今から政策をうっちゃれるか?

28日の衆議院での文化科学委員会審議では民主党議員による鋭い質問が相次ぎ、著作権法改正案の問題点がいくつもあぶりだされてきた。音楽ファンの意見を代弁するような議員の姿勢には頼もしさを感じていたところだったのに、同じ民主党にはこんなことを言っている人もいる。改正案には個人としても党としても反対であるし、反対運動を行っている市井の人々を応援してもいるのだが、法律には決まり方というものがあって、国会で審議が始まった時点で成立は確実なのだ、と。「だから今からほざいても無駄ですよ」なんてことは言っていないのだが、これを読んだら今法案撤廃を期待している多くの音楽ファン、少なくとも反対署名を行った5万7040人は落胆するだろう。最初このBLOGを見た時、ふじすえ健三なる人は参議院の議員なのかと思ったが、よく見てみれば「民主党から議員を目指している人」であった。
私はかつて「すっかりお膳立てが整ってから騒いでも意味が無いようにも思う」とここで書いたことがある(2月16日の日記参照)。それはふじすえ氏の言うように法案提出前の段階で、法案は可決成立するように作られるものであることをおぼろげながら知っていたからである。今回のケースで言えば昨年12月に文化庁が行った意見募集が直接的に意見を反映させる最後のチャンスだったのだろう。実際に私はその時も反対意見を送っているが、結果は賛成676に対し反対293(文化庁発表)だったのはご存知の通り。確かにこんな結果を見せられたら法案をひっくり返すなんて不可能だと誰の目にも明らかだ。しかし今となっては「意味が無いようにも思う」の部分は撤回したい。そもそも今回の法案がいかに欺瞞に満ちた立案過程を経ていたかは、文化庁の意見募集の段階でははっきりしていなかった。大半の人は「アジアからの還流盤規制」の問題だと思っていたし、思わされていたからだ。しかしその実態は先の委員会でも次々に暴かれた通りだし、それは関係各位の尽力の賜物だと思う。また関係各位を後押ししたのは間違いなく多くの音楽ファンによる利益を侵されることへの単純な怒りであり、反対運動などの行動力なのだ。つまりは一旦決まりかけた法律に民意が揺さぶりをかけているということ。
一応BLOGでは「続きはまた書きたいと思います」で終わっているので続きはまた書かれるのだろうが、国民の代表たる政治家を目指す人物が民主主義の根底を否定するような制度をおおっぴらに認めるとは。「政治とは、立案とは、そういうものですよ」で片付けるのならば(そうでないことを願うが)、私は彼に政治家としての資格を認めない。続きを待つ。