戦う君のことを 戦わない奴らが嗤うだろう

もちょい不幸論の感想の続きを書いてみる。
自分のこの不快感を分析していくと、本当に世界中の不幸を考えたらそれに押しつぶされてしまうし、死にも狂いもしない程度の不幸を思ってるだけなら、それはただの偽善で自己満足なんじゃないか?ということなのだ。
思考するにしても人間は他者がいなければ、思考のための肉体が存在できない(生活もできないし、そもそも生まれない!)のだから、自己だけで完結した思考に説得力はない。
そもそも思考する本人は絶対に他者にはなれないのだから、究極的には他人の幸福や不幸を語ることはできないのかもしれない。


ちなみに他人を不幸にしないと自分が幸福になれない、というのは小学生のときに悟りました。マジなのでしょうがない。
とっくにわかってることをネジまげられて他人に語られるのって苦しいね。世界の不幸を知ったならば、そのために行動する人間のほうを尊敬するし、倣いたいと思う。
いくら偉い先生でも専門外のことを言ってたらマユツバで聴いたほうがいいのだろーな。生姜先生とか。

 牙狼 #7

実は先週見逃してるのだけど、今回を観た限りで言えばやはり2話イチで1時間のエピソードのほうがドラマの構成としてしっくりくる感じ。

新キャラの零もキャラ立ては悪くないけど、ちょい似てる555の北崎のそれにはちょっと及ばないか。演技も下手するとアフレコのほうが巧いかもしれん。
なぜ旧響鬼ファンが牙狼を褒めるのか理解出来ないけどやっぱりキャラクター同士の葛藤がないとドラマが成立しないよな。


今回の見どころは同じ魔界騎士同士の戦いだが、変身前のほうが見てて面白いのはあいかわらず。室内ワイヤー戦はマトリックス的なんだけど、これをテレビで見せてくれたのは嬉しいし素直にスゴイと思う。


ただビル落下のシーンはやりたいことはわかるのだけど、ずっとCGオンリーでやられるとちょっと辛い。アステカイザー*1じゃないんだから。落下して地上に激突する怖さも感じられなかったし。

せめてビルに剣を突きたてるところとかアップにして本物を使うとか、剣をぶつけあっているところだけでもアップにしてスーツの格闘にしたほうが良かったのではないか。監督がどれくらいCGを信頼しているかはちょっとわからないのだけど、特撮ファンとしては実物を特殊な技術で撮ったものが観たいのであって、CGアニメを観たいわけじゃないのだ。
↑指摘があったので訂正。なぜアニメ的に見えたかはコメント欄のほうに。


ビル落下しながら戦うのって何かで見たなーと思ったらアニメ版X−MENのOPだった。その分アニメで見せられたとき初見の人よりインパクトがなくてもしょうがないのかも。にしてもこれももう10年近く前のアニメなんだよなあ……。


1話の感想でも書いたけどやっぱり自分はせっかくの大人向けなのだから、もっと生々しい戦いが観たいのだ。BLOOD+での描写が18時台にできるのだから、深夜ならもっとできないかなあ。たぶんないと思うけど、最終回までには鎧が半分壊れたままで戦う鋼牙が観たいところ。

*1:格闘シーンだけアニメになるプロレスアクションドラマ

 ウルトラマンマックス #21

ゴモラの存在のせいで全てがおかしくなってる感じ。ていうかゴモラを使わなければかなり納得して観られる内容。

つまり小ゴモラサウルスと大ゴモラじゃなくて、希少でカワイイ珍獣と凶悪な改造念力怪獣というビジュアルにするだけで、ちっちゃいゴモラやら違和感のあるリモコンしっぽバリヤーやらのヘンテコな部分がスッキリするし、改造され復讐の道具にされた動物の悲しみも、宮原父の狂気もより強く見せられたと思う。
と考えてみたけど、こういう話ってもしかして過去にもあったかも?


正直なんで今回の話に、ビジュアル的に完成度の高いゴモラを使ったのか理解に苦しむ。もしかして脚本を発注するときに先に円谷側で登場怪獣を決めちゃってるのだろうか?だとすれば、ファンが円谷を愛したように、円谷もファンを愛してくれ!としか。
ずいぶん先までスタッフや脚本のリストができてたみたいだけど、本当に人気投票を反映してるんだろうね?


ゴモラの必然性が薄いという感想は探しても意外とないような。ゼットンやキングジョーよりも違和感があったのになあ。怪獣はそれ自体が異界であるがゆえに悪として排除されるという白倉Pの主張は説得力があると思う。
http://www.moegame.com/sfx/archives/000413.html


今回の話はkorohitiさんふうに分析すると「過去との決別」と「隊長のピンでの活躍」と「ゴモラ」なのかなあ?
http://d.hatena.ne.jp/korohiti/20051023/p1