Hatena::ブログ(Diary)

閑人亭日録

2016-09-29

『乳いろの花の庭から』

 高遠弘美『乳いろの花の庭から』ふらんす堂1998年初版を読んだ。引用されている岡倉天心の手紙文。

《 詩の偉大さは、事物の内部の琴線に触れる力によって測られるものではないですか。一滴の水、蓮の葉をころがる 真珠の一滴の露には、大海そのものと同じ高遠で普遍的な理想の大海が含まれ得ないとでもおっしゃるのですか。 》  75-76頁

 「仏訳『ルバイヤート』のしらべ」では高遠の仏語からの重訳が何篇か掲載されている。その中の一篇。

    なにを措いても私のものとは何であらう

    はたまた 死んでからのち

    私に一体なにが残らう

    私たちの生きの日の

    短いことは火事にも似てゐる

    ほのほを見ても

    通りしぎれば知らぬこと

    のこつたものが灰だとしても

    風がきたれば形(かた)もない

     人ひとり生きた事実も

     それにかはらぬ       136-137頁

 「『鶉衣』の愉しみ」。横井也有の文集『鶉衣』を高遠は高く評価。そして「擂鉢伝」をまず挙げなければならない、 と書く。が。

《 現に、ある出版社から出ている『近世俳句俳文集』では、『鶉衣』からはわずかに九篇しか紹介されていないし、 しかもそのほとんどが『鶉衣』のなかでは第二級のものにすぎない(「擂鉢伝」はもとよりない)。 》 144頁

 その『近世俳句俳文集』小学館1980年6刷は、俳句ばかりを読んでいた。

《 酒場の与太話や寝物語でいったい誰が日本経済の行方やアメリカ大統領選挙について話すだろうか。 》 167頁

 今の話かと勘違いしそうだが、上記は1995年に発表。

 七月に亡くなっていたことを知り、永島卓詩集『暴徒甘受』構造社1970年を開く。「暴徒甘受十二」の一つの連。

    長い毛髪の少女だけが

    唄が痙攣するときに展がる

    泪の方位を定めあぐんでは

    夢の入口で空を見上げている

 味戸ケイコさんの『夢の入口・1』他が浮かぶ。

 http://web.thn.jp/kbi/ajie2.htm

 ネットの見聞。

《 もんじゅに日銀、日本「モラル大崩壊」が止まらない 》 山田厚史 DIAMOND ONLINE

 http://diamond.jp/articles/-/103228

《 ”ご連絡とともに経緯を説明しています」と反論。「本人が(説明に)納得していないということでしょう」 としている”

  あの一方的で意味不明なメールで「説明した」!?

  えええええ(*_*)

  アムネスティ日本は何故キャンセルしたのか 》 ろくでなし子一審一部無罪!

 https://twitter.com/6d745/status/781060013171146752

《 ろくでなし子イベント「開催」→「中止」→「やっぱり開催」 主催のアムネスティがドタバタ  》 ろくでなし子一審一部無罪!

 https://twitter.com/6d745/status/781423522291720192

 ネットの拾いもの。

《 映画を見る習慣がないので、世間で評判になっている作品もTLの情報だけで内容を推測するのが常なんだが、 ここに来て『君の名は。』の舞台が数寄屋橋ではないらしいと知り、戸惑っている。もしかして真知子巻きも出ないのか。  》 大矢博子

 https://twitter.com/ohyeah1101/status/780405497539072000

《 今日新たに得た情報は、「『君の名は。』の舞台は岐阜」というものだったので、あたしの脳内では 数寄屋橋の代わりに、よく川に飛び込んでる郡上八幡のあの橋か、でなければ川原の露天風呂が丸見えの下呂のあの橋か、 どっちかで迷っている。 》 大矢博子

 https://twitter.com/ohyeah1101/status/780406429739954176

《 TL情報を全部信じたら、この世の映画の8割は最期に溶鉱炉に沈むことになる。 》 大矢博子

 https://twitter.com/ohyeah1101/status/780410057313820672

《 皆さんのリプを総合すると、神木隆之介が真知子巻きをして信濃町駅前の神宮外苑へと続く歩道橋から 親指を立てながら溶鉱炉に飛び込む話になるんだが。 》 大矢博子

 https://twitter.com/ohyeah1101/status/780410844588888064

《 き、貴様ら、途中からシン・ゴジラ混ぜやがったな!?(もちろんそっちも見ていない) 》 大矢博子

 https://twitter.com/ohyeah1101/status/780411760108900357

《 そう言えば『シン・ゴジラ』は「最後は野村萬斎が手のひらを上に向けて溶鉱炉に沈んでいく」と聞いたんだが、 これは「嘘やろ!」とは断言できないでいる。ないとは言い切れない気がして。(ネタバレだから言っちゃダメだよと 言われたんだが) 》 大矢博子

 https://twitter.com/ohyeah1101/status/780412578899951616

《 嘘やろ! なんぼなんでも、神木隆之介が岐阜の山中でゴジラに「君の名は?」と尋ねるっつーのは絶対嘘やろ! 》  大矢博子

 https://twitter.com/ohyeah1101/status/780415691845361665

《 そもそも岐阜なら、親指を立てて沈むのは溶鉱炉ではなくスーパーカミオカンデであるべきだ。 》 大矢博子

 https://twitter.com/ohyeah1101/status/780416630178275328

2016-09-28

「乳房」

 味戸ケイコさんから新作展の案内葉書が届く。

「夕暮れの少女」10月17日(月)〜29日(土) ギャラリーハウスMAYA

 http://www.gallery-h-maya.com/schedule/17479/

《 17、20、22、26、29、ギャラリーに行っています 》

 ブックオフ長泉店で二冊。浅田次郎・選『人情小説集 うなぎ』ちくま文庫2016年初版、原宏一『大仏男』 実業之日本社文庫2013年初版、計216円。

 高遠弘美『乳いろの花の庭から』ふらんす堂1998年初版、表題のエッセイを読む。乳房にまつわる文学作品を逍遥。

《 ただし、その際、古典作品は敢えて省き、近現代に絞ったことに加え、小説の引用をなるべく少数にとどめ、 詩歌の花壇を中心に小さな散策をするにとどめたことはお断りしておかなければならない。 》 13頁

