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2009-04-03

小鳥の世界 賀川豊彦

 お互いに憎しみあい、奪い合い、殺し合いをして、道徳の愛も忘れている人間は、小鳥にその純潔と、道徳とを教えてもらわねばなるまい、とわたしは思います。

 平和な小鳥の世界! 小鳥は、仲間同士相睦み、相助け合い、わずかの穀粒で満足して敢えて貧らず、またたとえ籠の中に囚われても、不平をいわず朗らかに平和な歌をうたって屈託しないのです。その鷹揚さ、その明朗さを見ると、わたしたち人間は、小鳥の前にはずかしくさえなります。

 阿波吉野川の流域で幼年時代をすごしたわたしは、小鳥を友として成長しました。隣家のおじさんが小鳥好きで、いろいろの小鳥を飼うことを教えてくれました。

 労働者街で保育所を経営するようになってからも、わたしは自分の幼時を回想し、こどもたちに神の造り給うた美しい平和な小鳥を見せたいと思って小鳥を飼いました。また只今の武蔵野の一角に住むようになって、鳥屋から黒つぐみを買って来て飼いましたがつぐみは籠に入れられていても、窮屈だともいわず、澄み切った小川のような美しいメロディーで歌いました。わたしが指先を出すと、それに接吻して愛情を示してくれました。こうして半年、1年とつぐみと親しくなっているうちに、友情が深くなって、つぐみは籠の戸を開いておいても、一向に逃げようとはしませんでした。

 ところが、こどもが猫を飼うようになってからというもの、つぐみはおびえるようになって、或る日、水を換えようとして窓を開いた刹那、外へ出てそのまま帰って来ませんでした。危害を加えるものがあることを知ると、小鳥は親しまないで、のがれようとするからです。
 野鳥の会中西悟堂氏の家では、いろいろの小鳥を室内で放ち飼いして居られますが、これらの小鳥は同家の猫ともよく馴れて、猫が日向ぼっこをしていると、そのそばへ行って嘴でつついたりするのです。

 最初から小鳥をいじめないようにしつけてある猫は、怒りもしないで、うるさい奴だなア、といわんばかり、背中を山のようにもちあげて、アーンと大きなあくびをすると、そのままノソリノソリと他へ行ってしまうそうです。同氏の名著『野鳥と共に』の口絵を見ると、よしごいという小鳥が、猫の上にちょこなんと留ったり、昼寝の猫の腹の上に突っ立っている写真がのっています。

 中西氏は大るり、虎つぐみ、?白、むく鳥、せきれい、木葉づく、河鵜、尾長など、いろいろと飼われましたが、多くは幼鳥時代から飼育されたので、人間にいじめられた経験もなく、すっかり飼い主に親しみました。それも、籠の中で飼うのではなく、さながら家族のように自分と同じ部屋で放ち飼いにして、少し大きくなると、中西氏がビスケットを口うつしで与え、またお茶や紅茶も、人間といっしょにすすらせるのですから、まるで『自分の親のように慕って、指先にとまったり、膝の上へのぼって来て居眠りをしたりして、片時もそばを離れようとしないのでした。

 中西氏のところで飼われる小鳥は、みなウー公とか、チー公とかいう名前がついているのですが、どの鳥も自分の名を記憶していて、呼ばれると高い木の上にいても飛んで来るそうです。お父さんやお母さんに呼ばれても、おみこしをあげない人は小鳥に笑われますよ。

 小鳥は決して頭の悪い動物ではありません。それどころか、大変、敏感なんです。尾長などは、飼い主の足音と他の人の足音とを聞きわけて、ドアの外に中西氏の足音がすると、すぐ聞きつけてドアのところまで来て待っているそうで、その上、人間の心持ちを敏感に悟って、中西氏が愉快げにしていられると、尾長も愉快にしますが、反対に気むずかしくしていられると、尾長も不機嫌になって、いうこともなかなか聞かないのです。それで、尾長の居るところ――中西氏の部屋――へ入る時には、まず心を静かに落ちつけて、なごやかな気持ちになってからドアをあけることにして居られるそうです。

 小鳥ではありませんが、あのからすは、人の顔色をさえ見ます。中西氏は室内の家具の中でもソファーだけは糞でよごしたくないので、そこへからすのとまることを禁じたのですが、そこはふわりとしていてとまり心地がいいのでしょう。氏の姿が見えなくなると、そっとソファーのもたれの上に留まるのです。そこへ氏が戻って見えると、からすは素早く他へ飛びのいて、わしは知らんよ、とすました顔をしています。様子を察して「いかんじゃないか」といって叱りますと、頭を垂れて「堪忍して――」といったような格好をしてあまえるといいます。

 こういう風に小鳥は敏感で、愛情をもって近づく人間には、何らの警戒心ももたずに親しみ、悪意を抱くものは敏くもこれを観破して警戒し、または敵意をさえ示すのです。

 あなたはジョットオの書いたアッシジの聖フランシスが小鳥に説教をしている図を見たことがあるでしょう。あれは決してフランシスを理想化した作り話ではなく、あちらの修道院では、生き物を可愛がって、決してこれをいじめないので、鳥が人間を怖れず、人の手から食べ物をもらうのです。パリのリュクサンブルグ公園の雀は、奈良の鹿と同じように、人に親しんで、食べ物を人からもらうので有名ですが、これもパリの人たちが、雀をいじめないからなのです。

 ところが日本ではどうでしょう。雀と見ると、こどもなどはすぐ石をぶつけますし、おとなまでが、空気銃で罪のない雀をうつのです。また雀の巣をみつけると、母雀が大切に育てている雛を盗み出して、おもちゃにして殺してしまうのです。ですから、人里近く住んでいる雀でありながら、人を極度に怖れて、人間を猛禽同様に警戒して近よらないのです。

