情報*1の管理者の許諾を得ることなくaタグ、frameタグ、imgタグなどでリンクをすること。
日本では明示的・暗黙的な許諾・信頼関係のないリンクを忌避する考え方があり、あらゆるリンクに対する暗黙的な許諾を表す「リンクフリー」という日本語(和製英語)が成立している。
無断リンクの許容範囲には複数の階層が存在する。
主に「被リンク情報の管理者が望まないリンクを認めるか否か」を争点とする文化対立である。
リンクに対する考え方の違いから発生しており、双方の主張の根拠となる価値判断が共有されないため、議論は平行線をたどっている。
World Wide Web は技術者(ティム・バーナーズ・リー)が情報共有のために作った仕組みだ。黎明期のユーザにはその設計思想を理解した技術者が多く、無断リンクが問題視されることは稀だった。
1995年頃からWindows95の普及などにより一般人のウェブ利用が漸進し、新しいウェブ文化が築かれた。その結果「無断でリンクされたくない情報」がウェブに増殖し、無断リンク問題はポピュラーになった。
許諾不要論とは、法と技術を重視し、被リンク情報管理者の意向を軽視する考え方の総称として本解説で用いている用語である。
許諾不要論は技術思想の観点からも展開される。
許諾不要論の支持者には、法やIT技術に長けた者、ウェブ利用暦の長い者が多い。彼らは法解釈や技術論を尊重し「したいことをする自由」を重視する傾向にある。
許諾必要論とは被リンク情報管理者の意向を重視し、明示的・暗黙的な許諾・信頼関係を欲する考え方の総称として本解説で用いている用語である。全てのリンクについて事前に明示的な許諾を必要とする極端な意見のみを指す言葉ではない。
許諾必要論の支持者には、技術に疎い一般人、ウェブ利用歴の浅い者が多い。彼らは生活感覚を尊重し「嫌なことをされない社会」を希求する傾向にある。
無断リンク問題の発生パターンは、ほぼ次の2種類に集約される。
無断リンク問題は基本的に許諾不要論者の積極的な言動が原因となって発生する。許諾必要論者には「自分が嫌なことをされなければいい」と考える者が多いため、許諾不要論者をわざわざ探し出して批判するケースは滅多にない。
両者とも思想の融和に関心が乏しく、価値観の溝は埋まる気配がない。日本では文化的背景から許諾必要論の支持者が圧倒的な多数派だが、許諾不要論の支持者には雄弁なパワーユーザーが多く議論をリードするケースが多い。
ただしトラブルを現実に解決しなければならない場面では、許諾不要論者の譲歩が目立つ。ある種のリンクを嫌がる感情の頑健さに対し、リンクする側のメリットはたいてい対話のコストに見合わないためだ。例外は企業や組織が相手の場合で、無断リンクする側が「公共性」をキーワードに不退転の決意でぶつかっていくケースが散見される。
近年では主に若年層の間で「リンク集からの閲覧行為」を禁じたり「掲示板への書き込みなき訪問」を拒否するといったマナーの深化が進んでおり、状況はさらに複雑化している。
*1:W3C の勧告する仕様によれば、Webページなどの文書、画像、FLASH作品、書籍、文房具、その他さまざまな事物に対しリンクすることができるため「情報」とした
*2:現行の主要なウェブブラウザにおいてはファイル間の参照関係が不明瞭な表示となるため、各ファイルの著作者の権利が毀損されかねない
*3:ただしリンクに許諾を求めたり、リンクを制限することを禁止する法もない
*4:「リンク」は制限できないが、HTTP_REFFER環境変数を元に、あるサイトからの「アクセス」を拒否をすることは可能。ただし環境変数を出さないなどの回避方法があり万能ではない
*5:「無断リンクは遠慮してほしい」という願望の提示さえも批判の対象となりうるので注意が必要