Hatena::ブログ(Diary)

閑人亭日録

2017-09-24

足下から搖ぎ出す

 一昨日読了した椹木野衣『震美術論』美術出版社2017年初版。”現場を踏んでいるからだろう、深い危機意識に心打たれた。”と記したが、それで連想したのが、 三木清哲学入門』岩波新書昭和15年初版、昭和41年43刷。高校生の時に買って読んだ。途中で挫折。なにせ旧漢字旧仮名遣い。最初のほうには鉛筆で傍線。

《 哲學は現實の中から生れる。 》 1頁

《 現實は我々に對してあるといふよりも、その中に我々があるのである。 》 1頁

 今も記憶に鮮やかな一文は。

《 しかるに現實が足下から搖ぎ出すのを覺えるとき、基底の危機といふものから哲學は生れてくる。 》 2頁

 足下から搖ぎ出す。この言葉がその後の人生においてことあるごとにふっと浮かんだ。四十年あまり前、味戸ケイコさんの絵に雑誌『終末から』で出合った時も、 足下が揺らぐような、くらっくらっする体感を感じた。ある人はそれを心が震えると表現する。椹木野衣『震美術論』からも同様な印象を受けた。味戸ケイコさん からは危機感、『震美術論』からは危機意識と、少し違うが。それはおき。顧みれば味戸さんの初期の絵によって、精神の危機、心の病からギリギリのところで 墜落を免れることができた。低空飛行をなんとか保つことができ、無事日常へ帰還できた。もし、味戸さんの絵に出合わなかったら……考えたくない。そんな経験から 私と同じような心理状態の人のお役に立てば、とK美術館を思い立った。こんな回想を記したのも、『震美術論』のこの一節から。

《 絶え間なく足もとを揺らせながら、そのたびごとに流浪し、時には人生においてもっとも大切な故郷や最愛の身内を失い、家を流され、望むことなく開いて しまった埋めがたい心の陥没を、それでも埋め続けようとする過剰な衝迫と終着点のない行為から、日本列島の美術は生まれたのではないだろうか。誤解を恐れずに 言えば、有形的な文化財的価値よりも、鎮魂と慰霊というあてどなき行為の無辺性によってこそ、不定形に紡がれてきたのではないか、そしてこれからも紡ぎ続け られていくのではないか、そんなふうに思えてくるのである。 》 389-390頁

 そして思う。K美術館での展示作品を。味戸ケイコ、北一明、上條陽子、深澤幸雄……。彼らの作品は、鎮魂と慰霊につながる。それらを暗いと嫌う人たちがいた。 そう言う人たちは、表向きは画面が明るくないからという理由だが、実は自身の隠れた内面を気づかせる作用をそれらの絵がもっているから直視したくないのだと 思う。画面の色調は暗いけれども、陰気、陰湿といった気配は全くない。それらの絵は、安定した日常感覚を一気に転倒させる力をもっている。お盆お彼岸といった 死者の霊を思う特別な日が不意に出現したような、足下から搖ぎ出す感覚。

 ネット、いろいろ。

《 現代短歌文庫『松平修文歌集』がじわじわ売れている。新刊『トゥオネラ』が評判だから、さかのぼって読みたい人が多いのかも。 新しい読者獲得という感じでうれしい。

  『トゥオネラ』は、「日々のクオリア」でも取り上げられました。 》 タカハシ@砂子屋書房

 https://twitter.com/takahashi_suna/status/911111199911059456

《 「観光客」と「家族」を繋ぐはずだった「書かれざる章」とは―東浩紀さん『ゲンロン0 観光客の哲学』ブクログ大賞受賞インタビュー前編 》 ブクログ通信

 https://hon.booklog.jp/interview/azuma-hiroki-20170920?utm_content=bufferb8396&utm_medium=social&utm_source=twitter.com&utm_campaign=buffer

《 日本に巨大な地震や火山噴火、原発事故が起きた時、台湾や朝鮮半島に難民として渡らざるをえない状況になりえるって想像力もないんだな。 》 猫屋

 https://twitter.com/nekoya_3/status/911612293846376448

《 ライヴや芝居なんかの告知で「18時〜」と書いてあると反射的に「音楽浴!」と頭のなかで応えてしまうのは、中学生ぐらいからの癖。 》 いかふえ

 https://twitter.com/ikafue/status/911620023377989632

 海野十三『十八時の音楽浴』。

2017-09-23

『本朝三十家名畫集』二十五圓

 昨日届いた美術雑誌『國華』百九十五号、國華社明治39(1906)年の折込広告に『本朝三十家名畫集』國華社の価格が表示されていた。

《 定價二十五圓但し「國華」一年分以上を豫約せらるゝ諸彦に限り定價一割引にて貴需に應ず 東京市外各地逓送料金五拾銭 》

 定價二十五圓は、現在の値段に換算するといかほどになるのだろう。『國華』百九十五号は壱円七拾五銭。明治四十年五月一日発行の雑誌『文藝倶楽部』博文館 は、定価二十五銭。現在の文芸雑誌は一千円ほどだから、『國華』はその七倍で現在の価格では七千円ほど。とすると定價二十五圓は約十万円。高価だ。そして 気になるのは、以前にも話題にした審美書院の『東洋美術大観』の値段だ。

《 参考までに国内での価格を記録しておく  価格改正の緊急敬告  「東洋美術大観は弊院最大出版なるが故に其編纂印刷材料の蒐集などに全力を傾注しつつありて 既に第四冊を発行せり 册一冊発行の進歩するに随ひ其内容は層一層完美を極め其結果出版費は殆ど予定の二倍の達し収支全く相償はざるに至れり 最上製  金五百拾貳円 上製 金四百拾五円 普通製 三百貳拾円」  》 【田島志一と審美書院】 山崎純夫

 http://web.kyoto-inet.or.jp/people/artbooks/kusa13.html

 全十五冊の揃いの価格だろうが、換算すると気が遠くなる。実物を見てみたい。なお『國華』百九十五号は四千円で入手。

《 誠に筆舌しがたし美術本を造った人がおります。原画が絹本の場合は絹本に、金箔の場合は同じく金箔に着色木版で摺る。さらに色の深みを出すため八十度より 二百度摺りに及ぶ。精巧緻密な技術により複製した図版は数百頁に及び表紙は絹地に古画を摺り出し本となる。独立完成した美術品とも思われます。 》 同上