 紹介された作品で、堀口大学「乳房」1947は知らなかった。22連の中から。

    15 乳房 かたちのない形

       乳房 慎み深い淫逸

    18 乳房 男の最初の餌食

       乳房 男の最後の渇き

《 堀口大学がいなければ、わが国のエロティック詩はずいぶん寂しいものになっていたはずである。 》 23頁

 エロティックといえば、上田三四二短歌を思う。

    やはらかき躯幹をせむるいくすぢの紐ありてこの晴着のをとめ

《 もうすこし彼の詩を引いておこう。

    春が来て

    あなたの胸のブラウスの

    絞りの豆がかたくなる

    そよ吹く風の指の下   (堀口大学「乙女子に」)  》 24頁

 河野裕子の短歌を付けたくなる。

    ブラウスの中まで明るき初夏の陽にけぶれるごときわが乳房あり

    今刈りし朝草のやうな匂ひして寄り来しときに乳房とがりゐき

 夫の永田和宏の短歌。

    剥がれんとする羞しさの渚──その白きフリルの胸元

    悪意なき殺意もあらん工房の昼マネキンの裸の乳房

 女性の歌に惹かれる。

    抱へたる薊に刺されて乳房あり告白するとはきめてはをらぬ  角宮悦子

    胸像のさびしきまでに尖りたる乳房もて曳く一条の闇  佐藤よしみ

 極めつきは中城ふみ子だろう。

    失ひしわれの乳房に似し丘あり冬は枯れたる花が飾らむ

《 または大岡信「秋景武蔵野地誌」(一九七七)。 》 31頁

《 そう言えば、大岡信には名作「光のくだもの」(一九七八)があった。 》 31頁

 この二篇は『自選 大岡信詩集』岩波文庫2016年に収録されている。

《 まずはその美しさに我を忘れ、「息づく果実(くだもの)」の甘くかなしい感触のうちにひたすら時を忘れるに しくはない。 》 41頁

 三浦雅士が『自選 大岡信詩集』の解説を「ある愛の果実」と名づけたのは。詩「光のくだもの」と高遠弘美の 「息づく果実(くだもの)」によるのかな。

 余談だが、「秋景武蔵野地誌」は、詩集『透視図法─夏のための』1972年に収録されている。ミスだろう。

 ネットの見聞。

《 (承前)に家内共々連れて行つて頂いたこともある。私が『乳いろの花の庭から』(88年)を出したとき、 お祝ひに、フランスで刊行されたマルローの序文附きの大判のフェルメール画集を贈つてくださつた。 温厚を絵に描いたやうな方で、亡くなつたと知つて、優しいお顔ばかりが浮かぶ。ひたぶるに悲しい 》 Hiromi TAKATO 

 https://twitter.com/Thouartmore/status/780718615062458373?lang=ja

 絶版になることを嘆息した彼の書き込みで知り、新刊で購入。(88年)は(98年)の誤記。

《 造本の美しさ、本棚に並べて楽しいようなデザイン、読みやすい紙面構成、携帯しやすさ、内容にフィットした イラスト、すぐに読みさしの中身が見つけられるようなインデックスの充実、そして何よりプロならではの編集と校閲 ――この一番最後のところが無気力になったときこそ「紙の本」の終わりだろう。 》 芦辺 拓

 https://twitter.com/ashibetaku/status/780812928328998912

《 骨董品や古書を漁るのは楽しいが、偽物も多いので注意が必要。勲章や古写真は有名で、 最近でも某軍に関する偽写真を新発見として発表した例がある。一方、SPレコードのように偽物の製造自体が 難しい例もあるが、ウェブ上にはレーベル部分を捏造した画像をあげて蒐集品自慢をしている例もある。怖い。 》  辻田 真佐憲

 https://twitter.com/reichsneet/status/780219901482979328

 ネットの拾いもの。

《 イタリアではおっぱいをseno(セーノ)というんですが、日本人が重い物を持ち上げる時に"オッパイ!"と 掛け声をかけるのがイタリア人にとってはすごく面白いらしいですw 》 Mammy

 https://twitter.com/415Mammy/status/82357768174047232

《 男「おっぱいを揉ませてください」

  女「嫌です」

  男「ふざけるな!じゃあ代案を出せ!」

  とまあだいたいこれが

  おっぱいを揉みたい(憲法を改正したい)自民

  揉まれたくない(改正したくない)野党の問答です 》 Simon_Sin

 https://twitter.com/Simon_Sin/status/780763291488440320

《 【300年後、極東のホストクラブで名前を連呼される運命を彼は知らない】

  フランスの修道僧ドン・ペリニョン(1638〜1715)シャンパーニュ地方で生まれ、シャンパンの完成に生涯を捧げる 》  フランス書院文庫編集部

 https://twitter.com/franceshoin1985/status/780404346366328833

2016-09-27

『見世物大博覧会』

 山口昌男の三部作『「挫折」の昭和史』『「敗者」の精神史』『内田魯庵山脈』を読んで、プラハ生まれの劇作家で チェコ共和国の大統領を努めたヴァーツラフ・ハヴェルの言葉が浮かんだ。

《 たしかに、ある意味では、知識人とは、もともといつでも戦う前からすでに敗北しているもの、いわば、 永遠なる敗北を宣告されたシジフォスのごときものであり、勝利している知識人なんぞというものがうさんくさい のです。ところがまた一方では、べつの、もっと深い意味において、知識人は、自己のあらゆる敗北にもかかわらず 敗北しないでいる──シジフォスのように──とも思います。まさに自己の敗北によって勝利するのです。 》  木田元・編『一日一文』岩波書店2004年2刷、「9月2日」

 ネット注文した図録『見世物大博覧会』国立民族学博物館2016年が届く。大阪には行けないので、これで我慢。 内田魯庵が知ったら我が意を得たりと大いに喜ぶだろう。

 http://www.minpaku.ac.jp/museum/exhibition/special/20160908misemono/index

 すっ飛んだ(見世物だから当然)展示物から連想が飛ぶ。1970年前後の全共闘〜反体制運動でばらまかれたチラシも、 このような見世物とつながっている……まずは人が集まらなければ始まらない。当時のアジビラ(ガリ版刷り〜活字) を保管しているが、面白い。1970年の「安保6・15記念前夜集会 6・15大統一行動 日比谷野音 午後1時総結集」の ポスターは、たしか電柱に貼ってあったものを深夜密かに剥がしてきた。見つかったら半殺しの目に遭う。「主催  革命的共産主義者同盟・マルクス主義者青年労働者同盟・マルクス主義学生同盟・中核派」。

