Hatena::ブログ(Diary)

傘をひらいて、空を

2016-05-31

「普通」審判への異議申し立て

 マキノさんのとこは女子が優秀だよね。あー、成果出てますよね。やっぱりリーダーが女の人だとやりやすいのか。うちの会社もね、もっと増えるといいですよね、あとに続いてくれると、うん。ええ、たしかに。ねえ。あとは彼、ほら、二年目の。山田くんか。そうそう、彼、伸びますよ、あれは期待できる。

 右も左も管理職ばかりで、全員が男だ。そういう場で私はおおむね、あいまいな顔をしてだまっている。よぶんなことは言わない。管理職会議ではしょっちゅう「女の人の意見も聞かないと」と言われて、いくら少数派だからって女の代表で会議に参加してるんじゃないや、と内心で愚痴をいって、でもそれくらいは許容しよう、と思う。思って、でも、居心地がいいわけでもないから、あと少なくとも一年は基本姿勢「伏せ」でようすをみるつもりでいる。そんななかで必要な発言ができるよう、できるかぎり根回ししている。いろんな場を使って心情的な味方をつくっている。

 言いたいことを言っているずうずうしい女、でもまあ許してやろう。これが彼らの、今のところの私に対する評価だ。たぶん。彼らに苦笑とともに許容されるために、私は「いいやつ」でいなければならない。私は彼らの前に出るとき、自分の印象を細心にコントロールする。ちょっとださくて、元気で、そこそこ役に立つ、そういう人間に見えるように。私はスカートの丈を調整する。私は化粧のしかたを決める。私は姿勢に気を配る。私は声の出し方を変える。そのようにして私は生き残ってきた。

 でも山田くんは女子枠でしょ。あはは、たしかに。だねー。彼、そいうあれなんだ、やっぱり。え、知らないけど。ねえ。あはは。

 私は彼らの前で印象をコントロールしている。表情はもちろんそのなかに含まれる。私はいつもいい人に見える顔をしている。けれども今は、そこから外れた。私は笑わなかった。笑うところではない。生存率が多少下がっても、笑うところではない。もちろん少しも可笑しくない。そしてそれ以上に、同調して笑うところではない。私は怒っている。みんなが笑っていることに対して怒っている。そのことを(できれば)「いいやつ」の範囲の中で、彼らに許容される形式で、伝達しなければならない。そう思う。

 私は部下を全員「さん」づけで呼び、敬語で話す。親しい先輩や後輩には言葉を崩すけれど、部下にはそうしない。そんなわけで今、管理職たちに笑われているのは山田さんだ。山田さんは新卒二年目にして頭角をあらわしている。山田さんは物腰やわらかで、いつも礼儀正しく、声が小さく、指先にまで神経を配っているような仕草をする。山田さんはごく自然に女子社員の集団と食事に行く。山田さんはなにも悪いことをしていない。山田さんは有為な人材だ。笑われるようなことなんかなにもしていない。

 だから私は笑わない。向かいの男が笑顔で私を見る。私の二期上の、そこそこ親しい先輩だ。ほんのすこしの時間、視線を合わせる。私は笑わない。可笑しくなんかない。それを、非常に消極的に、相手に伝える。笑い声はしだいにやみ、その場の話題は次へとうつる。

 彼らに悪意はない。少なくとも自分たちに悪意があるとは思っていない。「我が社ももっと女性管理職を増やすべきだ」と彼らは言う。「マキノさんには若い女性社員たちに範を見せてもらわないと」と言う。「女性の意見を聞こう」と彼らは言う。そうして、山田くんは女子枠じゃないの、と「冗談」を交わして、笑う。悪意はない。ただ意識下で見下しているのだ。山田さんが男のくせに男みたいでないところがあるから。そうして、男みたいでない男は女子カテゴリでしょ、という「冗談」を言うのだ。テレビに出ているオネエタレントは笑っていい対象だから、そこいらの男っぽくない男もおんなじように笑いものにしていいと、彼らは思っているのだ。いや、思ってさえいない。ただ、笑ってもいい相手と認識して、それを意識にのぼらせたこともない。自分たちは「普通」で、そこから外れる者をジャッジできる。彼らはそのような認識の上に立っている。そして私は、彼らより弱い。彼らに遠慮し、ようすをうかがっている。

 強くなりたい、と私は思う。こういうときに、大きな声で、何がおかしい、と言い放つためだけにでも、強くなりたい。あなたがた、山田の何を笑っているんですか。山田が何か笑われるべきことをしましたか。そう訊くためだけにでも、この場でいちばん、強い人間になりたい。

