【小説】がれがれん 序章〜第一章

 いつも通り、さらりと今書いてる話を公開してみます。


がれがれん

序章 崩壊の街

 俺は気がつけば悪友にケータイで電話していた。
『あいよ、もしもし、俺だけど?』
 いつも通り適当な悪友の返事に思わず安堵する。彼はいつも通りだ。おかげで混乱していた心がやや静まるのを自覚する。
「おう、帰省中のところ悪いな」
 悪友は今通っている全寮制の高校の同級生だ。今は夏休みで俺も悪友も故郷が違うので別々に帰省中――なのだが。
「実はひとつ困ったことが起きた」
『へぇ、何が? 親が離婚していたとか?』
「いや、違う、そうじゃなくて――」
『ははん、さてはホームシックならぬ、スクールシックにでもかかったか? とっとと寮に帰りたいのか?』
「……確かに今そんな心境だが、問題はそんなところじゃない」
『あん?』
「街が――吹き飛んでる」
 俺は周囲を見渡す。
 そこにあったのは一つの崩壊だった。
 駅から見るその光景は、世界の終焉がついに訪れたのだと俺に思わせるほどに酷かった。
 なにも、ないのである。
 いや、正確には見渡す限りの瓦礫、瓦礫、瓦礫。本当に、どこもかしこも瓦礫だらけだ。
 以前ならば建物が邪魔で海や山が見れなかったのだが、かろうじて残っている駅と線路以外は驚くほど見通しがいい。建物がなければ意外と海が綺麗に見えるんだな、と場違いなことを思った。
『あー、そう言えば、そっちって確か先月大型地震が来て壊滅状態ってニュースで言ってたな』
「え? マジで? 全然聞いてないぞ?」
『いや、先月授業中に物理の高橋が言ってたじゃん』
 物理の高橋先生だと? 俺の中で必死に記憶を探すがかけらも出てこない。
「……物理の時間はいつも寝てるんだ」
 あの先生の授業って口から催眠音波出てるのだ。仕方ない。
『ホームルームでも「お前の家大丈夫か?」て担任が聞いてただろ。そしたらお前はすんげえ不機嫌そうに「だいじょーぶですよ、むにゃむにゃ、もう食べられないよぉ」って言ってたな』
「後半は言ってねーよ! 勝手に食いしん坊キャラにするんじゃねぇ!」
『いや、食いしん坊キャラじゃねーか、お前』
「卑しん坊だと言っていただきたい!」
『余計駄目になってないか?』
 それはともかく、確かに夢うつつでホームルームに出てたらいきなり家族のことを聞かれて鬱陶しかったので「大丈夫大丈夫」とか適当に答えた気がする。
 ――なんだか思い出してきたぞ。
『あと、寮に一回お前宛に電話なかったっけ?』
「…………」
 確かにあった。言われてみればホームルームで聞かれた夜、寮に母から電話があった。

  『元気にしてる?』
  「あー、元気だけど?」
  『そう、よかった。こっちも元気よ』
  「はいはい。用はそれだけ?」
  『えっと、そうだけど……』
  「はいはい、じゃあまた八月に帰るから」
  『あ、ちょっと――』
(ガチャッ)

 ――過去の自分をぶん殴りたい。
「やっべ、あの電話もしかしたら重要だったかもしれない」
『もしかしなくてもそーだろーが』
 悪友の冷静なツッコミに俺は頭を抱えて座り込みたかった。
「……なんてこった。自分がこんなに馬鹿野郎だったなんて、知りたくなかった」
 友人とのDVD鑑賞会を優先したばかりに、大事なことを見落としてしまった!
