「櫛形山トレッキング」

南アルプス市」 盆帰省の 「櫛形山トレッキング」アナログ的考察


盆帰省の折り、ボクサーと表敬訪問で南ア市庁舎に中込市長・名取副市長を訪ねました。


幸運なことは、中込市長より直伝情報を入手。「櫛形山トレッキングコース」が、今春(7/7)開設されたばかり、とのこと。早速プラン修正がワクワク、タイムリーに行われました。



櫛形山とは、甲府盆地の南西壁を形成し、丁度「和櫛」を立てた様な最高2053mの山。南北の稜線は約12kmのなだらかな山容で、南アルプスの前衛に位置しています。実家は、この櫛形山を背にした、引き出し状の高台にあり、富士山も櫛形山も良く眺められます。実家からは、自家用車2台で高度を稼ぎました(海抜約600→1860m)。

北岳展望デッキパノラマ』は、池の茶屋駐車場から入山30分の場所。ここは、車椅子(ベビーカー)も可能な一般散策コースで、勇壮な北岳を目の前に、しかも最短距離から望める『超最新の話題スポット』なのです。地元らしき高齢者グループからは、採り立てのプラグが振る舞われ、ワイワイとしばし歓談。このエリアは、携帯電話が機種・場所により不通なので注意が必要です。ここからは、復路組(6名)と前進組(5名)とに別れ地点となりました。


僕ら(子供と甥)は、白根三山側(「農鳥岳」「間ノ岳」「北岳」)からの雷鳴に急かされたものの、「もみじ沢」の急峻のダウン・アップを経て「アヤメ平」を目指すことに。そこは、東洋一のアヤメ群生地。田中澄江氏の『花の百名山』でも名高い“お花畑”で、僕も誇らしく感じていました。



ところが近年、絶滅状況に。温暖化説と鹿の食害説が有力です。ただ一度失われた自然環境は、取り戻すにも悠久な時間と労力が求められます。海抜約1900m程の山間に果敢にネットを張り巡らした対策で、今年は300株以上の復活が確認されたそうです。かつての楽園をこの眼で知る者には少々痛々しくも映りますが、行政側のご英断とご尽力には深く頭が下がります。20代初旬の僕は、この北側ルートの丸山登山道整備にボランティア活動で参加していましたが、今年、南側からの車道整備延長とこの開発計画により、櫛形山ばかりでなく南アルプス連山が急接近し、こうして容易なアプローチが可能となった訳です。



◆娘との山行
今回のリーダーは、娘。しっかりした装備や事前のルート下調べがあり、そこに市役所からの最新情報を提供。新コースの時間配分を前夜確認し合いました。昨年の娘からは、富士山や屋久島に父親同行プランでラブコールが上がっていました。が、僕の学会発表や講演会の準備で日程が調整できず、娘は結局一人で決行。「山ガール」としては、既にデビューを果たし、この方面の自覚も逞しく、今夏も既に八ヶ岳(硫黄岳)に2泊し、その後も燕から槍ケ岳にも単独で縦走していたようです。


娘は、小学校低学年の時、前日突然、家族での富士登山に付き合わされました。夏休みとはいえ台風接近の最中、台風一過の快晴を勝手に当て込んだ僕のずさんな富士登山計画。結果は悲惨。7合目と8合目で2泊したにも関わらず、雨天強行の無理が災いし、3人が起床直後から高山病?(頭痛・嘔吐)で、8合目で中断し帰路へ。前日の夕刻、僕は、「下見」と称して独り勝手に初登頂を遂げていました。



こりごりした荒っぽいアウトドアーの洗礼体験を受けたハズの娘でしたが、「山歩きなどのアウトドアースポーツは、キッカケを提供するのが父親の仕事」と、当時の僕は大真面目に考えていました。娘の最初の登山は、登頂はたせずの失敗と言えたでしょうが、雨天でのキツイ挫折体験は、山の魅力にも開眼する大きなインパクトを秘めていたのです。、山歩き派に変身するビックチャンスを仕掛けた戦略は、結果的には大成功。今の僕は、当時よりも喜んでいます。登山。この種の達成感は、確かに非日常的なシンドサですが、一歩一歩自分に対峙し、雑念をリセットする貴重な時間でもあり、自浄作用が著しく高く、その達成感を差し引いても、人生の醍醐味を自らが発見し易く生きてることを数倍楽しく実感させるでしょう

