うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

いぬさんとねこさんと、【親に対する大いなる(しかし発達段階に見あった)エディプス的失望は、究極的に、超自我の理論をみちびくが、これは、人格を自己愛的退行の危険から守る、ごく貴重な発達・成熟ステップである(p.41)。】


 昨夕、雷雨があり、ひーひー王子が、自力で玄関を開けて入って来て、上まで上がって来ていました......。

 それを見た、ねこさんは、ただ唖然としていました(笑)。
雷とか、祭りの時の空砲が嫌いなようです!
 確かに空砲は早朝に響くので、ちょっと迷惑ですね.....。


 今日は夜勤なので、少し事務仕事をやってから歯医者さんに行こうと思っていたら、その時間になってしまい、直ぐに電話をして謝り、10分遅れで診てもらいました。
 ついでに、2部屋のエアコンのフィルターを洗って来ました。ジムに行こうと思っていましたが、なんやかんや用事が出来てしまい、もうこの時間.....。シャワーを浴びたらきっと出勤まじかですね。





 本は、昼食を摂りながら読みましたが、今、自分が欲しい事の答え過ぎてなんだか、不思議な感じになりました。
まあ、ここ数年、精神分析関係の本を読み続けることが出来ているので、余計に頭と心の中に入ってくるものがあるのでしょうか?
 ギターもそうですが、継続は力ですね!自分は、何の才能もないので、他の人の何十倍も勉強・練習しないといけないので、辛いことは辛いですが、その分、出来た時は嬉しいです。

 早めに、アップさせて頂きます。




 下記は、子離れできない親が、この地域には多いのでびっくりしたので、余計に心の中に響く箇所でした。
現場でも、自分しか見れないだとか、自分がいないといけないとか........。それは、本当はダメなことだと思います。
 子どもが、親を当てにしなくなっていくように、現場での支援も、同じように少しずつ段階を踏めるように、階段の数や高さなどを考えて行くのが、自分たちのしごとです。一抹の淋しさも伴いますが、子どもが社会に出ても恥ずかしくないようにしていくのが親の役割である様に!自立して、今度は自分が立派な親になれるように!
『親に対する大いなる(しかし発達段階に見あった)エディプス的失望は、究極的に、超自我の理論をみちびくが、これは、人格を自己愛的退行の危険から守る、ごく貴重な発達・成熟ステップである(p.41)。』





3.理想化転移 理想化転移は、理想化された親のイマーゴidealized parent imago(万能な対象)の、治療場面における再活性化です。 すでに述べたように、一次的自己愛の平衡が崩れると、小児は、失われようとしている自己愛的完全性を、その一部でも保持しようと、太古的な自己対象、つまり、理想化された親のイマーゴに託します。ここに、すべての力と喜びの源を自己−対象に委譲してしまった小児の、空虚感と無力感が生じます。小児が自己−対象を飽くなく求めるのは、また、自己パーソナリティ障害の患者が理想化転移を通して、それを再現しようとするのは、まさにそうした空虚と無力感を避けるためです(p.37)。しかし、健全な発達を続ける小児は、そこには止まりません。

 「適切な条件のもとにおいて小児は、理想化された対象に徐々に失望を覚える。つまり、理想化された対象に対する小児の評価がだんだんに現実的となるにしたがい、理想化された自己−対象への自己愛的備給は撤回され、自己−対象の内在化が徐々に進む」(p.45)。

 別な言い方をすれば、
 「小児は親を理想化するが、その理想化は、現実に体験(小児による親の実際のクオリティの認知)を通して、いくらでも訂正・修正される。また、共感的な親でも足りない点が徐々にはっきりするにつれ、プリエディパルな段階にある小児は、理想化リビドーの一部を親のイマーゴから撤回し、それを、欲動−制御的構造の構築のために使う。親に対する大いなる(しかし発達段階に見あった)エディプス的失望は、究極的に、超自我の理論をみちびくが、これは、人格を自己愛的退行の危険から守る、ごく貴重な発達・成熟ステップである(p.41)。