Hatena::ブログ(Diary)

閑人亭日録

2017-01-20

『現代芸術の地平』八

 とんでもない間違いをしていた。現代美術ではなく『現代芸術の地平』だった。

 市川浩『現代芸術の地平』岩波書店1985年初版、「他者による顕身」を読んだ。鈴木忠志を軸にした演劇論。

《 不自然で抑圧的な体のつめ方を伝統芸術が工夫してきたのは、精神を騙る場合にもあてはまる。現実を語る ことだけがリアリズムだというわけではない。幻想もまたリアルであり、それによって人間が生き死にするもう一つの 現実だからである。じっさい夢幻能のリアリティは、現実をこえる。逆に現実を語ることは、現実の行為を実行する ことでもなければ、現実の行為の外形的しぐさをそのまましてみせることでもない。 》 259頁

 なかなか理解しずらい論考だ。演劇は、若い時に観た状況劇場くらいで他に興味がない。苦手な分野。能、狂言歌舞伎は一度も観ていない。

 昨日の依頼原稿、四枚半を仕上げる。しばらく寝かせて推敲。

 ネット経由で古本が届く。太田浩詩集『夏の画集』花出版社1962年初版定価350円、古本値500円。表紙が深沢幸雄の 銅版画なので購入。葉山修平の跋から。

《 よき知己でありたい私は、「夏の画集」に大きな不満があることもつけ加えておきたい。今までに築きあげてきた 詩圏を、自ら否定し、葬り去り給え。 》

 ネットの見聞。

《 歳とってやっちゃいけないことは「説教」と「昔話」と「自慢話」

  by高田純次 》

 自戒

《 一人一人感動の性質が違うからこそ、生活に多様性が生じ、生も退屈なものではなくなる。(大岡信) 》  鯨統一郎

 https://twitter.com/kujira1016/status/822214204308406273

 この出典を探すのは最初から諦めた。

《 古本屋もギャンブル。「病気」に間違いない。市場なんて、正常な精神でいることのほうが難しい。 》  東京古書組合広報部

 https://twitter.com/tokyokoshokoho/status/821982100500844545

 絵が好き。古本が好き。だから画商と古本屋にはならなった。

《 <MX>「偏見報道」に波紋…「事実無根」市民が抗議行動 》 毎日新聞

 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170119-00000102-mai-soci

《 安倍晋三が首相に戻ってどれだけの腐敗が新たに生産されたか。そろそろ総括すべき時期に来ているのではないか? >天下り「他省庁でも」の声 | 2017/1/19(木) - Yahoo!ニュース  》 面積君

 https://twitter.com/menseki_kun/status/821988169943949312

 ネットの拾いもの。

《 最近あった悲しかったことは、「生ハムを温めたらどうなるのかな?!」とワクワクして加熱したら、 普通のハムになったことでした。そりゃそうだ…でもなぜか思い至らなかった…。「スモークサーモン焼いたら美味しそう」 と思って焼いたら焼き鮭になってしまって痛烈に悔やんだ過去を活かせなかった… 》 キヨ(中村珍)

 https://twitter.com/nakamura_ching/status/822037706263793664

2017-01-19

『現代芸術の地平』七

 市川浩『現代芸術の地平』岩波書店1985年初版、「可能態の充実──観世寿夫追悼──」を読んだ。

 観世寿夫の能をめぐる論考だが、そこから別の方へ思索が向かう。

《 ヨーロッパ流の演技にしろ演者が「我見(がけん)」(主観的な観方)でいいわけがない。見所(観客の側)から見る姿は、 演者を客体化して見る「離見(りけん)」である。「離見の見」は、演者の主観意識と見所から自己を見る意識とを同時に もつことであり、それが成しとげられれば、観客と同じ心を共有して見る「見所同心に見」となる。 》 202頁

《 ところが観世寿夫の眼は、我見でないのはもちろんであるが、観客である我々のもとにあるともいえない。身心不定 というか、視点がどこにあるか定めがたく、しいていえば彼我の中間にあるようにみえる。それがまことに不思議な存在感を あたえるのである。 》 202頁

《 眼の焦点を遠くにおき、心が近くの定かなものにとらわれることをさけ、心を無にするのである。 》 204頁

 味戸ケイコさんの少女、女性の眼差しだ。

《 面は体の全面にひろがって体そのものをも面化し、前後左右を失わせるほどの強烈な呪力をもっているのである。 》  209頁

 北一明のデスマスクを思う。

 知人が春に出版する予定の歌集のゲラ刷りが届く。ニ百頁ほど、十年間の485首を読む。歌集に挟む栞に載せる一文を 依頼されている。これが最後の歌集と伝えられているので、身が引き締まる思い。気になる短歌をメモ。表紙にはなんと 深沢幸雄の銅版画を使用。うーむ。1961年の単色(黒)作品を使うとは。この銅版画を枕に書き出そうと思う。沈思黙考。 しばし休憩。

 再び『現代美術の地平』へ。「未知への疾走──寺山修司追悼──」を読む。寺山のことばが紹介されている。

《 「ある連続した現実原則に、異物をさしはさむことによって、その原則にべつの転回点を与える」 》

 おお、上記の短歌の構造だ。こんなところにいいアイデアが隠れていた。

 ネットの見聞。

《 散逸している明治・大正期の彩色木版口絵を後世に残したい!  》 クラウドファンディング

 https://readyfor.jp/projects/kuchie2500

《 トルコに限らず、ロシアもイランも、あるいはサウジも、最近の中東情勢を動かす中心となっている国々はみな、 経済的には失速している。そこに危うさを感じる。 》 神田大介

 https://twitter.com/kanda_daisuke/status/821773526260731904

 日本も。

《 「人が育つのは、やっぱり新しいことを苦労してやっているとき。」確かにそうだな。 》 木下斉

 https://twitter.com/shoutengai/status/821716937868591104

《 共謀罪とは 》 なすこ

 https://twitter.com/nasukoB/status/821690022541684736

 ネットの拾いもの。

《 「ロボットとのセックスには多くのメリットがある。病気に感染する心配がないので安全でもあり、主導権を握ることもできる」  》 【AFP=時事】

 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170117-00000026-jij_afp-sctch&p=1

2017-01-18

『現代芸術の地平』六

 昨日の大岡信の引用が気になり今日も探索。見つからなかったが、『表現における近代』岩波書店1983年初版収録の 「創造的環境とはなにか」にぐっと惹き込まれた。最初のページの一節。

《 私自身の直観的理解によれば、「中心」を「周縁」と対比して論じることには、どうしても無理がつきまとうように 思われる。「中心」は、じつは「周縁」であり、「周縁」は、じつは「中心」であるというのが、この世のからくりの 根本にひそんでいるダイナミズムの実相であるような気がしてならない。 》