 そのとおり。そんな一冊を手にする喜び。

 偶然の連鎖はあるものだ。上記『國華』百九十五号の多色摺り木版画の挿絵は、柴田是眞『鬼女圖』。すげえなあ、としばし鑑賞して収納。そのすぐそばの本棚の 高橋克彦の本を眺めて中の一冊、『眠らない少女』角川書店を1992年初版を抜くと、函の絵が、あれ、同じ? 並べてみると微妙に違う。函の絵は『茨木図』。 金龍山浅草寺所有。『國華』のほうは武蔵国、王子稲荷神社蔵。人気の絵柄なのだろう。『國華』の解説から。

《 徳川時代の末に出て明治の始に於て盛名を博したる柴田是眞は我近世の藝術界に於ける一偉才なり。 》

《 蓋し此畫は天保十一年是眞が廿四歳の作に係り、其一代作品中秀逸のものなるは、是眞自身が其晩年に至りて幾度か此圖を試みたるも亦彼の如く會心のものを 得る能はざりしと云へるに徴するも明なり。 》

 http://www.kanko.city.kita.tokyo.jp/data/a/4-2.html

 百十年前に制作された『國華』の木版画では、はるかに良い保存状態。一世紀経つとこれほどに剥落、劣化するものなのか。

 昨日一時間早く目覚めたせいか、きょうはいつもより一時間長い九時間寝ていた。まあ、街は秋分の日、休日だ。静か。やがて墓参りの人出。

 東京新聞朝刊、文化欄の記事。黒瀬陽平「エクスパンデッド・シネマ再考」展(東京都写真美術館)評。

《 一般的に、戦後日本の前衛は、六○年代頃から極端に「ガラパゴス化」し、破壊的、反芸術的になったため自壊、そして七○年の大阪万博をもって終焉を迎えた とされている。しかし、エクスパンデッド・シネマのように、カウンターカルチャーという大きな文化現象を背景に、新しいテクノロジーを用いた世界的な アーティストが、六○年代の日本にもたくさんいたのである。その前衛の系譜こそ、今日のコンピューター文化にもつながる「正しい前衛史」なのではないだろうか。  》

 https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-2845.html

 ネット、いろいろ。

《 「人類みな表現者」の時代にこそ、クリエイティヴには「純度」が必要だ:笠島久嗣 》 WIRED

 https://wired.jp/2017/09/21/cha2017-hisatsugu-kasajima/

《 衆院 北朝鮮非難決議見送りへ 与党が不信任案提出を警戒 》 毎日新聞

 https://mainichi.jp/articles/20170923/k00/00m/010/095000c

2017-09-22

『震美術論』四

 椹木野衣『震美術論』美術出版社2017年初版、「第10章 七難の諸相、日本列島の震美術(前編)」「第11章  七難の諸相、日本列島の震美術(後編)」 「終章 帰還困難区域の美術」を読んだ。読了。凄い熱気充満の著作だ。文体の速度感と文章の密度と熱量。元気な人なら一気に読破させてしまうパワーが 漲っている。現場を踏んでいるからだろう、深い危機意識に心打たれた。斬新な着眼点、意表をつく展開、壮大な構想力に心が震える。美術への見方が変わる。 こういう本を読みたかった。震美術論=新美術論だ。

 旬日、雑事に追われる日々。一時間あまり早く目覚め。寝る気も起こらず起床。洗濯、朝食。コーヒーを淹れる。いつもより美味しい。些細なことで奮起できる。 明るい陽射し。布団を干す。口内炎は薬はなくとも治ってきた。些事、些事。さり気なく生活しなくては。

 昼過ぎ本屋へ行き、週刊『ニッポンの国宝2』小学館を買う。『東大寺金剛力士立像』と『松林図屏風』の二本立て。前者は『震美術論』で言及されている。

《 高山(登)は、日本で彫刻と呼ばれてきたものには──仮にヴォリュームはあったとしても──マッスはなく、したがって、どうしても線的(面的)な構成に なるという。それは近世以前も同様で、鎌倉時代の運慶の仏像にかろうじてマッスに近いものを感じるくらいだとも語っている。 》 321頁

 ネット、いろいろ。

《 北朝鮮には圧力あるのみだという安倍首相の国連演説が、聴衆も少なく関心も少なく不人気。これが逆だったら怖いよ。ポツリ 》 徳永みちお

 https://twitter.com/tokunagamichio/status/910985672994865152

《 日本経済は,11年ぶりとなる,6四半期連続でのプラス成長。4年連続で高いレベルの賃上げが進んだことで,内需主導の力強い経済成長が実現している。 》  「ニューヨーク証券取引所における安倍総理大臣の経済スピーチ」 外務省

 http://www.mofa.go.jp/mofaj/na/na2/us/page3_002235.html

《 働かない、訳でもない。文筆家・荻原魚雷が高円寺で実践する「半隠居」のほんとうのところ 》 朝日新聞デジタル

 http://www.asahi.com/and_M/articles/SDI2017092037371.html

《 季語の本質は出来事性であり、それと他の要素の「裂け目」が俳句らしさの本質となる。抽象化すれば、出来事は季節依存的でなくともよい。季節でなくて、 世界や宇宙や存在一般の何らかの区切りでよく、その出来事性が言葉になればよい。ここに無季俳句の根拠がある。(たぶん。偉そうにすいません。) 千葉雅也

 https://twitter.com/masayachiba/status/910888243930923008

《 ペットのヨウムがネットで買い物 飼い主の声まねてAIスピーカーで注文 》 AFP

 http://www.afpbb.com/articles/-/3143664

《 どうして俺にはどの党からも出馬要請が来ないんだろう… 》 会田誠

 https://twitter.com/makotoaida/status/910677887774273536

2017-09-21

『震美術論』三

 椹木野衣『震美術論』美術出版社2017年初版、「第6章 再帰する未来、美術館と展示の臨界」「第7章 転生する陸前高田と「秩父湾」」「第8章  溺れる世界と「ソラリスの海」(前編)」「第9章 溺れる世界と「ソラリスの海」(後編)」を読んだ。本筋から離れた論述が気になった。