 明治は四十五年。1970年からすでに四十五年を越えた。

 横のつながりを内田魯庵(そして山口昌男)は重視したが、東大全共闘議長の山本義隆の奥さんは画家の山本美智代。 彼女の多摩美術大の山岳部の後輩が味戸ケイコ。山本美智代さんが表紙を手がけていた雑誌『南北』1969年最終号29号 の裏表紙には山本美智代印刷画集『銀鍍金(ぎんめっき)』前衛社の広告。執筆者には稲垣足穂、加藤郁乎、種村季弘塚本邦雄ら、私の好きな文筆家たちがずらり。このつながりはじつに面白く興味深い。『見世物大博覧会』のトリを 飾るのは十五ページを費やしている寺山修司中井英夫が彼を世に送り出し、寺山の葬儀では弔事を述べた。山本美智代 第二画集『銀鏡 MIRRORING 』三彩社1976年には中井英夫の短文「見えない手」。紀伊国屋画廊の個展で中井英夫から 本を勧められ(強要)一万円を払った。財布には千円札一枚。帰りの切符は買ってあったからよかったけど。寺山修司が 評価し、手を貸した語り女・松田晴世。彼女と一緒に紀伊国屋ホールへ寺山修司へ挨拶にいった。その時代特有のネット ワーク、人間関係の横の網目が広がってゆく。

 昭和四十年代の新宿西口という場に引き寄せられた文筆家、音楽家、美術家、演劇家、思想家、活動家らが起こした 逸話、騒動の数々は、いやあ空前絶後だったなと、今にして思う。2003年9月9日(火)〜11月2日(日)、小特集 「新宿・言葉・JAZZ 1966〜1975」展を「昭和40年代の記憶」という副題でK美術館で催した。

 http://web.thn.jp/kbi/zz1.htm

 朝、電気温水器の検査に来た係員から「テレビ出てましたね」と言われる。NHK総合の再放送。来月、源兵衛川のゴミ拾いをしている場面が放送される予定。女優の羽田美智子から声をかけられる。NHKBSプレミアム10月14日(金)午後9時 〜10時「発見!体感!にっぽん水紀行『富士山麓』」。

 昼、内野まゆみさんに誘われて裾野市水窪のカフェ「草の実」で昼食。食材はすべて自家農園で育てたもの。美味しい。 肉がないのに満足感と幸福感を久しぶりに味わう。正解。惜しいのは、月火金の昼〜午後四時の営業。臨時休業もある。 欲のないいい感じの店。隠れ家とはこういう店を言うのだろう。小旅行をした気分。

 ネットの見聞。

《 ベトナム国鉄ハノイ駅付近。

  大幹線である南北線(統一鉄道)だが、駅を出発した途端にこんな路地裏を突き抜けてゆくから面白い。 》 だーはら

 https://twitter.com/W_gakuin_KH/status/779515046644682752/photo/1

《 時が経つにつれてだんだん黄色くなる紙を使ったと、編集の方から聞きました。今から楽しみです。 》 林由紀子

 https://twitter.com/PsycheYukiko/status/780379782005469185

 末永昭ニ『貸本小説』アスペクト2001年初版、「あとがき」

《 本文用紙には、時間がたつと貸本そっくりに変色する紙を選んでいます。 》

 ネットの拾いもの。

《 某書店に永六輔さん大橋巨泉さんなど最近亡くなった人の著書を並べたコーナーがあった。徳川家康の本もあったので、 ああ家康も亡くなったかと一瞬しんみりした気持ちになったが、それは隣のコーナーの本だった。 》

2016-09-26

内田魯庵山脈』其の八(完)

《 日本近代の面白さの一つは、数々の新しがり屋が出て先人の業績否定を行ってきたが、最も鋭い感性の持ち主には 一貫した趣向が持ちつづけられるということである。その例が今触れているルイーズ・ブルックスである。ルイーズ・ ブルックスについては晩年の淡島寒月がすでの明治年間に書いた文章において触れている。それに魯庵がモダン・ガールの 精粋として触れ、大岡昇平が晩年に一冊の本を出している。小林秀雄河上徹太郎にはこの粋さが欠けており、骨董に 埋没したとはいえ、映像の世界のモダニズムにこの二人の批評はついには無縁であった。 》 554頁上段

《 魯庵のモダンに対する考え方は近代日本の屋台骨の貧弱さという点にかかっている。新思想、新学問、図書館に対する 理解の低さ、女性解放運動、蒐集行為の不徹底、これらすべては魯庵が不断に論じていた根において繋がる問題であったのだ。  》 555頁上段

《 魯庵が創出した思考、および表現のスタイルは、文による一種のコラージュのようなものであった。これは同時代的に 世界のさまざまの地域で試みられていた知のスタイルであった。つまり、小説、リアリズムの絵画などの十九世紀末以前に 確立された連続性に基づく全体像の提示に対して、この共通の方法は、非連続を恐れないところにある。 》 593頁上段

《 うさんくさく見られる随筆スタイルこそ、日本文学の定形からいちはやく離れて、モダン・アートの陣営に加わる魯庵 独自のやり方であり、これこそ、日本近代文学研究のなかなか言い当てられなかった方法なのである。そういった魯庵= モダンの像を、近代文学史の中から取り出す試みでもあった。 》 594頁下段(結び)

 山口昌男『内田魯庵山脈〈忘れらた日本人〉発掘』晶文社2001年初版を読了。労作であり大著であり、先見の著作だ。 とりあえずは読んだ、という報告。知らない漢字が頻出して、その都度重い漢和辞典を引いた。簡単なのに苦労した漢字が 「苟も」。部首索引では艸(くさかんむり)で、前後の文から「いやしくも」だろうと予測して正解だったが。