『アッハァッハァッハァッ、テメーがろくでもないのは今更だろーが』
「うっせ、バーカバーカ」
『つーか、俺と電話してる場合か。とっとと親と連絡とれよ』
 もっともな悪友の意見。
「あ、そうか。どうやら俺は混乱していたらしい」
『今更そんなこと言ってる時点でもうお前はダメだな』
「うっせ、テメーもダメ人間の癖に!」
 電話の向こうからアッハァッハァッハァッと悪友のうざい笑い声が聞こえる。何か言い返したいが、頭が回らず、舌打ちをするのみだ。
 ひとしきり笑った後、悪友はそっと呟く。
『やれやれ。また何かあれば連絡してこい』
「……ああ、恩に着る」
 持つべきものは友人だな、と悪友に感謝しつつ、俺はケータイを切った。
 とはいえ、なんとなく親に電話する気にもならず、改めて周囲を見渡す。
 最初は瓦礫のイメージが強くて荒野のように感じていたのだが、意外と周囲には建物が残っていた。まばらであるが、人通りもある。とはいえ、それらの建物も、三階だけ押しつぶされてたり、屋根が吹き飛んでいたり、と無事な建物はほとんどない。
「……家、残ってるといいな」
 俺はため息一つ吐いて、顔を上げる。
 不意に、息を飲み込んだ。
 目に飛びこんできた空の青さが俺から言葉を奪う。
 雲一つない、どこまでも青い、純粋にして広大な、空。
 魂すら吸い込みそうなほどの蒼天に俺はただただ見とれた。
 そこには電柱もなく、ビルもなく、純粋な青い空。
 この空を俺は見たことがある。それはハワイの空であったり、日本アルプスを登った時であったり――。
 だが、故郷であるこの街でもこんな空が見れることを俺は知らなかった。
「そうか、俺の街もこんな空をしていたのか」
 それがこの地震で俺が得られた一つ目の教訓だった。
 

第一章 少年と少女と特別と

 いつまでも空を見上げていても仕方ないので俺は歩き出した。生まれ育った街だけあって、これだけ崩壊していても駅から家への帰り道は体が覚えている。だがそれだけに、感じる違和感が凄かった。
 いつも通っていた本屋はなくなっているし、パン屋があった場所は焼け焦げた鉄枠だけが建っている。よく買い物に行っていた大型スーパーはさすがの頑丈さで見た目的にはほぼ原型を留めていた。営業もしているらしく、多くの人が出入りしている。
 ……と、ここで気付く。街がこれだけ崩壊しているのに、車道にはほとんど瓦礫は落ちておらず、絶えず車が行き交っている。しかも、幾つかの道路は新しくアスファルトが固められた跡すらある。
 これだけ街が壊れているのに道路だけ綺麗だというのはなんだか不思議な気分だった。
 信号機も動いており、律儀に赤信号で止まる自分に思わず苦笑する。
 人間の街は壊れても、車の道は綺麗に造り直されている。そして、車達は元気に道路を走り回っている。そんな車に轢かれないよう、赤信号で止まる自分。なんだかここは人間の街ではなく、車の街なんじゃないかと錯覚してくる。
 まあ、実際は物資を能率的に送れるように道路の整備を優先したのが真相なのだろう。人々の家をいちいち建て直していくよりも、まず食料や衣類などを送るための道路を整備する方が大事なのは少し考えれば分かることだ。
「でも、なんかやりきれねぇな」
 もやもやした気持ちを抱えながら、ともかく家路を急ぐ。
 果たして家がちゃんと残ってるだろうか。少なくとも、先月電話をかけてきたのだから、両親は無事なのだろう。だが、今の居場所が自宅ではなく、避難所という可能性もある。この街の避難所はどこだろう。数年前に自分が通っていた小学校だろうか。
 色々な妄想を振り払い、ともかく歩く。
 そのうちに、とある公園の横を通り過ぎた。