《 ある物的対象が密度のある量感=マッスを持っている、すなわち彫刻に見えるということは、視覚的に言えば、当の対象が(表面だけでなく)、内部から 表面へと力が働いた結果、輪郭ができているように見えるのと同義なのだ。つまり、ある対象が彫刻として見えるとき、私たちはおのずとそれを表面に処理が 施されただけの物体(オブジェクト)としてではなく、充満した内部を想定しうる物質(マテリアル)のかたまりとして「丸ごと」受けとめている。そのとき、 輪郭は実は輪郭ではなく、表面に見えたものは表面ではない。かたまりには輪郭も表面も厳密にはないからだ。 》 222頁

《 言い換えれば、ガレージキットのフィギュアなどでは、私たちはそうした内部から表面へと向かう力(ムーブマン)を対象に見ようとはしていない。 求められているのは、フィギュアの肌面へと向けられた視線が──対象を射抜くのではなく──接触して跳ね返ることで、その表面をフェティッシュに 撫で摩(さす)ることだからだ。物体の持つ面を目で撫でる=愛でるだけなら、対象が彫刻的な「密度(マッス)」を持つ必要はない。この点では、日本で 彫刻と呼ばれてきたものは、仏像から人形を経てフィギュアに至る造形物のほとんどすべてがきわめて二次元的であり、もっとわかりやすく言えば偶像的(アイドル) であると言える。結局それらは、三次元的に湾曲した二次元の表面に描かれた絵の集合なのである。逆に彫刻が物質の密度なのであれば、私たちはそれに触れる ことはできないし、表面を撫で摩っても意味を持たない。ただし、容量(ヴォリューム)ということであれば話は別だ。容量とは、量感や密度と違い、いわば 絵画で輪郭、つまり面積にあたるものが三次元化された際の器物性の形容にすぎない。ゆえに彫刻であろうが人形であろうが、大小や素材にかかわらず容量はある。 すなわち、彫刻とそうでないものとの違いとは、容量の相違にかかわらず量感もともなうものと、容量はあっても量感を持たないものとの差にほかならない。 》  222-223頁

《 もの派は日本において、彫刻がかたまりのような量感を持つことを断念する代わりに、現象学的な次元でそれを補おうとしたと考えることもできるだろう。 》  225頁

 ネット、いろいろ。

《 福島原発事故、原子炉に届いた冷却水は「ほぼゼロ」だったと判明 》 現代ビジネス

 http://gendai.ismedia.jp/articles/-/52931

2017-09-20

『震美術論』ニ

 椹木野衣『震美術論』美術出版社2017年初版、3,4,5章「日本・列島・美術(前・中・後編)」を読んだ。

《私たちが抱く「悪い場所」へのこのゆるやかな肯定は、おそらくは、日本列島に住む一億を超す民の生身や無意識に、ゆるゆると浸透している。つまり 意志ではない。おそらくは、それこそ私たちが「美」と呼んできたものの正体なのだろう。 》 88頁

《 そこでは、忘れられたからこそ甚大な被災が繰り返される悲劇と、繰り返されるからこそいっそう強く忘れられなければならなかった記憶が、数珠繋ぎの ように結びつき、蛇尾を食らう蛇頭のごとき悪循環(ウロボロス)をなしている。 》128頁

《 その現実を直視することもなく、都合よく見ない振りをして芸術の自立性など説いても、そんなものはたんなる教条主義にすぎない。古名をなきものにするのと 同様、結局、同じ「災い=破綻」と遭遇してしまうのを免れない。借りもので都合よく概念だけ刷新しようと、現実(リアル)はどこまでも変わらないのだから。  》 131頁

《 さらに言えば、今回述べてきたような惑星や宇宙という大気圏外への想像力までを含み、特性上どうしても「想定内」で自足してしまいがちな美術史の潜在的な 閉塞を、わずかばかりでも人類史へと開き、内から払拭するための芸術の存在理由に向けての問いでもある。 》 143頁

《 しかし、だからこそ私たちはこの時系列の混乱を逆手にとって、私たちの日本列島に固有の表現を紡ぎ出す必要がある。それは「事後」が「事前」に、「事前」が  「事後」にひっくり返る「転覆の美術」(蛇頭が蛇尾であるようなウロボロスの芸術)ということになるだろう。あの八木地区の石碑が、三陸海岸に並ぶ古びた 石碑群が、遠く過ぎ去った昔を伝えるのではなく、実は差し迫った近未来を先取りしていたように。 》 148頁

《 私たちは、過去の創作に震災列島という素性から光を当て、新たな意義を探し出す必要がある。 》 163頁

《 日本列島では、戦乱と災害は、その本性においてそのつど突合せながら考察されるべきなのである。従来の歴史は、それが「歴史」となるために、そうした発想を 欠いている。そのように思えてならない。 》 174頁

