説明する必要あるのかな? ほら、あれだよ、あれ。ズンベロだよ。
ええっ、知らないの? 信じられない……
はてなキーワード:ズンドコベロンチョ
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「ズンドコベロンチョ」とは、世間でものすごく流行っているものらしい。知らないひとなどいないくらい有名で、誰もが口にする。
「ズンドコベロンチョ」はテレビ番組のようだ。「昨日のズンベロ見た?」など略して使うらしい。
ところがそう思っていると、今度は「あなたってズンドコベロンチョに似てるわね?」と言われてしまう。
「ズンドコベロンチョ」はどうやらキャラクターのようである。子供にも人気で、親が子供に「今度ズンドコベロンチョ買ってあげるから」というくらいのものだ。ところがおもちゃ屋さんで「ズンドコベロンチョください」と言うと、「ふざけてんのか!?」と警備員を呼ばれてしまう。
「ズンドコベロンチョ」は日本人が忘れていた心を思い出させてくれるらしい。「たま」のような歌手なのか?というとそうではない。
そんな意味不明な「ズンドコベロンチョ」に振り回される男を描いた作品がずばり『ズンドコベロンチョ』である。
『ズンドコベロンチョ』とは『世にも奇妙な物語』で放送された13分ほどの短いお話だ。脚本はヒットメーカーの北川悦吏子。あのタモリが一番好きな話として挙げており、『世にも奇妙な物語』の中でも一位、二位を争うほどの名作なんだとか。
ぼくがこの話を知ったのは『古畑任三郎』について書こうとウィキペディアを見ていたら、関連項目にこの言葉があったからである。ストーリーが最後まで記述してあったのだが、設定がものすごくおもしろいなと思って、急いで動画を探したら見事にヒットした。そもそも『世にも奇妙な物語』の中のお話がまるまるウィキペディアで記載されてること自体が珍しいため、それほどインパクトがあり、名作として語り継がれているのだろう。
『ズンドコベロンチョ』のストーリーは至ってシンプルである。
マクガフィンを使った「知ったかぶり」をテーマにした作品で、知らないことなどこの世にはひとつもないと自負していた優秀なサラリーマンがある日「ズンドコベロンチョ」なるフレーズを同僚の会話から聞く。彼は常日頃から小難しいことばを連発し、そのことばを知らない者にたいして見下すような態度をとっていたため、そんな相手にたいして「何それ?」と聞くことが出来ず、つい知ったかぶりをしてしまう。
ところが気付くと「ズンドコベロンチョ」は思ったよりも世間に浸透していたことが分かる。自分よりも無知な部下、一緒に食事に行った女性、会社の専務、幼い娘……次々に飛び出す「ズンドコベロンチョ」のフレーズ………彼らの言ってることに共通性はなく、予想をして適当に受け答えするものの、ことごとくその予想は外れてしまう。
彼はありとあらゆる辞書をひき、その謎を解こうとするが、一向にたどり着けない。
ついに会社は「ズンドコベロンチョ・プロジェクト」なるものを立ち上げ、そこのチーフに主人公を抜擢する。わざわざ「ズンドコベロンチョ」の概要を書いた資料も用意されていたのだが、「今更こんなものは必要ないな」と、その資料は捨てられてしまう。
追いつめられた彼は思わずこういった「ねぇ……ズンドコベロンチョって何?教えて……」
――――去年「マツコ&有吉の怒り新党」において、マツコがこんなことを語っていた。
「知らないってことが相手にバレてるにもかかわらず、なんとなくそれに準じてる会話を出来る人はいいんだけど「ううーん」って言って次の会話に持っていこうとするヤツ、あれ一番イラっとくるんだけど(笑) テレビの世界の方面にはそんなにいないんだけど、出版系?女編集者系?に多くて、今まで高いところから見下してた女がさ、ふっと顔変わるわけよ「あ、知らない、わたし」っていう(笑) そういう女って打たれ弱いからさ、顔に出ちゃうんだよね。絶対にあいつらは負けを認めないの。知らないってことにたいしてものすごい恐怖を持つらしく、絶対に言わないんだよね。「ごめんなさい、わかんない」を。だからわたしが「こうですよねー」っていうと、「……うーん。それでさっきの話なんだけどね」って、あれがイヤでイヤで!毎回ケンカになんのよ!!だいたい勘違いしてんのよ!あいつら!私が世の中の女を動かしてんだみたいなさ!(一部略)」
これはずばり「ズンドコベロンチョ」そのまんまの話だ。そしてこれに当てはまる人は少なくないはずである。
ぼくの親父が「ズンドコベロンチョ」の主人公のような人間なので、うっかり「へぇ、知らなかった」なんて言おうもんなら、「お前そんなことも知らないのか!常識だぞ!」と言われることが多々あり、その悔しさから知ったかぶりしておいて、後で調べるなんてことをするときがあるが、そのときの精神状態を改めて突かれた感じがして、非常に胸が痛い。
Twitterなんかしてても、今さら聞けないことがガンガン飛び交ってることがある。
特にこういう中途半端な知識を露呈しているブログなんかをやっていると、知ってて当然でしょ?みたいなリプライやコメントが飛んでくることだって少なくない。いや、送ってる本人にそういう意図はないにせよ、知らなかったのは意外です!みたいに言われてしまうこともある。
辞書で調べなければならないことばを使ってたりする人もいるし、実際ぼくも、そのことばを使わないと140文字に収まらないということもあって、結構意識して使ったりしていることもある。それはおさまりがよかったり、響きがかっこいいからだが、知識のひけらかしみたいに思われても当然だなという自負もある。あとこの言葉は調べても元ネタにたどり着けないだろ、ぐひひひと、相手を言い負かしたいときに、いじわるで使ってみたりもすることもある。これはいけないことですね。反省。
今でこそgoogleというすばらしいものがあって、すぐにその言葉を調べて対応することなんかが出来るが、それこそもし、Twitterだけが発達して、それ以外が発達してなかったらということを考えると、恐ろしい話だ。
それこそ、このエントリだってウィキペディアをはじめとしたネットの情報がないと書けない代物だし、そういったメタ視点みたいなものも含まれているんだよ!だからこの作品について書くのはある意味で諸刃の剣なのだ!
そんなサブカル組の「知ってる/知らない」にたいしての部分をくすぐられるのが、この『ズンドコベロンチョ』であり、わずか13分ながら、とてつもない深みを持った作品なので、是非見てないという人は見ることをおすすめしたい。
冒頭で書いたみたいに思われてしまうかもよ……
え?ズンベロ知らないの?マジで?ありえないんだけど!………