 公園にはプレハブの仮設住居が並んでいる。
 この公園では友人達と何度もサッカーしたり、野球したりとよく遊んだりしたのだが、今では家を失った人々の仮の住まいになっているらしい。そう言えば時々公園で寝ていたホームレス達はどうなったのだろう。地震の影響で追い出されただろうか。もしかしたら、皮肉にも地震で作られた仮設住居を与えられたかもしれない。いや、そもそも今は自分たちの家族がホームレスになってる可能性すらある。
 ――立ち止まってたらダメだ。
 俺はどうしても悪い方へ傾きそうな妄想を振り払い、ともかく一心不乱に家路を急ぐ。
 住宅街には意外にも幾つもの家が建ち並んでいた。幸いにしてこの区画は被害が少なかったらしい。
 そして、家はあった。遠くからでも分かる。俺の生まれ育った家。
 幾つもの瓦がはがれ、塀にヒビが入ってはいるが、それでもオンボロ一軒家は無事、その原型を留めていた。
 俺はほっとため息をつく。よく生き残ってくれた、と言ってやりたい。口に出すのは恥ずかしいので言わないが。
 と、そこで気づく。よく見れば、家の前に誰か人がいた。父か母だろうか。
 俺は早足になるのを自覚しながら家へ向かう。
 近づくにつれて、相手の姿がはっきりと見えてくる。
 門扉の向こう、玄関の前にリュックを背負ったジーパン姿の少女がいた。年齢は中学生くらいだろうか。こそこそと辺りを見回している。ポニーテールにまとめた髪は柔らかいウェーブがかかっており、彼女が首をキョロキョロと動かす度に彼女の背中に揺れている。
 知らない顔だ。だとしたら――物盗りか。こういう災害時には無人の家を狙った物盗りが多い、と本で読んだことがある。
「おい、あんた」
 呼びかけると、少女はびくんっ、と肩を跳ねさせる。体を固まらせたまま、それ以上何も言ってこない。仕方ないのでこちらから呼びかける。
「……人の家の前で何をしている?」
 言いつつ、背負っていた荷物を下ろし、いつでも動けるようにする。物盗りなら突然走って逃げ出す可能性があるし、強盗なら逆に襲いかかってくる可能性もある。いつでも動けるように準備するに越したことはない。
「――あんた、ここの家の人間?」
 返ってきたのは意外にもはっきりとした声だった。後ろめたさなど感じさせないまっすぐな声。
「そう言ったつもりだが? もし、客ならこちらに顔を見せるべきじゃないか?」
 俺の言葉に少女は一瞬ためらったようだが、観念してこちらを向いた。ポニーテールが揺れ、つり目がちの鋭い眼が俺の顔を見る。
「物盗りにしてはふてぶてしい態度だな」
「誰が物盗りよ。それがせっかくやってきた客に対する態度?」
「それで客のつもりか?」
「そのつもりで顔を見せたんだけど?」
 彼女の言葉に俺は彼女の瞳をのぞき込む。視線がぶつかり合い、探り合う。
 さてどうしたものか。相手の真意がさっぱり掴めない。警察を呼んだとして果たして今の街の状況でちゃんと来てくれるのかも分からない。
「客なら、用件を聞こうか」
「………………藤田美咲に会いに来たの」
 押し殺した彼女の言葉に俺は一瞬きょとんとする。質問の意図が分からない。相手はそれだけで伝わると思っていたようで、首を傾げる俺に相手も戸惑いの顔を見せた。
 俺は、どうしたものかと視線をずらし、あることに気づく。
 ――そういうことか。
 俺は途端に馬鹿馬鹿しくなってがっくりと肩を落とし、大げさにため息をつく。
「ちょっ、なによその反応っ!」
「……よく分からないが、その藤田美咲さんとあんたの関係は?」
「別にあんたに関係ないでしょ!」
「確かにな。俺は関係ない」
「え?」
