今日の雑談

2112-12-21 はじめに

このブログは次の三原則を掲げています。


1 私はいい加減な面倒くさがりなので、あまり調べずに適当に書きます。

2 私はいい加減で頭が悪いので、ろくなことは書きません。

3 私は頭が悪いので空気が読めません。ごめんなさい。


P.S.

もとは「jura03のいい加減な日記」というタイトルでしたが、タイトルを変えました。が、原則は変わらないしこんなもんです。

2018-08-11

https://twitter.com/itokenstein/status/1027445573832650752

Ken ITO 伊東 乾

政治的スタンス みたいなものはどうでもいい。右派でも左派でも、日本の都市と日本人が生きた実験台として「正確な比較対照のための実験素材」モルモット都市として核兵器破壊され、効果検証されたという事実を是とする日本人が居られたら、意見を伺ってみたい。私は絶対悪としか認めません

イトケン先生の言いたいこと自体は分かるんだけれども、今の日本を見ていると、こういう主張のもう一面が悪用されてきたのではないかと私は強く疑っている。

「絶対悪としての原子爆弾」によって「モルモット」代わりに人間が実験材料に使われたと言って、結局、日本人は第二次大戦における自分たちの被害者の側面のみを強調し是認するようになってしまったのではないか、その空気や感覚を強めるようにしか、「原子爆弾=絶対悪」という言説は機能していないのではないか。

同種のことは都市の大規模空爆による無差別殺人についても言えて、「自分は悪くない」という感覚と自己憐憫を強化するためのネタとしてこの種の話が使われているのではないか。

とくに、戦争の現実を実体験として持つ人がいなくなっている現在、その種の風潮はただひたすら強まっているだけではないか。

このように私は疑っている。

言い方を変えると、「原子爆弾=絶対悪」という言説はその裏面に、日本の戦争犯罪や歴史的経過についてのまともな認識がないと、全く意味をなさない。

ところが、現在の日本では、その肝心の歴史に対する知識や認識が全く欠如していると言わざるを得ない現実があるうえ、いわば「日本すげー」流に、日本人アイデンティティを無反省に強化し、あるいは自己憐憫に引きこもる空気が強い。

それだったら、「原子爆弾=絶対悪」という言説はいっそ言わないほうがましではないか。

むしろ、日本人がいかに愚劣(だった)かということを、今一度、再確認することが必要ではないか。

・・・

近所の護国神社の看板に、「英霊に感謝」という言葉が書かれてあるのを見て、反吐が出そうになった。

英霊に感謝」、何をどうやって感謝しろというのか。

「あなた方が死んでくれたおかげで、今の平和と経済的繁栄が」とでもいうのか。ウソを付け。

英霊」は死んだところで、我々は何も獲得しなかった。なんの平和の礎にもならなかった。彼らは愚かな戦争に付き合わされ、ただただ無駄死にをしただけだった。

ただ、彼らの無駄死にを前提として、戦後の日本が構築された結果、たまたま平和と経済的繁栄が訪れたにすぎない。

たぶん、戦争を実体験として知っている世代は、死んだ人たちに対して贖罪意識が強くあった。あの人たちは死んでしまったのに、なぜか自分たちだけが生き残ってしまった、申し訳ない、というつらさ。

しかしその贖罪意識をダイレクトに表現せずに、いささかの申し訳なさを伴って、「感謝」と言ってしまったところに、後の世代が誤解するタネがまかれたように思う。政治的に「感謝」と言ったほうがよい、ということなら、なおさら問題だ。

英霊」たちの無駄死にの後押しをしたのは、政府メディアだけではない。感謝するより前に、言うべき言葉があるだろう。

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自己憐憫や自己正当化のために戦争を利用する言説を目にするのは、私は耐えられない。その無責任と心の欠如に耐えられないのだ。

2018-08-06

https://twitter.com/ajian1108/status/1023171429372555265

須藤建@ajian1108

先日ある講談社の社員に会った時に,例のヘイト本についてどう思っているのか聞いた.その社員の答えは「全体の売り上げの中では一部でしかない」「会社の評判が下がったことを考えると出すべきじゃなかった」だった.呆れてしまった.会社の評判とかどうでもいい.社会を毀損してるって自覚してほしい

https://twitter.com/ajian1108/status/1023172469404790784

須藤建@ajian1108

新潮社講談社が許せないのは,やっていることが信念に基づくものでもなければ,別に「生きていくために」とかですらないからだ.たかだか一部門や一雑誌の売り上げを上げるために,人を踏みつけにしている.そのことが許せない.

https://twitter.com/eigadaikirai/status/1023920577071828993

独り言a.k.a元祖御用一般人@eigadaikirai

、、ま、国気砲擦萢名出版社の社員たちにせよ、日本的「受験競争」「就活競争」社会の勝者であるわけで。その勝者たちこそがああいうテイタラクなんだからもうどうしようもないじゃん。「エリート」たちこそが堕落した国でなんで「下々」が「清く正しく」生きないとあかんの?

だから全体が堕落する。

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私はそういう競争から高3の時に降りた。アホくさいので東大なんぞに行く気もなく、もとより東京は大嫌いで東京に行こうとすら全く考えなかったが、あの時にそういう判断をしてよかったと今にして思う。

もっとも、高校や大学の同級生たちはその種の競争から降りてなかったのかもしれないが、私は全く別の方向にフラフラと進んでいってしまった。

他人と同じような道を歩かなかったので、その分、迷いも多く、孤独だったが、今はそれで良かったのだと納得している。何か自分だけのもの、その自分だけのものに基づく判断というのがあるように思うからだ。

その代償として引き換えたものもいろいろある。たぶん、普通は代償として引き換えるときに失うものを失いたくなくて、失うことが怖くて妥協するんだと思うが、私は妥協しなかった。だから、世間的に見れば随分損をしているのかもしれないが、私はそれでも構わない。

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最終的には、倫理の問題になってくるのだと、薄々感じてはいたが、このところそれを痛感する。

頭がいい人、勉強ができる人は、その優秀さをどのように使うかが問題で、それは倫理や道徳の問題になるはずだ。賢い人の知性というものは包丁のようなもので、美味しい料理を作ることができるが、人を殺すこともできる。美味しい料理を作らないといけない。

では何が善で何が悪か、善悪の基準とは何かとなると、とても論じることはできないけれども、ただ、そういう問題意識は重要だ。

私は他人に道徳や倫理を云々できるような人間ではないし、また自分の倫理観が絶対的に正しいものと考えるのはもちろん間違いだということも知っている。

ただ、それでも、誰にでも分かりやすい利得だけが行動の基準・判断の基準であるということに対しては、天秤のもう片方に、倫理観念の問題を置いておく必要があるはずだろう。

2018-08-03

医科大学入試の問題がやり玉に挙がっているが、私が話に聞く範囲では、私立国公立に関係がない。

だから、コネなしの自力で這い上がった女医は、極めて優秀のはずだ。

そういう現状は当然問題があるんだけれども、医者の知人の話を聞いていると、どうにもしようがないとしか言いようがない。どうにもならない。

今の国家試験がある程度のクオリティを担保してくれているはずだから、と納得するよりない。

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とはいえ、こんな話、いまさらのことでなんで問題になるのか理解できないのだが、理由は一つしか想像できない。もうイヤだ。

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もう一つは、医者の世界に限らず、いろんな形で男が優遇されて、下駄をはかされているのに、そのことを忘れている男に普段私はムカついている、ということで、私の身の回りを見渡して、しょうもない男が男だというだけで優遇され、はるかに優秀な女の子が公平に扱われないことに、呆れている。もっとも、私の力でできることはない。