はてブは「こそこそ」

こそこそ、ってのはあいてがみるものじゃなくて、自分がするものなんですよ。相手が見てようが見てまいが相手に何も通知せずにコメントするその行為はこそこそじゃないのかな。だいいちみてるかわからないじゃん。何も通知してないんだから…。

ついでに言うと、別にそれがいくないとか卑怯だとかそんなこと言ってるわけではないので、そんなに噛み付かないであげてください。

言わんとしていることは分かるけれど、うーん、どうしてほしい、或いは、どうしたいんだろう?

公開されているモノに対して、どこで何を言おうと自由だし、公開する以上、どこかで何か言われるわけで、それは「公開することのリスク」だし、何かを公開しようと思う人には、そのへんの耐性が必要なんだろうな、とか思った。

蛇足だけど、noah 氏は、もう少し(HTMLの)マーク付けに気を使ってもらえると、嬉しいな。

WWW の認識のギャップ

WWW にリソースを公開するということは、全世界のインターネット利用者、何億人だか知りませんが、に対して公開するということなんだけど、実際のところは、そのリソースに興味を抱く数十人くらいしか、そのリソースを利用していないわけで、こういう状況が、WWW に対する認識の差になるのかな。

喩えると、数億冊の本を刷って、全世界の人に配っているんだ(読むかどうかは分からないよ)、という認識。そうだな、まあ、もう少し規模小さくして、東京ドームでコンサートしているくらい、のと同じという認識がひとつ。

それに対して、実際の利用者は周辺数人〜数十人なんだから、それって、公園で同好の士と合唱してる、或いは居酒屋のテーブルで会話してるようなもんぢゃね?という認識が、もうひとつ。

理論的には『全世界に配本』なんだけど、現実的には『公園で合唱』なのね。

『公園で合唱』してるつもりの人は、急に合唱に加わってきたら「断りも無く一緒に歌うな」って思うし、『居酒屋のテーブルで会話』してるのに、遠くで指差しながら大声で、「それは違うよッ!」とか言ってる奴がいたら、失礼な奴とか思うだろうな。だから、「無断リンク禁止」になるんだろうな。

『全世界に配本』していると考える場合は、もう既に全世界に配本しちゃってるんだから、いまさらその本を紹介(リンク)してもらうのに、断りが必要だなんて考えないわけで。

とかなんとか、まとまらないので、また来ます。

追記

『全世界に配本』というか、『全世界に配本』されている本のうちの数ページが、私のリソースである。この本、あまりにページ数が膨大、しかも、日々刻々と増ページしていくという。もう、ほとんどのページが読まれない。どこかのページから紹介でもされていなけりゃ、読んでもらえない。

逆に言えば、紹介されてないページは存在しないも同然。だから、『読まないで』『紹介しないで』と書かれたページが出現したり。

読者を制限するなら、袋とじにするとか、別冊にするとかが妥当な方法だろうけれど、あまりにページ数が膨大な為、常態的に疑似的袋綴じ状態を保持し得るので、それが WWW の姿なんだと認識するのも、止むを得ないのだろうか。

なんちて。