日刊『中・高校教師用ニュースマガジン』(中高MM)第1123号

【連載】


■「国際理解来し方行く末」(4)


                NPO法人グローバルプロジェクト推進機構
               高木 洋子(JEARN日本代表)
               yoko@jearn.jp


◆ ―積極的な異文化理解へ―


教育の場にあるインターネット環境が、世界と交わるインターネットにならず、
いつまでも日本イントラネットである現状に、多少いらいらしながら、暫く異
文化理解について書いてみようと思います。
「平和を愛する」。。。よく耳にする言葉です。ここで尋ねたいことがありま
す。平和は、どこにあるのですか。どんな様子をいうのですか。いい子にして
待っていればやってくるのですか。どこに「平和を愛する」方法が書いてある
のですか。教えてください。65年近く生きてきた私の経験は、次のような答を
出してきました。
平和は探してもありません、あなたが作る場所にあります。平和の様子は知り
ません、あなたが描く夢の中にあります。平和は来ません、あなたが歩かなけ
れば。平和のレシピはありません、あなたが書かなければ。平和は教えられま
せん、あなたが体験しなければ。
「愛する」という言葉もよく使われます。「LOVE」です。好きな人、身近
なあなたを愛してくれる人を愛するのは自然な行為です。動物もそうしていま
す。仲間同士では意識なくできます。違う人は外せばいいのです。グループ内
は居心地よく平和です。衝突を避け異質物を受け入れず「見ません・聞きませ
ん・知りません」グループです。
しかし、この「愛する」は、愛されるから愛する・好きだから愛するという一
見、自然な行為とは別に、異なるもの・受け入れ難いものに対しても積極的な
動詞的仕事をします。それで、見えない平和が形になるのですね。
異文化理解も、この積極的な「愛する」行動と無関係ではないようです。異文
化理解は、衝突を避けずに、向かい合いながら対話の中で育まれます。自分だ
けがいい居心地の良さからは生まれません。
今、世界的なグローバル教育への歩みの中で、相手のありのままを受け入れ異
なることを理解するためには、積極的に「相手や自分を知る」必要があります。
「平和を愛する」とは、曖昧な平和を待つのではなくて、互いに知り合おうと
する積極的な行動と、衝突を回避せずにじっくりと取り組む勇気によって生ま
れる異文化理解と信頼が、平和の内容となり、その仕事は「愛する」という動
詞でなされると言えます。互いに知り合おうとする積極的な行動について、私
自身の異文化理解の体験を話します。 1
7-18年前の国際交流学習や国際協働学習の支援活動を始める以前のことです。
ハワイ教育省の依頼で、数校のハワイ公立高等学校日本語クラスで教えたこと
がありました。
そんなある日、誘われて遠隔地教育についての講演を聴きに行きました。講演
者は、シカゴ大学から招聘されたGeneba Gay教授というブラックレディでした。
英語が充分に理解できない私ですが最前列で、2時間の間、彼女の魔法にかか
ったように身動ぎもせず座っていました。
当時の私は、恥ずかしいことにブラックパーソンと言えば、アフリカで援助を
待っているテレビ番組での映像にある貧しい男女、子どもたちだったのです。
ところが目の前に見る長身のブラックレディは、知性に充ち、迸るように語り、
その情熱は会場の教師たちを圧倒していました。こんなブラックレディがいる! 
驚きでした。
コーヒーブレイクで外のベンチに腰掛けているGenebaを見て、どうしても話か
けたくなった私は、友人に助けを求め、友人は彼女に「Yokoが話したいと言っ
ている」と繋いでくれました。 
Genebaは、ベンチの端へ身体を移し私の場所を作ると、躊躇する私に笑顔で
“Please sit down”と誘ってくれました。 ところが念願の彼女の傍に座って
も、どうしていいか分からないのです。初めてのブラックパーソン。テレビ番
組でしか見たことがない黒い女性の隣に今、自分がいる。まじかに見る黒い皮
膚って本当はどうなの? 
恥ずかしさと好奇心が入り混じって、出た最初の言葉が”May I touch you?”
触ってもいいですか?と唐突な質問でした。大急ぎで、貴女が私にとって初め
て出会った黒人の女性であること、すばらしい女性だと思っていることを言い
添えました。Genebaは一瞬のうちに全てを理解したように、身体をこちらへ向
けて”You can touch anywhere”と言ったのです。
最初に彼女の黒い長い髪に触れました。Genebaも私の髪に触り、ついで互いに
頬に触れ黒い瞳を見つめました。歯の白さが際立っています。彼女の手の平を
広げて生命線を私の指で辿りました。そこに見られる線は、手の平の色よりか
すかに白く下方に伸びています。それから二人は互いの手の平を合せて、子ど
ものように笑ったのです。
気の毒なアフリカの黒人という貧弱なイメージは吹っ飛び、ブラックレディは
高い教養とエネルギーに充ちた魅力ある女性として、生き生きと描き変えられ
ました。この出会いが恐らく、先入観と偏見への疑いを、人に対して個人とし
て出会う礼儀を、その言葉・表現が稚拙でも信頼が信頼を生む自然な原則を、
直感的に身につけることになった最初ではなかったかと思います。

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 「平和は、どこにあるのですか。」の問いかけは「あなたは今どこにいま
すか」と問われたようです。また、次の言葉は「平和は探してもありません、
あなたが作る場所にあります。平和の様子は知りません、あなたが描く夢の
中にあります。平和は来ません、あなたが歩かなければ。平和のレシピはあ
りません、あなたが書かなければ。平和は教えられません、あなたが体験し
なければ。」は詩的で魂に届く。「二人は互いの手の平を合せて、子どもの
ように笑ったのです。」、なんという出会いでしょう? これが初めての人
との「出会い」です。感動的な出会い。できるんですねこのような出会い方
が。視覚的かつ聴覚的な表現。背筋をふるわす感動を覚えます。身体が天を
めざすかのようです。
 「平和」も「異文化理解」も知識や理解だけでは意味がない。積極的に求
め、自らが作り出し継続することでそれは可能となる。
 28日〜29日、一泊二日の宿泊学習に出かけます。28日の作品は29
日の夜に併せて発行いたします。ご了承ください。
 http://www.town.kawanabe.kagoshima.jp/kankou/kankou0201-top.html
 ・鹿児島県川辺町岩屋キャンプ場

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