起床
疲れた。体は復調。
くそ、なんで文学部は休講がないんだ。自主休講してやる。
嗚呼
自主休講してやる!と言いながら、結局はゼミに出てしまった悲しい僕。そして、来週までに間に合いませんとは言えなかった意気地のない僕。
誰もが思うことなのかも知れないが
「マルチな才能をもった鬼才」などという枕詞のついた人間に大したやつはいない。松尾なんとかとか、宮藤何某にしてもそうで、一つの才能は確かに目を開かされるようなものだが、本業以外の仕事はどうしようもなくくだらない。しかし彼らは被害者なのかもしれない。彼らの純粋的な欲求は等身大であるにもかかわらず、それを拡大しようとしているのはビジネスであるかもしれないからだ。だがそんなことはどうでもいい。今日も、くだらねぇな、と言ってしまえば僕の日課は終わるからだ。
ひたむきさ
ウルリヒ・ブレーカーのひたむきさが自分にも欲しい。
思い出を消したくないから
ふとお気に入りを見ていて、「俺ニュース」と「みゅるみゅれ」と「Selfish!」のブックマークは二年前と同じく、そのままにして残してあるということに気付いた。後にも先にもこんなことは多分この三つだけだろう。他のサイトは長く残りすぎて、消えないように思えるから、逆に消えてしまったときあっさりと受け容れられるだろうから。しかし、このことは多少のセンチメンタリズムが働いているにしても、すごいことなのだと思う。なぜなら、もはや存在していないのに、存在していた跡を必死で守っている者がいるのだから。
「はるの/よるの/ようだ」
村上かつらで一番すごい作品って実はデビュー作ではなかろうか、と思った。あの終わりはすごい。若くなくちゃ描けないだろうし、何かを知ってしまうと描けなくなるように思う。機を逸するといつの間にか失っていることになってしまう「何か」を掴んだ人間にしか描けないのではないだろうか。しかも、それを失いつつあるということに、人は気付いている。気付きやすいものだが、上手く言葉にはできないものなのだ。そこから発生したある種のひたむきさが作者にあのモノローグを書かせ、最後に主人公から「…かっこよかった……!!」と言わせることができたのだ。最初で最後、一度きりしか使えない、とっておきの手法なのではないだろうか。
久々に短編を読んでぶるっときた。必読です。作品単体で感想書きたくなるくらい良いです。
ブリーチしょぼ
と思った僕は少数派ですか?
「妹が見ていたので」(←ここは重要なんです! 僕はブリーチを読んだことがないんです! 本当ですよ!)ちょっと見たけど、なんかキレのない刀の振り回し方をしていて、そういう設定なのかなぁと思いつつも、何だか見る気が起きなかったので途中で自室に引き上げた。最近のナルトもそうなんだけど、アクションシーンはスピード感重視でしょ、やっぱ。あのリーのすごいやつ見せられたら他のは耐えられないね、無理。
訳が終わらない
無理……。
痺れる
さよならをいうのはしばらくの間死ぬことだ。
レイモンド・チャンドラー「長いお別れ」より。