海を越えて

 
 

夜が明けるころ、イエスは湖の上を歩いて弟子たちのところに行かれた。
弟子たちは、イエスが湖上を歩いておられるのを見て、
「幽霊だ」と言っておびえ、恐怖のあまり叫び声をあげた。
エスはすぐ彼らに話しかけられた。
「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」
すると、ペトロが答えた。
「主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、
水の上を歩いてそちらに行かせてください。」
エスが「来なさい」と言われたので、
ペトロは舟から降りて水の上を歩き、イエスの方へ進んだ。
しかし、強い風に気がついて怖くなり、
沈みかけたので、「主よ、助けてください」と叫んだ。
エスはすぐに手を伸ばして捕まえ、
「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言われた。
そして、二人が舟に乗り込むと、風は静まった(Mt14)。

水の上を行かせてください。
わたしをそちらへ行かせてください。
こんなふうに願うということも、望むということも、
ゆるされているという信を受けた。
問題は、
強い風がふいたとき、怖くなって揺さぶられるということ。
わたしが向かっているところはどこか?
何のために、
どこに行こうとしているのか?
この水の上を歩いて、
あなたのそばに行かせてくださいと、
願うということ、望むということ。

天草

まずは天草コレジョ館http://www.tca-japan.com/jp/html/pagej03-9.htmlを見学、町あげて製作された「天正使節団」の足跡を辿る映画で思わず涙ぐんでしまったのち、天草のカトリック崎津教会にたどり着く。
http://www1.odn.ne.jp/tomas/sakitu.htm

 

驚くべきことに、この屋根、ブルターニュの教会の屋根とまったく同じ。
砂色の色合いといい、海のそばの潮の香りといい、
冬だから、なんとなく肌寒さといい、
フランス・ブルターニュ地方とそっくりだった。
しかし、さて、ここからは、
日本におけるこれら「ゴシック風」教会建築を「日本風」だと言うMFとの対話。
19世紀後半から20世紀にかけてのカトリック教会、
フランス寺とも言われた大浦天主堂を筆頭に、
竹や木造でゴシック建築の教会を建てている。
わたしのような日本人には「西洋」という以外言いようのないスペースだ。
しかし「これは西洋とは言えぬ」と言い張る西洋人。

お手上げだよぉ、って感じ?
いや、不思議だな。
光もやわらかい。
壁が白くて、
ピンクなステンドガラスの光のなかに包まれる。
踏み絵の前にドキドキしながら立ちすすみ子を抱く母の画が、
やわらかな光に包まれている。
そう、つまり、
「生活」という次元が胸の内がわに脈打つ感じ。