kazuさんのダイアリー(仮)

07年3月から始め、19年1月にダイアリーからブログに引っ越し。

新潮45

『「倒錯的で異常」など類を見ないLGBT叩きに舵を切った「新潮45」、販売部数激減で休刊の危機が背景に:BAZZUP:2018年9月19日』

今から10年前の2008年当時では、新潮45は月間4万3000部弱を発行していました。(中略)
しかし2012年には2万5000部にまで減少。
(中略)
発行部数であり、実売部数ではありません。つまり新潮45の売り上げは間違いなく休刊・廃刊が見える危機的水準に到達していると考えていいわけです。
(中略)
2018年に入って急に特定の方向にシフト(偏向化)した理由が分かりますが、その甲斐あってか部数の下落ペースが縮小。しかしジリ貧なことに変わりはありません。
(中略)
(この先の生きづらさを感じた新潮社は(ブログ主加筆))
生きづらさを抱えるLGBTに対して言いがかりに近い形で唾(つばき)し、汚名を一身に受けてまで生き残ることを選んだ新潮45
もはやプライドも矜持も捨ててしまったようにしか見えず、言論媒体として終焉を迎えた気がしてなりません。

しかし、そもそも新潮社は戦前からこのようなやり方で生き残ってきたようだ。


『「日本スゴイ」で失敗し、日中戦争で大復活した新潮社雑誌の興亡史:辻田 真佐憲 :現代ビジネス:2018年9月24日 』

かつて『日の出』があった。新潮社が1932年から1945年まで刊行していた大衆雑誌だ。

日本スゴイ」企画などで売り出すも大苦戦し、会社を経営危機の寸前にまで陥れるも、1937年7月の日中戦争の勃発によって急回復、その後は当時数多あった戦意高揚の雑誌としての役割を務め、敗戦と同じ年に寂しく消えた。

その当時の同社社長は佐藤義亮。『新潮45』のLGBT特集問題に絡み、「良心に背く出版は、殺されてもせぬ事」との言葉が注目されている人物だ。


日本スゴイ」特集はそれでも赤字続きだった。その事態を救ったのは戦争で、戦意高揚特集をして黒字に転換した。

1944年9月号の巻頭言「不壊の精神力」。こちらは、精神主義の極地のような文章だ。

「今日の情勢に、いさゝかたりとも狼狽する者、一億国民の中に一人でもありとするならば、われらは罵つて云はう、それでも日本国民かと」

「重ねていふ、物量を活かすものは精神、物量を産むものも精神だ。単なる物量には限りがあるが、無限の精神によつて産み得る物量には限りは無い。精神のともなはぬ米国の物量は、早晩必ず尽きることがある。われらは今、無限の力をもつて有限の力と戦つてゐるのだ」


精神主義をもって物量を超越すると謳っていたが

精神主義謳歌する『日の出』も、本土空襲により肝心の物量(印刷所や用紙)がなくなってはどうしようもなかった。敗戦の日を待たずに、ついに出版もままならなくなってしまうのである。


新潮社はもともとが右翼オピニオン出版社で、今で言う保守系雑誌の『諸君!』『正論』『SAPIO』『Voice』「月刊WiLL」や『月刊Hanada』などのような出版社だったようです。
新潮社は戦前からなりふり構わない経営をしてきたのだから、今後このような偏向雑誌出版社になるのは必然なのでしょう。
かつての新潮社社長佐藤義亮は「良心に背く出版は、殺されてもせぬ事」との言葉で注目されている人物だがよくよくみてみると戦前からこのような経営をしてきたのだから、「新潮45」編集長若杉良作にこそ、むしろ「佐藤義亮」の魂が乗り移ってきたといえる。