猫を償うに猫をもってせよ

2018-10-01 新刊(文庫化)です このエントリーを含むブックマーク

2018-08-01 新刊です このエントリーを含むブックマーク

東十条の女

東十条の女

2018-06-30 新刊です このエントリーを含むブックマーク

忘れられたベストセラー作家

忘れられたベストセラー作家

訂正

41p 「惨風悲話」→「悲雨」

63p「こうおうしょうわ」→「しょうろ」

72p「『良人の自白』は岩波文庫にも入らず」→「昔入ったが最近は復刊もせず」

156p「釧路で漁業を」→「根室で居酒屋の皿洗い」

188p「マカロニほうれん草』→「マカロニほうれん荘」

索引・綿谷りさ→綿矢りさ

2018-05-21 凍雲篩雪 このエントリーを含むブックマーク

凍雲篩雪(74) 紀行というもの

一、太宰治の『津軽』は、昭和十九年に「新風土記叢書」の一つとして小山書店から刊行された書下ろしである。戦時中のことだから、日本の国土礼賛という名目で出たもので、佐藤春夫の『熊野路』、宇野浩二の『大阪』、中村地平の『日向』など八編が刊行された。

 戦後も太宰の人気ゆえに『津軽』だけは新潮文庫などに入って今日まで読み継がれている。私が高校一年の時、これの一部が「現代国語」の教科書に載っており、そのため、全編を読んで感想文を書くという宿題が出た。私は当時太宰を耽読していたのだが、『津軽』は太宰らしい作品とは言えない。それで難儀して、出来がいいとは言えない感想文を書いた。

 「読売文学賞」は、どういうわけか毎年私に推薦用紙を送ってくるので、律儀に出し続けてはいるが、私が推薦して受賞した例はないに等しい。いっぺんだけ、それこそ選挙で投票しても当選しない人に投票するのが嫌で当選しそうな人に投票するみたいな気持ちで、受賞しそうなものを書いておいたら受賞したことがあっただけだ。

 読売文学賞は、部門があって、小説、戯曲、詩歌、研究・翻訳などがあるのだが、「随筆・紀行」部門というのがあって、一九六九年に設けられた。これまで紀行で受賞したのは、白洲正子『かくれ里』、瓜生卓造『檜原村紀聞』武田百合子『犬が星見た―ロシア旅行』田中澄江『花の百名山』などで、最近では海外紀行が多い。この「随筆・紀行部門」の「紀行」の字を目にするたびに、別に『津軽』のことを思いだすわけではないが、私は少し憂鬱になる。紀行というのが苦手なのである。

 高校の日本語(文学)教育では、日本における紀行文の伝統などが教えられる。『土佐日記』『更級日記』『十六夜日記』『東関紀行』から『奥の細道』などで、近代になっても、田山花袋の紀行文とか、イザベラ・バードなど外国人の日本紀行がある。別に紀行が日本独特というわけではなく、ロレンス・スターンの『センチメンタル・ジャーニイ』やゲーテの『イタリア紀行』といったものがある。

 私は文学者の伝記を書いているが、紀行文は伝記資料にもなる。実際私が伝記を書いた作家には、むやみと移動する人がいる。谷崎潤一郎、川端康成がそうだし、川端などは小説の発想を得るために旅をする。近松秋江もやたらと京阪に往来し、多くの紀行文を書いている。しかし秋江の紀行文は、美文ではあるが面白くない。泉鏡花の珍しい紀行文も、日記のない鏡花の伝記資料になる。

 司馬遼太郎は、歴史小説のほかに『街道をゆく』という歴史紀行めいたものを延々と連載していて、何ともエネルギッシュなのに驚くが、私はほとんど読んでいない。しかし人気はあるようだ。テレビでも紀行番組というのは根強い人気があるが、これは文章でその場を描写するのではなく、映像で見せる。

