通勤電車で読む『ある行旅死亡人の物語』。これはとてもよかった。

例によってTwitterで見かけたんだと思う。ノンフィクションで、とあるアパートで孤独死したある身元不明の女性、古い金庫に現金3400万円を残し、右手の指が全部なかった、住民票は無く、数十年ひっそりと住み続けたアパートの契約は別の人の名義で…等々。ふとしたきっかけで興味を抱いた新聞記者ふたりが、わずかに残された手掛かりから、警察も探偵もわからなかった彼女の身元をしらべはじめる。亡くなった彼女の人生がかすかに浮かび上がる…
とてもよかった。卒論を書いている学生さんにもすすめた。資料や聞き取りから、あるひとの人生を浮かび上がらせる、みたいなことは、勉強になるっていうか、こういうのをたくさん読んでるときっといいだろうなというか。

通勤電車で読む『読書と暴動』。じっさいに暴れている人の本はよい。

プッシー・ライオットというとロシアW杯でなんかグラウンドに乱入した人だっけ、ぐらいの印象で、しかし本を読んでみたらとてもよかった。

風呂で読む『昭和歌謡大全集』。

ずいぶん何年も前にたぶんなにかのついでに古本で買ってた村上龍だが、ずっとつんどくになってたのを、少し前に読みかけて、なんかピンとこないなあと思ってまた置いてたのを、えいやで読了。昭和歌謡大全集、というぐらいだから気楽な昭和歌謡のはなしなのかな、ぐらいに思っていたら、まぁそういうわけでもなく、まぁ村上龍ですからね、グロテスクな暴力ばっかしだった。クズの若い男たちのグループと、いけすかないおばさんたちのグループという、空虚で俗悪でグロテスクでなにひとつ共感の手掛かりのないひとたちが、殺戮戦をくりひろげるという。まぁ村上龍ですからね。

『ハロルド・ガーフィンケル』読んだ。ガーフィンケルを辿ってエスノメソドロジーがわかるというよい本。

エスノメソドロジーというのはやはりよくわかんないところがあるわけだけれど、むかし、めずらしく英語でロールズの長い序文を読んだり、この本の英語版のやつを読んだり(https://k-i-t.hatenablog.com/entry/20160112/p1)したときに、なぜかわかんないながら、あれ?エスノメソドロジーってふつうのことを言ってるんじゃないの?という感覚が一瞬、あって、まぁそれはたぶん一瞬だけだったかもなわけだけれど、つまり、ガーフィンケルがどんなふうに勉強してどんなふうにエスノメソドロジーに辿りついてどんなふうに研究をすすめていったかを辿ると、なんとなく、わかるかんじがしたわけである。前も書いたけど、たとえばガーフィンケルが若い頃、家業の商売のために「会計 accounting」の勉強をして家の手伝いをしたりしていたのが、シュッツの勉強をしたのよりずっと、後年のエスノメソドロジーに役に立ったとかなんとか。エスノメソドロジーっていう体系が抽象的にあるのではなくて、具体的にガーフィンケルがあれこれやっていくなかで形を成してきたものなんだというか。まぁ、例によってひとりでほにゃーっと読んだのでまぁさしあたり読めた以外のちゃんとしたところは読めてないかもなわけだけれど。翻訳が出るというので早々に注文して、届いたんでわーいっつってけっこうすぐ読んだ。やはり良い本だったと思います。

通勤電車で読む『ひとりみの日本史』。おもしろかった。

大河ドラマがおもしろいのでTwitter大河ドラマ関連のリストを作って覗いているのだけれどそこで見かけた本で、読んだらおもしろかった。著者の人はちくま文庫で『源氏物語』個人全訳をしていたりもする、古典もののエッセイストのひと。鬼頭宏『人口から読む日本の歴史』の「誰もが生涯に一度は結婚するのが当たり前という生涯独身率の低い「皆婚社会」が成立」するのは十六・十七世紀になってからのこと、というのをはじめ、歴史学や人口学の知見を引きつつ、おもに古典文学に出てくる独身者のことを紹介している。