貴公子が帰って門前が静かになった隙を突いて、かぐや姫は牛車で外出し、盗賊となって鶏を盗んで逃げる捨丸に遭遇する。牛車の中から、「捨丸の兄ちゃん!」と呼びかけたために、捨丸がかぐや姫を見て呆然としている間に、追手につかまり、散々に殴られてしまう。

 さて五人の貴公子だが、原作でははじめに、仏の御石の鉢を言いつけられた石作の皇子が、入手できなかったと言ってやってきて、代わりに和歌で勘弁してくれと詠みかけるが拒否される。だがアニメでは、石作の皇子は最後に回される。まず車持の皇子が蓬莱の玉の枝の贋造物を持ってきてそれが露見し、ついで阿部の右大臣が火鼠の皮衣を持参して、これが燃えてしまう。龍の顎の珠を採りに行った大伴の大納言が、海上で苦難をへるさまを、ヒラメちゃんの下女の語りによって描写し、その次の四人目の求婚者としてかぐや姫のもとに来るのは石作の皇子である。皇子は、鉢に一輪の花を植えたのをさしだして、姫が本当に欲しいのはこんなものではない、真心であるはずだとかきくどき、私と一緒にここではないどこかへ行きましょう、と説得する。「堅苦しい都など抜け出して共に参りましょう。花咲き乱れ、鳥が歌い、魚が躍る、緑豊かな地へ。ただ己の心のままに笑い、歌い、そして眠りましょう」。老人として描かれていた車持の皇子、太った青年だった阿部の右大臣と違い、石作の皇子は好青年として描かれており、声も上川隆也である。しかもその台詞は、フランクフルトで苦しんでいるハイジに、アルプスへ帰ろうと呼びかけるようではないか。姫は涙さえ流すから、果してどうなるのかと思って観ていると、媼が肩をたたく。

 媼は、寝殿造の屋敷の片隅に、はじめ住んでいた小屋と似た部分をこしらえ、姫と時おりそこで手仕事をしている。全体として、竹取の翁は、姫を殿上人にめあわせ、自分も出世したいと思う役割で、媼はこれに感心せず、山での生活を懐かしむ姫に同情的である。さて、説得が功を奏したとみた石作の皇子は、御簾を上げるのだが、そこには、鬼瓦のような顔の女が座っていた。右脇に媼がいて笑っている。どうやら皇子の北の方らしい。驚いた皇子に北の方は「一輪の野の花のようにあなたに摘まれ、捨てられ、悲しみのあまり髪を下ろして仏門にお入りになった姫君が何人いらっしゃることか」と言う。

 このシークエンスは、原作にはない。その後で石上の中納言の事故死が語られ、いよいよ「ミカド」が登場する。原作『竹取物語』では、かぐや姫は、帝とは相愛の仲になったとする解釈が一般的である。私が初めて原作を読んだのは、角川文庫の、中河與一訳註のものだったが、はっきりと「相愛」と書かれているわけではなく、歌の贈答をして、三年ばかり、互いに心を慰め合った、とあるだけである。だから、のちに本田和子(ますこ)の『少女浮遊』(青土社、一九八六)の「童女昇天」(初出は『現代思想』一九八三年十月)で、はっきりそのことについて書いてあるのを見て驚いた。本田のこの本は、あとがきに上野千鶴子の名が、「中年ひまわり族」の名づけ親として好意的に出てくるのだが、長年謎だったのは、かぐや姫や、「求塚」や『源氏物語』の浮舟を論じて、「拒む性」としつつ、それを「無答責性」と呼んで、どう考えてもそれを批判しているとしか思えない、反フェミニズムの本だったからである。

 それはともあれ、原作では、帝は他の貴公子たちとは違い、いきなりかぐや姫の袖をとらえ、その美貌に目を止め、連れて帰ろうとするが、その時かぐや姫は「きと影になりぬ」姿を消してしまう。『かぐや姫の物語』では、帝は、顎の大きな、当時のやさ男の理想とは違う精悍そうな青年で、いきなりかぐや姫を後ろから抱きすくめる。すると、やはりかぐや姫は姿を消し、帝の呼びかけに応じていったん影のように現れる。

 高畑勲があまり語ろうとしないのが、東映動画時代の『安寿と厨子王丸』事件である。当時、アニメ映画を年一回ほどの割合で作っていた東映動画が、一九六一年、つまり安保騒動の翌年夏に公開した映画で、「山椒太夫」を原作としているが、鴎外のそれはクレジットされておらず、劇作家の田中澄江が「毎日小学生新聞」に連載していた読物が原作になっている。これは本になっていないが、映画は、社長の大川博が、設立十周年として力を入れて作ったものとして、映画冒頭に自ら出演して映画の意義を述べるものだった。だが、東映動画労組はこの作品が、封建道徳を賛美するものだとして製作中から抗議を行った。実際に観てみると、問題は、「帝」の扱いにあったのだろうと思われた。安寿と厨子王の父は、帝の領地で狩りをした豪族を告発してかえって罪に陥れられており、また厨子王が山椒太夫の許から逃げ出す時に隠れた寺では、その住持が、追手に対して、「帝の勅願寺であるぞ」と言って追い返す。さらに厨子王丸が国司となって山椒太夫の奴隷使役を改めさせに出向いた時も、渋る山椒太夫に、帝のご意向であるぞ、と言っている。これらは、説経節にも鴎外にもない。