僕の個人的課題は、下山対策。それは、膝に一抹の不安を抱えていました。かつて鳳凰三山の単独縦走時、やはり急変し易い山の天候から不測の事態と遭遇。雷雲が突如湧き起こり、キナ臭い独特の空気に辺りが飲み込まれ、落雷の危機を察知。薬師岳山頂(2780)から約1000m差を一気(3時間30分)に駆け足での下山を強いられました。その時に“膝笑い”を初体験したのです。焦りから大股での前傾姿勢。膝に繰り返される全体重の衝撃負荷は、想像を遙かに超えていて瞬く間に悲鳴に。終着地点の夜叉神峠ラスト1Kmは、サイドステップやらバック歩行を試みるも効果なく歩行不能に陥り、下山時の大きな課題となっていたのです。


対策は、2年前から自転車通勤(ジテツウ)に切り替えて大腿筋やハムの鍛え直し。当日対策は、小股歩行・つま先接地・両手スティック。この当日の対策は、その娘から、今回下山時の歩行要点(膝対策)のうんちく(理論と具体策)として、分かり易く教わりました。こうした体験は実に面白い。年を重ねることの快感とは、我が子との共通した関わりの中からも、この様な形で気づかされ、想定外の楽しい新鮮な体験をしました。



◆「見晴らし平」からは、 甲府盆地が一望出来ます。

ここは、海抜1320m。北尾根登山道(縦)と、櫛形山林道(横断)のクロス地点で駐車場が完備。田中澄江氏登山の碑とそのモニメントから「鐘の鳴る丘」とも呼ばれ親しまれています。アヤメ平小屋(1890)では、娘が沸かし立てのコーヒーブレイクを計画していたのですが、雷鳴の脅迫に伏し急遽中止。降雨中での下山は、足元が滑りやすく危険が高まりますので、早々に退散し一気に高低差約600mを40分で下る事に。雨にも遭わず大過なくほぼ予定時間に無事に全員到着は、雷様に感謝です。



ここは、知る人ぞしる 甲府盆地の夜景絶賛スポット。

モニメントのハート越しに富士山をバックに。お二人で幸せの鐘を鳴そう!


富士山頂からのサンライズは、期間限定ながらもマニアック写真家の溜飲名所。山では良く体験する視界が突然見通せることがあり、期待していましたが、ここ見晴らし平からでも富士山を一瞬でも垣間見ることは叶わずの曇り日でした。3.21は、冬期閉鎖期間中、アイスバーンに血の気を無くす数カ所を超えながらも、行政から通行許可のご協力を頂いてボクサー公平の世界初防衛戦(13.5.6)用の「番宣撮影」がテレビ東京クルーと行われた思い出の現場でもあります。




◆山行考察


今回のスケジュールを通して「櫛形山は、まさしく南アルプス連山の前衛の山」との感触が、視覚からも入力され納得しました。神の集落を彷彿させる原生森は、マイナスイオンが充満。澄んだ空気たちは、体中の細胞に音を立てて我先にと入り込まれていく爽快な感じで生き返る感じそのものでした。それに荒々しい山塊が顔面に迫り来る立ち位置。甲府盆地側からでは全く想像も出来ない大迫力。原生林越しの南アルプス等の山波は、大自然が織りなす雄大な一大スペクタクル。写真として切り出せても、それは単なる自然のほんの一部でしかなく、人間の小手先のお遊びにも、デンと構え、大らかに迎え入れる有様はうれしい限りでした。



カラマツ・ミズナラに垂れ下がる原生林の「サルオガセ」は、植物分類群では、地衣類となります。菌類と藻類の共生体です。

今では、この山頂域を代表するの神秘的な景観を演出しています。それらを一期一会と確認しながらのトレッキングは、言葉は都度交わさなくとも、成人した子ども等との家族としての濃密な時間となっていました。「地元民が、先ず地元の良さを知ろう」。都会生活ながら今は最も地元の機微に明るい家族となったような錯覚すら覚えましたことも幸せと言えるでしょう。



出自の自然環境からの自己再発見。それは、その人の人生に大きな安心感と好影響をもたらすでしょう。他人との比較ではありません。「自分とは何者なのか」の、絶対的な自己発見のこうした一法は、親から子等に引き継いで欲しい我が家の文化でもあり、親が身を持って示せるアイデンティティー確立の戦略でもありました。小さな出来事(ミス)などどうでも良かろう。発想・準備・実践・結果とこの4時間程の山行は、確かな手応えと共に充分に自然を満喫し、自分との心の対話にも満足できました。