 つづく論述はじつに刺激的な指摘が山盛り。少し引用。

《 「創造」とよばれる行為は、つまるところ「中心」を不断に「周縁」へ経歴させ、「周縁」を不断に「中心」へ 経歴させる行為にほかならないからである。 》 41頁

《 エキセントリックな要素のないものには、自己自身をたえず切開し、周縁にむけて押しひろげると同時に、周縁をたえず内部に捲きこみ抱きこむ力は与えられないだろう。すなわち創造性はそこに宿らないだろう。 》 70頁

日本の美術史を西洋と対比させて読み解く目の覚めるような視点に感服。

 市川浩『現代芸術の地平』岩波書店1985年初版、建築についての論考「建築と都市──磯崎新の建築的思考──」を読んだ。

《 建築空間においても都市空間においても、固定焦点の透視法は、もはやわれわれの体験する空間を表現することができない。 まわりをめぐり、なかを通過することによって体験される生きられた空間は、非連続的な多くの焦点の交錯によって受動的に統合される。(略)すぐれた建築においては、われわれは可能的な空間をたえず発見し、それをたえず新たな時空体として構成するのである。 》 175頁

 インスタレーションを連想。つづく「身体空間と舞踊」を読んだ。

《 古典バレエの約束事となった表層の〈振〉の多くは、人間的意味の物まね的解説として陳腐化しているが、より抽象化 された〈型〉は、物語の神話的・宇宙論的意味を深層から掘り起こす舞踊言語として、今なお物語を活性化する力を持っている。  》 185頁

《 振や型をもたない自由が、意外と早くパフォーマンスのパターン化をまねくというのは、現代芸術一般が直面する奇妙なパラドックスである。 》 190頁

《 ひきのばされる内実のない踊りがひきのばされるほど苦痛なことはない。 》 191頁

《 小空間で、音楽も装置も衣装もなく、持続しうる内実のあるあいだだけ踊られた比較的初期の舞踊が、しばしば最高の 達成として忘れがたい印象をのこすのは、そこに舞踊の裸形があるからである。 》 192頁

 舞踊を絵画に置き換えて読んでいた。

 ネットの見聞。

《 自己承認欲求は何事かをなすためのいい燃料なのだが、可燃性だけに、無分別にぶちまけると大火になるのぢゃ。 》  赤城毅/大木毅

 https://twitter.com/akagitsuyoshi/status/821355631823028225

 ネットの拾いもの。

《 天神に次期米大統領にちなんだトランプ柄恵方巻きが登場 アモーレ巻も 》 天神経済新聞

 http://tenjin.keizai.biz/headline/5773/?utm_content=buffera21fa&utm_medium=social&utm_source=twitter.com&utm_campaign=buffer

《 【東京創元社編集部の陰謀】

  私「アルバイト様。今年いちばん大切な仕事……すなわち会社宛に届いた年賀状の当選番号を調べてほしいのです」

  ア「それは重大ですね!」

  私「いや本当に大切なのはここからで、もし1等が当たったら無言でおれに知らせてほしいんだ。委細はそのとき……」 》  tsg_kuwano

 https://twitter.com/209_500/status/820906848253452289

 切手シートが二枚当たった。昔、投函する年賀状の宛名とくじの番号を控えておいて、当選したらその人に連絡、と思ったが、面倒でやらなかった。

《 実は本人も派手にただ吠えたかっただけでまさか大統領になるとは思ってなかっただろうなw 》

《 「2万年に1人の美少女」 》

2017-01-17

『現代芸術の地平』五

 市川浩『現代芸術の地平』岩波書店1985年初版、建築についての論考「空間について」「コスモロジーなき時代の住処」 を読んだ。1980年発表の後者から。

《 こうした建築に好んで用いられるガラス・カーテン・ウォールは、理念的には内外空間が無差別につながるユニヴァーサル ・スペースであることを明らかに示しつつ、自然状態ではありえない均質性を人口空調によって確保するために内部空間を 透明のまま閉鎖する。その点でも均質空間は現代のテクノロジーの実現である。 》 140頁

《 このような均質空間に対抗する方法として磯崎[新]が編みだしたのが、第一にプロセス・プランニングであり、第二に 純粋形態化、第三に非実体的空間の質的構成である。 》 143頁

《 ユニヴァーサル・スペースは、機能や用途の時間的変質にたいして、いかなる内容をも容れうる均質空間を設定することに よって対処しようとした。これにたいしてプロセス・プランニングは、建物のエレメントはそれぞれ相対的に独立して成長する という前提に立ち、エレメントとしての空間にそれぞれ個別の解をあたえることによって空間を非均質化しようとする。 》  144頁

《 第二の純粋形態化への志向は、すでに初期の作品から顕著にあらわれている。(略)円筒形を基本とする「ジョイント・ コア・システム」や(略)純粋形態としての立方体を組み合わせる手法がとられている。ここには外部空間と内部空間を相互に 貫通させるのではなく、〈形態〉によって均質空間を拒否し、自立した空間を作ろうとする姿勢がみられる。すなわち機能の表現、 テクノロジーの表現としての近代建築にたいして、建築を形式だけで成立させることによって建築の自律性を確保し、均質化しない 独自の内部空間を生み出そうとする。 》 145頁

《 第三は質的な非実体的空間を構成する手法である。建築空間は設計図が示すような、計量可能で、概念的に理解されうる 空間の側面と、われわれが具体的に知覚し、そのなかで行動する知覚空間・行動空間の側面をもっている。

  後者の空間体験は、「全身的な体験」であり、建築のハードな構造よりは」むしろ光線や色彩、あるいは手ざわり足ざわり、 目に感じられる肌理といったソフトな感覚信号が重要な役割を果している。 》 147頁

《 そのように建築は、対象を客体視する視覚よりは、むしろ触覚と癒合した視覚、「内触覚的・腔内感覚的」な身体感覚を 触発する。具体的な生きられた空間は、外在する実体的空間ではなく、むしろ光や色彩、人間をつつみ込む内触覚的な刺激に よって構成された後者の空間であり、磯崎はこの空間の一方の極に「闇の空間」を、他方の極に「虚の空間」を、両者の間に 色彩空間を置いているといえるだろう。 》 147-148頁

《 「闇の空間」は谷崎潤一郎が『陰影礼讃』で描いているような日本の伝統的建築の空間である。 》 148頁

《 磯崎は日本の建築空間のこうした特質について、陰影は「光が闇のなかをよぎるときにとり残されたすべて」であり、 建築空間は陰影の分布、光の濃度としてあらわれるという。しかもここでは光は絶対的ではなく一時的であり、消え去るために 存在するから、光の濃度はさまざまに変化し、遂には闇と化してしまう。それはヨーロッパの建築空間のように、光と影が 対立物をなし、対位法的に構成される空間ではない。闇のなかに、ときたま光が明滅する「闇の一元論」とかれは呼んでいる。 》  148-149頁

