ガムラン・ハイ

今日からいよいよ観光開始。【注:手元にガイドブックの類がないので、バリの地名、固有名詞などは適当です】朝8時にホテルで朝飯。バイキング形式で可もなく不可もナシ。まず市場に行こうということで、歩き出す。ホテルのあるのはモンキー・フォレストの隣で、そこから「モンキー・フォレスト通り」がまっすぐ伸びている。かなりの角度の坂だ。この左右に観光客相手のみやげ物屋、服屋、レストラン、カフェ、両替屋などが並ぶ。


店の前には狭い歩道がある。歩道といっても、側溝にセメントのフタがしてあるだけで、そのフタが外れてたり、なぜか急に高くなってるところがあって、はなはだ歩きにくい。だからといって、車道に出ると、車やバイクがすごいスピードで突っ込んできて危ない。なので、よたよたと時間をかけて歩く。店の前には多くの車が路上駐車してあり、そのヨコに座り込んでいる男たちが「クルマ、タクシー、ヤスイヨ」と声をかけてくるが無視する。女は店で売子をしているが、男たちはこれだけが仕事のすべてらしく、昼間からカードをやり取りしてる姿も見かけた。


9時ごろ、パサール(市場)到着。二階建てぐらいの古い建物の上下に、雑貨、食料品などさまざまな店が入っており、そこを抜けると中庭にも多くの店が。日本人と見て、ひっきりなしに声をかけられる。二階の両替屋(服屋と兼業)でカネを換え、それぞれ帽子とか果物ナイフとか、買ってみる。みんな値切るのに慣れてないので、最初は旬公が半分に値切ってOKなのに驚いていたが、そのうち、自分でも値切り始める。

このあと、またホテルまで戻り、旬公が以前世話になった徳武さん(バリで別荘を販売している)に会い、彼の紹介で、バリ人のニョマンさんという30歳の男性にドライバーをやってもらうことになる。一時間8万ルピア(約900円)で、6人が乗れるミニバスが使えるのはありがたい。ニョマンさんは日本語がうまく、とても礼儀正しい若者(年よりもだいぶ若く見える)。


ウブドから北へ1時間ほど走り、途中で棚田の素晴らしい風景を見る。車を降りると、すぐに人が寄ってきて、絶対に買いたくないモノを売りつけようとする。そのあと、ヒンズー寺院を二箇所回る。入るときに色のついた紐を腰に巻く。二箇所目は階段を100段ぐらい下がった渓谷にあった。ちょうどお祭りが終ったところらしく、お供えや楽器の片づけをしていた。そのあと、キンタマーニ山が見えるレストランで昼飯。バリのビールは「ビンタン」というのがメジャーで、南国らしく薄い味。ほかに「バリハイ」があるが、旅行中、バリハイには一度も出会えなかった。


途中、木彫りや竹細工が並べられている店がいくつもある。これらは製造と卸の店だそうで、ここからバリ島中、いや世界中に輸出されるのだ。行きに楽器屋がたくさん目についたので、帰りに寄ってもらう。打楽器好きなので、こういうところに行くと、叩いてみずにはいられない。けっきょく小さな太鼓と、妙な音のする打楽器をふたつ買ってしまう。


ホテルに戻ったのは3時ごろだったか。親たちは元気で、また買い物に出かけたいというので、付き合う。途中で分かれ、本が置いてある店を探す。一箇所は日本語での情報センター「アパ」で、日本語の本を貸本として貸している。最初に払う保証金が不要なら、持っていっても構わない。つまり古本屋でもあるのだ。ミステリが圧倒的に多い。そのあと、シルバーを扱う店の奥で、古本を売っているところへ。ここは英語、ドイツ語、フランス語などのペーパーバック(古本)を売っている。日本の本はホンの少し。その隣りにある、新刊の洋書店〈PERIPLUS〉でバリの楽器の本(英語)を買う。


またホテルに戻り、今度は反対方向に歩いて、夕食へ。「ワルン」という屋台のような大衆食堂のような店で、焼きそば、焼き飯というごくフツーのご飯を食べる。6人で数百円という恐るべき安さ。しかもウマイ。またホテルに戻り、ニョマンさんが持ってきた民族服に着替える。アタマには日本の幽霊みたいな白い布、腰はスカートのように布を巻く。オダラン(創立祭)を見るのに寺に入るためには、この格好が必要なのだ。


パサール近くの寺に行くと、楽器の音が聞こえてくる。境内に入ると、ちょっと離れた二箇所でガムラン楽団が演奏している。片方を聴いていると、もう片方のリズムが耳に入ってきて、その相乗効果がスゴイ。バリ島でトランス体験なんてよく聞くが、たしかに、この空間で聞く音は体全体に入ってくる。片方の楽団では、おやじとおばさんが浪曲みたいな節でなんかウナっている。これは「ラーマヤーナ」を語っているそうだが、ほとんど説教節みたいでオモシロイ。ダンスがはじまるまであと1時間掛かるというので、諦めて寺を出る。ホテルに帰り、部屋に入ったら、もう疲れて寝てしまう。飛ばしすぎだよ。