2016-05-24

犬は老いても撫でれば喜ぶ

 いいよ、と彼は言う。苦笑している。子どもじゃないんだから。彼女は適切な返事を思いつかず、あいまいに笑う。手の位置なんて、ふだんは意識しない。だからすこし困って、だらりと垂らした。子はちかごろ夜に起きることがない。うちの子はもう赤ちゃんじゃないんだ、と思う。毎日二度も三度も夜中に起こされてそれはそれはたいへんだった。苛々することだってあったし、うんざりすることだってあった。それでも、過ぎてしまえばひどくいい時間だったように思えた。彼と彼女の視線を一身に集め、彼と彼女の腕にすっぽりとおさまり、口にするのは液体ばかりで、立って歩くこともことばを話すこともできなかった、彼らの息子の短い時間。

 その時間のなかで、彼らはたがいによく触れた。腕から腕へと子を受け渡し、ほ乳瓶やタオルを手渡し、ふたりして子をのぞきこんで、それから当たり前のように、頭や肩や背中に手を触れた。以前はどうたったかしら。彼女は記憶をさぐる。子が生まれる前はどうだったろう。いや、妊婦のおなかを触ったり歩くときに腕に手を添えるのはよくあることだ。そうじゃなくて、わたしたちが、ふたりきりであったころ。

 よく思い出せなかった。そんなに前のことではないのに、恋人たち、あるいは新婚の夫婦であったころの自分たちが、なんだかかすんでいるようだった。わたしたちがただの大人同士であったころ、と彼女は思う。わたしたちの関係が可逆的であったころ。たがいの意思だけがわたしたちの関係のよすがであったころ。わたしたちがたがいだけを愛しているという、簡単なお話のなかに住んでいたころ。

 少なくとも頭を撫でようとしてそれを断られたことは、なかった。彼女はそう思う。たぶん。それとも私はそもそも、そのように性的でない接触をあまりしていなかったのだろうか。相手を勇気づけるように、あるいはなぐさめるように(というほどの意思もなく、ただなんとなしに)、頭や肩や背に触れる、あるいは触れられることが、なかったのだろうか。今やそれは当たり前のように身についているけれども、彼にとってはそうでないようだった。いつのまにか、いいよ、と苦笑して退けるようなものになっていた。それは彼にとって、新生児が保育園に入るまでのあいだの、家庭内の戦友としてのふるまいだったのだろうか。それは期間限定のもので、期間が過ぎたら、もういらないものなのだろうか。特別な時期を過ぎたら、頭を撫でてもらいたくないのだろうか。なぜなら彼は、子どもではないから。

 よくない、と彼女は言う。そんなのって不当でしょう、どう考えても。そうかなと私はこたえる。人によるんじゃないかな、私も触れていいとわかった人ならやたらと撫でるけど、たいてい最初はぎょっとされるよ。慣れてくれる人と慣れてくれない人がいるよ。ハグ文化圏じゃないからねえ、日本。彼女はため息をついて首を振る。あのね、文化圏なんか、人と人とのあいだで作ればいいの。親しい人にいつどのように触るかなんて、誰かに決められることじゃないの。日本なんて放っておけばいいの。私は可笑しくなって、犬ならいいのに、と言う。みんなが犬ならいいのにね。犬は年をとって死ぬまで、撫でてやれば喜ぶよ。

 私は自分を、犬とたいして変わらない生き物だと思う。犬は鼻がよく、私は言語や火をつかう。それくらいしかちがうところがないような気がする。服を着るのとかは、しかたがなくしているので、できれば着ないほうがラクだと思う。服を着せられている犬を見るとちょっと気の毒に思う。せっかく、ほんものの犬なのに。

 食べものを得て夜露のかからないところで眠って、あとはそこいらを歩いていればだいたい幸せだ。知らない人が寄るとうなり、気に入った人が撫でると喜ぶ。嫌いなものにはかみつき、好きなものにはくっつく。好き嫌いは主ににおいで判別する。好きなものにしょっちゅうくっついていれば、それはそれは幸せだ。

 私にとって幸福はそのように簡単なもので、あとはおおむね、おまけだ。けれども、世界にはどうやらそのように感じない人のほうが多いようだと、ここ数年でようやく気づいた。人々の幸福はもっと複雑で、得体のしれないものであるようだった。みんな犬じゃないのだ。たとえば彼女の夫も。彼女はまだ憤慨している。子どもじゃなければ撫でなくていいなんて、まったくひどい話だ、と言う。私は心から同意して繰りかえす。みんなが犬ならいいのにね。