 俺の回答に少女は逆にきょとんとする。
「藤田さんは隣の家だ」
 そう、俺は気づいたのだ。隣の家の表札に『藤田』と書かれていることを。そう言えば、俺の家の隣には近所での美人と評判のお姉さんが住んでいた。たぶん、美咲さんとは彼女のことだろう。
「え、だってこの家の表札って――」
「よく見ろ。うちは藤田じゃなくて、藤日だ」
「…………っ!」
 彼女は俺の家の表札を見てかぁぁぁと顔を真っ赤に染める。人間てこんなに早く顔が赤くなるんだな。
「え、ちょ、ええっ! マジで!」
 おいおい、慌てふためく女の子って結構可愛いな、と思わず頬が緩む。
「ちょ、あんた何ニヤニヤ笑ってるのよ! 誰だって勘違いくらいするでしょ! ていうか、何よその紛らわしい名前! 藤日とかっ! わざわざ狙ったように藤田家の隣に住むとか! おかしいわっ!」
「イッヒッヒッヒッ、残念ながら住んでたのは我が家の方が先だ」
「げぇ、なにそのキモい笑い声! キモいっ! 最高にキモいっ!」
「イッヒッヒッヒッ! 半泣きのお前の顔凄い面白い」
「なんですってぇ!」
 わたわたと顔を真っ赤にして怒る少女は本当に可愛い。地震にもびっくりしたが、半泣きの女の子がこんなに可愛いものだとは知らなかった。これはいい経験だな。
「まあいいや、ともかくそれなら藤田さん呼ぼうぜ」
 そう言って俺は隣の家の前へ移動し、インターホンを押そうとする。
「ぎゃぁぁぁぁ、ダメダメダメダメダメダメっ!」
 勘違い少女が慌てて俺を阻止しようと一歩前に進み、階段を踏み外した。階段を転げ落ち、がしゃぁぁんと盛大な音を立てて門扉に激突する少女。
 突然のことに俺は唖然とする。
 ――えっと、こう言う時どうすればいいんだ。
 数秒経ってようやく少女の安否を確認すべきだと気づき、声をかける。
「おい、だいじょ――」
「ともかくストォォップ!」
 がばっと起き上がった少女が両手で門扉を掴み、よじ登って外に出て来る。
「おぉぉうっ! 元気だなおいっ! ていうか、開けて出てこい! 門を!」
「いいでしょ、今はそんなこと! ともかく藤田さんに言うのはなしなしなしっ!」
 と、彼女が俺に詰め寄ってくる。しかし、並んでみて気付いたがこの子すごく小柄だな。中学生ではなくてもしかして小学生だろうか。
 つーか、ポニーテールがくしゃくしゃに乱れてるのが気になる。まあいいか。
「え、でもお前藤田さんに会いに来たんだろ?」
「そ……それはそうだけど」
「じゃあどうして?」
「そ、その……心の準備が」
 さっきまでの偉そうな態度はどこに行ったのか、急にもじもじとし始める少女。
 もしかして、家の前でこそこそしていたのは泥棒しようとしていたのではなくて、ただ単に会うべきか会わないべきかもじもじしていただけなのかもしれない。
「お前は藤田さんとどういう関係な訳?」
「あ、あんたには関係ないでしょっ!」
「そりゃそうだな」
 ぴんぽーんっ、と即座にインターホンを押す俺。
「ぎゃぁぁぁぁ、なにすんのよっ! 押すなって言ってるじゃないのっ!」
「イッヒッヒッヒッ! 別に俺とお前は関係ないんだからいいじゃねーか」
「屁理屈こねるなぁぁっ!」
 俺の胸ぐらを掴み、がくがくと揺らしてくるが、俺は屈しない。ついでにピンポーンピンポーン、と迷惑なくらいインターホンを連打してみる。
「何回押してるのよ! この馬鹿っ!」
「イッヒッヒッヒッ、そろそろ中から藤田さん出て来るんじゃねーの」
「え、やだ、どうしよう。そんないきなり出てこられたら私……」
 あわわあわわと動揺する少女。怒ったり、涙目になったりと忙しい子だ。
 彼女ははらはらしながら藤田さんの家の扉を見つめる。
