藤村の墓

 木曾路はすべて山の中である。


 島崎藤村 『夜明け前 第一部』 序の章 一

 木曾十一宿の一つ馬籠(まごめ)に行ってきた。
 駐車場に車を停め、石畳の急坂を歩いて登る。両側は民宿や土産物屋の古い建物が並ぶ街道筋である。今年の夏は雨が多く、至る処、川の水の勢いよく流れる音が聞こえる。西澤山 永昌禅寺の標識の案内に従って街道を離れ、さらに深い山の懐へと入って行くと、高い木立の下に、墓碑が立っていた。

 島崎春樹(藤村の本名)と妻冬子の墓碑が並んでいる。後列の墓碑には彼らの子供たちの名が刻まれている。近くには藤村の両親、正樹と縫子の墓もある。蝉時雨が降り注ぐように聞こえている。

夏雲や家族の眠る山の中

 7月の馬籠は平日でもそこそこ観光客で賑わう。しかし、この墓所にはふだん訪れる人も少ないのだろう。ひたすら静かな場所である。


 山の上の墓地から見下ろす馬籠の村は、こんな場所であった。

藤村記念館

 墓参りを済ませて再び街道筋に戻り、急な石畳を登る。日差しが強く汗ばむ陽気だが、木陰に入ると涼しい風が通る。

急坂の上を下への蝉時雨

藤村記念館
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 島崎藤村の生家跡は現在、藤村記念館となっている。立派な冠木門を潜ると、中には広大な庭と記念館本堂が見える。藤村が生まれ育った当時の建物のほとんどは明治28年の大火で焼失しており、記念館は谷口吉郎という建築家によって設計された戦後の建物であるらしい。

 土蔵の建物と裏二階の隠居所とは井戸の方へ通う細道一つへだてて、目と鼻の間にある。お民はその足で裏二階の方に姑を見に行った。


 島崎藤村 『夜明け前 第二部』 第九章 二

 明治の大火の時に焼け残ったのが、『夜明け前』 に 「隠居所」 と書かれている二階屋と古井戸である。




 この日は馬籠から一つ峠を越えた先の妻籠(つまご)に泊まる。民宿ではオランダ人の親子連れ、スペイン人のカップルと同宿となった。ヨーロッパでは木曽路が流行っているのだろうか。二家族とも日本語は全く解せず、英語を話すのも奥様方のみである。

ひぐらしは夏の音かと異人問ふ

 不思議な旅はまだまだ続く。