2016-05-17

目明きの恋

 彼、才能ないから。友だちが言い切って、私はははあ、とへんな声を出す。それからなんとなく左右を見る。どうしたのと彼女が言う。私はもぞもぞと訊きかえす。いや、なんていうか、あなた、彼のこと、好きなんだよね。彼女はうなずき、それから眉を上げて言う。へんな顔。うん、と私はこたえる。きっとへんな顔をしているんだと思う。鏡の前ではできないような顔を。

 若かったころ、私たちの恋は盲目だった。私たちは平凡であって、恋をする相手もそこいらのふつうの人だった。はたから見れば容易に取り替えが利きそうな彼らを、私たちは都度、その人でなければいけないと思いこんでいた。特別にすばらしい人だと感じていた。

 私は友人の恋人や伴侶を特別だと思ったことは一度もない。友人の恋人と友人になったこともない。彼らは一様に私の関心を引かなかった。私が大切なのは友人であって、その恋の相手には道ばたの土鳩一羽ほどの関心も持たなかった。私はだから、友人の愛する人がろくでもないと思ったらろくでもないねと言った。友人たちはもちろん反論した。どんなにすばらしい人か、熱をこめて語った。私も自分の好きな人に対する冷淡なコメントを放っておきはしなかった。だって私は、世界でいちばんすてきな人と一緒に居るつもりでいたのだ。

 恋人や伴侶はその相手にとってだけ世界一になる。どんなに平凡でも、どんな種類の卑しさを持っていても。私はそう思っていた。けれども、年をとると、どうやら、そうではない。恋をしなくなるなら話は簡単なのだけれど、みんなわりとしている。しているけれども、まったくもって、盲目ではないのだった。

 彼女は腕を組み、ボートはボート、と言った。あとにつづくせりふを私はもちろん知っているから確認しておく。好きって、そういう好きなの。つまり、限定的な。そうでもない、と彼女は言う。全面的に好き。いなくなったらどうしようと思って眠れないとか、そういうの。

 やっぱりな、と思う。好きの種類が変わったのではないのだ。相変わらず理不尽に私たちは、忘れたころに、そこいらの当たり前の人間のひとりを特別に好きになる。どうしても近づきたいと思うし、近づいてしまう。なんなら一緒に住んだりする。そうして仲良くなったら今度はいなくなるのが恐ろしい。理由もなく、その人でなければならない。その感情は変わっていない。相手を盲目的に評価することだけがなくなった。

 それはそれ、と彼女は言い換える。これはこれ。彼とは同じ業界だから、彼の才能のなさはよくわかるし、伸びしろもないなって思う。今の評価がせいぜいだし、それだって過分じゃないかと思うくらい。私、彼をけなしてるつもりはない。好きな仕事して食べるのはいいことよ。その中であまりセンスがないほうだっていいじゃない、嫌いな仕事するより。誰もがトップにいるわけじゃないのは当たり前のことでしょう。

 彼女は自分の仕事の領域でつねに高い評価を得てきた。彼女からみたらだいたいの人の成果は自分のそれより低い。他人を評定することにも慣れている(それも仕事の一部だ)。だから才能がないと言われてもそんなに不名誉ではない。それ、彼には言わないよねえ、と私は訊く。言う、と彼女はこたえる。

 積極的に自分から言うことはないけど、訊かれたらこたえる。もちろん、褒めた方が好かれるよ。嘘をついてでも自尊心のおもりをしてやることも、多くのカップルでは必要でしょう。でも私の場合、もともと彼とは仕事上のポジションも評価もかけ離れてるでしょ。だからどんなに嘘をついたところでその種の不満はなくならない。その部分で優越していたい人だったらじわじわと不満をためていく。だからね、仕事がらみで知り合った男なら、仕事で優越したいという欲望が薄いタイプじゃないと、そもそもつきあわないほうがいいの。どんなに穏やかに見えても、どんなに欲がなく見えても、仕事での劣位だけは認められないという人はすごく多い。そういう人には、仕事について何も言わなくても、相手の求めに応じて嘘をついても、腹立たしく思われるものなの。すると彼らはその他の部分で優越しようとするの。そういう感情が読めないままつきあってると、しまいには殴られるよ。比喩じゃなく。

 そうかあ、と私は言う。そうよ、と彼女はこたえる。つくづく、同じ業界にいる人とつきあわないほうがいいね。私が言うと彼女は笑う。しかたがないでしょう、好きになっちゃったんだから。

2016-05-10

私のためにほほえまないで

 職場の上長は有能であってほしい。それはもちろんのことだけれども、恐れ戦くほど有能じゃなくてもいい、私は思う。有能さと機嫌のよさの総計が高いほうがいい。どんなに有能でもやたらと不機嫌な、情緒の安定していない人のもとでは働きにくい。そう考えるようになったのは今の上長が来てからで、つまり私は上長が機嫌よく仕事をしていることをたいへん好ましく思っている。