「…………」
「…………」
 俺と彼女は見つめるものの、一向に扉が開く気配はなかった。
「出ないな」
「そうみたいね」
 俺と少女は顔を見合わせる。身長差のせいで彼女はこちらを見上げる形だ。
「…………」
「…………」
 会話が途絶える。気まずい。よく考えれば初めて会った女の子と俺はなんでこんな会話してるんだ。意味が分からない。
「……で、結局お前何者な訳?」
 とりあえず、気になることから聞いてみる。すると彼女は視線をあちらこちらに泳がせながら、言葉を探す。
「私は……その、なんていうか、ええっと……あんたは藤田美咲さんと親しいの?」
 質問に質問で返された。
「んにゃ。お隣さんだけど、会話したこともない。ぶっちゃけ下の名前は初めて知った。実のところ、今の今まで隣の人が藤田さんて名前なのを忘れてたくらいに無関心」
 昔から俺は親や友人からもいい加減なヤツだと言われていたが、改めて考えてみるとほんといい加減だな。故郷が震災に遭ってたことも全く気付いてなかったしな。
 ――もしかして俺はダメ人間なのか。
 と、軽く思ったが、脳内で悪友がアッハッハッハッ、と笑いながら「今更かよ」と言ってきたので、気にしないことにする。世の中には考えすぎたら負けなこともあるのだ。
「あ、そう。うーん、なら話してもいいか」
「え、いいのかよ?」
 ――どういう基準だ。
 戸惑う俺を無視し、彼女は神妙な顔つきで言う。
「実はその、藤田美咲は私の母なのよ」
 彼女の言葉に俺は考える。お隣さんの年齢ってどれくらいだっただろうか。まだ二十代だった気がするが――どうだろう。このくらいの子供がいてもおかしくない年頃だろうか。それとも、単純に見た目が二十代なだけで実際はうちの母と同じくらいなのかもしれない。
 ――いや、さすがにうちの母と同じはないだろうな。
 それはいいとして、そうなると新しい疑問が出て来る。
「自分の母親に会うのになんで心の準備が必要なんだ?」
「……それは……その」
 と、返答に詰まる少女。まあ、なんとなく想像がつかなくもない。若すぎる母親。他人行儀に「藤田美咲」と呼ぶ娘。こんな子供がいるのに一人暮らしをしてる母親。母親に会うのに躊躇する娘。……色々と、複雑な家庭環境が伺える。
「もしかして、母親がここに住んでること最近知ったのか?」
 俺の言葉に少女はびくっ、と肩を震わせる。
「それに、お前の着てる服。結構高そうだな。なんつーか、お金持ちの家のお転婆お嬢様って感じ?
 それでいて別居しているとなると……正妻の子じゃないとか?」
「……あんた何者? まさかストーカーっ!」
 俺の言葉に彼女は両手で自分の体を抱きしめ、警戒する。
「おいやめろ、そんなポーズされたらまるで俺がお前を襲ってるみたいじゃないか。俺は別にロリコンじゃないからお前みたいな幼児体型に興味ないぞ」
「誰が幼児体型よっ!」
 いやだって、中学生にしても発育が悪いぞ。いや、逆に小学生なら発育がいい方なのか。というか、結局こいつの年齢はどれくらいなのだろう。知識レベルは中学生くらいはありそうだけど。
「なんにしても、金持ちの愛人の娘、てところか」
「…………まあね」
 否定するかと思ったが、彼女はあっさりと認めた。
「自分の母親が、お父様の奥さんじゃないことは知ってた。
 でもまさか、先月の大震災に遭ってたなんてね。じいやがこっそり教えてくれたんだけど、それを聞いたら居ても立ってもいられなくて。気付いたらこの街に来てたわ」
「なるほど、行動力あるな」
 一人で被災地に来ようとか無鉄砲というか無謀というか。
 ――まあ、地震が起きてたことすら知らなかった俺よりマシか。