 味戸ケイコさんの絵の解説のよう。上記に続く文。

《 この空間に入ることは、われわれの存在が、「意識の底辺まで堀りさげられてゆく過程」を体験することであり、その意味で この空間は、深層心理的・魔術的・象徴的な世界へとつらなる空間系列に属する。それは大岡信の表現をかりれば「すべての色彩を 成り立たせる根源」であるとともに、「内部の闇みたいなものと繋がっている」原質的な闇である。 》 149頁

 この闇の空間論にはぐっと惹かれる。味戸ケイコさんの絵の椹木野衣の解説をあらためて思う。再び引用する。

《 何もここまで、というほど緻密に手を入れられた画面は、いくら見続けても新たな発見が尽きないほどだ。そしてこの漆黒の 闇。その底はいったいどこへ続いているのだろう。 》 椹木野衣・編『日本美術全集 第19巻』小学館2015年初版、273頁

《 他方「虚の空間」は、記号標式や計器による測定なしには行動することが困難な入り組んだ大都市、地下街、高速道路、 海路や空路といった「記号を媒介とする抽象空間」である。 》 149頁

 上記(149頁)で引用されている大岡信の文章を探索したが、所持している本には見当たらなかった。気になる。

 ネットの見聞。

《 ゴッホ、モネ、北斎。名画を再現したメイクがすごすぎる 》 BuzzFeed

 https://www.buzzfeed.com/bfjapan/art-on-her-eyelids-jp?utm_term=.qgqM21bVl#.gqwlaBvY2

《 平野レミさんの料理、カプセルトイになる 伝説のブロッコリーも完成Verと倒れたVerをそろえる盤石の布陣 》 ねとらぼ

 http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1612/20/news085.html

《 外からの方策、帰化、植民などによらずに、市民が一だんと繁殖し増加してゆくような政府こそ、まぎれもなく、 もっともよい政府である。人民が減少し、衰微していくような政府は、もっとも悪い政府である。

  ルソー『社会契約論』 岩波文庫版 118頁 》 Arrival

 https://twitter.com/Talitha1192/status/821133081322979328

《 社説[「共謀罪」提出へ]危うい本質は変わらず 》 沖縄タイムス

 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170116-00079970-okinawat-oki

 ネットの拾いもの。

《 雪…見過ぎ。 》 京都町家猫カフェ キャットアパートメント

 https://twitter.com/CatApartment/status/820460883902009344

 今朝も寒かった(-2.1℃)けど、ホッコリ。

《 【クイズ】今が旬の若手女優、どれだけ知ってる? 》 BuzzFeed

 https://www.buzzfeed.com/keijiroabe/young-celb-quiz?utm_term=.kaQZKqLG8#.snNXApW4w

 無理。

2017-01-16

『現代芸術の地平』四

 市川浩『現代芸術の地平』岩波書店1985年初版、「現代芸術の境位」「現代芸術の可能性」1977年発表を読んだ。後者から。

《 より自由な方向がもとめられるのは、型の可能性がくみつくされ、形骸化して、型破りによらなくては意味のある表現を 生みだせなくなったときである。 》 107頁

《 現代では感覚的体験と知的理解あるいは知的批判という分裂は必然であるが、同時にこの二分法は役に立たない。 見ることが観念に移行し、観念が見ることに移行する境界から作家の仕事がはじまる。 》 113頁

《 現代の芸術家が現実に向かう志向の仕方には、さまざまのタイプが見られるが、それぞれの志向をもったすぐれた作家の仕事は、 独自のプリヴェンションを内蔵しているといっていいだろう。

  その第一はシステム志向である。システムは感覚的現実から距離をとり、慣習化し、制度化した感覚を批判する。(略) それはまた情況からの自立をゆるすことによって、情況主義の危険をのがれている。その反面、システムはシステム自身の 自己完結性によって閉鎖的となり、よういに画一化し、現実との接触を失わせる逆の危険をはらんでいる。 》 114頁

《 第二は情況志向である。情況志向は現状肯定ではない。情況を読み、みずからの作品を情況のなかに積極的に位置づける ことによって、作家は一方では自己を背後から支配している検閲機構を対象化し、他方受け手が気づかない現実を受け手に 示そうとする。(略)情況志向の作家は時代とともに歩むが、同時代の受け手にとって先どりされた情況の表現は、やがて のりこえるべき障害となる。デュシャンがそうであったように、すぐれた情況志向の作家は、一見反時代的であることによって、 自ら情況そのものを作りだすのである。 》 115頁

《 第三にシステムをも情況をも信じられない作家は素材を志向する。ものは、われわれが日常無意識のうちにかぶせている 感覚のヴェールをひきさく潜在力をもっている。ものの力は制度や文化諸構造が分泌する意味をこえ、既製の意味の連鎖を 切断する。それは非人間的な秩序の存在を垣間見せることによって、われわれの世界を拡大するのである。(略)しかし この批評性は、単なる素材としてのもののうちに二重化されているから、作家が素材に無反省によりかかるとき、このものの 二重性は消えうせ、素材志向は、現実確認と現実肯定以上には出なくなってしまう。 》 115-116頁

《 第四の志向はこのような意識下の傾向性を芸術の根としてさぐろうとする根源志向である。(略)根源志向は、感覚の 擬西欧的な表皮とともに、土俗的な真皮をもつき破るものでなければならない。根源志向はわれわれの感覚の根の探求であるが、 それが事実確認に終るかぎり、批評性はもちえないであろう。 》 116頁

 今朝は寒かった。-3.1℃。 午前、数年ぶりに整骨院へ自転車で行く。膝の周辺が固まっているとの診断。施術後ブックオフ 長泉店に寄り、昨日見送った二冊を購入。半藤一利『幕末史』新潮社2008年初版200円、門井慶喜『人形の部屋』創元推理文庫 2014年初版108円、計一割引277円。

