今日の雑談

2112-12-21 はじめに

このブログは次の三原則を掲げています。


1 私はいい加減な面倒くさがりなので、あまり調べずに適当に書きます。

2 私はいい加減で頭が悪いので、ろくなことは書きません。

3 私は頭が悪いので空気が読めません。ごめんなさい。


P.S.

もとは「jura03のいい加減な日記」というタイトルでしたが、タイトルを変えました。が、原則は変わらないしこんなもんです。

2015-05-31

「東京はどないなっとりまんねん」:「中央」は橋下=維新のシンパばっかりやったんやろ要するに

2009年の記事でも引いた、音楽学の白石知雄先生のブログを久しぶりに見たら、大阪住民投票の感想に違和感を感じなかったので、ここに紹介する。

「嫌な選挙」 - 仕事の日記

大阪の住民の皆さんの投票の開票速報番組が、どーしてNHKやフジテレビの東京キー局から放送されるのか。純然たる大阪の出来事なのに、キャスター大阪入りすることすらなく番組を作るってどういうこっちゃ。

この点、むしろ橋下の扇動家としての能力の高さを認めるべきなんでしょうが。

「背後の匕首」論 - 仕事の日記

くすぶり続けるであろう可哀想なナルシストたちへのケアを含めて、これからが難儀だね。

(「橋下は文化の破壊者ではない、どの団体もつぶれていないじゃないか」と言っている者がいるようだが、数十年存続してきたような音楽団体は、いつの世でもそう簡単にはつぶれないものです。

そもそも、「文化」は目立つから狙われただけだし、彼が発したメッセージは「大阪の帝王となった俺に跪け」であり、それはいわば、格好のイジメの標的になってとばっちり、みたいな話に過ぎない。兆候的な威張り方ではあっても、文化が彼の本命のターゲットだったことは一度もない。便乗して騒いだアホはおったけどね。

そんなこととは関係なく日常は続くのです。)

大阪の帝王となった俺に跪け」をメディアは大いに助けたし、それは東京メディアや人間どもも同じだった。

東京のある政治学者は、以前「維新批判しても相手の手に乗るだけだから無駄」「中央政界への影響は限定的だし」といったことを tweet してて、その見識にほとほとあきれ果てたわけだけれども、現実には住民投票後の記者会見などを聞いていると、憲法改正問題などで中央政界への影響はやはり少なからずあったようであることは、記者たちの質問の仕方から察せられた。

じゃ、なぜ「維新批判するな」と言ってみたり、「またバカサヨが維新批判を(藁」という話になってしまうのか。

本当は、橋下=維新を支持してたからでしょ。橋下の慰安婦問題の扱いで、大っぴらに支持することはできなくなったというだけで(堂々と手のひら返しされているのをみて、どれだけ呆れたことか!)。

市民・国民・ネット民 - 仕事の日記

日本の「中央」にいる人たちの報道は、「大阪在住の日本国民」が右派国家主義改革派)と左派福祉国家維持派)に分かれて争った、という構図だと思う。

そして左派が土壇場で踏ん張ったことは、右派ヘゲモニーを握る「中央政局」の今後を占う試金石になるであろう、云々と解説される。

まずこの構図が全部間違い、ウソだった。

でもねえ、橋下くんが仕掛けたのは、「大阪市民である前に日本国民である前向きなグローバル人間」と、「日本国民である前に大阪市民である後ろ向きなローカル人間」の二択、という構図だと思うんですよ。

都市生活者が市民と国民の二重のアイデンティティをもつのは、ごく当たり前のことなのに、敢えて分けろ、どちらか一方を選べと迫ったわけで、そこが陰惨だったわけです。

で、「中央」の人たちは、「日本国民である前に大阪市民」みたいな心性をあざ笑って一切無視するわけですね。

そこが、「中央の人たちは実はみんな橋下シンパなんじゃないか」という不信を生んでいるんだと思う。

もっとも、レトリックとしては「大阪人の気質が」「大阪人らしさが」云々といった話をよく見た。そういう言い方をすれば、大阪人の琴線に触れるとでも思われていたのではないか。

実際には、橋下=維新は中身がない、実質がないので、イメージだけで煽ろうとしても煽り切れないものがあった。だからコケた。

中央の人たちは、そんなことも分からない。「実はみんな橋下シンパなんじゃないか」という不信は、昨日も書いたように、Twitter の反応を見聞するとかなり正当だった。

ただし、住民投票後に行われた、自民党谷垣幹事長記者会見や石破大臣のブログなどを読むと、橋下=維新の「都構想」を全く支持しない、谷垣幹事長に至っては橋下=維新を露骨に嫌悪しているらしい様子がうかがえたのは非常な救いだった。右派の内部でも、ようはそういう認識の人たちはいたわけですね。

しかもややこしいことに、今のニッポンには、「国民である前にネット民」であるようなスーパーグローバルな思想地図を思い描く人たちがおる(笑)。

そして彼らは、「市民」より「国民」のほうがスーパーグローバルに近いってことで、都構想支持を表明したりするわけだ。

民間人が商売としてゆうてるだけなんで勝手にしたらええけど(笑)。

東京はどないなっとりまんねん、ってことだよね。

ところが、東京は「中央」だと思ってふんぞり返ってるから、「どないなっとりまんねん」とは本人たちはとても自覚してないわけですよ。

もう本当にどうしようもない。

2015-05-30

無責任なネット民 大阪の住民投票の件で(追記 大阪の気風の話)