 真夏日で暑い午後、ブックオフ函南店へ自転車で行く。古川日出男『 MUSIC 』新潮社2010年初版帯付、伊坂幸太郎夜の国のクーパー創元推理文庫2015年初版、門井慶喜『ホテル・コンシュルジュ』文春文庫2015年初版、古今亭志ん生 『なめくじ艦隊』ちくま文庫2011年21刷、薄田泣菫『茶話』岩波文庫1999年4刷、計540円。行ってよかった。帰りがけに 知人の店 TEKETEKE に寄り、署名紙を受けとる。それをグラウンドワーク三島事務所へ届けて帰宅。ふう。

 http://www.geocities.jp/teketekeweb/index.html

 http://www.gwmishima.jp/modules/information/index.php?lid=1531

 ネットの見聞。

《  『内田魯庵山脈』を語る〜東京外骨大学公開講座〜 》 山口昌男

 http://www.cokes.jp/pf/shobun/html/tyosya/tyosya-2k1-2.html

《 もんじゅ廃炉も、新型高速炉建設も、ペーパープランに終わるだろう。前例も見本も無いオペレーションを遂行できる 組織が日本に現れる訳がない。例えは不適切だが、経産省は、実行できる部隊が存在しないのに、稀有壮大な作戦を立案して 自己満足に浸っている軍司令部と同じと言える。 》 春橋哲史

 https://twitter.com/haruhasiSF/status/779709990751703040

 ネットの拾いもの。

《 ♪ 少女U〜 》

2016-09-25

内田魯庵山脈』其の七

《 魯庵の批判は、図書館、博物館が、さまざまなコレクションの総体からなっていないという成立の根本理念を 衝いていて鋭い。今日ではこのコレクション嫌いは大学図書館書物嫌いという形で各所に表れている。 》 475頁下段

《 美術館などという空間消費量の多い媒体よりもCD-ROMにでも収めればよいという考え方も成り立つだろうが、 情報と芸術は空間の中で持つ意味は違うはずである。 》 477頁上段

《 つまり魯庵は、芸術絵画と複製技術としてのポスターを混同してはいけないという視点に立っているのである。その点で 魯庵はベンヤミンの複製芸術論を先取りしているのである。魯庵は来るべき美術を語る知について予見していた幻視者であった といえる。 》 480-481頁

《 新しさや若さはその挑発性のゆえに守りに入った世代・年代の人々から文化の危機と見做されるされることが多かった。 つまち文化の危機と受け止められる要素の中に、歴史の活力と伝統文化の中に潜む規範を越えていくものの結合の形を魯庵は 見抜いたのである。魯庵はこの立場を息子の巌にも適用して放任主義をとったのだが、それが幸いしたか否かはまた別の問題に 属する。 》 504頁下段

 先の頁のくだりが浮かぶ。

《 戦後、藤田嗣治を戦犯として激しく糾弾し藤田をそて日本を去らしめたのは、日本共産党に入党した魯庵の息子内田巌であった。  》 463頁

《 魯庵は本来日本の芸術の研究的基礎がないと言う。婦人解放運動の底の浅さを魯庵は言っているのであるが、それは今日に ついても同断である。 》 511頁下段

《 しかし社会の反撥は先覚者が常に支払う名誉税である。 》 514頁

《 結局魯庵の西欧のイメージが明治以来の西欧の知識の吸収=教養の形成にとらわれていたという事実と無関係ではなかろう。

  このあたり私は、限りなく私を魅了してやまない魯庵に対して反逆しつつある気がしないでもない。私もそろそろ魯庵の 不思議の国から巣立ちするべき時が来たのを感ずる。 》 521頁上段

 午後、境川を最終チェック。狩野川の接続部まで自転車で行き、遡る道を頭に叩き込む。川筋の右を歩いたり左を歩いたり。 あるときは田んぼのあぜ道を歩く。国道一号線、旧東海道までは決まった。帰りがけにネットゲリラ氏のお宅を訪ね、依頼された 案件の情報を伝える。調べてみる、と乗り気。そんなことより、焼きものだ、と作りかけの急須を見せて薀蓄を披露される。

 http://my.shadowcity.jp/2016/09/-2500-3781.html

 ネットの見聞。

《 アートと地方の危険な関係〜「アートフェス」はいつまで続くのか? 》 貞包 英之

 http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49691

《 裁判官らの判断の根拠はどこにあるのか全く不明だ。国がほかの移転先を真剣に検証したのか。代替施設が必ず必要なのか。 様々な意見や資料に当たることなく導き出した判決は、裁判官個人の持論でしかなく客観性に欠ける。 プロの書く判決ではない。 》 岡口基一

 https://twitter.com/okaguchik/status/779632629494624257

《「西洋の技術に東洋の道徳」みたいなことを理想に掲げたのは佐久間象山だったか横井小楠だったか忘れたが、 産業革命をアジアで唯一なしとげた日本には、思想と哲学と道徳が欠けていた。その大きなツケが戦前、戦後、現在と 回り回っている。 》 高橋正明

 https://twitter.com/buzzmeak/status/779347131492511745

 ネットの拾いもの。

《 身寄りの無い人が入るお墓を「一人墓地(ひとりぼち)」と言うそうです。あんまり深く考え過ぎないようにしましょう。 ご参考までに。 》 坊主

 https://twitter.com/bozu_108/status/779538015613964288

2016-09-24

内田魯庵山脈』其の六

《 筆者はかつて三十年前、「徒党の系譜」という文章において、少数派の徒党は歓迎するが、多数派の徒党は いただけないことを主張した。今日日本の学界はほとんど学閥・地方閥を中心とする多数派徒党の巣になってしまった。 曰く、文化人類学党、社会学党、東京大学党、関西党等々……。[永井]荷風の言う「結社は必ずしも身を守る道とは いへない」という言い方には全面的に共感するのである。 》 375頁

《 私はこのところ、一人の人間を通して時代および文化を描くために、その人間がそれぞれの時にまわりに持っている ネットワークもその人物アイデンティティの一部として考える立場をとっている。ネットワークの中に浮かび上がってくる 人物を、対象としての人物との関係において詳細に見ていくと、その人物も対象人物も異なる相貌を帯びてくる。ということは、 それらの人物群を通して特定の時代または文化の、これまでステレオタイプ的に描かれたものとは異なる像が浮かび上がってくる。 魯庵を、明治から昭和初期に至る日本の知的文化を浮かび上がらせるための最もふさわしい人物として私は選んでみた。それは、 彼がその時々において選んだ人物で築き上げた最も包括的な人物群からなるネットワークの持ち主であったことによると 確信しているからにほかならない。 》 390-391頁