 ネットの見聞。

《 ルーカス・クラナッハの絵を実際にみて印象的だったのは、肌の質感と淡く描かれた血管、そして、 聖母やヴィーナスが纏っているヴェール。透明で清浄なヴェールは薄絹というよりは柔らかい硝子質で、シャボン玉の被膜みたい。 あのヴェールは印刷や画像では再現することができない。 》 Fragment兎影館|柳川貴代

 https://twitter.com/Fantas_magorie/status/820489382809341953

 同感。印刷では凄さが全くわからなかった。

《 近所の本屋にはなかったので、春陽堂文庫の存在に気づいたのは、角川文庫の横溝正史新青年傑作選を読みだした後だった。 浜尾四郎『殺人鬼』、甲賀三郎『姿なき怪盗』、角田喜久雄『高木家の惨劇』などを大きな書店で発見してびっくりする。 》  藤原編集室

 https://twitter.com/fujiwara_ed/status/820503307193942016

 1970年頃、文庫は岩波、新潮、角川が幅を効かせ、続いて創元推理、旺文社ときてどんじりが春陽。その春陽文庫柴田錬三郎 『幽霊紳士』昭和47年4刷、佐賀潜『華やかな死体』昭和47年17刷、浜尾四郎『鉄鎖殺人事件』昭和47年23刷には検印紙が貼ってある。 『鉄鎖殺人事件』は二段組で昭和21年第1刷。すんげえ長持ちする紙型だ。ついでに他の作家の本を見る。園生義人『男装の女子高生』 昭和45年6刷は検印は印刷。若山三郎『お嬢さんの冒険』昭和46年14刷は検印は印刷。中野実『グッドナイト』昭和39年4刷は検印は印刷。 浜尾四郎『殺人鬼』昭和50年初版は検印は印刷に。作家によって検印紙貼付と印刷が混在していたが、昭和50年には印刷になったのだろう と思ったが、高木彬光『能面殺人事件(改訂版)』昭和50年9刷には検印紙貼付。昭和49年第1刷だが二段組。

《 豊洲新市場予定地の地下水からシアンやベンゼンが検出された事は重大だが、それで騒ぐ報道機関は、約400京ベクレルの 高濃度廃液が東海再処理施設で未処理のままでいる事は騒がないのだろうか? 地震と津波に襲われたらどうなる。 「騒ぎ方」がリスクに比例していない。だから「マスゴミ」なのだ。 》 春橋哲史

 https://twitter.com/haruhasiSF/status/820766521139990528

 ネットの拾いもの。

《 しかし、ぼくがよく見ていた30年前に比べたら、女子駅伝の選手たち、可愛い子が増えました。以前は(以下、24文字抹消) だったから。静岡4区を走った宮田佳菜代さん(すぐ名前をメモ)は「おっ」と思うキレイな人。 》 岡崎武志

 http://d.hatena.ne.jp/okatake/20170116

 さすが、ユーチューバーは既に注目。目ざといねえ。

《 gmailで「AI知財」という過去のファイルのやり取りを探そうとしたら、「もしかして:愛と知財?」と聞いて来た。 》  福井健策

 https://twitter.com/fukuikensaku/status/820778459018444800

2017-01-15

『現代芸術の地平』三

 市川浩『現代芸術の地平』岩波書店1985年初版、「可能的世界による発見──想像から知覚へ」1967年発表を読んだ。

《 芸術は、われわれが実用という限定から解放され、自由な仕方で世界とかかわり、可能的世界での受肉を実現する 形式である。したがって芸術のうちに、〈世界の表現〉と〈主観性の表現〉と〈表現形式そのものの内的秩序〉という 三つの極へむかうヴェクトルがみとめられるのは当然であろう。それは三角形の三つの頂点のいずれか一つの方向へと 三角形がのびていったとしても、三角形であることを失わないようなものである。 》 80-81頁

《 これはまた芸術家が、芸術言語の三つの機能、すなわち対象を〈示す〉機能と、自己の主観性を〈表す〉機能と、 受け手の反応を〈喚びおこす〉機能のうち、どの機能を重視したかということとも関係している。 》 81頁

《 芸術家は、対象と自己の主観性と作品の内的秩序という三つのヴェクトルに身をゆだねつつ、制作の行為のなかで それらを生き、現実世界に対峙しうる虚構空間を創造する。 》 87頁

《 こうして創造された作品は、それを構成する芸術言語が作者にたいして外在的である以上、作者の主観性をはなれて 独自の歩みをはじめる。 》 88頁

《 かつてのように、創作の出発点は現実にあり、探求ないし創造のはてに作品があるのではない。むしろはじめに 作品が仮構され、探求ないし創造のはてに現実が発見されるのである。〈知覚から想像的世界へ〉ではなく、〈想像から 知覚的世界へ〉というこの転倒した形式は、知覚が歴史と状況のうちにあまりにも深く根を下ろし、がんじがらめに しばられていることを意識せざるをえない現代では、むしろ発見的であせあるだろう。じっさい現代の作家は、〈想像から 知覚へ〉を出発点として選びながら、その途上で〈知覚から想像へ〉の回路を再発見して驚くのである。 》 89頁

 以上三回にわたって書いてきたものは、『現代美術の地平』の第一章と第二章。芸術論総論に当たる。いくつもの芸術論を 読んできたが、この本が最も納得でき、腑に落ちた。これらが四十年前五十年前に書かれていたことに驚く。一編は読んだ 気がするが、それを収録した本はとっくに処分していた。当時の私には理解できなかったようだ。だよなあ。

 風が弱い午後、自転車でブックオフ長泉店へ。気になった本があったが、今日は見送り、直帰。寒い寒い。

 ネットの見聞。

《 実際のところ、五輪を「目的」として開催する意味は、現政権にはない。事実は逆で、五輪のおかげで、アレも出来る、 コレも出来る(共謀罪も)というのが、最初からの算段だろう。例えば、改憲に際して、スポーツ界や開会式がらみの アーティストなどからの政権批判を抑制できる、とか。 》 平野啓一郎

 https://twitter.com/hiranok/status/819480560720494592

《 共謀罪で私が恐れる事がありましてね。捜査機関も着手されてもない犯罪を捜査するなんてたまったもんじゃないと 思うんですよ。かなり難しい事ですからね。そうなると、共謀罪専従の捜査班が作られてしまうのではないか。 過去の日本はそういうものを経験してますからね。これを特別高等警察と言うので。 》 松井計

 https://twitter.com/matsuikei/status/819846885963808768

《 源ちゃんとのお話の中心は天皇。天皇の威信は全国民代表し、いかなる党派にも与しないという「政治的正しさ」 に基礎づけられています。この「全国民」という(空疎な)観念が空語にならないでいるのは、陛下がそこに「死者たち」 を含めているからでは、という話になりました。 》 内田樹

 https://twitter.com/levinassien/status/820217645043593216

 ネットの拾いもの。

《 真面目な話、榊原良子さんがもし選挙に出たとして、選挙カーの上から「我らは辺境の国々を統合し、 この地に王道楽土を建設するために来た。そなたたちは滅びに瀕している。我らに従い、我が事業に参加せよ!」 って言われたら、政策の中身ほとんど見ずに一票入れてしまうかもしれん。 》 たられば