 なんと凄い着眼点、発想だろう。先に読んだ清水高志『実在への殺到 Real Rush』では転倒が言われ、ここでは転覆が言われる。時代の変わり目か。

 ネット、いろいろ。

《 鮎川哲也の「アリバイ崩し」やら、アシモフの「ファウンデーションの彼方へ」を読了したのだか、全部再読なのに、全部見事に忘れていて、 全部初読のように楽しめてしまった。やばい。アシモフや鮎川哲也の傑作群が今後も丸ごと初読のように楽しめるのであれば、新刊本要らんやん。 》 猟奇の鉄人

https://twitter.com/kashibaTIM/status/910260867517751296

 そうなんだよなあ。

《 用事のついでに渋谷でベルギー奇想の系譜展を見た。ボス工房のものが一点、ブリューゲル父の版画がたくさんあった。いちばんよかったのはルーベンスの 版画と、アンソールの油彩。版画は彫師の力量が出来を決めるのだなあと思った。いちばんくだらないのは現代のコンテンポラリーアート。 》 森岡正博

 https://twitter.com/Sukuitohananika/status/910046558908846081

 上野の西洋美術館の絵画の常設展示は制作年代順。順に観てゆくと、近代になって画家の眼差しの奥行きも深さも浅くなる。

《 物理学70の不思議 》 日本物理学会

 http://www.jps.or.jp/books/gakkaishi/70wonders.php

《 人類は三種類に分かれる。安倍政権を支持しない近現代史に詳しい奴と、安倍政権を支持しない近現代史に詳しくない奴と、 安倍政権を支持する近現代史に詳しくない奴だ。 》 津原泰水

 https://twitter.com/tsuharayasumi/status/910237771737964544

2017-09-19

『震美術論』一

 椹木野衣『震美術論』美術出版社2017年初版を少し読む。

《 ここで言う安全神話とは、必ずしも工学上のインフラをめぐる安定のみを指していない。地震の平穏期に育まれてきた私たちの知や文化そのものが、 戦後(1948〜95年)の恵みとしてあった日本列島に固有の「耐震性」しか備えていないのだ。本書で取り上げる美術(構想、制作、発表、展示、批評、蒐集、研究、 教育、キュレーション……)も当然、例外ではない。いや、美術が空間芸術である以上、文学や音楽と比べたとき、耐震性の弱さは最たるものかもしれない。 だからこそ、西と東にわたるふたつの大震災を経た美術について、それ以前の「戦後美術」から区別して、より抜本的に考え直してみたいのだ。そこで鍵となるのは、 やはりあの西の大震災である。 》 「再考「悪い場所」(前編)」33頁

《 「悪い場所」とは、すなわち、(中略)内陸でも至るところ毛細血管のように岩盤にひびが入った日本列島そのものにほかならない。(中略) 「悪い場所」は たんなる比喩ではなく、いあまではもう悪しき現実でもあるのだ。 》 「再考「悪い場所」(前編)」37頁

《 信仰の試練やその有無以前に、地面の質が根本的に違っているのだ。西欧では啓蒙思想の躍進を決定的なものとし、結果として、いまだ残っていた中性の残滓を 一掃する大きなきっかけとなったリスボン大地震のような位置づけを、この国の震災は持ちえていない。 》 「再考「悪い場所」(後編)」56頁

《 逆に言えば、日本列島の民は、こんなときに掃いて捨てるほどいる神仏など頼りにしても、なんの足しにもならないことをよくしっていたとも言えるだろう。 そこでは、極限状態において宗教の果たす役割が、まったく違っている──震災の意味は、西欧ならびにキリスト教圏と日本列島とでは、かくも根底から違って いるのである。 》 「再考「悪い場所」(後編)」65-66頁

 ネット、いろいろ。

《 火山灰で原子炉冷却不能か

  審査合格の5原発、大噴火時 》 共同通信

 https://this.kiji.is/282479210700801121

《 要するに明治憲法の矛盾は伊藤博文も重々承知して、革命を経たフランスではなく、ドイツ帝国による教会統制のための手法に倣った、というわけである。 それがいかなる道へ日本を導いたかは周知の通り。

  比較する意味で、明治憲法公布から十四年後、明治三十六年の『平民新聞』創刊の言葉を掲げる(『古河力作の生涯』より)。

  一 自由平等博愛は人生世に在る所以の三大要義也

  一 吾人は人類の自由を完からしめんが為に平民主義を支持す。

    [下略;身分と財産と男女差別の打破]

  一 吾人は人類をして平等の福利を受けしめんが為に社会主義を主張す。

    [下略;生産配分]

  一 吾人は人類をして博愛の道を尽さしめんが為に平和主義を唱導す。

    [下略;戦争の禁絶]

  日露戦争前夜のこと。この理想が、今日に至っても、成し遂げられる気配は見られない。 》 「河口から III」 daily-sumus2

 http://sumus2013.exblog.jp/28155544/

《 「黒死館殺人事件」本当に判ろうと思うと、40年かかる。作者は執筆に9ヶ月しかかかってないのに。 》 素天堂

 https://twitter.com/kliocity/status/909858511059771393

2017-09-18

秋が降りてきた

 昨夜は義理用で九時過ぎに出かけ、日付が変わって帰宅。目覚ましを少し遅らせたけど、いつもの時間に目覚める。体内時計が働いているのかな。

 台風一過、天気晴朗なれども風強し。洗濯物は内干し、お掃除。昨日は午後も夜も義理用で外出。きょうは何もなし。気が抜ける。しかし暑い。暑くなる前に 自転車でお買いもの。ブックオフ長泉店で一休み。加藤周一『日本人とは何か』講談社学術文庫2011年52刷、池内紀ほか編『日本文学100年の名作 第10巻  バタフライ和文タイプ事務所』新潮文庫2015年初版、『年刊日本SF傑作選 結晶銀河』創元SF文庫2011年初版、計324円。ふう、暑い。