「……私の行動が子供じみてる、て思ったでしょ?」
 彼女は自虐的な笑みを浮かべ、聞いてくる。きっと自分でもそう思ってるんだろう。
「まあな。でもいいんじゃないか?」
「え?」
 俺の答えに彼女はきょとんとする。
「娘が母親に会いたいなんて、どこの世界でも当たり前のことだろ。悪い事じゃない」
「……そう、かな?」
「別に、俺はそう思っただけだ」
 まあ、俺は別に両親に会いたいとは特に思ってないけどな。というか、こんだけ騒いでも出てこないのならうちの家も留守だな、こりゃ。
 ――しかしこの子はじいやが居るほど金持ちなのか。凄いな。オンボロ一軒家に住む俺とは格が違う。
 ――あ、そう言えば藤田さんが独身で一軒家に住んでいたということはこの子の父親がこっそり生活を支援していたのかもしれない。うーん、世の中とは複雑だ。まあいいか。
「あっと、えっと、ともかく、この話は内緒ね。誰にも言わないで」
 何故か今更顔を赤面させながら言ってくる少女。
「そう言うことは話す前に言えよ」
「いや、あんた友達少なそうだし」
「そういう基準かよっ!」
 酷いヤツだっ! まあ、事実だけどさっ! 俺ってそんなに友達少なそうな見た目なのか? 軽く傷つくなぁ。うん、いや、凄く傷つく。
「……あーうそうそ。冗談だからっ!」
「いや、俺全然気にしてないし? そんな気を遣われるほど落ち込んでねぇよ」
 そんなに落ち込んでるように見えたのだろうか。さらにへこむ話だ。
「あんたも変なところで意地っ張りね」
 ――うっさいわい。
「まあともかく、せっかく来たのにどうやら留守みたいだな。
 もしかしたら、別の避難所に行ってるのかも知れない」
「……そうかも、ね」
 と言ってため息をつく少女。
「なんにしても、家自体は倒壊してないし、お母さんも生きてるだろ。そこは安心していいんじゃないか」
「……そうね。きっとそうだわ」
 と彼女は藤田さんの家を見る。その視線の先にはきっと、会う予定だった母親の姿を思い描いているに違いない。
「じゃ、そう言うことで」
 そう言って俺は自宅に足を向ける。が、そんな俺の左手をがしっ、と少女が掴む。
「…………なんだよ?」
「お願い。お母さんを捜すのを手伝って」
 猫のようなつり目がまっすぐに俺を見つめてくる。
「お金持ちなんだろ。父親に頼むなり警察や探偵に依頼するなりしろ」
「家の人間に頼める訳ないでしょっ! お願い。今はあなたしか頼れる人がいないの」
 ――いきなりな話だ。
「俺は通りすがりで、あるいはただのお隣さんの高校生だ。お前を助けられるような名探偵でもなければスーパーマンでもない。
 周りを見てみろよ。幸い俺や藤田さんの家は無事だが、幾つもの建物が崩壊してる。向こうのマンションも三階と四階が上の階に押しつぶされて五階建てが四階建てくらいの高さになってる。駅の周囲は火災があったか焼け野原だ。色んな人が避難してる。故郷に帰った人もいるだろう。
 その状況で、俺に出来ることなんてねぇよ」
 俺の言葉に彼女は首を振る。
「虫がいい話なのは分かってる。でも、あなたしかいないの」
「理由が分からない」
「あなたは私の家庭事情を見抜いた。その上で、笑わなかったし、同情しなかった」
 彼女の言葉に俺は肩をすくめる。
「冷たい人間だとよく言われる」
 俺の言葉に彼女は動じない。
「警察にしても、探偵にしても、他の人間に頼めばきっと笑われる。同情される。
 私の友達でも、身の上を聞いた子はみんな私を見る目が変わった。
 金持ちって知った時も。母親が違うって知った時も。
 そう言うのは嫌なのよ。
 でも、あなたは笑わない。嗤わない」
「同情もしないぞ」
