覚え書き。
この記事読んで不意に書きたくなった。直接の関連はない。(すげー良い記事です)
なんとなく隠す。
最近ちょっとだけ気になること。
ツイッターなどで、映画の感想をつぶやくとき、「この作品は“フェミニズム(でも何でも、とにかく何らかのムーヴメント)”というよりは」的な言い回しをした途端、「それは違う」「そうやってすぐ○○(ムーヴメント名)を否定する」という批判に晒される人が増えたように思う。
まあ言いたいことは理解できる。のだが、それはそれとして、私にも個人が自分のために血を吐くような思いで歩んだ闘争の軌跡を、大きなムーヴメントに容易く回収してしまうのは、どうも違うように思えるときがある。
確かに俯瞰すれば大きな流れのひとつではあるのだろう。それは否定しない。
けれど、個人的な問題として、作品が「私にとっては」より切実で、運動の思想から零れ落ちるモノを含んでいたりする場合もある。
そういう時はやはり「○○というよりは」というフレーズになるし、その表明は何ら悪いことでも、批判されることでもないんじゃなかろうか。
すごく普通のことを言っているんだけなんだけど、本当に最近良くそうやって責められている人を見るので、どうにも解せないし、なんだかつらい。(なんであれ大量の人に詰められている光景は見るのがつらいが)
リハビリがてら、印象に残った映画の感想を。とりあえずパッと出てくる分だけ。
毎度のことながらネタバレという概念がうまく理解できないので、たぶんしていると思います。
僕の名前はズッキーニ / 不能犯 / 15時17分、パリ行き /
シェイプ・オブ・ウォーター / 聖なる鹿殺し / ゆれる人魚 /