 午後昼寝。清澄な陽射しを受けて長い影が延びている。晩夏は台風とともに去る。秋が忍び寄る。いや、あからさまに秋が降りてきた。初秋だ。

 椹木野衣『震美術論』美術出版社2017年を少し読む。「震」は震災の震。戦時中には多くの地震があった。

《 私は、当時の日本の戦局を正しくとらえるためには、この時期が地震の旺盛な活動期にあたり、国を揺るがすような甚大な震災や地殻変動が連鎖していたという、 新たな認識を得る必要があると考えている。 》 「再考「悪い場所」(前編)」28-29頁

《 日本列島での「震災」の頻発度は、1948年の以前と以後、1995年の以前と以後を境に大きく様変わりしており、この地質学的断絶と戦災からの復興・ 冷戦下の高度成長・バブル経済に代表される高度消費社会の到来が、ほとんどそのまま重なっているのである。両者の並行は、はたして偶然なのだろうか。敗戦国 日本の復興と再生は、日本列島をめぐる地質学的な「地面の平静」と無縁ではなかったのではあるまいか。奇跡とまで呼ばれた日本の復活が、アメリカという傘の下の 安寧だけで可能になるものでは到底なかろう。内なる国土の平穏なくして、日本がこれほどまでの経済大国になることは、よもやありえなかった。 》  「再考「悪い場所」(前編)」31頁

 これは気づかなかった。斬新な着眼点だ。ぐいぐい惹き込まれる。

 ネット、いろいろ。

《 それに文庫って消費品にしては耐久性がありすぎて、何十年も保ってしまう。だから今は古い文庫本そのものにも古本的価値が出てきた。 ますます単行本の価値がわからなくなってしまった。 》 太田忠司

 https://twitter.com/tadashi_ohta/status/909610264420507648

 十代の時、老眼でも読めるように、と活字の大きな単行本などを買っていた。前期高齢者の今、創元推理文庫を裸眼で読んでいる。嬉しいハズレ。

《 広島呉市の方言が懐かしい「この世界の片隅に」をビデオ鑑賞。玉音放送を聴いて「広島長崎に新型爆弾が落ちたし」と呟く義父母と 「なんで暴力に屈しなきゃいけないんだ」と憤る主人公。そう、暴力容認イケイケ派は簡単に暴力に屈する。戦争推進を煽った国粋主義者たちは敗戦を機に アメリカに寝返った。 》 中島 智

 https://twitter.com/nakashima001/status/909351748824735749

《 連載 田中功起 質問する 14-5:高橋瑞木さんへ3 》 ART-iT

  http://www.art-it.asia/u/admin_columns/sSJ0jeoOnFbQKY4cNgUf/

《 なんのための解散か。安倍の安倍による安倍のための保身選挙。萎える。 》 豊崎由美

 https://twitter.com/toyozakishatyou/status/909623246986739713

2017-09-17

『実在への殺到 Real Rush』六

 清水高志『実在への殺到 Real Rush』水声社2017年初版、「第9章 モノの人格化」読んだ。これにて読了。読了しただけで、理解はとうていできていない。 しかし、なんと刺激的な論述だろう。ここでは西田幾多郎哲学が論じられている。

《 《場所》は《絶対矛盾的自己同一》より先に見出された概念だが、西田はこの《場所》において働いている反転の機構を、《絶対矛盾的自己同一》という 概念=方法として後に採りだし、さらにさまざまな対概念に応用していったのである。 》 219頁

《 ──ややもすれば西田の議論は残念なことに、抽象的なレヴェルで、同じところをぐるぐる廻っているような印象を与える。とはいえ、そうした中間段階を 経た結論としての、最終的なヴィジョンに関していえば、彼の理論のとてつもない先駆性はきわだっており、今日見ても舌を巻くほど斬新なものなのだ。 》  219頁

《 《場所》はスケールの問題を超越する。《絶対矛盾的自己同一》という、ニュートラルな概念=方法もまた、こうした思索のなかで西田によって強く体得 されていったものだ。 》 225頁

《 西田の時間論、そしてそれを巡って展開される他者論、そしてオブジェクト(物)としての他者論は、現代の哲学においてなおいっそう問い直される、 人類にとっての根源的な問いに、驚くほど豊かな示唆を与えてくれるのである。 》 234頁

 この著作もまた、再読する必要がある。今年読んだ本はほとんどが再読の要があるな。

 暗い日曜日。朝なのにすでに夕暮れ時のようなせいか、昼前から音楽を聴いている。こんな時間に聴くのは今年初めてか。サザン・オールスターズ〜ジャズリー・モーガン〜セネガルのコラ・ジャズ・トリオ〜セネガルのオーケストラ・バオバブ井上陽水……気の向くままに数曲ずつ。バオバブの「 Nijaay 」、 CDでは弾けているが、下記リンク先のライヴ演奏では”真夜中のあなた”って雰囲気。

 https://www.youtube.com/watch?v=ldLO4LwNLHY&hl=ja&feature=related&gl=JP

 ネット、いろいろ。

《 ケルンのイタリアンに入ったらウェイターが「日本人か!日本の曲流してやるよ!」ってよりによって山崎ハコ流しはじめて『わたし心を閉じても開いても いない…もうだめだ…わたしを助けて…』という歌詞の中でピザたべることになってかなりの拷問だった 》 北沢

 https://twitter.com/ktzwkun/status/908251480037236736

 14日、山崎ハコのデビューアルバムのCD『飛びます』を女子大生に貸したが。

《 中動態は医療にどんな可能性をひらくのか 》 医学書院

 http://www.igaku-shoin.co.jp/paperDetail.do?id=PA03230_04

《 いろんなところでアートプロジェクトが流行っているが、そんなのは予算が切れれば、跡形もなく消滅する。

  もう本当の美術に本気で取り組んでる美術館やアーティストしか残らない。

  予言する。それ以外は何にも残らない。何もなかったことと一緒だよ。哀しいけど。 》 小松崎拓男

 https://twitter.com/takuokomart/status/908980162108129280

《 ただ、占領期におけるアメリカ批判を見聞きするたび、仮に、日本が戦勝国だったとして、ブレークモアのような態度を貫ける日本人がどれだけいたのだろうと 考えてしまう。 》 「トーマス・ブレークモア」文壇高円寺

