尊敬する人

長く、「尊敬する人」「自分もこうありたいと思える人」を尋ねられても、答えられなかった。
なぜだか分からない。自分で意図的に理想像を作らなかったような気もするし、そうでなかったようにも思う。しかしもうすぐ30を迎えるからか、最近になってそういうことを考えるようになった。
私は、ここの所読んでいる『女の人差し指』という随筆集の著者、向田邦子さんのことがとても良いなと思う。と言っても実は私、彼女のことをそんなには知らない。晩年の彼女の本職であった、ホームドラマの脚本などは、ライブでも録画でも見たことがなかった。彼女が独身だったから、そしてものを書く人だったから、いまの自分の境遇を重ねて、一時期だけの気まぐれな理想像に祭り上げているのかもしれない。でもきっと、この随筆は一生好きなままだろうな、と思える。なにもかもがうまく行く訳でない現実に対して、不満を言うのでも無理に合わせるのでもなく、100%あきらめるのでも執着するでもなく、正直に対応する姿勢と知性を尊敬している。

明和電機土佐信道社長も好きだ。「製品」の作り方も、見せ方も、何をするにしても、完成度がとても高い。完成を崩すアクシデントや欠陥までも、事前に計算されているのだろうかと思えるほどだけれど、多分そうじゃなくて、マイナス要因があってもそれとなくやっていけるために最終的に完成度が高まるのだろう。例えば、オタマトーンは、傷つき易い割に専用の袋がない。だったら100均のジッパー袋をオタマのかたちにかたどってオタマ袋を作る方法をブログにアップすれば良いではないか。この袋を自作したいためにオタマトーンの購入を考える本末転倒の消費者が見込めるかもしれないではないか。(ってそんなショウヒシャは私だけかもしれません。。)
http://maywa.laff.jp/blog/2009/11/post-abf0.html
…こじつけた上に結局うまく言えてないのだけれど、洗練に洗練を極めた完成形を目指さなくても、完成度の高いものは作れるのだ、と土佐氏を見ていると思う。

自分ではどうにもできない現実が目の前にあったとして、焼き畑農業のようにババーっと力技で対峙するんではなく、するりするりと器用に小賢しく抜け道を探すのでもなく、それを楽しめる範囲内のまじめさできちんと対応したいと私は望んでるのだと思う。上記のお二人の姿をみていると(それにしても全く結びつきようの無いお二人ですが)、本来日本人は、そういうことが得意なのではないかな、と思う。

ビエナの鉄2 ここに住んでいるのは誰か偉い人だそうです。