◆地元の名山踏襲体験とは



単に実行した者のみが感じる楽しみに留まりません。周囲の人々も共有している大切なモノとの関わりを肌で感じ合える特別な機会であり、その仲間参入の儀式だったのかも知れません。多分そんな流れ(ノリ)になっていったのか、そうでなかったのかも知れません。ともかく里山出身者としては、草木に宿る自然の支配者の存在を確認する貴重な接点でもあった。だから、単純な達成感であったとしても、同種の感覚を共有する周囲の人々とも、お互いの心に響き合うのだろう。万物の自然にすら神は宿っている、流の「自然崇拝」。そんな自然観を肯定させる風景。そんなイメージが、全身を通して、重なり合う出会いの場の存在は、ありがたいの一言に尽きよう。


せっかちな結果主義が蔓延する中、こうした一歩一歩のアナログ的な共有の体験こそが、身近な人間同士の以心伝心の関わり合いをスムーズに変えよう。伝わり届き合う精神活動の原点としての楽しさは、こうした小さなプロセスをお互いが大切にしていくことで成就されていく。何となくも強く確信的に感じられた。ともかく、一歩山に踏み入れると、自分側から動かない限り目的地には辿り着けないのも定め。だから、迷ったら身体事動かそう。終着点では、身も心もまろやかに落ち着くところにソフトに着地してゆく。故郷の自然が織りなすこの類いの優しい仕草は、 凄く 、新鮮な体験であった。



帰省以来、実家の庭越しのツリーデッキ上からも、富士山は一度も顔を出そうとはせず、櫛形山にも雲が湧いていた3日間だった。山歩き自体には好都合な天候だが、もう一つの醍醐味、展望が期待できず、日本1富士山・2位北岳・4位間ノ岳の勇姿は凜とは確認できなかった。しかし、そのさ中、成人した子ども等との「櫛形山トレッキング」は、曇天を嘆くというよりも、晴天の日に再トライを誓わせる不思議な魅惑的な山行となっていた。原生林越しに見え隠れする南アルプス等の勇姿拝見ポイントと、高山植物などの事前チェック作業は、一層この山にしかない魅力を再び堪能させてくれることになるに違いない。4回目のトライアルがなかったとしても、満足な行事であった。


◆ボクサーとふるさと

2日目の夜は、カラオケ大会と盆踊り大会が予定されていた。「第22代WBA世界スーパーフライ級チャンプ」と紹介された息子。公平の飛び入りは、特別景品の「公平Tシャツ5枚」にサイン記入のプレミアムハプニングとなって大会を最後まで盛り上げた。暑い夏の夜の熱い心の交流。公平が、本籍地(南アルプス市)への意識も変えたであろう。「心の所属感」の広まりと深まり。そして「試合、TV見てたよ!」と、求められるサインや2ショット写真に応ずる姿からは、「力の欲求」を心置きなく満たせたであろう。感謝!。



こうしたリアルな充足感は、この瞬間を今皆と一緒に生きている。そんな証として、自己肯定を強め直す瞬間でもあろう。公平自身の存在感を自分が自身に納得させる特別な夜になっていったであろう。世代交代が進む里山ではあるが、故郷の人々の温かいそのまんまの受け入れ体制。こうした純朴な応対は、孤独なアスリートのモチベーション維持には欠かせない妙薬。前試合は、判定に疑義が残る初防衛失敗の陥落劇。WBA協会から、ダイレクトリマッチが囁かれるも、興業としての決定には至ってはいない。そんな不安定の中、現役続行しリベンジを目論む孤高の選手にとっては、何物にも代えがたい最高のお土産となっていた。


そして、長年体調を崩されていた方が、僕らが顔見せしたことで、元気を取り戻された。と、ご家族からの感謝報告が寄せられていた。僕らの方こそこうしたキッカケに感謝していることを伝えたい。世界復帰戦(世界タイトル)が決定しましたなら、引き続きご声援をお願いいたします。


故郷と自然。人生の強力な応援歌が、そこにはいつも悠然と変わることなく用意されていた。(2013・8・13〜15)


櫛形山トレッキングコースの見どころ 」のイラスト入りのマップ(A4)は必見でしょう。

【照会先】 南アルプス市役所 観光商工課 055-282-6294

南アルプス市のWebサイトからトレッキングコース」(H25.7.7開通)の資料(↓ )
http://www.city.minami-alps.yamanashi.jp/shisei/soshiki-syokai/norin-syoko-bu/kankou-shoukou/images/5y82u7