 彼女の言葉を遮り、俺は言う。正直俺はこの子のことをどうでもいいと思ってる。ただそれだけだ。変な期待をされても困る。
「それにさっきも言ったけど俺はただの高校生で、お前の助けになれない可能性が高い」
「それでいい」
 彼女の答えは単純だった。
「それでいいの。私はあなたを選んだ。
 だから、あなたに助けて貰いたい。あなたに助けて欲しいのよ。
 その結果が失敗だったとしても私は後悔しないわ」
 俺の腕を掴む彼女の手がその握力を増す。
「……なるほど、俺はお前にとって都合のいい人間らしい。
 でも、俺はあんたに同情しないし、特別扱いもしない。
 だから、あんたを助ける理由がない」
 言われて彼女は押し黙る。自分の言葉の矛盾に気付いてなかったらしい。彼女が欲したのは金持ちだからと言ってちやほやしたり、不幸な身の上に同情しない、普通扱いしてくれる人物。確かに、俺はこの子に対して特別な感情は持たない。
「俺は、お前をただの赤の他人と断じるだけだ」
 俺はじっと彼女を見つめる。むしろ、本来なら泥棒として警察に突きだしてもいいくらいの間柄だ。それでも、どうでもいい、と思ったから見逃すことにした。ただそれだけだ。
 本当に特別扱いをされないということは、そう言うことだ。
「……じゃあ、私があなたにとって特別な存在ならいいのね」
「特別扱いは嫌だったんじゃないのか?」
 言論が矛盾している。
「金持ち扱いとカワイソーなお姫様扱いが嫌なだけ」
 わがままなヤツだ。
「じゃあ、どうするんだ?」
 俺の問いに彼女は上目遣いをしながら腕を引っ張ってくる。
「ちょっと耳を貸してくれる?」
 仕方なく、彼女の身長に合わせてしゃがんでやる。
 瞬間、俺の唇に柔らかい感触が飛び込んできた。
 一瞬、頭が真っ白になり、何も考えられなくなる。
 鼻先が彼女とぶつかってる。全身からどばっ、と汗が出るのを自覚する。
 何が起きているのか。この俺に。どういうことが。
 気がつけば彼女は俺の側から離れて、ニヤニヤと楽しそうに笑みを浮かべている。無駄に得意満面なその笑みがやたら憎たらしい。
「彼女っ、てのはどう?
 特別でしょ?」
 即座に反論する。
「さっ、さっきも言った、ぞ。年下は、あれだ、タイプじゃない、てな」
 普通に喋ったはずなのに何故か言葉が泳ぐ。
 それを見て、彼女は指先をこちらの唇にあてにやにやと笑う。
「声。震えてるわよ。あなたでもそんなところあるのね」
 何故か彼女の方はやたら楽しそうだ。
 ――ああもう、なんだよもう! こんな年下の女の子相手に俺はなにやってんだ。
 俺は飛び退いて、ごしごしと唇を拭く。
「そんな、なんだよ、お金じゃダメだから体を売るみたいな発想は!」
「ひっどーい! なによその言い方! 売ったのは私の体じゃないわ!」
 彼女は胸元に手を当て、こちらを睨んでくる。
「あなたに、心を預けたのよ」
 呆然とする俺に、彼女の拳がぽんっ、と俺の胸を叩く。
「私はあなたに賭けた。この出会いは偶然じゃない。
 あなたならきっと母さんを見つけてくれる。そう信じて、心を預けるわ」
 ――この女っ!
 俺は思わず戦慄する。
 ――本気で俺を口説いてるって言うのか。
 何故か知らんが、この子の目は本気だぞ。怖い。
「何で俺なんだよ。こんな出会い、たまたまだ。
 お前がたまたま俺の家に間違って入って、それをたまたま俺が目撃して、たまたまお前の身の上話を聞いた。ただそれだけのことじゃねぇか」
「それだけ偶然が重なればもはやそれは運命よね」
「ねぇよっ! っていうか、なんで顔赤らめてんだよ!」
 ――なんだよもう! いきなり艶っぽい顔しやがって! 意味が分からん!