 思っているのだが、ときどき腹立たしい。自分がシリアスに怒っているときには一緒に怒ってもらいたいのが人情だ。上長はそのような機微を介さず、にこやかに言う。いやあマキノさん、あの人のこと、ほんとに嫌いだよねえ。しわ、よってるよ、しわ。鼻の付け根にしわがよってると実に凶暴そうに見えるなあ、うふふ。

 上長の造作はむかし教科書で見た毛沢東に似ている。おそらく実物と異なり、迫力はまったくない。全体に福々しい。それがますます腹立たしい。嫌いです、と私はこたえる。伝書鳩じゃないんだから、他の部署の人間にしてほしいことくらい自分のところで詰めてから持ってくるのが道理でしょう。あとからひっくり返されたの、一度や二度じゃありませんよ。役職上の機能を果たしていません。私のチーム全体の業務が圧迫されているんです。いいかげんに申し入れをさせてください。

 私が感情的になるまいとするあまり不明瞭な口調でぼそぼそと口上を述べているあいだ、上長は無表情で私を見ていた。私が黙ると、うんともううんともいえない音声を発した。それからいつもの軽薄な笑みに戻り、言った。ねえ、マキノさん、彼、マキノさんに嫌われてるってショック受けてたよお。僕あんなに女の人に冷たくされたのはじめてです、って。そんなに感じ悪かったですかねえ、って。

 私は自分のなかの腹立たしさがあっけなく消えるのを感じた。他人に腹を立てるのは期待しているからだ。相手を自分に理解可能な存在と考えているからだ。その範囲を超えると腹は立たない。そうですか、と私は言った。そう、と上長はこたえた。彼、イケメンだもんねえ。うちの奥さんも、ああいう顔がもてるのよって言ってた。それだから、女の人に冷たくされたこと、なかったんだねえ。

 さっきまでここにその「イケメン」がいた。私はその外見をどうとも思わないけれども、いいと思う人は多いのだろう。そうして、それがなんだというのだろう。「イケメン」はいつもうっすら笑っていて、その笑いを私は嫌いだった。その理由がよくわかった。あれは私、否、「女の人」に投げ与えられたエサだったのだ。女の人はイケメンが笑いかければ嬉しいんでしょ、という。

 仕事上の関係しかないのに仕事とはまったく関係のないエサを投げておけばいいと考える、その発想がどれだけの侮蔑を前提としているか、想像したことがないのだろうか。もちろん、ないのだろう。どんなにていねいに業務上の問題を指摘してもわかってもらえないのも道理だ。彼にとって私は「女の人」でしかないのだから。ちゃんと笑っているのに嫌われたのがショックなくらい、「女の人」でしかないのだから。職場での立場上、対立する、だから険悪になることもある。そんなふうには考えない。

 そうですか、と私は繰りかえした。私がここでは「女の人」である以前に会社の人だと、彼は思わないんですね。

 うん、と上長は言った。マキノさんはなめられてるの。たぶん、彼は、完全に無能な人間ではないよ。でも彼にはじゅうぶんな権限が与えられていなくて、だから彼に何を言っても事態は改善しないんだよ。伝書鳩かよってマキノさんは思ったみたいけど、うん、伝書鳩なんだ、実際のところ。長いこと伝書鳩ポジションに置かれた人間がどれだけの憤懣をかかえているか、いっぺん想像してみて。その感情はもちろん彼が自分でなんとかすべきものなんだけど、彼にはそれができない。そうして、長いことためこんだ憤懣は、自分より弱そうなのを選んでなめてかかるという形にしばしば変換されるんだ。マキノさんがちょっとまじめに話したら彼、言うじゃん。こわーい、って。ほんとに怖い相手にこわーいって言わないよ。あれは「弱いくせに対等っぽいこと言いやがる相手」に対する揶揄だよ。要するに、なめてるんだよ。

 そうですね、と私は繰りかえした。私は私の憤懣がへんな形に変換されるまえに正しく噴出させたいのですが、どうしたらいいでしょうか。うん、と上長は言った。やり方を考えないといけないね、ちょっと相談しようか。

2016-05-03

泣き虫、けむし

 いつも笑われていた。だから物心ついたときには、隠すことに力をそそいだ。誰にも見られないところで、ひとりきりで、這いつくばって手早く済ませる。僕は早くから、そうしなければならないことを知っていた。嘲笑の要因をなくすことはできなくても、隠す技術を向上させることはできた。

