猫を償うに猫をもってせよ

2012-09-01 新刊です このエントリーを含むブックマーク

訂正:109p「長唄、清元なども浄瑠璃だが」長唄は違いました。勉強し直して出直して参ります。

13p「朝日芸能」→「松竹芸能」…『アサヒ芸能』は週刊誌だ。

 17p「醒酔笑」→「醒睡笑」…一発変換で「醒酔笑」が出る。なぜだ。

 22p「花見の仇討」は『八笑人』のほう。

 33p「壺坂」について「元ネタの講談は」→「元ネタの伝説は」。なんで間違えたかというと「佐野次郎左衛門」と混同したんですね。

(63p「どんつくどんつく」では日蓮宗の団扇太鼓だ、と延広先生のご意見)

 67p「鰍沢」は河竹黙阿弥作であること小島(おじま)佐江子氏論文にて指摘ありと延広先生より。確認します。

102p、「林家木久翁」→「木久扇

 103p、米朝米団治の息子ではなく弟子。これは私も届いたのを見て変だなあと思った。

 107p、(モーツァルト交響曲)二十四番→二十五番 

 118p、「しゅごしょうでんはらいそ〜」は文化三年初演台本にある由。鵜飼伴子氏著書でのち確認します。

 127p「岸和田」は「きしのわだ」であると延広先生。しかしこれは確認できず。口演でもむろん「きしわだ」と言っている。これhttp://proto.harisen.jp/hito1/kisiwada.htmlは違うようだ。

140p「井戸替えの夢」→「引越しの夢」

142p 「盆が盆石」→「盆画盆石」 お恥ずかしい。

160p 「本朝廿四孝」のルビは「にじゅうしこう」

172p 「雑排」→「雑俳」

 182p「三作の三所紋」→「三所物」

 183p「黄檗山」はシナではなく宇治のではないかと。そうかもしれん。

  

2012-07-01 新刊です このエントリーを含むブックマーク

訂正

216頁下段 「一回の博労」→「一介の〜」

224頁下段 「機種流離譚の形を」→「貴種流離譚〜」

231p「呼んでいるひまに」→「読んでいる」 

2012-06-04 資料を捨てるわけにいかないわけ このエントリーを含むブックマーク

 文庫版になった由良君美先生の『みみずく偏書記』を図書館で借りてちら見したら、友人が、本や論文を書くのに、古本屋へ行って関係ありそうな本をどさどさ買い込み、書き終わるとどさっと捨ててしまうとあった。大笹吉雄先生も、『日本現代演劇史』は、書いたあとは資料を捨ててしまうと言っておられた。

 だが私はそうもいかないのだ。実際、捨てるとまで行かなくとも、売り払ってしまいたいものはあるのだが、後になって「ここが違っている」と言ってきた人がいた場合、原典と照合する必要が生じるからである。まあ上の人たちは、そういうのは「捨ててしまって分からないから、きっとあなたの言う通りなのでしょう」で済ますのであろう。 

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永福町の北側商店街に、私が引っ越す頃まで、古いエロビデオが置いてある店があったのだが、今日久しぶりにそこへ行ったら「ドエル書房」という古本屋らしきものがあった。それが妙なことに、覗くと古本屋らしいのだが、「ドエル書房(小料理)」と書いたプレートが置いてある。恐る恐る入ってみると、レジの向こうに壁があって、左側が古本屋で、右側が小ぶりの飲み屋みたいになっていた。古本はまだ整理されておらず、近代社の『世界戯曲全集』のシェイクスピア編があったので、買おうかと思ったが値段が書いてなく、振り向くとさっきまでいた小太りな青年はレジにおらず、しかも暑くて汗を掻いて古本屋にいたため便意を催し、そのまま出てきてしまった。

2012-06-02 2011年度小谷野賞 このエントリーを含むブックマーク

 2011年度小谷野敦賞は、

井上理津子『さいごの色町飛田』(筑摩書房)を「奨励賞」として授与することに決定しました。小谷野賞は私が勝手に決めて、賞金も授与式も、著者への連絡もない賞ですが、

・ほかの賞をとったものには授与しない。

・知人の著作には授与しない。

 という方針で、今般講談社ノンフィクション賞の候補作にならなかったことで、井上氏の受賞になりました。ただし奨励賞。なおこの授与には、日本のノンフィクション賞が、性をめぐる問題に冷淡であることへの抗議もこめられています。 

 井上さん、ご迷惑でしょうが…。 

さいごの色街 飛田

さいごの色街 飛田

2012-06-01 工藤真葛について このエントリーを含むブックマーク

 『週刊新潮』の掲示板で、作家の竹田真砂子氏が、只野真葛についての小説を準備をしているので、真葛に関する資料を持っている方はいないかと書いている。すでに真葛については大著も出ているし、別に私は新資料を持ってはいない。しかし気になるのは「只野真葛」という名前で、徳川時代の女性であり、只野は婚家先の姓、工藤平助の娘なのだから、工藤真葛とすべきなのである。どういうわけか、現代に関しては夫婦別姓論に熱心な人たちが、「細川ガラシャ」とか「滝沢路」といった錯誤に気付こうとしないのは、困ったことである。