 何が起きた。何があった。誰か教えてくれ。
「あなた、私の事嫌いなの?」
「あーあー、嫌いだね。いきなり言い寄ってくる女は嫌いだね! 全然嫌いだね! 全く持って完全に嫌いだね! 好きな要素なんて全然浮かばないね! 俺はロリコンでもなければ、女に飢えた獣でもない! のんびりのびのび女に振り回されず草食に草食に生きていくことを信条としてるんだ!」
 俺の主張を受けてさすがに彼女もうぇ、と顔を歪める。
「な、なんでそんなに拒絶するのよ。何かトラウマでもあんの?」
「ねぇよ。ただ、嫌なんだよ。訳の分からない事が」
 どちらかというと、俺は考え込みすぎなところがある。細かいことをいちいち考えすぎてどうでもいいことで一日中頭を悩ませることだってある。
 だから、普段から物事を深く考えないようにしてるのに、この女は余計なことを。
「じゃあ、お母さんを捜してよ」
「……なんだよそれ? どういう流れだ」
「お母さんを見つけてくれたら、あなたの疑問に答えてあげる。
 ほら、理由ができた」
 と、彼女は嬉しそうに手を合わせる。
「んな無茶苦茶な」
「それに、お母さん見つかるまで泊まる場所必要だし」
 ちらっちらっ、と俺の家を見る少女。
 それが狙いか。というか、俺の家に居候する気かよ。
「とっとと家に帰れ。俺ん家(ち)はお嬢ちゃんの別荘でもなければ、ホテルでもねぇよ」
「私、今夜は帰りたくないの、駄目かな?」
 ―どこでそんな言葉覚えてくるんだ。少女漫画の読み過ぎじゃねぇの? めんどくせぇ。
「……と、言う訳で可愛い彼女のお願いを聞いてください彼氏様」
 にこっ、と彼女は笑う。
「なんだよそれ、その恋人設定は継続かよ」
「どっちかというと押しかけ女房?」
「タチ悪いな、てめー。俺の名前も知らないのに女房とは不届きな」
 すると彼女は「あ、そうか」と口を開ける。
 そして、背筋を伸ばし、名乗る。
「私の名前は雅亮院(がりよういん)真緒(まお)。あなたの名前は?」
 少女――真緒の今更ながらの自己紹介に俺は盛大にため息をつく。何がどうなってんだか。
 ――女はよく分からん。
「……ごつい名字だな」
「可愛いでしょ、名前の方は」
 俺はぼりぼりとこめかみをかきながら、それでも名乗る。
「俺の名前は藤日(ふじび)楓雅(ふうが)」
「フーガ! 凄い名前ね。とてもいい名前だわ」
「……ありがとさん」
 何故か目をキラキラさせる真緒とは裏腹に、自分のテンションが落ちていくのを俺は自覚する。意味が分からなすぎてついていけない。
「なにはともあれ……ふつつかものですが、よろしくおねがいします」
 ぺこり、と頭を下げる真緒を前にして俺は。
「あーあー、えーと……よろしく」
 弱々しく同意するしかできなかった。
 色々と突っ込みたいところが多いし、正直ほとんど納得できてない。
 ――けど……まあ、いいか。
 よく分からんが、困ってる少女が助けを求めているのだ。まずは助けてやろう。それが男の責務――てどこかの本で読んだ気もするしな。


つづく



 と言う訳で女の子のお母さんを捜すという平凡な話です。
 前も書いたけど、哲学さんにしちゃ珍しく魔法もSFもないまま書いてます。
 でも、哲学さんの書く現代物は大して面白くないんすよねー。
 色々何というか、手探りです。
 まー、何か感想とかあればよろしくです。