 それから半世紀をへて、遂に高畑は、この事件に決着をつけようとしている。かぐや姫は、月を見て物思いにふけるようになり、翁と媼に、自分は月の人間で、もうすぐ迎えが来る、と話し始める。だがその理由は、帝に抱きすくめられた時、「もうここにいたくない」と心の中で叫んでしまったからだというのだ。これはもちろん、原作にはない。そしてかぐや姫は、自分は月で罪を犯して地上へやってきたのだ、と言う。原作ではかぐや姫自身は「罪」のことは言っていない。迎えに来た月の天人の王が言うのである。この罪とは何か。多くは、恋愛関係の罪、つまり姦通であろうと解釈している。

 この映画のキャッチコピーは「姫の犯した罪と罰」である。その罪とは何か。かぐや姫は、この地球へ行きたいと思ったことが罪であると語る。その罰として、地上に降ろされたのだという。あっけない。だが、かぐや姫が、地球で山人たちが歌っている歌を知っていたのは、自分より前に、同じように地球へ来た人から聞いたからだという。月へ帰る時に、天の羽衣を着せられると、地球での記憶はすべてなくすが、歌だけは覚えていたのだという。その時、月の都の宮殿の映像に切り替わり、二秒にも満たず、その、かぐや姫より前に地上に降りた女人らしき人が振り向く。

 正田美智子である。少なくとも私はそう見た。そうでないと言えるようにも描かれている。私は戦慄し、そうだったのか、と思い、涙が流れた。

 かぐや姫は、小和田雅子だったのである。その罪は、皇室へ入ってもいいと思ったことだったのである。私はもう十年も前だろうか、心因性の病気に雅子が悩んでいるのに同情して、あれだけ嫌がっていたのに、周囲から説得されてやむなく嫁いだんだろうなあ、と言ったことがある。すると聞いていた女性が、そんなはずはない、耳にピアスの穴あけちゃえばもう行けないんだから、自分が望んで行ったのよ、と言った。

 捨丸が、野で仕事をしている。もう彼には妻も、小さな子供もいる。そこへかぐや姫が来て、捨丸と一緒になれば良かった、といったことを言い、二人は手を取り合って、空を飛ぶ。宮崎駿が手伝ったのではないかと思える場面だ。そしてこれは、『千と千尋の神隠し』で、川の精と千尋が飛ぶ場面の批評的模倣になっているとも言える。川の精は、「ニギハヤミミコトヌシ」と名のって、『古事記』に登場する神のようだし、あの映画自体が、梅原猛的、日文研的な、多神教を礼讃して天皇制を擁護しようとする勢力と結びつくようなところがあった。だが高畑は、帝を拒否して、捨丸と飛ぶ。平民の中の平民、盗みもするような平民の男とともに飛ぶのである。

 『風の谷のナウシカ』を観たのは、そこから有楽町の駅をはさんだ映画館だったが、二十九年前に、そこで流した滂沱たる涙と、別種の涙を私は流していた。高畑さんに裏切られなかったという喜びと感動の涙である。それは多量ではなかったが、私は二度ほど、眼鏡を外して涙を拭った。

 ここで、石作の皇子のシークエンスも解けるのである。「全力で雅子を守ります」と言った皇太子は、嘘をついたわけではない。その人柄は誠実である。だが、その誠実さを押しつぶし、不幸な女性を作ってしまうのが、天皇制というものなのである。

 高畑がどのような経緯で、この仕組みに思い至ったのかは分からないし、語ることはないかもしれない。二代にわたって、皇室へ入った女性の人生を苦悩に満ちたものとし、その病状はマスコミで報道され、二人目にいたっては鬼のような者たちから攻撃すら受ける。それが、皇室へ入りたいと思った罪への罰なのである。

 捨丸と飛んだあとのかぐや姫は、また姿を消す。捨丸を妻が呼ぶ。帝は、武士を集めて、月からの使いを追い返そうとする。大きな雲に乗った月の人たちが、管弦を奏しながら近づいてくるが、この音楽がまた独特でいい。中心に立っているのはブッダではないか。武士たちが射た矢は、途中で花の茎となって下に落ちる。かぐや姫が雲に乗ると、翁と媼が取りすがって、行かないでくれと哀訴する。だが、羽衣を着せられたかぐや姫は、すべてを忘れる。いや、一度だけ振り返る。

 エンディングクレジットは、真っ黒である。誰かがかぐや姫を連れ戻しに来たりはしない。『おもひでぽろぽろ』で犯した過ちは、もう繰り返されない。日本の最古の物語をほぼ忠実にアニメ映画化して、それが天皇制批判になるという高畑の挑戦は、成功したのである。あえて言うが、高畑の作品としては、『赤毛のアン』以来のものである。世間が「ジブリアニメ」などと言いつつ、実際は宮崎アニメにしか興味がないという環境の中で、遂に高畑は戦い抜いて、勝ったのである。