手離す技術

海上保安庁の潜水士たちのように,新聞に名前の載らない,あるいは新聞にすら取り上げられない英雄たちが世の中にはたくさん存在する.私は彼らの中に,人間は塵として生まれ,塵として死ぬという謙虚さと,ならばせめて塵らしく生きていこうという覚悟を感じる.そして,彼らのような謙虚さと覚悟を持っていれば,変なプライドや誇りにも惑わされずに済むのである.

ものごとに動じなくなるには,自分自身をそうやって客観的に見ることが大切である.そしてなによりも,その心構えとして「たいていのことは大した問題ではない」という感覚を持つことも重要である.簡単にいえば,なにかことが起きたとしても「死にゃーしないさ」と常に思えるようにすればいい.
「人間なんて所詮,塵のようなもの」という思いがある.

市場主義の社会では,たくさん売ったものが「勝ち」とされる.でもこれからの時代,売る側の人間は「たくさん作りましょう」から「いいものを売りましょう」へと,かつてあった思考に原点回帰していく必要性があるように思えてならない.

指導する立場の人間の心構えとして,「いいことがあったら下の立場の人間のおかげ.悪いことがあったら自分のせい」.そんな姿勢がなければならないと私は考えている.この心構えのない者は,上の立場になってはいけない.それが,上に立つ人間の最低限の責務であろう.
一方,上の立場なのに,なんでも下のせいにするのが「権力」である.

「違い」を楽しめるタイプの人からは,嫌らしい権力欲というものは感じない.差があって当然,違いがあって当たり前と思っているから,「違い」を「違い」として楽しむことができるのだ.
「バカも利口も全部仲間」という感覚がないと,自分の中にあるバカの部分を必死に隠し,利口な部分だけを見せようとするようになる.そのような表裏があるから人間なのであって,その表の部分だけを見せようとすれば,人間がどんどん歪になっていくだけだ.そうならないためには,表も裏もさらけ出して生きていけばいい.