《 榎本たちの獄中生活については、加茂儀一は『榎本武揚』(みやま書房、昭和四十三年)の中で次のように述べている。 (中略)

  この牢屋は数個の房にわかれていて、到着早々榎本はじめ他の六名の敗将たちは、それぞれ一人ずつ各房に入れられ、 牢名主を申しつけられ、牢内の未決囚の取締りをするなど、この点は伝馬町の本牢屋と同じであった。(中略)そのなかには 殺人犯、強盗犯、放火犯、恐喝犯などの市井無頼の徒もまじっていた。ある話によると、榎本が最初房に入れられるや否や、 その房の牢名主が傲然として榎本に罪状披露を要求し、彼に向ってしゃばにいたときどんな悪事をしたか、名を名のれと 怒鳴ったので、榎本は「己は箱館戦争の榎本じゃ」というと、一同大いに驚いて平伏し、それからは榎本を牢名主とし、 その晩から榎本の肩や腰をもむやら、食事の世話をするやらして、お蔭で彼は獄中で楽をしたということである。 》  415-416頁

   「27章 奇(キューリオ)の人類学」で著者は内田魯庵について今までになく熱い口調で語る。その一部。

《 結論から先に言おう。近代日本で比較文化などということをまともに扱った人物は内田魯庵と人類学の創始者坪井正五郎 しかいない。

  西洋史、東洋史、美術史、国史民俗学社会科学、音楽史、哲学史、どれをとってもそれらの分野は専門的細部化を たどってきただけであるから、今日、比較などということを口にする資格もない。 》 439頁下段

《 「蒐集学といふ講座は大学にも無く、蒐集学講義録といふものもマダ何処からも発行されていない」と魯庵は言う。 》  442頁下段

《 先見の明とは魯庵のこの視点をいうのだろう。この文章が書かれた頃、こんなことを公言していた文人、学者はいなかった はずである。明治の魯庵と大正の魯庵の違いはこの一点を言い当てたところにある。 》 443頁下段

 「その一点」とは以下の文のこと。

《 最も透明な科学的頭脳から見れば、世界に蓄積を値ひしない廃物といふ物は無いのだ。どんな廃物の中からでも人間の 生活を豊かにする何物かを発見出来るので、世界に真の廃物といふものは元来無いのだ。 》 443頁下段

《 人類学が野蛮人の芸術を領分として扱ってきたというのは大勢においては今日まで続いている状態である。淡島寒月や 魯庵のような目利きが人類学の対象としても芸術としても見る眼を養っていたと、今でも言いうるのである。 》 451頁上段

《 小説論を中心とした文学論から顧みられた魯庵はやや不利な立場が続いてきたが、文化に向かって開かれた建築論などの テキストの作者として、文化研究の展望を開いた人物として今後は熱い視線を浴びはじめるにちがいない。 》 451頁

《 一畳敷の叙述に入る前に、魯庵は沼津の三味線屋の隠宅にあった奇妙に面白い工夫が凝らされた建物について論じている。 》  453頁下段

 これは気になる。空襲で焼けてしまっただろうが。

 ネットの見聞。

《 池澤夏樹 編『日本文学全集 29 近現代詩歌』河出書房 》

 https://www.amazon.co.jp/%E8%BF%91%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E8%A9%A9%E6%AD%8C-%E6%B1%A0%E6%BE%A4%E5%A4%8F%E6%A8%B9-%E5%80%8B%E4%BA%BA%E7%B7%A8%E9%9B%86-%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%96%87%E5%AD%A6%E5%85%A8%E9%9B%8629-%E8%A9%A9/dp/4309728995

 池澤夏樹 選の詩では大岡信の「地名論」と「あかつき葉っぱが生きている」の二編が採録。未知の作家。詩では「北村初雄 日輪」 「原條あき子 娼婦 2」。穂村弘 選の短歌では「石川信雄(信夫)」。小澤實 選の俳句では「井月」「増田龍雨」。気になる。

《 まもなく跡形もなく消えてしまう風景。壺屋から開南地区は戦後復興の出発の地だった。たくましく生きてきた住民の 証左というべき建物があった。文化財といえるのではないか。 》 仲村清司

 https://twitter.com/namcle/status/778813475812278272

 ちょっと沖縄へ……。

《 芸術祭とかトリエンナーレとかが増えすぎには同感だけど、自治体が芸術家を使い走りに使っているというよりは、 芸術家の親玉が地域活性化というネタで予算を引き出し、手下となる芸術家とお祭り騒ぎやっているという側面も・・・。 》  木下斉

 https://twitter.com/shoutengai/status/779187322851987460

《 何度もいうけど、そもそも人寄せしても、地元資本企業が儲け出せるような構造でない限りは、社会コストが増加するだけで 地域活性化になるとは限らないというシビアな現実もある。つまり増加しすぎた芸術祭は芸術なのかどうかさえ怪しく、 また地域活性化にも寄与しないというところもあるのよ。 》 木下斉

 https://twitter.com/shoutengai/status/779187519652888576

 ネットの拾いもの。

《 こんなギャグを言ってもいいほど、小泉喜美子さんの逝去(1985年)も歴史上の出来事になったんだ。では私も安心して、 「ミステリ界の悪臭を絶つ小泉キムコ」。 》 新保博久

 https://twitter.com/oldmanincorner/status/778209614206676992

《 #豊洲の地下の秘密 》 ちょっかつ023

 https://twitter.com/tokukei0345/status/779504291383877632

2016-09-23

内田魯庵山脈』其の五

《 大正末から昭和にかけて『いもづる』という無料の趣味雑誌が存在した。編集人は斎藤昌三。 》 280頁上段

《 「いもづる」は「以毛図流」「以茂図流」とも書き、「以茂随流」などとも書いた。そしてお互いを”いも仲間” と称したという。 》 281頁下段

《 日本社会はタテ型と理論化する向きもあるが、この『いもづる』を見ていると、ヨコ型の可能性が示されて 興趣尽きることがない。行き詰まりにきている日本社会の未来図を見る想いがする。 》 296頁上段

《 斎藤もまた「”見えない知”の文の演出家にして巨匠」というべきであったような気がする。淡島寒月も見える人 だけに見える巨匠であり、魯庵もまた、半面を可視的な世界に目を向け、他の半面を不可視の世界に身を預けたために、 後の世の文学研究者にはほとんど見えない巨匠になってしまった。 》 316頁下段

