時をかける少女

寝不足だったので、朝一で舞台挨拶を見る予定が最終上映を鑑賞といった有様。まあ、やむなし。
公開初日最終上映(完全入れ替え制)で150人以上は入っていたか。なかなかに盛況ではないか。
右隣は女子高校生(1年)の2人組。左隣は太った兄ちゃん2人組。
そんなこんなで上映が開始される。19時10分から20時50分までがあっという間でしたよ。
いや面白かった。
この筒井康隆原作の作品自体はよく知られているものの、私がまともに鑑賞するのは小説・映像通して初めてであります。ジュヴナイル好きとしてはどうなのよ? と突っ込まれそうですが、まあそういうこともあろう。
で、内容であるが。
おおかたの感想はMellow My Mindさんのところで言及されてるし、分析や経緯については作品パンフの氷川竜介氏が述べているので、とくにここで書くようなこともない。
ただ私自身が強く感じたのは、このアニメは紺野真琴という少女を描くことがすべてで、それは実に爽快で正しくて成功してるってことかな。思うに宮崎駿の「未来少年コナン」を想起させるものがありましたよ。それは真琴が見えそで見えないスカートをはき、活動的に動きつつもその中身は決して見せないといった天才宮崎駿演出を正しく継承しているからでありますかな(真琴はコナン+ラナといった趣)。野球のボールを顔で受けたりとかはザブングルのジロン・アモスっぽかったけどね。
あと劇中使われるバッハのゴルドベルク変奏曲は、私も過去鑑賞した何かの作品に触発されて(どの作品に触発されたのかは忘れてしまった)一時期繰り返し聞いていたので、既視感ならぬ既聴感がありました。
それにしても紺野真琴という人物を描くことの素晴しさは言葉にできませんな。
彼女という視点を追っていくこと、物語という河を一気に駆け下るその視点を持ち、その想いに溶け込めるのはなんと至福な時間であることか。そしてまた真琴がバカなんだ、これが。気持ちのいいほどバカ。
バカであり得るのはやはり学生時代の幸福な時間の間だけなのかもしれないけど、まあそれに余裕を持って言及できるのは既に過ぎ去った世代だけであるのかも。SFと書いて少し不思議な物語、といった按配。SFJと書いて少し不思議なジュヴナイル。いや落ちてないよ。
それはともかく、こうした作品の結末は青春はいつかは終わるがゆえに、少女はいつかオトナになるがゆえに、それは始まりの終わりであるがゆえに、予測の範囲内ではある。といったあたりを差し引いても、まあ楽しめる作品であるには違いない。
あと氷川竜介氏が指摘しているように芳山和子を“魔女おばさん”としているのはなかなかに素晴しい配慮なのではなかろうか(おジャ魔女どれみドッカ〜ン」40話参照?)。
[追記]
ゴルドベルグ変奏曲、これもひょっとしてレクター博士がらみか?