 http://gyorai.blogspot.jp/2017/09/blog-post_15.html

《 ここ25年くらいの人類は、まったく新しい社会を作ることができるとてつもなく新しい技術を一気に手に入れたのに、人間自身の欲望が変わってないから 結局は同じものしか生み出せないという本質的な困難に陥っているように見える。ここからさきは技術では突破できないんじゃないかな。 》 東浩紀

 https://twitter.com/hazuma/status/909258025034170368

《 情報化社会を生き抜く力とは、安易にデジタル化された情報に捕われないことであり、自身の直感も含めたデジタル化されていない(出来ない)情報を中心に 物事を判断することで、結果、デジタルソサエティの潮流とはまったく別の道をひとりで歩く力なんだと、まわりを見て感じる。 》 高城剛

 https://twitter.com/takashiro_bot_/status/909227511443099648

《 Jason Paul goes Back in Time 》 You Tube

  https://www.youtube.com/watch?v=hpTEzp-6CkM&feature=youtu.be

2017-09-16

『実在への殺到 Real Rush』五

 清水高志『実在への殺到 Real Rush』水声社2017年初版を少し読む。「第7章 グレアム・ハーマンについて」。これは難解。冒頭。

《 「私たちが出会うのは、実在そのものではない。私たちによる事物の知覚や実践の操作が、事物の実在性を汲み尽くすことはない。個々の事物は、汲み尽くす ことのできない余剰を抱えている」。これはまさしくグレアム・ハーマンの言葉である。オブジェクト指向哲学(OOO)、モノと人間との関係を問い直す 思想の原点は、事物の《汲み尽くし得無さ》への着目であって、この《汲み尽くし得無さ》がこれまで本当には理解されてこなかったために、人間とモノ(事物) との関係には著しい不均衡があった、というわけだ。 》 157頁

 冒頭は魅力的だが……。そのグレアム・ハーマン「オブジェクト指向哲学の76テーゼ」の翻訳サイト。

 https://www2.chuo-u.ac.jp/philosophy/image/76_Theses_on_OOP.pdf#search=%27%E3%82%AA%E3%83%96%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%82%AF%E3%83%88%E6%8C%87%E5%90%91%E5%93%B2%E5%AD%A6%E3%81%AE%EF%BC%97%EF%BC%96%E3%83%86%E3%83%BC%E3%82%BC%27

 手に負えん。飲み込みの悪さを痛感。引用は控えて結びのページ。

《 魅惑の働きは、このようにハーマンの哲学において、世界の全体としての結びつきを成りたたせるための不可欠の要素とすらなっている。 》 175頁

《 表層と、深淵は、このように実のところ手を携えている。そしてそうした世界を織り成す鍵となるのが、魅惑である。また、芸術をもその働きを生む手段として もつ魅惑は、世界がみずからを生成する働きそのものとともにある。──なにが、それを生みだしているのか? 汎魅惑論は、やはりある種の汎心論でもあるとまで、 もはやさらに付言する必要があるだろうか? 》 175頁

 魅惑。魅せて惑わせる。魅せられて惑う。♪戸惑うばかりのわたし〜♪(中森明菜)。

 続く「第8章 機会原因論アニミズム」も、文章は難しくはないが内容は、私にはひどく難しい。第7章同様、前提となる基礎知識の欠如のためだ。でも 興奮させられる。ここがなんとも心憎い。わからなくても面白い。新たな知の鉱脈または暁闇の光明がある。それをなんとしてでも我がものにしたい。

《 ハーマンの企図は、両者の懐疑の方向性、すなわち外部的なオブジェクトおよび未到の経験への懐疑と、究極の外部性と見做された神の内部で起るもろもろの オブジェクトどうしの関係への懐疑をともに巻き込みつつ、解消することにある。すなわち、一方的に外部に排除されていたマルブランシュの神を、多様な 実在的オブジェクトとして内部化し、またヒューム的な経験論において、《現に生じている》経験とそれが描く関係だけが信憑され、その外部が懐疑されていたのに 対し、そうした経験においてあらわれるもろもろのオブジェクトにもすでに外部性や脱去する性格を認めてしまう、というのがそのストラテジーなのである。 》  182頁

《 主客の二項化を回避しつつ、中性一元論の着想を活かすためには、複数性、つまり一対多という別の二項関係を噛み合わせて、ホーリズム的構造を徹底して 崩していかねばならない。 》 186頁

《 ハーマンの三項的、かつ交差交換的な議論においては、実在的オブジェクトと感覚的オブジェクトが並列的に捉えられ、そこでのオブジェクトの感覚的性質が、 魅惑( Allure )を介してまた別の実在的オブジェクトへと垂直に接続してゆくとされたが、こうした過程も、上述のように中性一元論をさらに高度化して その機構を辿るなかで、再定義される必要があるだろう。また、感覚的オブジェクトや感覚的性質、実在的オブジェクトや実在的オブジェクトという概念にも、 さらにあらたな規定が与えられなばならない。 》 189-190頁

《 とはいえ、精確に言えば人間だけがこの種の詐術を行うわけではなく、蛸であれ狐であれ、いずれも捕食者や獲物を欺くさまざまな生の技巧(メーティス)を 持っている。 》 194頁

《 世界を記号過程として見るなら、それは高度で、巧妙なメーティスを行使し、他者をみずからの記号過程に吸収してしまおうとするものどうしの、終わることの ない闘争という風に見ることもできるであろう。 》 194頁