《 この「いもづる」に集まった知がなぜ不可視になったか。それは一つに、このネットワークが、しいて学問・芸術を 装わなかったからであった。 》 322頁上段

《 その後、平凡寺は、本ばかり読んでいてもしようがないと、写真屋を開業した商売としてはまるで成り立たなかった。 (中略)ちょうど漱石の『吾輩は猫である』の出版された頃であった。夏目家に出入りしていた中村某が平凡寺の猫の写真を 漱石に進呈すると言って持って帰った。三十年経って夏目純一に平凡寺の末娘が嫁いだ。その子息が、同じ『異彩天才伝』 の雨田の文章の前に「祖父のことなど」が収められている漫画家夏目房之介氏である。 》 330頁上段

 本棚から荒俣宏『異彩天才伝』福武文庫1991年初版と夏目房之介『不肖の孫』筑摩書房1997年3刷を取りだす。後者から。

《 このヘンな人、じつをいえば私の母方の祖父なのである。いやはや。

  名を三田林蔵、三田知空と号し、のちに平凡寺と改めた。 》 37頁

《 奇人変人の常として、本人はイイがまわりが迷惑なタイプなのである。 》 37頁

《 ただ、離れには50年代前半当時には珍しいテレビがあって(母屋にはなかった)、それをみたさにいくのである。 すると入口には「いるす」の表札がかかり、中には珍奇な大小の物体が並んでいた。 》 39-40頁

 『内田魯庵山脈』へ戻る。

《 ハイブラウで西欧文化の吸収に全力を尽くしていた魯庵が、ローブラウで肩の力を抜いて付き合っていた三田平凡寺に 敗れ去った、そしてその事実は同時代の誰によっても気づかれなかったというのは、文化史の中で限りない興味を呼ぶ。 》  338頁下段

 松本 哉(はじめ)『世界マヌケ反乱の手引書 ─ふざけた場所の作り方』筑摩書房2016年9月刊を連想。

 http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480815330/

《 国や大企業に頼らず、金をあまり使わないで楽しく生きる奴らが、交流する場所を作って繋がり、 世界をひっくり返す愉快な方法! 帯文 いとうせいこう他 》

 『内田魯庵山脈』へ戻る。

《 そして魯庵と三田平凡寺は、当時の国の内外を問わぬ国際的なネットワークではほとんど双生児といってよい存在だった。  》 350頁下段

《 大正時代特有のコミュニケーションの形態で横の繋がりが表面化したことは大事である。「物」を集めながら板祐生 (いた・ゆうせい)や内田魯庵が求め集めていたのは、ヒューマン・ネットワークであった。魯庵や山中共古らが集古会や 古典を読む会などで追究していたのは、「物」研究を通して心の奥の部分で強い精神のパイプをつくることであった。 》  359-360頁

 ネットの見聞。

《 定期的にやっている、所蔵品の全チェック。絵の具の種類だったり、紙の質だったり。環境も含めて絵には 様々な変化が起きていることが分かる。味わい深くなるのものもあれば、少しずつ劣化しているのが分かるものもある。 まったく変わらないものもある。気を使う作業。 》 S.Yanagihara

 https://twitter.com/tornparchment/status/778811911093616640

《 チェックは気を使うし、ヘトヘトになる。 》 S.Yanagihara

 https://twitter.com/tornparchment/status/778822384996397057

《 「美術作品を持つとその作品を管理する責任が生まれる」という方もいらっしゃいますが、 私はぜんぜん共感できません。どれだけ気を付けていても、管理の甘さや作品の品質で劣化はすると思います。 何より、鑑賞を楽しみたくて作品を持つのに、それがストレスを生むのは本末転倒です。 》 S.Yanagihara

 https://twitter.com/tornparchment/status/778824368172376064

《 生活の中に美術作品があれば、劣化して当然です。有名絵画も、生活空間で楽しまれ、 今は美術館にあるというものが少なくありません。 日々の中で、どれだけ飾った作品と触れ合えるかを楽しむかが大事です。 》 S.Yanagihara

 https://twitter.com/tornparchment/status/778826067775598593

 自宅では北一明の大きな書作品や安藤信哉の大型絵画などは飾れない。いつ、どこで展示できるか (金を出せばどこでも)。味戸ケイコさんの絵は、来月下旬沼津市のギャラリー・カサブランカで数日間展示。

 https://twitter.com/ga_casab/status/776030320227340288

《 また、「日本の開放性を推進する」として、「一定の条件を満たせば世界最速級のスピードで永住権を獲得できる国になる。 乞うご期待です」とアピールした。 》 日テレNEWS24

 http://www.news24.jp/articles/2016/09/22/04341646.html

 ネットの拾いもの。

《 「ここでビート◯けしがバイク事故起こしました」「ここで草◯剛が裸で捕まりました」など都内ゴシップ名所を 案内してくれる"はとゲスツアー"があったらかなり希望者が居るのでは?とヨメが真面目に言っているがそれなら 俺も興味ある。 》 T. Hosoda

 https://twitter.com/fodaboy/status/778901007413620736

 源兵衛川を下りながら、対岸に昔池のある素敵な喫茶店ラペがあって、石原裕次郎がくつろいでいた、と言っても、 池は埋められ建物が変わってしまっては、なあ。

《 書庫に入れる人がうらやましい。 》

2016-09-22

内田魯庵山脈』其の四

《 横尾勇之助は、新聞記者が在職中一、二冊本を出版しただけで停年後に簡単に大学教授になれる今日の風潮の 中でならば、楽に教授たるべき人材であった。しかし魯庵同様それを特に望む人物でもなかったことは確かである。 》  188頁下段

《 いったい、旧軍人に対する反感はいまだに相当強い。拙著『「挫折」の昭和史』(岩波書店)の中で石原莞爾を 好意的に取り上げたところ、川本三郎、花輪莞爾といった人々から、どうしてそんなに軍人が好きなのかという 批判をお手紙で受けた。 》 193頁上段

《 趣味家として魯庵はあらゆる分野において完成していた。蒐集というものは「人に先んじて、誰も気のつかない 時に地みちに蒐めなくては」駄目だと話したことがある。 》 196頁上段