 https://twitter.com/tarareba722/status/819890437687152641

《 「患者を番号で呼び出さないでほしい。病院は人間を相手にしているということを忘れていないか」

  「患者を名前で呼び出さないでほしい。プライバシーを尊重して欲しい」

  当院のこの二つの投書を並べて掲示したい。 》 いちは

 https://twitter.com/Willway_ER/status/820060719563476992

《 「日本橋本町」

  江戸っ子「にほんばしほんちょう」

  浪速っ子「にっぽんばし、ほんまち」

  田舎の子「にほん はしもとちょう」 》 猟奇の鉄人

 https://twitter.com/kashibaTIM/status/820163044625874944

《 『愛の怪談』 ¥1,080  文=立原えりか/絵=牧村慶子、サンリオ出版、1974  キリン書房 》  日本の古本屋

 『愛の怪談』。怖そう。『愛の階段』なら持っている。沼津市の芹沢光治良記念館で牧村慶子展、開催中。

 http://www.city.numazu.shizuoka.jp/kurashi/shisetsu/serizawa/tenji/index.htm

2017-01-14

『現代芸術の地平』ニ

 市川浩『現代芸術の地平』岩波書店1985年初版、「芸術が開く世界」1968年発表、「感性の拡大のために──感覚についての二章」1976年発表を読んだ。目から鱗が落ちたり、じつに刺激的な論述だ。当時読んでも理解できなかった。この本が出た 1985年でも、どこまで理解できたか。今なら大方わかる(全部じゃない)。

《 いずれの場合にもわれわれの心が渇くのは、われわれが具体的な生の一部をしか捉えていないからであり、それを ひそかに予感しているからである。そして意識された生が具体的な生の兆にすぎないかぎり、兆は具体的な生の全体へと 超出されることをもとめる。しかしその超出は、生のかくされた深みへ向かってなのだろうか。それとももう一つの あらわな表面へ向かってなのだろうか。 》 37頁

《 実際芸術作品は、ものであると同時に、意味するはたらきとして、また表現としてそれ自身を超え出てゆく記号でも ある。 》 39頁

《 芸術作品は単なる実在ではなく、何かを表現する記号形態であるが、何かは、フォルムとしての芸術作品の外に あるわけではない。芸術家は実在的対象を消すことによって、具体的現実を虚在としてあらわに存在させるのである。 》  43頁

《 そこに対象に直面させ、適切な反応を起こさせるのを目的とする実用的・道具的な言語と芸術言語とのちがいがある。 》  44頁

《 具体的現実が一つの神秘であるとすれば、それは現実がわれわれの気づかない深みをもっているからである。 》 45頁

 ジャスパー・ジョーンズ星条旗、アンディ・ウォーホールのキャンベル・スープ缶の絵について。

《 ここで追求されているのは、現実の深さを追求し、表現する垂直の超出ではなく、現実の任意性・不確定性を示す 横すべりの超出である。垂直のメタ化にたいして、いわば同じ次元での横すべりのメタ化とでもいうべきものがあるのだ。(略) 横すべりはむしろ状況にたいする問いかけとして出されるべきなのである。 》 48頁

 二人の作品に全く惹かれない理由はこれか。私は垂直の超出を求める。それにしても、横すべりならぬ上滑りの作品(?) のなんと多いことか。真平らなんてものもあるからな。

《 芸術作品はこうして生きられてはいたが、気づかれていなかった現実の意味や構造を虚構によって拡大し、感じうる ものにする。しかしそれは一方的な関係ではない。 》 50頁

《 現代の芸術家は、作品の開かれた不確定性を極限にまで押しすすめようとする。したがってここでは〈不確定性〉と 〈参加〉は、切りはなしえないものとしてあらわれる。 》 55頁

 このあたりから現代アートなるものが発生したか。

《 この場合小説家にとっての問題は、音楽のように、同時に二つのテーマを進行させることのできない文章言語を用いて、 知覚体験としては非現実的な同時性の体験を、どのようにして作品に現実化するかということである。 》 57頁

《 逆にいえば、同時性や重層性の表現は、文章言語や映像言語においてはきわめて困難であるだけ一層、もしそれが 成功すれば、ありえないことの現存として、いいようのない非現実的現実感を喚び起こすであろう。

  したがってそれぞれの言語形態が発見させる独自の現実は、その言語のポジティヴな表現能力に依存するばかりでなく、 ネガティヴな特性にも依存している。(略)したがって芸術言語の表現性は、その言語の表現可能性ばかりではなく、 表現不可能性にも依存するのであり、言語美学は、ある言語形態のポジティヴな表現性を分析するばかりでなく、ネガティヴな 表現性にも注意を払うべきなのである。東洋の美学に典型的にみられる空白、あるいは間(ま)による表現は、このような ネガティヴな表現性の一つの可能な方向を、徹底的に追いつめたものといえよう。 》 58-59頁

 現代詩ではあれかな、と思い浮かぶ作品はあるが、小説ではまだ見つからない。読み進める速度と同時進行性が噛み合わない。

 「感性の拡大のために──感覚についての二章」から。

《 印象派の画家たちが、その理論武装を介して、事物は固有色をもっているという伝統的な考え方の呪縛をのがれ、 感性を拡大したことは否めない。 》 70頁

《 有縁性をもたない感覚の仮設的な追求は、印象派がその端緒を切り開いたように、われわれを世界との癒着的な関係から 解放し、新たな世界像を生み出す。その反面この方向の純粋化が、世界とのつながりが失われたデラシネの袋小路へわれわれを みちびく可能性があることも事実である。 》 76頁

 現代アートの多くがデラシネの袋小路へ入っているような。いや自称アート作品が溢れているのかも。上記に続く結び。

《 それにたいして感覚の古層の追求は、無感動な伝統主義におち入らないとすれば、感覚の誕生の瞬間に立ち会わせ、 感性の歴史を再体験させることによって、感性に生命を吹き込み、それに拡がりと厚みをあたえる。これもまた世界を再建し、 世界を再創造するもう一つの道なのである。 》 76頁

 さて、それはどんな作品か。候補作品は浮かぶが、措いておく。じっくり検討する必要がある。恥はかきたくない。

 きょうの東京新聞篠山紀信の写真展(横浜美術館)の記事。篠山の発言から。

《 「横浜美術館は写真に理解があってたくさん作品を収集しているが、僕の作品は一枚もない(笑)。でもこれは正しい。 山口百恵さんは『GORO』だし、王貞治さんは『少年マガジン』の表紙。たくさん部数の出ているメディアに頼まれて、 僕は撮っているだけ」 》