《 ハーマンの思想は、このような機会原因論的アニミズムとして、さらに発展させられるべきものである。そしてそれは、人類の経験主義的な知の計り知れぬ 古層からある魅惑や恐怖を、私たちに改めて開示するものである。 》 204頁

《 また、何十億年も離れた星や、何千年にもわたって佇立する岩について、私たちはなにを知っているだろうか。 》 194頁

 上記引用には小松左京のSF長編『虚無回廊』を連想。

《 こうしてでき上った、SSの基本構造は、たまたま大宇宙のソフト相転移の形成時に、泡(バブル)構造の中心核に、「孤児」のような形で形成された「虚宇宙」 と「実宇宙」の間を、はるか何十億年後につなぐ性格を与えられた「回廊(コリドー)」の構造だった。 》 『虚無回廊』角川春樹事務所2000年初版、166頁

 雨。静かな土曜日。いつもの時間に目覚める。が、布団から出たくない。ぐずぐず。この快感、久しぶりだ。秋が来た。しかし、のんきにしていると 唯一テレビ視聴しているEテレの「ムジカ」ナントカを見逃してしまう。たった十分間の音楽番組。おお、斎藤アリーナが「 Take Five 」を歌う。目が覚める。

 http://www4.nhk.or.jp/musica/

 2日に知徳高校の生徒さんたちと繁茂した数珠玉などを刈って更地にした土手に彼岸花が一杯咲いていると、昨日近所のオバサンから教えられ、午後見に行く。 いやあ、ほんとだあ。なんという。

 ネット、いろいろ。

《 手許性とともにある道具(ハイデガー)を、さらにそれを観察する者との関係において捉える(フッサール)。。これがもっとも原基的な三項性だ。 ハーマンにおいて本質的なのはこうした内と外の自在な入れ替えであり、両者をうまく配合して別の思想に発展させている。 》 清水高志

 https://twitter.com/omnivalence/status/908723191786307585

《 ハーマンは噛めば噛むほど味がでる。。正直ちらっと読んだ段階では俺のほうがいけてるなと思ったが、これはなかなかだ。ギャロウェイは雑魚、 シャヴィロとか全然勝ったと思ったが、ハーマンは雑で乱暴だけど多方面で霊感源になる。同時代人でよかった。 》 清水高志

 https://twitter.com/omnivalence/status/908730143798988800

 拙ブログを読んでいるんじゃないか、とあり得ぬ妄想を呼ぶ書き込みだ。これぞ共時性か。

《 今は図鑑が写真になっちゃってるみたいで、写実的な絵で埋め尽くされてた自分たちの頃までは本当に恵まれていたんだなと思います。コントラストの強い 水彩モノクロの挿絵とか、パリッと黒い絵物語のペン画とか、ああいう少し暗くて怪しくて夢のある図解を見かけないのも惜しいですよね。 》 リセットボタン連打

 https://twitter.com/rstbtr/status/908702472545329154

《 「デジタルの時代であっても人間の目で捉えた発見は価値があり、イラストは重要な科学のツールだ。」 》 正確な描写の植物画展「フローラ ヤポニカ」 国立科学博物館

 http://vpoint.jp/photonews/95728.html

 12日に書いたこと。同じ絵画の再現で、最新のカラー写真印刷よりも明治末の彩色摺り木版画の方が心に迫るのは、上記引用と同じ、練達の手技の魅惑なのだろう。

《 毎日新聞取材だん。「民営化」というマジックワードについて。市場と決してリンクしてはならない社会活動があり、それを宇沢弘文先生は「社会的共通資本」 と名づけましたというお話をしました。この話を何十回したかわからないけれど、いまだ日本の常識には登録されておりません。前途遼遠。 》 内田樹

 https://twitter.com/levinassien/status/908586247236362240

 そうかあ。「社会的共通資本」が。

《 同業者からもらった小学館日本国語大辞典」全20巻。店に置くスペースもなく売れるとも思えず、ヤフオクに出してみたが落札されなかった。 全20巻1000円という値でも売れない、それが現実なのだ。 》 智林堂書店

 http://chirindote.exblog.jp/237748333/

《 考えてからやることも大切だけど、やってから考えられることも多い。過去と違うことは反対も多く心が折れそうになるかもしれないけど、 そこが諦めずに粘り強く挑戦し、改善を続けて欲しい。

  必ず積み上げで成果は大きくなる。  》 木下斉

 https://twitter.com/shoutengai/status/908596001522327552

《 2本足の猫。カンガルーキャットと呼ばれた子猫は今、愛をふりまく存在に(アメリカ) 》 ガラパイヤ

 http://karapaia.com/archives/52245798.html

2017-09-15

『実在への殺到 Real Rush』四

 清水高志『実在への殺到 Real Rush』水声社2017年初版を少し読む。「第6章 非・ホーリズム的転回」から。

《 では実際に、いかなる意味で現代の哲学は転回を遂げつつあるのだろうか? 結論を先に言えば、全体というものをいかに思考するか、ホーリズムを どのようにして超克するかについて、これまでとは異なるアプローチを今日の思想は、さまざまに模索しているのだ。 》 130-131頁

《 さて、すでに述べたマトリョーシュカ的な構造(推移的な関係)に対し、セールが提示するのは「袋」のイメージである。 》 137頁

《 《再帰人類学》の語り手は、「異文化」に旅したのち、なんらかの変化を蒙りつつ「彼自身の」社会へと帰還してくる《旅人》であり、この《旅人》を介して 複数の文化が重層させられるのだ。諸文化を断片化し、諸々の部分とするのは、それらを数珠つなぎにしていくこの《旅人》の存在なのである。 》 138頁