 私はまず、自然描写というものに興味がないが、これは正宗白鳥も同じだったようだ。旅行というのも、父親譲りで出不精である。一時期、大阪と関東を往復したことがあり、その前後わりあい遠出が好きだったこともあったが、何しろ至るところ禁煙になり、新幹線のプラットフォームまで最近は禁煙らしいので、遠出する気を失った。飛行機は乗り物恐怖症になってからもう二十四年乗っていない。十六年前に一回だけ金沢から帰るのに乗ったのは例外である。

 紀行文というのは、私には何やら高校教育的なものを連想させるし、概して上品なものだと思われている。もちろん中にはその土地特有の醜い面や珍奇な面を教えてくれる紀行もないではないが、おおよそはきれいごとである。「全国遊廓紀行」などというのは、文学賞をとったりしないのである。雄琴のソープランド街をルポした広岡敬一の本などはとらないのである。私は「紀行」というものが評価される際の、その上品面が嫌である。

 今ではグーグル・ストリートビューで、世界中のあちこちの場所の映像を見ることができるから、紀行文というものも自ずと変質していかざるをえないだろう。ストビューでは分からないことを教えてくれる紀行文であってほしい。

二、武田百合子は『富士日記』で名前をあげたが、『犬が星見た』はさほど面白くなかった。その百合子の祖父が、殺された鈴木弁蔵であることは、武田泰淳研究で話題になるが、鈴弁殺しの山田憲(あきら)の妻のことは、当時話題になったわりに忘れられている。山田は当時三十歳、東大農学部卒の農商務省技師で、米の買い占めで巨万の富をもつ鈴弁に外米取扱の件で贈賄をさせようとし、大正八年五月三十一日会って話しているうち、話が違うというので口論になって殺したのである。これは贈賄事件でもあり、当初外米疑獄事件とされたが、山田の妻・津艤子(つぎこ、当時二十四歳)は静岡の漆間民夫の次女で、姉・梅子は当時知られた通信技師・工学博士・鳥潟右一(一八八三ー一九二三)の夫人だった(木下宗一『日本百年の記録』)。

 鈴弁殺しのあとの六月七日、山田は旧知の警視庁方面監察官・正力松太郎を訪れて自白し、正力はいったん山田を帰し、翌日山田は逮捕されて、十二月二日、死刑が宣告された。ところがこのあと、津艤子が女児を出産し、大正九年三月、漆間民夫は東京拘置所へ山田を訪ねて女児を山田家へ入籍させ、実際は漆間家で引き取った。大正十年、山田は処刑された。

 当時「鳥潟博士事件」とも言われており、菊池寛の『結婚街道』は、二人の若い娘の恋愛を描いたもので、別に殺人が出てくるわけではないが、この事件をモデルにしたのではないかと近松秋江が書いていたので、メモしておく次第である。

三、『東京人』一月号に、歌舞伎学者の武井協三と酒井順子の対談「歌舞伎は嫌い?! だけど、面白い。 」が載っているのをのぞいてみた。武井は、歌舞伎研究者だが歌舞伎嫌いを公言していると言っており、私も最近歌舞伎が嫌いになってきているからである。ところが武井は「昨今は現代劇の役者が歌舞伎の世界に入って、大きな名前を襲名したり主役を張ったたりしますが、相撲取りがいきなりサッカー選手になるようなもので『それはあきまへんで』と私は思う」などと言う。「昨今は」と言うと複数いるようだが、そんなのは香川照之ー市川中車しかいないのだから、こういう言い方は陰湿である。その上、「酒井さんは『女を観る歌舞伎』で、歌舞伎には『一族が連綿として続いていく』ことを見る喜びがあるとお書きになって、皇室を例に出しています。それを読んで『わが意を得たり』という感じでした」などと言っている。

 私が歌舞伎が嫌になったのはその門閥制度にもあるので、しかもそんなものは明治以降のものでしかない。團十郎と菊五郎は徳川期から何とか続いているが、幸四郎とか猿之助が世襲になったのは明治以降だ。しかも天皇制まで是認していて、こういう前近代的意識の持ち主がなんで歌舞伎が嫌いだったりするのか、げんなりしたものであった。

2018-05-20 新刊です このエントリーを含むブックマーク