朝来事件

部落解放同盟兵庫県連南但馬同盟員たちが、1974年10月20日から 1週間にわたって、「解同」批判のピラを配布したとの理由で兵庫県教組朝来支部長の橋本哲朗宅を包囲・監禁した事件を頂点に、 9月初旬から10月下旬にかけて、「解同」の暴力と利権あさりの運動に批判的な人びとが、朝来郡の各地で「解同」におそわれ、「差別者」糾弾の名目で脅迫・傷害・監禁など集団的暴力をくわえられたかずかずの事件の総称。これらの事件で被害をうけた者 150名以上、告訴件数14件、被告訴人 400名以上にのぼったにもかかわらず、警察はほとんど動かず、南但馬を無法地帯におとしいれるとともに、「差別糾弾」の名目さえあれば警察も手をださないとの確信を「解同にいだかせ、八鹿高校事件へと暴走させることになった。