《 もちろん、これまで日本の人類学の歴史に横山源之助の名を見たことがない。こらからも当分ないであろう。 横山は客観的に貧しい人々を描写したのではなく、演劇的に再現したのである。演劇的ということは、少なくとも 文章の中において描写する対象と生を共有、共に生きたことを意味する。 》 200頁上段

《 緒方塾を飛び出して江戸に戻る旅。宿で六十五、六の旅の僧侶と相部屋になり意気投合して、沼津で別れるとき、 旅の僧は自らを豆州戸田村の宝泉寺の住職と名乗り、同道を勧めた。勧められるままに久米蔵は宝泉寺に滞在し、 僧が他界すると住職を継ぎ、康西と名乗った。 》 217頁下段

《 橘耕斎の前半生はピカロの物語であり、適塾以後の旅は「天路歴程」は大袈裟にしても「耕斎歴程(プログレス)」 といってよい。

  耕斎が伊豆の戸田に落ち着いたと思われる頃、彼を国外へ押し出すような大事件が起こった。安政の大地震である。 その結果、下田に停泊していたプチャーチンの率いるロシア軍艦ディアナ号が大破した。(中略)ロシア側は代艦の 建造のため船材と船大工の提供を依頼し、幕府はこれに応じた。(中略)プチャーチンは大工に誰か有能な通訳として 助けてくれる者がいないかと相談した。『事物起原』の記事のごとく耕斎の名が挙がった。プチャーチンのオランダ語 通訳ゴシケヴィッチは特に耕斎と肝胆相照らす仲となった。(中略)こうして耕斎は日本を脱出し、ロシアへ密航する ことになる。 》 218-220頁

《 到着後二年、安政四年(一八五七)にゴシケヴィッチと共著で『和魯言比考』という日露辞典を著している。 語学の天才であったことを疑う余地はないだろう。 》 221頁下段

《 大槻如電(じょでん)『新撰洋学年表』(昭和二年 発行者大槻茂雄)を見て驚嘆した。昭和二年に発行された本に 十六頁にわたって索引が付載されているのは信じ難いことである。

 その索引を頼りに橘耕斎を引いてきたところが、あったのである。 》 227頁上段

《 ○明治壬申岩倉具視大使に従て帰朝す後十三年死 》 227頁下段

《 大槻如電は仙台藩の佐幕派家臣であった。如電は明治大正文化史の傍らのさまざまな場面に登場する。しかし、 近年、まとまった記述の対象になったことはない。如電は、薩長ピラミッド社会の隊列の外へ、魯庵よりもっと徹底した 形で出ていった人物である。 》 229頁上段

 ネットの見聞。

《 電動アシストじゃない自転車を見るとなぜかホッとします。電動、ものすごく増えているので。 》 ISOGAI

 https://twitter.com/ISOGAI_1/status/778568607907262465

 私は普通の自転車。変速ギアは三段しかない。平地も上り坂もすべて最低速のギアで運行。

《 その中間的なダメな層(ダイモーン層と名付けよう)に属する奏者は、表現技術を身に着けているだけでなく、 形式とか様式、正統的な表現方法なんかもよく分かっていて、つまり文法上・統語上・見かけ上、きわめて正しいんだ。 よく教育を受けていて、よく理解しているともいえる。 》 DDC_violoncellista

 https://twitter.com/DDC_violoncelli/status/778770681085382656

《 日本人は勉強や真似事が器用で真面目なので、ヨーロッパ人以上にヨーロッパ音楽の作法や形式を よくこなしているようなダイモーン層が文化的に多いのだと思う。「うまいけどつまらない」 という奏者のひとつのパターンであると思うよ。 》 DDC_violoncellista

 https://twitter.com/DDC_violoncelli/status/778774527278854144

 「うまいけどつまらない」。絵にも同じことが言える。

《 社説 黒田日銀の転換 あの約束は何だったか 》 毎日新聞

 http://mainichi.jp/articles/20160922/ddm/005/070/029000c

 ネットの拾いもの。

《 うーむ…

  あと2カ月もすると、オバマ大統領から、オババ大統領、もしくはオバカ大統領に代わるのか…(ーー;) 》  デーモンまぐれ

 https://twitter.com/Demonmagure/status/778190509881696256

2016-09-21

内田魯庵山脈』其の三

《 それがフレデリック・スタール Frederick Starr である。

  このスタールこそ、一九○四年(明治三十七年)の初来日以来大の親日家となり、幕末の北方探検家松浦武四郎に ついて論文を書いた日本を含め世界中で最初の人だったのである。 》 116頁上段

《 武四郎は結局は幕府役人のアイヌ系に対する冷酷な処置に我慢できず役職を退く。その後、東京の彼の家は一種の 知的なセンターとなった。 》 119頁上段

《 このあとスタールは武四郎の「一畳敷の書斎」について述べる。木片勧進で集めた由緒ある木でつくったこの書斎で 武四郎は晩年を過ごし、清貧に甘んじつつ明治二十一年に没した。 》 119頁下段

 日本中の遺木を組み合わせて作られた「一畳敷の書斎」の南窓の扉は静岡県三島神社を出処とすると123頁の図にある。

《 「何らの心配無しに永久に遺存されるだらう」とこの時点(大正十年)で魯庵は楽観的であった。たしかに永久に 遺存されたが、同じ場所においてではなかった。

  この建物は世人の記憶から長い間消えていた。 》 121頁下段

《 昭和十五年、一畳敷は山田の手から中島飛行機の中島久平の所有に帰した。そして戦後、昭和二十五年にその敷地の 一部が新設の国際基督教大学(ICU)に売却された。その部分に一畳敷が含まれていた。この過程で一畳敷は人々の 記憶から消え、一時その所在は不明になった。昭和五十四年ICUは一畳敷を含む泰山荘を修復、五十五年に茶会を催した。

  こうして、最初に創建した松浦武四郎が死んでも一畳敷は、武四郎の旅を引き継いで南麻布から代々木上原、そして 三鷹市大沢へ移動を続け、彼方に富士山を望む地に落ち着いたのである。 》 125頁