 すげえ皮肉。

 ネットの見聞。

《 政府が通常国会に提出し、成立をねらう共謀罪って、どんなものか。わかりやすい図ですので、繰り返し投稿します。 「テロ対策」などが口実に過ぎないことが、よくわかります。 》 川上芳明

 https://twitter.com/Only1Yori/status/819667475834908672

《 五輪の誘致はテロ誘致と政府が公式に認めた。開催都市は未来への莫大な負債と認めている。本当に出場すべき行事か、 有名選手諸氏の良識が問われる。ていうか「スポーツは尊い」ってもうやめねえか? 娯楽だろ。 》 津原泰水

 https://twitter.com/tsuharayasumi/status/819704769652527104

 ネットの拾いもの。

《 沸騰するようなインパクトある書き込みの絵馬を讃える「絵馬煮える大賞」

  最初から最後までトップを独走したのは、これ

  「欲を満たす」

  しかも、T子と女性の署名。 》 霞流一探偵小説事務所

 http://www.kurenaimon.com/archives/2017/01/1122017.html

《 イギリスから来た友人(日本語ペラペラ)と話をしていて、「もうすぐ『平成』が終わるんだ」と言ったら、心底驚いていた。 その後、新しい元号は何がいいのかを議論したのだが、世界の人にも判りやすいということで、「寿司」に決まった。 》  大倉崇裕

 https://twitter.com/muho1/status/819801716577046528

《 朝、炊き上がった玄米ご飯を覗き込んだら、多数の穴の配列が発見された。ベナール対流が最後に固化したものと思われる。 六角格子を組むのか興味が湧いたので、やってみたが、どうも違うらしい。もっと巨大で薄い釜で玄米ご飯たかんと。 》  橋本幸士

 https://twitter.com/hashimotostring/status/820068101563695104

2017-01-13

『現代芸術の地平』一

 市川浩『現代芸術の地平』岩波書店1985年初版を少し読んだ。

《 ヴァレリーの『エウパリノス』の舞台は、黄泉の国の、亡霊さえも訪れることの稀な辺境である。ほかの霊からも ほど遠く、時の河が流れるこの国の果てに隠棲したソクラテスパイドロスが訪れる。 》 「3『エウパリノス』について」  14頁

 と始まる。エウパリノスは稀なる建築家。

《 エウパリノスは建築を三つの種類に分ける。建築のうちのあるものは黙し、あるものは語り、またきわめて稀ではあるが、 あるものは歌う。語りもせず、歌いもしない建物は軽蔑にしかあたいしない。(略)しかし芸術だけが作りうる建造物、 おのずから歌うような建物がある。目に見える形と、「歌う」という継起する音のはかない集まりとの偶然ともみえる この結合に、エウパリノスは驚嘆すべき必然をみる。 》 22頁

《 エウパリノスがあくまで避けようとするのは、魂のなかへの、また単に生きるだけの肉体への自閉である。この魂自身の うちへの頭皮と生きるだけの肉体への自閉が、観念論唯物論の誤謬である。 》 24頁

《 歌う建物は、われわれのまわりをめぐり、われわれ自身と入り交い、われわれはその建物から出ることもできるし、 帰ることもできるが、つねに別の入口から帰ったような印象をうけるのである。 》 26頁

 美術館のありうべき姿だろう。僭越ながらK美術館もそうありたと願っていた。資金からして無理なことは承知していたが。 展示品で勝負、と密かに思っていた。でなければ、作ろうとは思わない。

《 人間が造るさいの「切りはなされた原理」は、必ずしも明確なものではないが、少なくとも人間は全体のなかに 三つのものを区別し、それが原理の基礎となる。自分の肉体と魂と残余の世界である。人間の創造はこの三つを考慮にいれて なされる。(略)〈安定した不確実さ〉という観念は、興味深く、奥行きの深いものである。それは自然にたいして、 もう一つの完璧な自然を対置する幾何学者の作品と、その他の芸術家の作品、なかんずく建築作品を区別する重要な要石では ないだろうか。そして古典的な知が〈安定した確実さ〉を求めてきたとすれば、芸術はつねに予見できないものを含む 〈安定した不確実さ〉を求めてきたとはいえないだろうか。〈安定した不確実さ〉は、芸術作品のみならず、現実そのものの 構造にほかならないのではないだろうか。 》 30-31頁

 しびれるような記述だ。

《 そしてあらゆる行為のうちで最も完全な行為は、造る行為であろう。作品は、自分自身持っていると思わなかった 多くのものを私自身から引き出す。 》 33頁

 そのとおりだ。

 ネットの見聞。

《 16th Century Miniature Boxwood Carvings That Fit in the Palm of Your Hand  》 COLOSSAL

 http://www.thisiscolossal.com/2017/01/16th-century-miniature-boxwood-carvings-that-fit-in-the-palm-of-your-hand/

 木彫の精巧な細工物にはぐっと惹かれる。小林礫斎の精緻なミニアチュールにも惹かれる。しかし、小さい!

 https://matome.naver.jp/odai/2142306473969866501

 以前にも紹介したが、四十年程前、伴 正史氏から恵まれた少女像は高さ32mm。下記リンク先いちばん下「思い出の作品」 の向かって右。私はこれで十分。左は、私の依頼で制作された仏像。仏壇に安置。

 http://www5f.biglobe.ne.jp/~ban/sankou.htm

《 How some cool silent film effects were done 》 imgru

 (サイレント映画の特撮の何気なくすごい仕組み)

 https://imgur.com/a/wUAcl

《 From Beautiful Japan (1918) 》 PRESERVED FILMS

 http://www.filmpreservation.org/preserved-films/screening-room/t1-beautiful-japan-1918

 七分過ぎに The Shizuoka Express 。静岡鉄道のことだろう。静岡新聞社・編『今は昔 しずおか懐かし鉄道』静岡新聞社 2006年初版、128頁の写真とほぼ同じ型だ。

