猫を償うに猫をもってせよ

2016-09-15 久しぶりに新刊です このエントリーを含むブックマーク

弁慶役者 七代目幸四郎

弁慶役者 七代目幸四郎

訂正

75p「軌っておいて」→「斬っておいて」

126p「杵屋伊十郎」→「芳村伊十郎」

  「岸沢文字兵衛」→「常磐津文字兵衛」

139p「そははらかを」→「そははらからを」

189p「吉村伊十郎」→「芳村伊十郎」

193p「父は米団治」→「師匠は米団治」

207p「観右衛門」→「勘右衛門」

330p「「道行初音旅」でおかる」→「静」

346p「菊五郎を相手にして半七」→「菊五郎の半七を相手に庄太」

352p「六千回」→「一六〇〇回」

なお本書では、吾妻徳穂は羽左衛門ではなく歌舞伎座社長の大河内輝剛の子だとしているがこれは別に虚構ではなく調査の結果である。 

2016-08-23 凍雲篩雪 このエントリーを含むブックマーク

 門田泰明は、バイオレンス小説の作家として知られるが、若い頃は純文学を目ざし、芥川賞作家の多田裕計に師事していた。門田の出身大学は不明だが、多田の示唆によって、生計のたつ通俗小説に転向したという。『黒豹作家のフットワーク』(光文社文庫)は、門田の若い頃の純文学小説や評論を収めた面白い本である。ところが、仏文学者で文藝評論家の中条省平が、門田の文章を批判している。『小説家になる!2 芥川賞・直木賞だって狙える12章』(メタローグ、二〇〇一)の中でなのだが、何を批判しているかというと、門田の文章が「文学的」だということを批判しているのである。

 今回は、「文学」をしてはいけないということを話します。ここで言う、いわばカッコ付きの「文学」とは、いたずらに抒情的な描写に凝ってみたり、月並みな比喩を使ってみたり、アクションですんなりと書かずに、奇妙な心理描写、不必要な分析的記述で物語を停滞させてみたりする傾向を指します。本当の文学は違います。常に厳しく核心を突かなければいけない。

 そこで引用された文章は、たとえば「どの村々にも、潮風と戯れるようにして、紋白蝶が乱舞している。それは、心優しき島の人々を守ろうとする、神々の使者なのであろうか」(『黒豹ダブルダウン』)

 なるほど中条の言う通りで、中条はここで門田を反面教師にせよと言っている。ただし、これらの著作の中で中条が、他の作家、つまり中条がいくらか遠慮しなければならない純文学作家に対して同じ基準で臨んでいるかは知らない。

 ところが中条は、『群像』二〇一四年十月号の「創作合評」で、吉増剛造、長野まゆみとともに、あの文学的な文章で書かれた小野正嗣の『九年前の祈り』を褒めあげているのである。そういえば先の門田のそれも小野のこれも、九州が舞台である。「僕も、すごくよくできている上質な小説だと思いました」「小野さんの場合は、まったく読みにくさを感じません」などベタ褒めである。しかるに同月の『文學界』の「新人小説月評」で福永信は、「九年前の祈り」から引用して、「その声は発せられるや、一羽の小鳥となって空高く舞い上がった」とあるのを、「致命的に恥ずかしいフレーズ」と呼んでいる。ほかにも、小野の文章は余計な装飾が以前から多い。そして先の中条の言に従わなかったために芥川賞がとれたというわけである。

 三十年の間に中条の文章観が変わったのか、ボケたのか、あるいは通俗作家である門田に対してはずけずけものが言えるが、純文学作家に対しては遠慮してしまって言えないのか、ないしはフランス文学界の俊英でパリ大学で博士号を収めた後輩とか、掲載誌『群像』への配慮であるか、東大表象文化論へのあいさつか、いずれにせよ門田に謝るのが筋ではあるまいか。

 なぜ中条が、いわゆる純文学の名作を用いて小説作法を解説する本で、門田泰明など持ち出したのかと私は疑念を持ったが、それは要するに純文学大家たちに遠慮したからにほかなるまい。装飾的で「文学している」文章など、三島由紀夫はたくさん書いている。だが三島を批判はできないから、門田などわざわざ持ち出してきてけなして見せたのである。こういうのを卑怯と言う。

2016-08-20 このエントリーを含むブックマーク

川端康成詳細年譜

川端康成詳細年譜

訂正

421p 勅使河原蒼風の没年が?になっているが1979年

2016-08-19 このエントリーを含むブックマーク

行方昭夫先生からいただいたモームの『お菓子とビール』を読んでいたら、どうも分からないところがあった。まず第四章、ドリッフィールドという、ハーディがモデルだという作家の伝記を書いてほしいと未亡人から言われた語り手のアシェンデンは「数年前に短い手紙なら貰っているだろうが、当時は無名作家だったのだから」とっていないと言う。しかしアシェンデンは15歳の頃に、30歳くらいでまだ無名だったドリッフィールドを知っていたのである。上田勤訳を見ると「なんでも遠い昔のこと、五、六通は、それもごく簡単な手紙をもらった憶えはあるが、そのじぶんの彼は名もない三文文士で」となっていて、これで正しい。

 あと第11章、ドリッフィールドの発言として、「ヘンリー・ジェイムズがアメリカ合衆国の前進という世界史上の大事件に背を向け、イギリスの田園の豪邸でのお茶の席でのつまらぬ会話を伝えた」とある。アメリカ合衆国の前進? 上田訳では「ヘンリ・ジェイムズは英国の田舎の別荘の茶会の愚にもつかない雑談を書くために、アメリカの勃興という世界史上の大事件を捨てて顧みなかった」となっていて、これなら意味が分かる。

 あと第16章で分かりにくいのが、語り手が、一人称で書いてきたことを悔い、イヴリン・ウォーによれば一人称で小説を書いてはいけないそうだ、として、エドウィン・ミュアやE・M・フォースターの小説論を読んでも分からなかったと言い、「デフォー、スターン、サッカレー、ディケンズ、エミリ・ブロンテ、プルーストなど、当時は有名だったが今では間違いなく忘れられた作家が一人称で書いたのは・・・」と来る。つまりこれはウォーへの皮肉で、それなら一人称で書いたこれらの作家は今ではその技術的稚拙さのゆえに忘れられているでしょうね、ということなのである。しかしこれは訳注をつけておかないと読者が分からないだろう。


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