 みっともないところは見せないにかぎる。それが社会性というものだし、コミュニケーション能力というものだ。

 だから僕は「それ」が来たらできるだけ人目に触れないように動いた。人目につかない場所を探すことばかり上手になった。

 手洗いは意外とプライバシーに欠ける。少なくとも男子小中学生には。それよりも隙間がいい。空き教室の教卓の下。理科準備室の丸められた地図の陰。体育館の舞台の下。体育館はすごくいいけど、中に人がいれば入れない。たいていは放課後まで人がいる。そのときには体育館裏と隣の校舎とのあいだが次善策だ。

 数年かけて偽装と逃亡の術が完全されたころ、僕は十五になった。たいていの場面でらへら笑って、それなりにうまくやって、都合の悪いところは徹底して隠して、だからどこにいても、補欠合格の気分だった。

 へらへら笑った。いつもみたいに笑った。それが今日は、ことのほか苦痛だった。みんなはめんどくさそうにしていた。社会科の、妙に熱心な、みんなが嫌いな教師の、しかも受験に役立たない、すなわちこの中学校ではゴミでしかない授業。

 僕はへらへら笑った。スクリーンの中で人が死んでいた。酷いしかたでたくさん殺されていた。皮が破かれ、肉が千切られ、痛い痛いとも言えないで人が死んでいた。芝居だとわかっていることなんか何の役にも立たない。

 僕はへらへら笑った顔のまま教室を出た。教師の声が追いかけてきた。全力で逃げた。僕は泣き虫だ。僕はすぐに泣く。戦争の映画なんかぜったいにだめだ。泣く。間違いなく、僕は泣く。

 痛い、辛い、かなしい、誰かに会いたい。僕はそういうの、だめなんだ。ひとつでも泣くのに、いくつもあったらせっかく作り上げたへらへら仮面が一瞬で消えてしまう。あんなに苦労して作ったのに。泣いたら笑われて石を投げられるから、何も感じてないふりを、僕はしなくちゃいけないのに。泣き虫、けむし、はさんで捨てろ。男のくせに。男のくせに。

 捨てられたくなかった。

 涙は排泄物の一種だ。可愛い女の子の涙以外は。だから僕はげろを吐く姿勢でそれを出す。

 戦争映画が上映されている体育館の裏に逃げこんだ。ださい色のコンクリートブロックに這いつくばって、出した。出さずにすめばどれだけいいだろう。小さいころから治らない。僕の目からはしょっちゅう、排泄物が不意に噴出する。とても汚い。みんなが僕を嘲笑う。だから見せてはいけない。 僕は、普通だ。僕はいつもへらへら笑ってる。戦争映画とか、うぜー。三秒で忘れる。それが正しい男子中学生だ。たぶん、戦争映画を上映した教師にとってさえ。

 ため息が聞こえて、僕は咄嗟にからだを逸らす。制服と黒髪の匿名性に期待する。僕が誰だかわからない相手であることを強く祈る。中学校に上がってからは誰にも見られずうまくやってきたのに。

 曽根くん。祈りはあっけなく裏切られる。女の子の声だ。冴えない鼻声の。曽根くんも逃げてきたんだ、よかったあ。あんなの延々と見せられて平気でいるなんておかしいよね。戦争とか強制的にみんなと一緒に見たくないよ。

 僕は油断しない。彼女に顔を見せない。びーっ、と派手な音がして、へへ、と笑う声が聞こえた。ずいぶん堂々と鼻をかむ女の子だなと思う。案の定、たいしてかわいくない。いちばんかわいい女の子たちは鼻なんかかまない。

 その鼻の根元をちょっとつまんで、彼女はいう。曽根くんってきれいに泣くね。いいな。わたしも泣くときにそんなだったらいいのに。曽根くんの涙はきれいだなあ。

 世界が裏返った。そのことを彼女は今でも知らない。自分のせりふを覚えているかもわからない。でもかまわない。それは僕の世界の話だ。僕だけが知っていればいい。ただの嘲笑の的だった僕の涙が、隠さなければいけない恥が、いいものになった。あのとき、世界は僕の目の前で反転したんだ。

 そういえば、と妻が言う。

 この子、あなたに似たのね。こんなに泣き虫で。そうだねと僕はこたえる。妻はとうに、すぐ泣く子ではない。苦難には歯を食いしばり、食いしばりすぎて奥歯がすり減った。妻はそんななのに僕は、あのときから二倍の年を重ねて、子どもが可愛いというだけで泣いて、泣き虫が少しも治らない。泣き虫けむし。僕は今でも。