《 安倍首相「共謀罪という名称が悪いから国民が誤解する」とか言って「共謀罪」という名称を使わないよう、 政権としてメディアに圧力かけ始めているようだが、これは「見もの」だ。政権の言うなりに、どのメディアが「共謀罪」 との名称を一切使わなくなるか、「政権の広報機関」が改めてハッキリするぞ。 》 きむらとも

 https://twitter.com/kimuratomo/status/819306879570448384

 ネットの拾いもの。

〈 私「陛下がご退位されたらその後どうされるんだろうね」

  夫「笑っていいともから解放されたタモさんみたいにその辺ぶらぶらされたらいいよね」

  私「ブラ上皇

  夫「タモさんと一緒に番組やったら二人とも物知りでめっちゃ面白そうだ」

  私「なにそれ見たい」 》 野間美由紀

 https://twitter.com/rose_m/status/819171215990353920

《  小売の人「小売はやめとけ」

  介護の人「介護はやめとけ」

  出版の人「出版はやめとけ」

  不動産の人「不動産はやめとけ」

  コンサルの人「コンサルはやめとけ」

  アパレルの人「アパレルはやめとけ」

  無職「無職はいいぞー」 》

《 入院中だれも見舞いが来ないからといって110番するのはやめましょう。 》

《 メキシコ人「国境の長いトンネルを抜けるとそこはアメリカだった」 》

2017-01-12

巨大なキティ

 デカければいいという思い込みが現代アート界に蔓延している気がする。実物大ガンダムとかはさておき、巨大な 黄色いアヒルとか。それは街並みをも背景として取り込んだパブリックアートと称されている。

 http://www.hetgallery.com/rubber-duck-project.html

 ならば巨大キティはできないだろうか。それこそシン・ゴジラとは対照的だ。んなおバカなことを夢想した。

 昨日の小原古邨の手にして鑑賞できる美術作品とは対極にある、大きければ崇高でスゴイという思い込みが、 岡本太郎から村上隆に至るまで、日本でも蔓延している気がする。メキシコの巨大壁画など、納得できるものもあるが、 たしかに見上げたもんだぜ、と褒めるのか、揶揄するのかわからない感想が、つい口に出る。それは超高層ビルにも言える。 人は、巨大なものにはまず感心する。しかし、ネパール人が富士山を見て低い〜と笑った話があるように、巨大を競えば キリがない。極小を競っても同じこと。器具で計測できる大きさ小ささの自慢較べには関わりたくない。

 掌に乗る小型の美術作品でも正当に評価しているのが、何度も紹介してきた椹木野衣・編『日本美術全集 第19巻  戦後〜一九九五 拡張する戦後美術』小学館2015年だ。収録されている中西夏之『コンパクト・オブジェ』1962年は、 高24.0cm 幅15.0cm 奥行16.0cm。沢山遼の解説によると、持ち運び可能な「ポータブル・オブジェ」として考案されたという。

 http://search.artmuseums.go.jp/gazou.php?id=53510&edaban=1

 時代はこういうコンパクト作品へ向かっている、と感じる。個人住宅もそうなる予感。豪邸は、私から見れば小さなホテル。 これみよがしの巨大建造物は、二十世紀のお荷物遺産あるいは平成の無駄遺産と、二十二世紀からはみなされる予感。話は戻って、 巨大キティ像が建造されたら、参拝客がひっきりなしになるかも。私は何をおいても行くが。しかし、巨大だと、観る角度で 印象が変わる気がする。ただそのままの尺度で巨大にすればいい、というものでもない気がする……気がする気がする…… 何を気にしておるのか、オレは。

 こんな駄弁を弄したのも、中村雄二郎『述語的世界と制度』の「第1章 序論」を再読して。主語的表現から述語的表現へ、 を拙いオツムでアーダコーダと考えを巡らしているなかでの副産物。以下の記述が気になる。

《 また、私に言わせれば、デリダの〈脱構築〉の戦略は、言述を〈述語的世界〉の方向に自由に解体することによって、 主語同一性の硬直化から救い出すことにあった、と見なすことができるのである。 》 46頁

 言述が幻術のように見えてくる。そしてあらためて視界が開かれる叙述。

《 この述語的同一性による思考は、主語的同一性にもとづく通常の論理によって統一されている現実を問いなおし、惰性的に 統一された総体に亀裂を与え、それをばらばらに分解する力をもっている。ハイデガーの始原の存在を回想するときのことばに しても、デリダが脱構築の方法において駆使していることばの戯れにしても、それらは、このように〈述語的世界〉に解放された 言語表現にほかならないだろう。 》 40頁

 叙述的世界の美術には小原古邨の絵の他に、近現代美術ではジャコメッティか。そしてその分水嶺にいたのがポール・セザンヌか。 すなわち、主語的世界表現の桎梏からの脱却に苦悩していた画家。晩年に至って述語的世界表現にやっとたどり着いた。主語的世界と 述語的世界との間で引き裂かれたのは、マーク・ロスコか。ま、これは妄言ということで。

 昨日は時間ができたので再びクラーナハ展へ、と意気込んでいたが、一昨日から左足が不調。自宅静養。午後二時間も 昼寝してしまった。夜は九時間睡眠。足は少し回復。やれやれ。家こもり。昼前に届いた『2017 新春版画目録』、神保町の六店舗が 共同で出しているものを舐めるように見る。小原古邨が一点、小原祥邨が五点。欲しくはない。古邨、祥邨の木版画は二百点以上を 現物で見ているが、購入したものは十点あまり。自分が良いと思うものしか要らない。祥邨の木版画は一点。

 2007年春に開催した「版画の誘惑展」をたまたま観にいらした中国美術家協会の十八人はえらく感動され、口角泡を飛ばしていた。 そのことが中国の美術雑誌四誌に紹介された。日本人は初紹介。中国で最大発行部数を誇る美術雑誌の記事の翻訳。

《 尊敬すべき人生追及 》 『読者 欣賞』2007年10月号、張得蒂「芸術人生・達人」

 http://web.thn.jp/kbi/tyou.htm

 そのページには味戸ケイコ、北一明。小原古邨そして高橋松亭の作品が掲載されている。

 K美術館のような私設美術館で無料なのだから、中国の公立の美術博物館は無料にすべきという運動が起こって、無料になった、 という中国の記事を後日目にした。北京で蝶々が羽ばたけばニューヨークは嵐になるという複雑系の科学の例え話みたいだと思った。

 ネットの見聞。

《 2度目のクラーナハの後、牡丹苑。水盤に散らした寒牡丹。 》 林由紀子

 https://twitter.com/PsycheYukiko/status/819408308289187840

 わ、いいなあ。

《 「ヤフオク塚本邦雄が50冊ぐらい出てた!」ので、私に読ませたくて買ってくれたらしい。たまーにしかヤフオク見ない奴は これだから。未読塚本4冊はまあいいけど、積ん読の山を築くのに亭主の手を借りる必要は全く無い。 私に読ませる本を勝手に買うな、と言っておいた。後で「茴香変」見せてやる。 》 林由紀子

 https://twitter.com/PsycheYukiko/status/819142226844401664

 私にとって塚本邦雄の三冊なら、『塚本邦雄歌集』白玉書房1970年、『夕暮の諧調』人文書院1971年、『悦楽園園丁辞典」』 薔薇十字社1971年かな。番外として『清唱千首』冨山房1983年、塚本邦雄・選『千歌燦然』書肆季節社1984年。