先日の大阪住民投票についてのmachinery さんのブログ記事を見てちょっと驚いたんだけれども。

machineryの日々 リスクヘッジの失敗

この住民投票は結局「都構想」なる言葉のイメージ投票でしかなかったというのが実態ではないかと思います。

というと、その「都構想」なる言葉にプラスのイメージを持つ方からすれば

 もちろん都構想をやったからといって、劇的な効果が期待できたという保障はありません。でも、既得権やしがらみをとっぱらえば、おもしろいことが起きる可能性もあったはずです。

 橋下さんがイラついてたのもわかります。こっちがなにかアイデアを出しても、否定ばかりして対案を考えない人が多いんですよ。じゃあどうすんの、もっといい案あるのと聞くと黙ってしまう。

 どっちに転ぶかわからないときは、「やってみなはれ」というのが大阪の気風だと聞いてましたけど、あれはやはり松下やサントリーだけのおとぎ話、特殊な例にすぎなかったってことでしょうか。

 結局、大阪の人たちは既得権と心中する道を選んだのだなあ……などというと、外野がやかましい、と怒鳴られるかもしれません。わかりました、黙りましょう。今後は、自分たちでも改革はできると豪語した反対派のみなさんのお手並みを、外野からとくと拝見いたします。

「外野から見た大阪都構想(反社会学講座ブログ パオロ・マッツァリーノ公式ブログ 2015/05/18 20:25)」

となるのも自然な流れでしょう。まっつぁんご自身はいつもデータをしっかり見ながら判断すべきというようなご主張をされているはずなのですが、そのまっつぁんですら維新の会がしかけたイメージ投票にコロッと引っかかってしまうわけです。

と書かれていて、紹介されている記事にさすがに唖然とした。

2009年1月に、私はこういう記事を書いた。このときは、脊髄反射で反対しているとしか思えない左側を、必ずしも橋下支持ではない立場の人間から、「それはどうなの」「もうちょっと様子を見たらどうなの」という記事を書いた。

その後の展開はごらんのとおりで、もう橋下=維新を全く支持しなくなった。というのも、彼らのやろうとしてることには、結局何の中身もないことがよく分かったからで、machinery さんの言い方をすれば、彼らは単に「イメージ」で扇動しようとするものでしかなかったからだ。

だから、マッツァリーノさんがいうように、ホイホイと「やってみなはれ」と気楽に言えるようなものでは全くないということもよく分かったし、自分は大阪人ではないが、上方の人間の一人として、大阪を呆れて見ていたものだった。

ところが、今度の住民投票の結果を受けて、マッツァリーノさんのような言い方をする、とくに関東方面の人たちが、Twitterで少なくないことに、正直言って唖然とした。

中には、「橋下=維新が突破口になればと思ってみていた人も少なくなかったはず」云々といった意見も見た。言いたいことやその気分はよく分かるが、よその自治体を勝手に自分らのための実験台として利用するな馬鹿、と言わざるを得ないと思ったし、それ以外にも「あんた、それはどうなの」という無責任な発言が多々あったわけだが、もういちいち例示しない。

結局、関東方面にたいしては、「なんだかんだ言って、あんたたち、やっぱり橋下=維新が大好きなんじゃないか」と思ったし、「だから、ウヨサヨ議論の次元に引き落として、橋下=維新批判するものを冷笑してたんだろ」とも思った。

もちろん、大阪人ではない私でも、以前の記事に書いたように大阪にはいろいろ問題があることは容易に察せられる。その問題の解決は困難だろうし、もっと真剣にやらんかい、とすら思う。

しかしそのことは、橋下=維新を支持する理由には全くならない。「あれくらい突破力がないと前にすすまないよ」などと無責任なことを言う気にはなおさらならない。

なのに、そういう無責任なことを言う人たちが、ネットにはいかに多いことか。それをまざまざと感じたことでした。


(追記)

大阪の気風の話が少しあげられているけれども、あくまで単に私の印象だけだと前置きしたうえで次のことを書いておきたい。

まっつぁんが松下やサントリーに少し触れているが、私は、企画の了解を得に松下幸之助にあった人に話を聞いたことがある。松下幸之助は一言「人さんのお役に立つんやろな」と聞いただけで了解したそうだ。ただし、大松下の御前であるうえ、しかもあの顔と目で聞いてくるのでとても怖かったらしい。

そりゃそうだろうと思う。

大阪の人間は実質を尊ぶのが元来の気風で、松下幸之助も担当者の真剣さ本気さを問うに「人の役に立つ」という聞き方をしている(幸之助はもともと和歌山出身)。これが面白いことだとかねがね思っていた。イメージで何とかしようとするのはもっとも忌み嫌うところだったはずで、そんなにホイホイ「やってみなはれ」と言っていたわけでは恐らくなかった(サントリーの「やってみなはれ」も、それなりの計算の裏付けがあったんだろうと思う)。

では、橋下=維新はなんだったのかというと、私は単純に、大阪はもともとの気風を失ってしまったんだろうと思っている。

簡単に言えば、

大阪の人間が、東京の人間みたいになってもた」

のだろうと。

2015-04-16

扇動のための不当表示としての「リフレ派」 part151

メモ

https://twitter.com/kiba_r/status/587962386029510658

コレだから学者は、信用できん。 QT @mzw_neo: 裏切られたRT @juns76 もうリフレをやる気が無いことを公言し始めた浜田宏一 "インフレ目標はそんなに重要ではない。…"金融政策、物価偏重に懸念 浜田内閣官房参与に聞くhttp://s.nikkei.com/1aX1wNx

・・・リフレ派の学者の皆さんはいったいどうなってしまうんだろうか。。。