『不良定年』

 天気がいいので昼前、源兵衛川最下流部へ行き、石垣のヒメツルソバを抜く。一時間あまりで土のう袋一袋。 帰宅して荷台から袋を降ろしていると、十人ほどの若い外国人。タイから、と。源兵衛川を下って行った。ついて 行きそうになる。いかんいかん。キレイな女性は好きですう〜。

 午後、ブックオフ長泉店で連城三紀彦『隠れ菊(上・下)』集英社文庫2013年初版、計216円。65歳で亡くなったのか。

 スーパーの買い物帰りに若い子連れ女性から挨拶される。地元テレビ局でキャスターをしていた人だ。男の子は 四歳。五年ぶりか。この子が大きくなる頃すなわち私の死後、日本はどうなっているだろう。

 嵐山光三郎『不良定年』ちくま文庫2008年初版を読んだ。冒頭。

《 昔は定年よ書かず停年と書いた。 》

 だよなあ。

《 停年という言葉が定年と書きかえられたのは、いつのころからは知らぬが、まことに巧妙な詐称である。 》  9頁

 おかしいよなあ。

《 旅行さきのホテルのレストランで、むっつりと黙ったまま食事をしているのは、ことごとくが夫婦である。 楽し気に食事をしているのは不倫のカップルだから、ホテルの従業員は、朝食をとる様子で「夫婦か不倫カップルか」 を判断するという。 》 25頁

 経験ないけど、わかる(気がする)。昨日話題の永井荷風谷崎潤一郎

《 色欲は不良定年者はみな持っている。女性なくしてこの世の愉しみはない。たとえば永井荷風は、料理を 食べるときは、いつも愛人と一緒だった。多くの女性と浮名を流し、最後は市川の家で、ひとりのたれ死にした。 これぞ不良老人の鑑である。
  また、谷崎潤一郎は、四十四歳のとき、千代夫人を後輩の作家佐藤春夫に譲った。これは、妻譲渡事件として 世間を騒がせた。
  その翌年、谷崎氏は古川丁未子(とみこ)と結婚したが、すぐに別れ、松子と再婚した。谷崎氏が性愛小説の 傑作『鍵』を書いたのは七十歳である。老人の性を追求した『瘋癲老人日記』を書きあげたのは七十六歳である。 これまた不良老人の面目躍如といったところだろう。 》 28頁

 なんというか羨ましいというか。いやあ、心身ともに疲労困憊即成仏だろうなあ(即身仏かい)。

《 歳をとって山中に身を隠すのはただのオイボレであって歓楽の色街に身をひそめてこそ、退歩する官能を得られる。  》 234頁

 うーん、東西南北外へ出ればそこは歓楽の街。ソープランドまで三分! 源兵衛川ベリに建つ○○ヘルスの看板を見て 視察者からよく訊かれる。老舗と知るとどよめきが湧く。