 東浩紀『観光客の哲学』ゲンロン2017年の観光客を想起させるな。

《 するとどうなるか。このとき多様性、主体、剰余、単一性、客体といった要素は、ホーリズム的なモデルと手袋を裏返すように対称的なありかたで 組み合わさるのである。モノ(客体)はそれ自体としては「一なるもの」であるが、それが持ちうる役割、それを巡って描かれる関係の布置(図)や主体は 複数的、つまり多である。 》 146-147頁

 これに続く論述はじつにスリリング。

《 今日の人類学は、ポストモダン的な批評のうちにも執拗に残存していたホーリズム的な構造を乗りこえるためにさまざまなアプローチを提示してきたが、 同様な思考の転換が、今世紀になって各領域で一斉に起こってきているのである。 》 150頁

 ポストモダンという思潮にはなんかしっくりしないものを感じ、敬遠してきた。久しぶりに手応えのある思考、じっくり考えてみたい思想が現れた。

 先だって友だちと沼津市のカフェ・ブランへ行くと、カウンター・テーブルと背後の棚にアンティークヴィンテージ物のコーヒー・カップ&ソーサーが 所狭しと並んでいる。訊けば地元のコレクターが奥さんに邪魔と言われて、ここに置かせてくれと持ち込んだもの。それを見た同じコレクターの某建設会社会長と 薀蓄を披露しあって、マスターは「へえ〜」。友だちと私はマイセンだオールド・ノリタケだ、という自慢の品物を手にして、「この絵柄は筆がいいけど、 こちらは落ちるね」「このデザインはいいね!」と、絵柄図柄に注目。マスターは同じ絵柄の筆遣いの違いを教えられて感心しきり。私たちは知識ではなく 審美眼で見るが、そういう客はいなかったようだ。ある客は牛乳瓶の紙の蓋を集めているとか。それはネットで購入したようだと言う。ではでは、自分も自慢に 参戦するか、と思い立つ。美術品は間違いがあると困る。と、数日放っておいたのだけれど、昨日郵便局で葉書を購入してきて、その前に流通していた最後の 52円葉書一枚を葉書帳に収めようと、埃をかぶっていそうな葉書のアルバムを手にすると、やや、古い葉書がワンサと収集されている。それも戦後だけで六冊も ある。昭和23年の50銭葉書だけは生まれる前で、どこかで購入した記憶がある。後は郵便局で購入した、四円、五円、七円、十円、二十円、三十円、四十円、 四十一円、五十円、五十ニ円。それらの往復葉書、年賀切手、暑中見舞い切手、広告入り葉書、切手帳、趣味の切手帳、ふみの日ゆうペーン、シール式ゆうペーン、 郵便小包はがき、郵便書簡などなど。半世紀にわたって集めたもの。こんなに集めたとは。すっかり忘れていた。明治〜昭和前期(戦前)の絵葉書、封筒もかなり もっている。小学生の時記念切手を集め始めたが、それは誰もが集めているので人気のない普通切手、葉書を集めるようになった。子どもの頃から人とは違うもの =競合しないものを集めていた。

 今世紀は美術品と、ブックオフができたおかげで古本。しかし探求したいものはもう、なかなかない。なにせ審美書院の田島志一の手がけた彩色木版画入り画集が 入手できてしまって、熱は沈静化かな。いや、まだ予想もしなかったもの(精神的生産物)が出てくるかもしれない。前期高齢者になったのにまだ好奇心がある。 まあ、好奇心と探究心が失せたらそれは好々爺かお釈迦様。ありえねえなあ。

 ネット、いろいろ。

《 「イメージ通りに作れてしまったもの」を駄作という。ゆえに失敗作は駄作ではない。失敗 error には、遅延してみえてくる深い必然が潜伏しているので、 失敗作は廃棄しないほうがよい。 》 中島 智

 https://twitter.com/nakashima001/status/908401425020968960

《 芸術があなたを見つめ返してくれるとき 》 木原進

 http://www.asahi.com/and_w/articles/SDI2017062181691.html?iref=comtop_list_andw_n02

《 有名なバイキング戦士、実は女性だった 》 NATIONL GEOGRAPHIC

 http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/c/091400054/?P=1

  《 夜廻り猫【第三百四話】》 深谷かほる

 http://www.moae.jp/comic/yomawarineco/307

 どうすれば安らかな心境を得られるのだろう、と考える。悔やまないためにはどのように。

《 ティム・インゴルド『メイキング 人類学・考古学・芸術・建築』(左右社) が入荷しました。線を引くとき、ひもを綯うとき、凧をあげるとき、 建物を建てるとき。わたしたちは世界と手で対話し、応答しながら生きている。すべての「つくるひと」へ。『ラインズ』とあわせて、ぜひ。(山下) 》  青山ブックセンター本店

 https://twitter.com/Aoyama_book/status/907809971479261184

 『ラインズ』は良かったからなあ(内容は忘れた)。まいったな。買いたい本が出過ぎ。

《 恋は理性の外とか女性作家が言うと文学的でなんか深い感じだが、ぼくのような中年男性が言ったら袋叩きにされるのは必定だな。 》 東浩紀

 https://twitter.com/hazuma/status/908510765803384832

《 「(道徳家ぶった政治家たち)が心にかけているのは、自分たちの個人的な利益を損なわないように、現在支配している権力におもねり、国民を、 場合によっては世界全体を犠牲にしようとすることである。」(『永遠平和のために』)カントによる現代日本批判とも読める。 》 森岡正博

   https://twitter.com/Sukuitohananika/status/908236618070290432

《 バーが4本連なったチョコレート「キットカット」の世界最大の市場である日本。独自のフレーバーは300種類に及び、中には「のど飴味」など 万人向けとは思えないものまである。 》 AFPBB News

   https://twitter.com/afpbbcom/status/908307608913813504

《 私たちは

  ミサイル→不倫→ミサイル→不倫

  が永遠にループする世界に投げ込まれてしまったのかもしれない 》 パンス

 https://twitter.com/panparth/status/908476670557876224