 人間がいじめなかったら、野の小鳥はもっともっと自由に、そして美しい声で鳴くでしょう。椋鳥は日本では、あまり美しい声で鳴かないのですが、猛鳥も、また小鳥をいじめる猛人もいないニュージーランドでは、椋鳥が他の禽といっしょに、可愛い声をして鳴いているのを、わたしは彼地で聞いて驚きました。平和な世界では、鳴禽類も一段と進化するのです。わたしは熱帯地方の平和な境で、夜明け前、小鳥がうれしそうに歌っているのを聞いて、自然というもののすてがたいことをつくづくと考えさせられたことでした。

 鳥類は元来、愛情の深いものです。昔から「焼き野のきぎす、夜の鶴」ともいって、特に小鳥の母性愛は有名です。「夜の鶴」といわれるのは、しばらくも休みなく餌をねだる子鶴のために夜更けからも餌をあさりに出かける母鶴の愛をいったものなのです。ペリカンも母性愛の深い鳥で、子のためわが胸を割いて、その血を子にすすらせる、といわれていますが、それは間違いで、自分が十分咀嚼してなかば液体になった餌を、子に口移しで与えるのです。これに似たのは鵜です。鵜は食道の一部に小魚を蓄えて帰って来てアーンと口をあけて、雛にそれをついばませるのです。人間はこれを利用して、折角とって鮎を横取りします。これが長良川などの有名な鵜飼です。

 鳥は母性愛のみならず、夫婦愛も他の動物にまさって深いことは、仲のよい夫婦をおしどりのようだと、いうのでも判るでしょう。鳥の中には一夫一妻を守っているものが多く、貞操観念も此類のアプレゲールの人間よりは遙かに堅固です、母性愛で知られる鶴は夫婦愛も不覚、番いをはなれた鶴は人間以上に悲嘆にくれます。昔、日本に沢山の敦が居た頃の話ですが、或る外人が番いの鶴の一羽を銃でうって得々として帰途についたところ、あとの一羽が狂ったようにあとから追って来て、その外人の頭を長い嘴でつっついてとうとう死なせてしまったといいます。

 鳥は雛を育てるのに、夫婦仲よく協力するものが多いのですが、なかにはカナリア文鳥のように雄が雌に代わって卵を温めたり、雛を育てるのがありますし、またとびや白鳥や鶴の雄のように、直接、雛は育てませんが、巣の近くに見張りしていて、害敵に備えるものも居ります。鳥の愛情の深さは非武装のための自衛ともいえると思います。牙も爪も角も鋏も歯ももっていない鳥、そして貝殻や甲羅や鱗で保護されてもいない小鳥は、獣や猛禽の前に全く、抵抗力を持っていないのです。

 鳥の武器といえば、嘴ぐらいで、鶏科の鳥はこの外にけずめをもっていますが、小鳥に至ってはそれらはたとえあっても微力で、猛禽に狙われたら最後、敵対する術を知りません。残された自衛手段はただ三十六計逃ぐるにしかずです。敵から遁れるために飛翔することと、敵の目をくらますために、花や葉の色とまぎらわしい色形を持つことと、そして身をかくすため安全地帯に巣を作ることだけで、あとは、仲間が助け合うというより外に道はないのです。中でも飛翔は鳥の最有効の自衛手段で、雀やひよなどは空へ飛び逃げるだけでなく、鷹の羽音を聞くと、地上を這うようにして飛んで、その追撃を遁れることを知っています。また鳩は害敵に襲われると、一種奇妙なカーブを描いて逃げます。これが三十六計の中の一計なのでしょう。

 武装をしない無抵抗主義の小鳥は可愛い子を安全に哺育するため巣の形や位置に苦心を払っています、千鳥やかもめは地面や地下に穴をほって産卵しますが、多くの小鳥は樹の上や高い岩の上などに巣を構えます。中でも面白いのはアフリカの織布鳥で、蛇や猿の襲撃に備えて、蔓などの繊維を利用して安全な木の枝から巣をブラリと下げて、空中住宅としゃれています。また中には樹の幹に孔を穿って住んでいるものもありますが、特にアフリカから南アジアに住む二本の角のある大角鳥は樹木の空洞か、または自分で樹に穴を穿ってその中に巣を作り、雌が自分の羽毛で作った産所で卵を産むと、雄は巣の入り口を、わずか嘴がのぞける程度残して、あとはすっかり泥で塗りつぶして敵の目のつかぬようにするそうです。

 もし生存競争が、この宇宙を支配する唯一の方則だったら、この武装のない小鳥は猛獣や猛禽に食われて絶滅するばかりですが、事実はそうではなくて、こうしたかよわい小鳥もそれぞれ自衛手段を講じて生存し、猛獣や人間とは比較のならぬ、平和な楽しい生活を送っているのです。いつまでも戦争を放棄できずにいる人間は、小鳥の世界に学ばねばなりません。

 なお最後に一言しておきたいことは、この小鳥が人間の生活に寄与している点の多いにもかかわらず、人間がこれを虐待していることです。たとえばつばめです。もしつばめが二本に一匹も居なくなったらどうなると思いますか。つばめが現在とってくれている害虫を駆除するとせば、6万人の常備者が必要だということです。戦時中から戦後にかけて山林を伐採し、鳥のねぐらをこわしたり、霞網や鉄砲で鳥をとって蛋白源として食べたりした結果、戦前に872通りいた鳥が現在では520通りに減って、そのため害虫が蔓延し、松など、枯れ死するもの既に数百万石の多きに達するといいます。

 わたしたちは人間の益友たる小鳥をもっと深く理解しかわいがらねばなりません。(世界国家1950年1月号)