《 【謹告】拙著『日本会議の研究』、この度、平成29年1月6日付東京地裁の仮処分決定により削除を命じられた 三十数文字を墨塗りしたバージョン、出来決定!!!墨塗りのkindle版も好評発売中!ぜひご注文ください!!! 》 菅野完

 https://twitter.com/noiehoie/status/819123391953154048

《 うむ。これがホントの「お墨付き」 》

《 去年は海外の投資家が日本の株式を売る一方、日銀が大量に買い入れることで株価が支えられた、 いわゆる『官製相場』だったと言える。 》 NHK

 http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170111/k10010834831000.html

 ネットの拾いもの。

《 インスタント・ラーメンで編み物――シンガポール美術家 》 BBC

 http://www.bbc.com/japanese/video-38579544

《 すごいものができた。このスピーカーにbluetoothで繋いで好きなサウンドを鳴らすことができる。カラオケ鳥居というそうな。 》  Daisuke Motohashi

 https://twitter.com/tenguyasiki/status/819069070070796289

《 病院の待合室でNHKのニュース見てたら「カリビアンコム」って言ってて、私と数人の男性だけが三度見くらいした 》  SHIRAKOちゃん.【非公式】

 https://twitter.com/kokoropinpin/status/819021355974725632

2017-01-11

「知られざる木版画絵師 小原古邨」

 昨日購入した市川浩『現代芸術の地平』の「あとがき」から。

《 熱狂的な流行のあと、あっという間に忘れ去られてしまう作品がある。流行の波にのって生み出されながら、今なお 新鮮に生きている作品がある。流行のさきがけをなす作品がある。情況に敏感に反応する作家の表の主張とは裏腹に、 作家の無意識の直観によって、より深層の別の波長の波に同調している作品がある。時流をはずれた時間幅のとり方は、 異質な観点の表現でもある。情況主義がたちまち古くなるのは、そうした情況の錯綜を一次元化して情況を裁断しようと するからである。 》 339頁

 美術作品を愛好する私にとって自戒のことばであり、励ましのことばでもある。その昔市川浩『精神としての身体』 勁草書房1975年3刷を新刊で読んで感銘を受けた。思えば中村雄二郎も種村季弘もその当時新刊で読んだ。あれから四十年。 時は流れた。が、本は遺る。いや、良い本は遺るし再発見される。美術でも同様。一昨日ふれた内野まゆみさんもその候補。 身近すぎて見過ごされる。彼女の名刺は、名前と連絡先は印刷だが、中の絵は手描き。もらった人はびっくりする。印刷? と訊く人が多い。名刺だから見過ごされている。書と絵画を高度に融合させている。これは絵描きにはできない。一瞬の間に 描いてしまうから、油絵などに親しんでいる人は制作時間を考えて労働価値=商品価値はないと勘違いする。制作時間に 惑わされ、名刺大という小ささに惑わされ、絵そのものの魅力を見逃している。

 版画だと何枚も摺るから安いと思われる。版画といえば小原古邨。今世紀初めのグーグルの検索ではたった18件。2001年、 オランダのアムステルダム国立美術館で初の日本人画家の企画展、小原古邨展に合わせ、小原古邨の全画集が商業出版された。 日本の輸入代理店八木書店のパンフレットの小原古邨の記述が間違っているのでメールしたところ、情報がなくてK美術館の 紹介記事を写し間違えましたと返事のメール。

 2017年では約114,000件。十数年で大化けした。昭和初期には海外ですごく売れて話題に。が、昭和二十年に亡くなってからは 全く忘れられた。日本画家事典にも未掲載。河鍋暁斎と似ている。しかし、河鍋暁斎は再発見再評価された。次は小原古邨だろう。 数年前、某鑑定番組が清水町で出張開催になり、電話があった。何か出してくれませんかと依頼されたので、小原古邨の三枚摺り (三点の絵を一枚の紙に摺って後で三つに裁断)を提案した。数日後電話があり、古邨はこれから値上がりするから出さないでくれ、 と某鑑定家から言われたのですみませんと。その三枚摺り木版画は、季刊『版画芸術』135号2007年の特集「知られざる木版画絵師  小原古邨/小林かいち」、49頁で見られる。小説家の寮美千子さんは、私のK美術館で見た小原古邨の絵について書いている。

《 K美術館にお伺いして見せていただいたとたん、心を鷲づかみにされた。 》 『版画芸術』135号38頁

《 生前は、アメリカやヨーロッパで人気を博した古邨。それからほぼ一世紀。すっかり西欧化してしまったわたくしたちの 感性は、いま、古邨を高く評価した当時の西欧の人々の感性と似てきているのかもしれない。古邨の魅力がひとたび知られれば、 燎原の火の如くその人気は広がり、高まっていくことだろう。 》 39頁

 http://web.thn.jp/kbi/koson.htm

 ネットの見聞。

《 第二次大戦後まで、今日文豪と呼ばれる鴎外・漱石は終わったコンテンツ扱いでした。  》 くるぶし(読書猿)

 http://readingmonkey.blog45.fc2.com/blog-entry-747.html

《 「共謀罪の成立なしで五輪は開けない」と、共同通信社との単独インタビューで強調した安倍首相。 日本はそんな情けない国なんですか?

たった2週間の体育祭のために、こんなトンデモな法律を成立させては日本人が廃ります。選手の皆さんも 「共謀罪と引き換えなんか嫌だ!」とボイコットしてください! 》 レア眞海

 https://twitter.com/maumi11/status/819030757356277765

《 つーか、それならオリンピックやめようぜ。 》 想田和弘

 https://twitter.com/KazuhiroSoda/status/818974830498291712

《 共謀罪の解説,これは短くて分かりやすいと思う。「月刊学習」1月号から。 》 Y.WADA

 https://twitter.com/WadaJP/status/818769423964045312

《 中国ではgoogletwitterfacebook も使えず、生活は至って健全。 》 橋本幸士

 https://twitter.com/hashimotostring/status/818344702520881152

 ネットの拾いもの。

《 成人式は戦後始まったばかりの変な風習なので、今のうちに市長を襲うなど繰り返しておけば、 数百年後は市長を襲うための伝統的な式になっている 》 ささみ120g

 https://twitter.com/sasami120g/status/818555155733823488

《 「古本おじさん」はゴールドがあると「幻影城主」に進化し、ゴールドがないと「せどり爺」に堕ちるが、 スペースがあると「三蔵法師」に解脱する。 》 猟奇の鉄人

 https://twitter.com/kashibaTIM/status/818941003507769345

《 恋に溺れる18歳  風呂に溺れる81歳

  心がもろい18歳  骨がもろい81歳

  道路を暴走する18歳  道路を逆走する81歳

  まだ何も知らない18歳  もう何も覚えていない81歳

  自分探しをしてる18歳  皆が自分を探してる81歳 》 あさり

 https://twitter.com/asarida/status/817579952845393920