《 こうした日記の面白さは、日記という登場人物の偶然的な登場が許される形式のゆえに、多くの人を結びつける 意外な人物が登場することである。それは松浦武四郎関連の記事である。竹清[三村竹清(みむら・ちくせい)]も 若い頃武四郎の薫陶を受けていたことがあるようだから、武四郎に関連する事項を書き留めるのに不思議はない。 先に見た明治四十三年十月二十一日の末尾に次のようにある。(中略)武四郎か全国の古建造物に用ひたる古材をあつめて 建てし 例之小座敷を見て居りし大槻如電翁曰 松浦のは全国から寄せたのぢや無い まき上げたのサ 傍の某氏曰  そりやさうでせう 同じ学統ニ属する先生の仰あるのでは間違ひない云々 電翁唖然

  大槻如電については後述しよう。 》 183-184頁

《 2016年度 泰山荘の特別公開について 》 国際基督教大学

 http://subsite.icu.ac.jp/yuasa_museum/taizanso_web/2016koukai.html

 http://morinoyohaku.seesaa.net/upload/detail/ftp/ichijojiki_uchi-thumbnail2.jpg.html

《 スタールの遺骨はやはり富士山須走口の勝景の地に埋葬されている。 》 133頁下段

《 人はよくルース・ベネディクトの『菊と刀』をもって日本研究の嚆矢と言うが、そのときスタールを思い出すことは ほとんどない。ベネディクトは客観的方法を駆使して日本人研究を行ったが、しょせん日本人をモルモットとしてしか ていなかった。私の言いたいのは、アメリカばかりでなく戦後日本の人類学もが徹底して無視したスタールの 日本研究の方が、大正時代の日本人の心、血脈を的確に捉えていたということである。 》 137頁上段

《 魯庵は一人の人物の死とともに文化および時代にとって不可欠の部分が少しずつ失われていくことを惜しんだ のであった。魯庵が感じ取ったのは、時代によっては一人の人物の死による、その人物が背負っていた代わりのきなかい 何ものかの消失であった。 》 152頁上段

 昼前、自転車で一級河川境川の狩野川接続部まで南下、川沿いに遡上。工場や住宅の裏側で見られない箇所を確認。 くねくねと曲がっていく川筋。よくもまあこれだけ曲がったものだ。一号線を越え、旧東海道を越え、三島駅西側の起点へ。 徒歩三時間以内で踏破できる見通し。曇り空でろくに汗もかかず、やれやれ。

 午後、久しぶりにブックオフ三島徳倉店へ自転車で行く。アンナ・カヴァン『あなたは誰?』文遊社2015年初版帯付、 乾くるみ『セブン』ハルキ文庫2015年初版、西澤保彦『赤い糸の呻き』創元推理文庫2014年初版、矢崎存美『ぶたぶたの 甘いもの』光文社文庫2015年初版、計432円。

 ネットの見聞。

《 全ては社長の趣味から始まった 三重県の製薬会社内にある「BANKYOフィギュア博物館」がすごい 》 ねとらぼ

 http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1609/17/news008.html

《 SFコンテスト、今回これが鉄板だなと思いながら臨んだ選考の場で、鉄板どころかつまらないという意見が起こったり、 いやこれはないでしょ……と思ったやつが、なんだかわかるという評価になったり、これ実に惜しいよねと思ったやつが ほとんど空気扱いだったりで、人の評価は様々だと思い知りました。 》 小川一水

 https://twitter.com/ogawaissui/status/778416752128516096

 ネットの拾いもの。

《 イマドキの傷薬についてググったら湿潤云々ばかりなのはいいとして、「消毒は絶対にしてはいけません」 「ガーゼは絶対に貼ってはいけません」「傷口は絶対乾かさないように」って、その絶対やっちゃいけないことばかりで50年、 傷に対応してきた身としてはなんかだんだん腹立ってきたんですけど。 》 大矢博子

 https://twitter.com/ohyeah1101/status/778422508512956420

2016-09-20

源兵衛川再生聞き取り調査

 いつもより一時間多く九時間寝た。まだ寝足りない気分。ずっと寝ていてもいい気分。それじゃ寝たきり老人だ。曇天、 雨の日はオツムまで休眠状態。体はキコキコ動くので、動きのままにトイレを掃除したり掃除機をかけたり。ふう、汗〜。 シャワーを浴びる。

 午後四時からグラウンドワーク三島事務所で、県立三島北高校の生徒の源兵衛川再生の聞き取り調査に応じる。 調査内容は三点。

  ・源兵衛川をきれいにした方法

  ・きれいにした期間、範囲(規模・費用・総動員数)

  ・現在の水位の保ち方

 いい調査内容だ。顧みれば私くらいしか応えられる人がいない。四半世紀近く、最初からずっと現場に関わっているのは 私くらいだ。しかし、前もって下調べくらいはしておくものだよ。とは言わなかった。大人だな。

 ネットの見聞

《 中国・南宋時代の茶碗は12億円…米NYで落札 》 YOMIURI ONLINE

 http://www.yomiuri.co.jp/culture/20160917-OYT1T50121.html?from=tw

《 「あなたの世界にわたしが生きていることを考えることがどれだけわたしを幸せにしてくれることか。 もちろんわたしの世界にあなたが生きてくれていることも」(ロス・マクからウェルティへの手紙)。 》  E・ウェルティ&ロス・マクドナルド書簡集の巻(執筆者・柿沼瑛子

 http://d.hatena.ne.jp/honyakumystery/20160920/1474326752

 ネットの拾いもの。

《 尾崎亜美 1997年、東芝EMIに復帰。また、元サディスティック・ミカ・バンドのベーシスト小原礼と結婚する。結婚式の時、 牧師が欠席のため、聖飢魔IIデーモン小暮が司式をする。 》 ウィキペディア

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%BE%E5%B4%8E%E4%BA%9C%E7%BE%8E

《 しそうけいさつ (@ 宍粟警察署) 》 ひろしゅー

 https://twitter.com/hirosyu/status/777018175724617728

《 アメリカ「TPPやるからジャップも入れ」

  日本「はい」

  共産党&小沢「えー反対!」

  アメリカ「やっぱやめるわ」

  他国「アメリカがやらねえならもういいか」

  日本「アメリカが参加しなくても、俺はやる」

  他国「どうぞどうぞwご勝手にw

  日本「やってくれる国いねえw」

  中国「おれの作った経済連携協定になら入れてやってもいいぜw」 》